ケジメ
風を切って飛来した針に、落馬する形で一哉は回避する。正面に近い位置からの射撃、四穂が盾になるかとも一瞬考えたが、流石に抱えている人間に死なれるのは不快だった。
『もぉ、危なすぎでしょ!?』
「間に合ったじゃねぇか。細けぇこと言うなって。」
広げた羊毛がクッションとなり、少し捻ったくらいの代償で回避に成功する。腕の中でぐったりしている四穂は、肩の辺りを撃たれたらしく、血が広がっていた。
「おいおい、マジかよ...今死ぬなよ?コイツが走らなくなるじゃねぇか。」
『再契約すればぁ?』
「半身が居ねぇんだとよ。見たろ、コイツの騎手だ。」
『じゃ、無理かぁ...』
モゾモゾと肩で位置を整えると、【意中の焦燥】は正面の化け物を睨む。
そのまま走り抜いていたルクバトが、蹴りを繰り出して弾かれた相手。鋏を鳴らしながら尾を振る【魅惑な死神】は、そんな視線を嗤う様に前進した。
「エサを前にした獣みてぇだな。」
『いや、僕まだ食べられたく無いよ?』
「んなの、俺もだっつの。その為に力ぁ貸せや、【意中の焦燥】!」
ナイフを引き出し、それに炎をを纏わせる。赤熱した刃は脆く、もう使い物にはならないだろう。だが、柔らかく熱に弱いものを刺すにはうってつけだ。
どうせ甲殻には通らない。ならば狙うは継ぎ目や目玉。肉であれば熱を帯びた刃物の方が切りやすい。
「気張ってけよぉお!」
『あー、もう!無茶なんだからさ!』
当然、黙って待っている精霊では無い。走りよってくる一哉に向けて鋏をかざし、叩き、刺す。
一撃目は回避に成功し、二発目は【意中の焦燥】の羊毛に隠れる。見えないあげく、羊毛に押し出されるような抵抗感に狙いが逸れる。
「潰れやがれぇ!」
『シュウッ...!』
眼球に迫る熱気と冷たいまでの殺意。人型どころか、表情や言葉さえ介さない【魅惑な死神】には、無意識のうちにリミッターが外れたのだろう。
全力で振るわれたナイフが、感情の見えない複眼に迫る。表面を削り、内部まで押し込まれる、そんな瞬間。危機的な動きを把握して、一哉は後ろへと跳び去った。
シャツを掠め、尾針が地面に突き立てられる。攻撃手段の三番目、見逃していた。流れる冷や汗を拭う間もなく、一哉に向けて鋏が閉じられる。
「やっ、べ!」
『ちょと、ハックー!?前に出過ぎだから!』
「今さら遅ぇんだよぉ!?」
バックパックを捕まれ、大きく振り上げられた一哉に尾針が迫る。咄嗟に腕を前に交差させるが、それは悪手。
深く突き立ったそれは、毒に塗れた致死の傷となる。バックパックを捨て去り、尾を蹴って抜け出した一哉が【魅惑な死神】の上に着地する。
「クソッタレが!」
手に持つナイフで二つの中眼を潰し、のたうち回る【魅惑な死神】から飛び降りる。残る三対の目は小さく、鋏をくぐり抜けて辿りつくのは難しそうだった。
『ちょ、大丈夫なのハックー!?』
「ンな訳あるかよ!頭はいてぇしフラつくしよ...」
『そんだけ血ぃでてたらね!』
しかしこの出血のおかげか、はたまた遅効性なのか。毒の影響は少なそうだ。
「あんの女ぁ...容赦ねぇじゃねぇか。」
『いや、ハックーも牛さん撃ったけどね。契約者、探す?』
「いや、それよりも...伏せろ!」
肩を押さえながら立ち上がりかけていた四穂を、落ち葉の上へと押し倒す。頭上で風を切った鋏には構わず、そのまま姿勢を低く保った。
すぐに何かが弾ける音が響き、顔の上に木片が散る。破裂音は連続し、土が巻い、葉が落ち、焼けるような痛みが走る。
「ちょっと、何して」
「だああァァ、クソが!!」
振り向きざまに羊毛を撒き、炎で視界を遮断した一哉達の耳に、怒鳴り声が嫌でも届いた。
「囲め!化け物と異常発生者だ!一匹残さず討伐しろ!」
「ち、人間扱いですらねぇとはな。」
『ハックー、急いで逃げないと逃げらんなくなるよ!』
「アホ、もう逃げ切れるかも分かんねぇって。」
針に穿たれた腕、銃痕の残る足、これでは長く走れない。ルクバトは立ち上がっているが、四穂が動けるかどうか。
第一、ここに警察がいて【意中の焦燥】がいるという事は...
