もう一つの火種
現在時刻、15時。
残り時間、1日と16時間。
残り参加者、11名。
日が暮れ始め、すっかり静かになった町で、寿子は電柱にもたれかかった。
「う...やっぱり動かん方が良かったかも...」
『だから言ったのだ、タワケめ。あの夜道怪なら捨ておけ、どうせ気が向いたら帰ってくるわ。』
「ふふ、前までなら罠を警戒してすぐに動け!とか言いそうやったんに、いつの間に仲良うなったん?」
『...ふん、我では無く、奴が変わったのだ。精霊としては面白く無い変化だと言うのに、面隠しは喜んでいそうだったがな。』
周囲の無機物個体を液状にする【浮沈の銀鱗】では、肩を貸すことも出来はしない。ただ倒れた時に備え、近くを泳ぐしかない。
周辺の民家からも、視線は感じるものの出てくる者は無い。危険に敏感な奴らだ、と【浮沈の銀鱗】はつまらなそうにボヤく。
「仕方ないやん、ここ数日は凄い物騒やったし。事件事故も多かったやろ?」
『それでも興味本位に出てくる有象無象くらい、居そうなものだがな。既に死んだか?』
「ちょ、おっかない事言わんでよ...」
振り返って睨む寿子に、精霊の返答は無い。代わりに驚いているらしい顔が目に入る。
「どしたん?」
『夕暮れのせいで気づかなかったが...燃えているようだぞ。』
「へ?何が。」
『山だ。夕日ではなく炎、雲ではなく煙だ。』
全てが赤く染まる時間、貧血気味の寿子と地中を泳ぐ【浮沈の銀鱗】では良く見えなかったのだろう。言われて確認すれば、確かに山が揺れている。風に揺れる木々ではなく、揺らめくのは炎らしい。
すぐに目が覚めた寿子は、慌てて精霊に命じる。
「すぐに行かんと、またピンチかもしれんよ!乗せて、アルレシャ!」
『あの中に行く気か!?』
「だって、撃たれた後に助けてくれたんはお兄さんやろ?このまま放っとくん?」
『だが、死にに行くようなものだぞ。』
「やから、アルレシャも一緒に。守ってくれるやろ?」
小首を傾げて尋ねる彼女に、否定を返そうとして止まる。そこで否定しては己の力を疑わせる様ではないか。そんなものは【浮沈の銀鱗】のプライドが許すものではない、故にその声は口からは出ていかなかった。
顔をしかめる精霊に、寿子はニコニコと視線を向けている。うまく扱われているようで、腹立たしげに尾ビレを地表にたたきつける。散った飛沫があたりに土塊を付着させ、彼の苛立ちを代わりに表現した。
『勝算と目標は。』
「無い!でも、こうやって一人でゲームに参加して、アルレシャにいっぱい助けて貰って、思ったんよ。今までの生活が出来んようなるのは辛い、でも変わっても、うちらは生きてけるんやないかな、って。」
『まさか勝負を捨てるとでも言うつもりか?』
「そうや無くて。それよりも、助けられてばっかりなんが嫌なだけやから。お兄さんをもう一回助けたら、ちゃんと勝ちにも行くで?」
『ふん、どうだかな...まぁ良い。我は記録するだけだ。』
精霊に選択権は無い。ただ主の望みを叶え、記録するのみである。
一度潜水し、寿子の下から浮上した精霊が、山を目指して泳ぎ始める。
『振り落とされるなよ...!』
「うん、頼むでアルレシャ!」
掴む手に力が入ったのを確認し、急激に加速する。景色が後ろに流れていき、夕暮れに赤く染まる山が近くなる。
麓まで来た時、突然に【浮沈の銀鱗】が止まり、寿子が地面に落とされた。すぐに胸ビレを掴んで溺れないようにしながら、自らの精霊を睨めつける。
「ちょっと、乱暴やない?」
『落ちるなと言ったろう。それによく見てみろ、その民家の向こうだ。』
「え?向こうって言ったって...見えへんし。」
『覗くのだ、バカもの!ここから見えるならば、今頃蜂の巣だぞ。』
足場になってもらい、塀の上から少し顔を出して見れば、装甲車がズラリ。これでは、確かに動けないだろう。
武装した人も多く、それは警官と言うよりは...
