終わる者にも夢潰えず
「最高に滾れぇ、【意中の焦燥】!」
『ふん、人の身でまだ踊るというか!』
顔も肺も焼かれ、二発の弾丸を受けた筈の【母なる守護】だが、そのダメージを疑いたくなるような勢いで突進する。
薬の回っている間だけだが、疲労も痛みも吹っ飛んだ。体には無茶を強いている、これがラストチャンスなのは変わらないだろうが、今の一哉は絶好調だ。
「どうしたどうした!闘牛士だってもう少しヒヤヒヤするだろうぜ!」
『ならば怯える間もなく潰してやろう!』
焼けた拳を牽制に使い、一哉は【母なる守護】を少しずつ誘導していく。その狙いは逃げることでは無い、故に逃がすまいとする【母なる守護】は悟れなかった。
「発見!牡牛と異常発生者だ!」
『ぬぅ!?』
「さ〜て、このまま祭りと行こうや。炎の中で、牛に男に鉛玉。死骸がどれだけ増えるかなぁ!?」
拳を打ち鳴らし、警官の中へ走り出す。拳銃を奪い取ろうとする青年に、黙って接近を許す者はいない。銃撃が彼を襲うが、ヤケを起こした一哉が止まるはずも無い。
あっという間に乱戦になった場に、ふと影が指す。一哉のすぐ横にいた警官が、鋏に肋を折られて吐血する。
『シュウゥゥ...』
「おっと...やべ、忘れてた。」「た、助け...!」
此方に手を伸ばしながら、涙を流すその顔が消えていく。顎の様な鋏の奥で、咀嚼する化け蠍の中へと。顔を顰めながらも、一哉は精霊へ炎をばら撒く。
それに怯んだのか、【魅惑な死神】が後ずさるのを確認し、一哉はさらに火を広げる。警官達にも、これではパトカーを走らせる事も難しいだろう。
「追い詰めろ、ここで仕留めるんだ!」
「に、逃げ」
『シュァァ!』
『笑止!』
いとも易く、血袋が破裂していく。炎とは違う紅が周囲を染め、そして弾丸が飛び交う。
悲鳴、怒号、発砲音。恐ろしい景色の広がる山で、炎のおかげでそれを見る事無く、【泡沫の人魚姫】は音でそれを察していた。
『主様、如何なさいますか?』
「いやぁ...これは流石にちょっと...もうちょい落ち着くまでまって?」
ヘラリと笑ってはいるものの、その顔は白く震えている。直視しなくて済んだのがせめてもの救いだろう。
鼻の頭を押し付け、ルクバトが顔を覗き込む。心配されるのはあまり好きではない。少し覚束無いものの、その足で立ち上がって辺りを見渡す。
「どこに行っても火の海、か...でも、ルクバトなら平気だよね?」
『主様、しがみついていられますか?』
「そんな事したら、追いつかれちゃうよ。ボク達はこっち...良いかな、【泡沫の人魚姫】?」
少し不安げに見上げて来る主を、しっかりと抱きとめて精霊は囁く。
『勿論です、主様。私は貴女の精霊、貴女の元で尽力してこそ、私ですわ。』
「ありがとう、ボクの相棒。」
背を叩き、そっとハグから離れた四穂は、ルクバトの鬣を撫でて命じる。
「辛い事を任せるけど、ゴメンね。ボクのいた証を、ボクの繋げた力を。きっとこのゲームで、大きな一矢にしておくれ。」
鼻先で胸を叩くと、ルクバトは炎の中へ駆け出した。思ったより強い力だった為、尻もちを着いた四穂が苦笑いを零す。
「怒られちゃったかな。」
『任せろ、という事では?主の命を誇る手合いでしょう、【疾駆する紅弓】は。』
「だと良いけど。さって、それじゃボク達は目立つとしようか!まぁ、これ以上無いくらい囮にはなってるけどね、ここ。」
『羽虫を寄せる大きな焚き火ですわね。焼かれないといいですけれど。』
炎の向こうから聞こえてくる悲鳴は、耳を塞ぎたくなるものばかり。この動乱ならばと気を抜きかけるが、それでもルクバトが遠目でも目立つ紅の毛皮なのは変わらない。
やはり少しでも安全に。泡を生成し、炎の上を渡る。視界に入った地獄に嘔吐くが、心の準備が出来ていた分まだ大丈夫だ。
「こんだけ酷い場所も、ずっと聞いてたら免疫つくものだね...」
『音と光景では違いますわ、ご無理はなさいませんよう。』
「うわ、食べてる...!?ヤバ、吐くかも。」
人を食うのは、恐らく攻撃しにくい口を有効活用するためだろうが。その鋏と尾を使い動けない者を増やしていく【魅惑な死神】が、狂乱の捕食者に、天敵に見えてしまう。
潜在的な恐怖を引き出すのに、より適した行動を取っているようだ。そこまで考えて、ふと四穂は違和感に気づいた。
「あれ、なんか随分と元気じゃない...?さっきはただの大きなサソリって感じだったのに。」
『主様、警戒を。』
視線を向けているのは、地上の一点。【泡沫の人魚姫】の目線を追いかければ、銃弾の中を走る【母なる守護】が見受けられる。
「金属の...皮膚。」
『契約者が戻っていますわ。何処に隠れているか分かりませんが、精霊が明確な狙いを持って動く時、真っ先に狙われるのは契約者である私達でしょう。』
「なんで、こんな所に戻って来たんだろ...ボクだったら死ぬ気で逃げるけどね。」
その答えは、考えるまでも無くすぐに目の前に現れた。浮かび瓶が、フラフラと木の上を彷徨っている。
