山場
ふらつきつつも、仁王立ちで笑い続ける一哉に、真樋は苛立ちながら周囲を探る。
泡、泡、泡。魂のように炎が揺らめく様は、不気味な寒気さえ感じられる。熱い山の中で、嫌な汗の流れる感触が不快な思いを刺していく。
「ねぇ、これって間違えてない?ボクさ、不安になってきたんだけど。」
『しかし、これ以外に手はありませんわ...絶対に引き止めるのでしょう?』
「うん、彼が来たのって多分、【疾駆する紅弓】を回収する為だろうし...ついでにボク達も潰す気じゃないかな。」
『でしたら、あの殿方に協力するのが無難ですわ。』
泡を一哉の周囲に散らし、発火させる手立てを整える。炎の熱で上へ外へと広がり続ける泡は、辺りを呑み込んでいく。
ひどい熱を広げながら、徐々にその密度を増す泡に、最初に我慢の効かなくなったのは真樋だった。
「これ以上、手をこまねいていても無駄だ。彼等は生き残る気無さそうだし、状況は悪化するよ。君の精霊で移動出来ないかい?」
「やっぱり、来て正解やったね...アルレシャ、いける?」
『無論だ...と言いたいが、不味いな。』
目を閉じ、集中したらしい【浮沈の銀鱗】が苦虫をかみ潰したような顔で呻く。
『どうも火の回りが派手すぎた様だな。行きがけにひっくり返した車のようなものが、山を包囲している。貴様の肺活量で抜けるのは、少しキツいぞ。他の参加者もいるからな。』
「ひっくり返したって...何してるの?」
『一人で飛び出した貴様に言われたくないが?』
「仕方ないだろ?こっちを狙う狙撃手なんていたら、休むことも出来ない。」
どうするかな、と考え始めた真樋に、寿子がキョトンとした顔で尋ねた。
「それ、もしかしてうちの為?」
「うん...え?いや何でそうなるの?」
「今、テキトーに返事した!?もっと周りに関心割いてぇな。」
「やだ。」
『マスター...』
白布に隠れて...というか今は燃えている所為で、表情までは分からない。しかし、呆れているのは声音で十分過ぎるほど理解できた。
「ただいま。彼は?」
『Report、走るのも辛いでしょう。ああして立っているのも、不思議な程です。』
「彼の言葉を借りるなら、意地でしょ。それが今、僕達を追い詰めてるんだけどね...」
すぐ傍を通り過ぎた泡に、避けようとして背中を精霊に支えらた真樋がぼやく。
すぐ後ろにも、泡が漂っていたのだ。段々と避ける空間が無くなっている。周りの火の手も増すばかりだ。
「あ、これもしかして不味い?仕方ないからピトス、僕を瓶に入れて」
『Report、酔いが覚め始めてきました。』
「今!?」
「なんかダメなん?」
「打ち消してた効能が切れて、泥酔する。霊体化してて、ピトス。何があっても僕に着いて来ること。」
『Roger、善処します。』
手持ちの瓶を確認し、渋い顔をする真樋が一哉を睨む。その視線を浴びて、より笑みを深くした一哉が声を上げた。
「随分と余裕が崩れたきたな!それが素のお前かよ?」
「どっちにしろ、隠してなんか無かったけどね。君の目が節穴なだけだろ?」
「は!大の男がお守りを頼み込むなんざ、見たくもねぇな!」
「情けない姿を晒すよりは、遙かに苦しくも非効率的でも無い。」
「どっちが情けねぇかな!」
力を振り絞る一哉は、裂けた腕をかばうこともせず炎を纏わせる。すでに最初の勢いは無く、健吾であれば片手で制圧することさえ可能に思わせた。しかし、ここは炎の中。熱で体力を大幅に奪われている真樋たちには、十分な脅威となる存在だ。
蹴り込んでくる一哉の一撃は、真樋には受けるすべは無い。回避しようにも、周囲は泡だ。
「あ、まず...」
「燃えろ、根暗野郎。」
今の一哉の一撃は、人のものでは無い。加速も炎による熱もあるが、【意中の焦燥】の羊毛がもっとも驚異だ。触れれば己が発火するそれを、一哉は纏っているのだ。
人間松明になる気は無い、とっさに差し出したのは一つの瓶だ。開いたそれから飛び出したのは、寿子を寝かせていた部屋で入れていた女性だった。
「誰かぁ!」
「あ?」
部屋への侵入者への反応は、奇しくもその侵入者たちに助けを求める様だった。痛みよりも先に炎が襲い、声にならない悲鳴がたたきつけられた。
伸ばされた手が届く前に、彼女は倒れ伏した。覚悟をしていなかった一哉も真樋もだが、手を伸ばされた寿子などは死体の様に蒼白だ。
「っぁ...」
『ショックを受けるなら目でも閉じておけ。我が護衛くらいしてやる。』
「ち、なんてもん持ってやがる。」
「他に無かっただけだ。」
「そりゃ良い事聞いたなぁ!」
嬉しそうに脚を振り上げる一哉だが、それが真樋に届く事は無かった。フワリと炎を伴った泡が移動し、一哉に触れた瞬間に爆発した。
片足で堪えられる筈もなく、土の上に転がった一哉が周囲を見る。熱の圧力は、自分を中心に広がっている。しかし、泡の動きは渦を巻いていた。その中心は...