「自衛隊?」
『なんだ、それは。』
「えっと...警察よりも大変な時に出てくる人達...みたいな?」
『お前も知らんのだな。しかし厄介な...地中は下水道等もあり、この辺りは潜りにくいぞ。』
地形は関係ないとはいえ、気体は液状化出来ない。もし大きな空間に出てしまえば、落下の衝撃で寿子が離れかねない。
「いや、普通にバッチいのに突っ込みたくないけんね?」
『我の鱗は汚れん。』
「うちの話やから!」
『人間とは難儀だな...』
面倒だという態度を隠しもせずに、【浮沈の銀鱗】は頭を振った。突然だったので、そこに立つ寿子は当然倒れてしまう。
「いたぁっ!」
『バカ、大声を出すな!』
つい叫んでしまった寿子の声は、向こうの警官達にも聞こえたようだ。ざわめきが聞こえ、そして近づいてくる。
『ちっ、人払いはこのためか!容赦なく撃ってくるつもりのようだぞ!』
「嘘やん!」
『貴様が叫ぶからだ。』
「それはアルレシャが...あーもう!こんな事言っとる場合やない。撃退して、【浮沈の銀鱗】!」
寿子がそう叫ぶ頃には、精霊は既に飛び出している。曲がった瞬間、地を泳ぐ大鮫に襲われて一人があっという間に地面に呑まれていった。
じわり、と波打つアスファルトから赤が滲む。地面の下で何が起こったのか、考えるまでも無く足場が液状化していく。【浮沈の銀鱗】が浮上してきたからだ。
「っ!散開しろ!」
一手遅れて叫ぶのは、司令塔の男だろうか?銃を構えて周囲を警戒していた彼が、真っ先に呑み込まれていったのは必然だった。
立ち直った者が消え、恐怖が伝染していく。それでも地面に銃を向け、じっと耐え忍ぶ姿はプロである。
「呑まれれば助からない、そいつごと撃つんだ。」
「そんな!?」
「了解。」
プログラムにしては人間らしい反応に、隠れている寿子の胸がチクリと痛む。しかし、ここで出ていっても撃たれて終わるのは理解している。
ただ、精霊の暴れるがままに、蹂躙が続けられる。精霊の力が弱まっては困るので、離れる事は出来ない。悲鳴と銃声を聞きながら、ただ縮こまる。
『終わったぞ...どうした?』
「あ、アルレシャ...なんでもない、もう大丈夫なん?」
『あぁ、ここは全滅したと思うが...もしや、今更に我が怖くなったか?』
「アルレシャは別に...」
『この...!』
本人にそのつもりは無かっただろうが、精霊には腹立たしい一言である。とはいえ、しょぼくれた少女に怒鳴る程、分別の無い精霊ではない。
『...契約者とやり合った時は、そうでもなかったが?』
「それは、そうやけど...なんというか、違うんよ。こんな怯えて、そんな人を襲って...他の人は、凄い積極的やってん。」
『そういう事か...気にするな、こいつらとて逃げなかったのは、こいつらの意思だ。』
変わらずに煌びやかな鱗を光らせ、精霊はただ契約者が立ち上がるのを待っていた。早めにしなければ、周囲の部隊も異常を察して集まって来るかもしれない。
だが、精霊は記憶と感情を糧にしている。不安定でしょげている少女など、契約者として力にならないのだ。
「...ごめん、アルレシャ。もう大丈夫。」
『そうか、ならば良い。急ぐぞ、今ならば装甲車を撥ね倒した所で、追っ手が間に合う事も無かろう。』
「うん、頼むで。」
再び跨った寿子が声を上げれば、精霊は車の間に猛進し、そのまま山へと入っていく。背後では、大きな音に反応して人が集まっているようで、段々と騒がしくなっている。
銃弾が飛び始めるのもすぐだろう。身を低くし、精霊に速度をあげるように促せば、斜面だと言うのにすぐに加速した。
「まず、お兄さんの場所を探さんとやね。」
『その上着に何か入っていないのか?瓶でもあれば開けてみろ。』
「上着?そっか、借りたままやった...あ、なんかあるで。」
『我に見せられても知らん...なんだこれは。』
『受信機だな、コイツは。』
「うぇ!?」『へぶっ!』
分からないままにボタンを押していた寿子の肩に、風と共に軽綿のような重みがかかる。
急な事につい手で払い除けてしまった寿子が、二度ほど跳ねて戻ってきたその精霊を見つめて問いかけた。
「えっと...どちら様?」
『いきなりじゃねぇか、兄弟...安心しろって、敵じゃない、今は。』
「いきなり肩におったけぇ、びっくりしただけなんよ。ごめんね?」
『おい、すぐに馴れ合うな。』『ちと警戒心薄くねぇ?』
まさか謝っている本人にまで言われるとは思わず、つい苦笑いが漏れてしまう。そんな寿子の肩に、再びヒョイと飛び乗ると端末のボタンを数個押す。
『ほら、これで起動した。発信側の位置情報を自分を中心に相対的に把握する装置だ。』
「んと...GPSみたいなもんなん?」
『ありゃ、絶対値だけどな...ま、位置を見るって意味では一緒だな。』
ケタケタと笑う黒鼬へ、【浮沈の銀鱗】が不機嫌な声を出す。
『つまり夜道怪の位置か?それとも別か?』
『さぁ?俺は見知った機械に四苦八苦してる奴を揶揄いに来ただけだし?』
『貴様には聞いていない。』
『ひでぇ事言いやがる。』
やけにフレンドリーな精霊を腹立たしげに睨み、降りろとばかりにその身を揺さぶれば、寿子と共に落ちてくる。
並んだ歯が眼前に迫り、黒鼬は慌てて回避する。閉まるその一瞬の間に、口内を蹴って離脱した。
『あっぶな...何しやがる!?』
『ふん、精霊同士争うに、理由がいるのか?』
『良い情報を持ってきてやったつーのに、ひでぇなぁ兄弟。』
「機械の使い方の事?それは助かったけど」
『あぁ、そりゃついで。本命は別。』
訝しむ一人と一柱に、漆黒の精霊はニヤリと笑う。
『ちょいと俺と取引しねぇか?悪いようにゃ〜しねぇから。』