『見つけたぞ、小僧...!!』
「だよなぁ、おい。」
『我を屠れると少しでも思うたその傲慢!悔やみ果てろ!』
『パトカーの中で、酸欠でぐったりした癖に...』
わざとなのか天然なのか、火に油を注ぐような事を宣う【意中の焦燥】が、睨まれて萎縮する。フードに隠れようとしたが、一哉の上着はもうない。
「手を、貸そう、か?」
「寝てろ、ガキが。てめぇに助けられる事なんざねぇよ。」
「あ、今の、ちょっと腹立つ。」
『的確に人の嫌がる事を言いますね、貴方は。主様、私ならまだ動けますわ。』
「うん、お願い。ボクに力と夢を、【泡沫の人魚姫】!」
「...ちっ!無理してお荷物になんなよな!」
パトカーの方へ駆け出した化けサソリは放置し、今は目の前の【母なる守護】に集中する。既に日は高く登りきり、段々と西へ傾き始める頃。
つまり、丸一日以上動いている事になる。休息が欲しくなってくる頃であり、スムーズに山を脱出できなかったのは本当にキツい。
『潰れろ、小僧!』
「うぉっ!?いきなり過ぎんだろぉよ!?」
集中が途切れているのだろう、急に目の前に来たような錯覚を受け、回避が遅れてしまう。
一哉がここまで生き残って来たのは、一重に経験だ。ケンカも多く、ゲーム経験から獣の動きも予測する。動く物に敏感に反応し、いち早く対処する術。
しかし、疲労と眠気がそれを鈍らせる。もしかしたら、先程の一撃で毒が入ったのもあるのかもしれない。とにかく、それは致命的だった。
『ハックー、もう無理だって。一回逃げて休もうよ。』
「うる、せぇよ。」
咄嗟に前に飛び出し、【母なる守護】の下に潜り込んだ一哉に、精霊の文句が飛ぶ。しかし、それを受け入れる事無く一哉は走り出す。
既に攻撃に転じる余裕が無い。むしろ、回避でも危うい均衡を保っていると言える。そんな状態だが、年下の前では強がるのが癖になっている。
というか、そもそも逃走手段がない。疲弊し、負傷した人間を二人乗せていては、ルクバトも速くは無いだろう。
「それより、てめぇがなんか出来ねぇのか!物燃やせよ!」
『僕はそんなにちょこまか出来ないから。安全な所から届くようになんてしてたら、この山に火が広がっちゃうよ。』
「やっぱ俺がやるしかねぇか...!」
強引に振り向き、迫る【母なる守護】に銃口を向ける。残弾なんて気にしている余裕は無い。今、ここで、ありったけをぶち込む。
『潰れろ!』
「んなの、従える訳ねぇだろうが!」
連続して引き金を引くが、それはカチリと音を立てるだけ。破裂音も着弾音も聞こえない。
思い返す、この銃はバイクに一発、寿子に二発、【母なる守護】に二発...
「...そうか、もう今日で5発撃ってるな。」
『馬鹿ぁ!!』
いつもなら気づいただろう事も、今は意識の外だった。昨日の昼中から暴れたのが、本当に悔やまれる。
腹にめり込んだ頭蓋が、そのまま一哉をかち上げる。喉を熱い物が込み上げ、酸と赤の混ざった液体が吐き出された。
『もう、もう!ホンっト〜にバカ!!』
「るせぇな...自覚してるっての。つか、あんだけ武装すんならグロックぐらい持っとけよ、なんで拳銃だけ初期装備?」
羊毛に受け止められ、宙で霞む視界を瞬く彼に、残る有効打は無に等しい。
鉄棒は折れ、ナイフは曲がり、弾切れの拳銃。足に銃痕、腕は貫かれ、今ので内蔵も逝ったかもしれない。
(あ〜...終わりかな。)
奇しくも先程の四穂と同じ考えに至り、なんだか無性に腹が立つ。検証に準備、そして場を引っ掻きまわして...それで終わり?自分は何をしたと言うのか。
あんなに満足気に笑いやがった奴の隣で、無様に無意味に死んで溜まるかよ。今すべき事を、出来る事を。せめて腹の立つ奴に、八つ当たりの一つでもしないと気が済まねぇ。
昔から痩せ我慢は得意だ。慣れだ、こんなモン。体からの危険信号なんて、誰の味方でもない先公共の戯言みてぇに無視してやればいい。
「おい...まだいけんだろ、羊野郎...」
『僕はね?でもハックー、それ生きてる?』
「知らねぇのか、腹を刺された、人間の死亡率の、低さをよ。」
『刺された訳じゃ無いけどね、今回...間に僕がいなきゃ、ホント死んでたよ。』
「通りで、背骨が折れねぇ訳だ、助かったぜ。」
ゆっくりと浮かぶ羊毛の上で立ち上がると、一哉は必要な物を取り出し、バックパックを投げ捨てる。中身に武器になりそうな物は無く、重いそれは今は邪魔だ。
ついでとばかりに投げつけられたが、ちゃっかり準備は終えており。それは【母なる守護】に当たったと同時に発火する。
『えぇい、邪魔だ!』
「あ、そっちは」
一哉が止める間もなく、茂みに突っ込んだ炎が広がり始める。落ち葉、枯れ木、そして戦闘によって広がった風通しの良い地形。
発火源は燃え尽きる事無く盛り、既に火の海の中へ。山中に広がるのも時間の問題だろう。
「あっちゃ〜...知らねぇっと。」
『原因、もろハックーだけどね。』
「おめぇもだろーがよ!?まぁ良い、それよりもやるぞ。」
『何をさ?』
「決まってんだろ...」
アドレナリンを注射し、ガスマスクを被り、二重にした耐熱手袋を装着した。外側を燃やせば、炎の拳。興奮状態では、熱さも気にならない。
周囲に泡と炎が広がり、牛の吐息が土を吹き上げる。待っている、そう直感する。
「まとめて焼き払う!サツも、牛も、サソリもだ!最高に滾れぇ、【意中の焦燥】!!」