「あれって...まさか...」
『主様、伏せて!』
そこから弾丸が飛び出し、上空の泡を幾つか割った。確実に場所はバレている。
「てか、蓋って遠隔で開けられるんだね、あれ。」
『狙いはおそらく、私達でしょう。中途半端に終わったので、続けようという事かと。』
「街に出ようとしたら、見つかっちゃった訳だ。それで精霊の元に急いだ...」
『炎や警官よりも、一人の青年を、ですか。』
何かしら、切り札でも調達してきたのだろうか?脅威と認知されている少年から距離を取ろうと、四穂は泡を渡りついで地上に向かう。
何か不思議な感覚で此方の位置がバレているのは、昨夜の事で理解した。であるならば、逃げ場のない空中に留まるのは危険だ。相手の飛び道具に何があるか分からないのだから。
「これだけ撃ち合いしてたら、弾丸が飛んでくるのは当たり前だよね。」
『残弾がどれだけあるか...考えるのは億劫ですわね。それよりも身を守る方法を考えましょう。』
「とりあえず離れるのはダメ。ルクバトが見つかると怖いしね。ボクの場所は何回か戸惑ってたみたいだし、相手の探知を誤魔化すなら精霊の傍なんだろうけど...」
『近づきたくは無いですわね。』
炎の向こうから、今も破壊音は鳴り響いている。あそこに行けば、今より危険なのは間違い無いだろう。
木々や炎のせいで相手の視線も分からず、耳を済ませて位置を探るしか無い。そんな事はやった事も無いし、方向が分かるかもという程度。不安を拭う事さえ出来ない。
『...主様、悲鳴が少なくありません?』
「え?結構な量、聞こえてるけど。」
『いえ、怒鳴り声が増えたというか...流れが変わりましたわ。』
炎の壁を睨む【泡沫の人魚姫】の下で、コツンと石が跳ねた。すぐにそちらに視線を向けるも、それよりも早く大地が裂けて暗殺者は飛び出す。
前からの鋏、上からの尾針が同時に襲いかかるのは、衝撃で弾けた泡から落ちる【泡沫の人魚姫】だ。全甲殻を右腕に集め、巨大な鋏とした精霊へ。
『お戯れも...程々にしてくださる?』
信じられない力で閉じられたそれが、【魅惑な死神】の顔を砕き、そのまま締め上げる。嫌な音を立てて青い液体が流れ、遂には鋏角を断ち切る。
そのまま、触肢も断ち切らんとする【泡沫の人魚姫】だが、発射された尾針に撃ち抜かれてそれは叶わない。
『ぐ...丁寧に傷を狙ってきますわね。』
「下がって、【泡沫の人魚姫】!」
『いえ、主様。潜まれると厄介、勝っているのですから、力押しが最適解ですわ!』
力、硬さ、重さ。その全てが【泡沫の人魚姫】の方が上だ。巨体の割に素早く、隠れ潜む【魅惑な死神】では正面からは不利だろう。
逆に言えば、逃げられて奇襲を続けるならば有利とも言える。圧倒的に機動力と射程が勝っているのだから。
顔の右半分が潰れようとも、痛みさえ無いのか冷静に此方を観察する【魅惑な死神】は、生物というよりは機械。精霊と言うよりはプログラム。
「随分とボロボロね。」
「あれ、貴女は...そっか、貴女の精霊なんですね。」
「えぇ、そうよ。といっても、「守って」と「襲って」くらいしか聞いてくれないけど。」
燃える木々の間から、八千代が姿を現す。其方に注目が集まった瞬間に、再び【魅惑な死神】は姿を眩ませた。
「ホント、良いタイミングですね。」
「ごめんなさいね、貴女好みではないでしょ?勢いの無い、こんな真似。」
「ボクは出来ないし、やろうとも思いませんけど、それだって蝎宮さんの良さですよ。」
「皮肉...は貴女に限っては無いわね。」
流石に何度も誤魔化される事は無く、話の内容に気を引かれながらも【泡沫の人魚姫】は地中を警戒する。
動けば揺れるのだろうが、生憎と自分は地上には居ない。泡の上だ。互いに互いを感知できない。警戒に越した事は無いと、主人の傍に身を寄せる。
『お知り合いですか?』
「ちょっとだけね。」
「寂しい事を言わないで?何度か仕事の席で会ったじゃない。」
「挨拶くらいしか、した覚えないですよ?」
この会話も、気を引く為のものだろうか。情報を少しずつ小出しにし、精霊の関心を惹き付けていく。
しかし、その小細工は無駄に終わった。ジワリと肩に赤が滲み、八千代が膝を着く。
『Jesus、外しました。』
「当たったんだ、及第点だよ。それよりも、他の気配に気をつけながら追い詰めるよ。手負いの奴らだ、易いだろ?」
『Roger、マスター。』
木の上から躍り懸かる【宝物の瓶】は、手前にいた四穂目掛けて小太刀を一閃する。
割って入った甲殻を深く傷つけ、跳ねるようにそのまま八千代に向かえば、返す刀でその首を狙った。
「そう来るのね...防いで、【魅惑な死神】!!」
狙撃を警戒し、高く跳躍して針を見つけやすくした【宝物の瓶】だったが、木々の中から針が飛ぶ事は無い。
慌てて気配を探れば、それは真下。地中から襲う暗殺者の凶刃が、落下する精霊へと迫った。