「てめぇ、何しやがった。」
「え、うち?」
困惑する寿子に、燃やした土を投げつける。広がった炎に強ばった彼女を抱き寄せ、真樋はその上着のポケットを漁った。
「あ、ありが...って何しとんよ!」
「いや、僕の上着だし、文句言われる事無くない?」
「目の前でイチャつきやがって、挑発のつもりかよ。」
「イチャ...!?」
慌てて身を離す寿子の上着から、目当ての物を取り出した真樋は首を傾げた。
「なにこれ。石?」
「あ、それ。黒い猫?さんに貰った...」
『いや、少し酷くないか?』
寿子の頭の上に飛び乗り、尾で軽く側頭を叩きながら精霊は文句を言う。その姿に、真樋は瞬時に警戒を顕にした。
接近に気づかなかった。気配を消していたって、自分には何となく勘づける自信がある。つまり、気づく前に外からもう接近したのだ。
「君は...!」
『おっと兄弟、そう構えなさんな。前に言ったろ?殺るつもりは無いってよ。』
「出来ないとも言ってないし、状況も違う。」
『だけど良い方に、だ。俺はこのお嬢さんに協力して欲しいもんでね。』
スルリと滑るように肩の上に降りたカストルが、首に巻きついて体を落ち着かせる。温もりとシルクを思わせる肌触りという不思議な襟巻きに、寿子の顔が緩んでいく。
青筋が浮かびそうな程に眉をしかめた真樋が、立ち上がった一哉を警戒しながら問いかけた。
「で?今、何とかしてくれるわけ?」
『動きづらくて困ってんだろ?なら辺りの提灯を除けてやるよ。』
石ころとは比べ物にならない突風。渦をまくそれがカストルを中心に吹き、燃えている泡を円形に吹き飛ばしていく。
『ほらな?』
「くそ、反則的に相性悪ぃな...」
『諦めて逃げよーよ、ハックー。死んじゃうよ?』
「いや、これもう助からねぇだろ...」
炎も泡も、風の影響を受けやすい。重い物を燃やせば良いのだが、既にそんなものを投げる力が一哉に残っていなかった。
せめてもの抵抗とばかりに【意中の焦燥】の羊毛を撒き散らすが、風は中央から外に吹いているらしく、此方に飛んでくる。
「ちぃ!」
『なんで自分で自分を追い詰めてんのさぁ!』
叫ぶ【意中の焦燥】に答える声は、あったとしても届かない。泡が弾けるのと同時に、開放された炎が熱と高圧を撒き散らす。
爆炎が焼き焦がした土が風に揺られて舞い、視界を良好にしていく。
「なんでお前が...」
『主様の命です。貴方が死んでしまっては、私達は何も出来ませんから?』
「ほら、こっち!離れてたらボクが狙われるって!」
「俺の方が重症なんだけどな...?」
左腕は無く、右腕は肘まで裂け、足には弾痕。何で動いているのか、自分でも分からないレベルの怪我である。
四穂も四穂で、目立った怪我こそ無い物の疲労が強い。特性の離れた二体の契約を維持するのは、肉体にも精神にも負担が大きいのだろう。既に目の前が朦朧とし出している。
『後ろへ。泡を作り続けますので、発火を。私の甲殻には戯れにもなりませんから。』
「流石に発生元に近づくのは危険、かな?」
『だな。俺の風は渦だ、泡同士がぶつかりゃ離れてく前に爆発する。さっさと逃げねぇか?ここはあれに任せて、よ。』
カストルの振り向いた先で、白い何かが動いた気がした。その瞬間、土が弾ける。発砲されたのだ、と少し遅れて気づいた。
「なになに!?何事!?何か見えた?」
「だぁ、うるせぇ!横で騒ぐなっつーんだよ。フワフワのイタチを追っかけてた警官共だ、すぐ隠れやがったが、位置は丸わかりだっつの。発見されてから隠れんのはアホだぜ。」
『ハックー、それ自己紹介?』
「黙れアホ。」
『痛い痛い痛ぁ!』
手が使えないので、耳を噛む。一哉は少し犬歯が大きいのもあり、【意中の焦燥】は今までで一番痛そうな悲鳴を上げた。
「わぉ、なっかよし〜。」
「お前もちょっと黙れや、音聞いてんだから。」
「分かったから歯を剥き出さないで?女の子を食べちゃうなんて、紳士のする事じゃないと思うな、ボク。」
「これが紳士ってザマかよ。あ、アイツら逃げやがった...」
少し注意を逸らした隙に、【浮沈の銀鱗】で離脱されている。本当に機動力の高い相手である。
段々と痛みが戻って来たのか、顔が険しくなる一哉だが、すぐに視線を正面の木々へと戻した。油断はしていられない。これ以上体に穴を開けられたい訳では無いのだ。
「このまま篭って、最期を迎えるか...」
「え?どしたの?」
「いや、最後に派手にやらかしてやろうかとな。」
もう既にやった後だと思う。喉まででかかったそれを四穂は飲み込んだ。【疾駆する紅弓】を助けるならば、警官ではなく真樋達を止めねばならない。
「ねぇ、さっきの」
「分かってるから、ちょっと黙ってろ。要はアイツらもすぐに山から逃げねぇと行けねぇくらい、火を広げりゃいいんだからよ。」
既に半分程を囲む火の手は、今も山頂へとその犠牲を広げている。もう半分燃やしてやれば、逃げないと焼け死ぬだけだ。
「...手伝ってくれるんだ?」
「別にそんなんじゃねぇよ、アイツが思い通りに行かねぇのが面白ぇだけだ。」
ムスッとしながら吐き捨てる一哉だが、その肩のお喋りは正直だった。
『ハックー、誤魔化すのは止めないけどそれだと性格悪いだけの人っぽ』
「うるせぇ。」




