生き残る術
「骨まで焦がせ!【意中の焦燥】ぁ!」
『さすがに無茶でしょうよ!?』
何度目かの【母なる守護】の突進を躱し、一哉は精霊に叫ぶ。
その場に投げ捨てた上着が精霊の顔を塞ぎ、発火する。酸素を失い、熱を届ける空気が顔を、肺を満たしていく。
『ぬうぅ、小癪な真似をぉ!』
近場の木に叩きつけ、角と挟んだ上着はいとも易くズタズタになる。破壊された発火物は、炎を保てずに燃え尽きた。
「ぶっ壊されなきゃ、なんとかなるんだがな...いっその事、あいつの顔面を触ってこいよ、お前。」
『ハックー、それは遠回しに僕に死ねって言ってる?』
ぬいぐるみのようなこの精霊が、素早く動いたり攻撃に耐えたりするだろうか?羊毛を突き破って飛び出すであろう巨体に轢かれるのは、想像にかたくない。
燃えるし、刺さる。それは金属化で動き回るパワーが無いから。とはいえ、知能の高い巨大な猛牛が脅威では無いなどと、そんな事がある筈もない。
「早まったかなぁ...」
『今更!?』
「まぁ、やるしかねぇけどな!」
『いたぁ!?だからせめて言ってってば!』
むしり取った毛を放り投げ、炎の壁を作り出す。恐れを知らず、厚い表皮に物を言わせて突っ込む精霊には、目くらましにしかならないが。それでいい、それがいいのだ。
止められないと分かっているからこそ、精霊は来る。熱をものともせず、突き破って。そのタイミングを捉え、無茶を承知でナイフを構える。
衝撃は後ろに跳び、腕のバネを使って抑える。刺さったナイフを支柱に体勢を空中で立て直し、痛む肩を駆ける精霊に叫ぶ。
「やっちまえ!【意中の焦燥】ぁ!」
『全力だ、えいやぁ!』
大きく膨らむ中で、【母なる守護】の頭部をその羊毛に埋める。モフモフとした温もりが、数瞬のうちに地獄の熱気へと変貌する。
『ッーーーー!!!』
声にならない咆哮を轟かせ顔を振り回す【母なる守護】だが、深く埋もれた羊毛は容易には取れない。どちらに走れば良いかも分からず、しかし止まる事も出来ず。
暴走を始めた【母なる守護】から、一哉はすぐに逃げ出した。巻き込まれれば命の保証はなく、一度絡まったならば離れても問題無いと判断したからだ。
『ちょ、ハックー!僕を見捨てるの!?』
「うるせぇ、今一番安全な所にいんだろーが!」
『うぅ〜、いざとなったら離脱するからね!倒せてなくても!』
「おぅ、早めに戻れよ!」
呼吸する度に肺が焼けていく【母なる守護】は、あと数分で動けなくなるだろう。その間に、彼にはやるべき事がある。
「さ〜て?初めましてだったよな、お嬢さん?」
「追っかけなくて良いの?君の可愛い精霊。」
「生憎と、立つ気力もねぇ奴らに負ける気もしないもんでな。」
それでも警戒はしているのか、ナイフをしまって銃に持ち帰る一哉に、四穂は内心で舌打ちをする。
もし近づいて来たならば、噛み付いてでも止めてやり、精霊をけしかけたというのに。
「一応聞いとこうか?最後の晩餐は鉛玉と星空鑑賞、どっちが好みかをよ。」
「随分とロマンチストだね、レディーにディナーをご馳走してはくれないの?」
「悪いな、ガキを女と見る趣味はねぇんだ。手持ちのモンなら腹いっぱい食わせてやるが?」
撃鉄を起こした一哉を見て、これ以上ふざけては居られないと悟る。次の言葉で関心を引かなければならない。
必死に頭を働かせ、状況を思い出す。自分の手札、周囲の環境、他者の動き、本来の目的。誰かに語りかけるように、話の内容を整理するように。
「黙りか?ならこっちで勝手にオーダーす」
「移動手段、欲しくない?」
「...あ?」
「ここに来るのに、走ってきたでしょ。舗装された道もあるのに、山の中を土まみれになって。警察から逃げるのに、最高の手段、あるけど?」
少しでも同じ交渉台に立とうと、身を起こして気丈に笑って見せる。興味が湧く内容だったか、銃は構えたままだが一哉も座り込んだ。
話を聞いてくれるらしい態度に、四穂はそのまま口を動かし続ける。話し続けていなければ、恐怖が勝ってしまう。そうなれば、一哉は脅し一つで全てが叶う。
「ボクも【泡沫の人魚姫】も、限界が近い。最終日...というか明日?までは多分持たない。」
「それで?何が言いたい。」
「だから、ボクの目的はクロさんの目的。彼の相棒が、勝利へ駆け続ける事。このルクバトと...最高の騎手が。」
「っ!」
咄嗟に周囲を見渡した一哉だが、動く気配は感じられず、怪訝に四穂に視線を戻す。
照れたように笑った彼女は、舌を出して誤魔化した。
「お前...言い方ぁ...」
「ごめんって。今は捕まってるの、だから彼を解放したい。それに協力してくれたら、ルクバトに美少女と相乗りなんて、ご褒美にならない?」
「俺だけ...は乗せる気ねぇか。まぁ、この山から出られるか怪しかったし...楽にサツを撒けるならそれに越した事はねぇが。」
案の定、出てきた先でも警察が蔓延っていて、辟易していた一哉の利は取れた。後は、それが上回るだけである。
「お前、落とす気か?」
「体格見てよ。ボクが落とされちゃうって、おにーさん。」
「そりゃそうか...つか、場所は?助けるったってどーすんだ。」
「山の中。いくつか瓶が転がってたから、それから確かめて見るつもり。もちろん、その後は脱出まで力を貸して欲しいな?天球儀まで連れて行くんでしょ?」
「リタイアかよ、味気ねぇ〜...願いは良いのか?」
「半分、叶ったような物だし。満足はしてないけど、流石に、ね...」
己の精霊を見やれば、その判断も頷ける。満身創痍、もう闘うのは難しい。それに、二柱同時契約の所為か、自分の体も感覚が鈍くなってきた。
陣馬九郎と出会い、語らった数日は悪くは無かった。あの姿勢を、あの勢いを、間近で感じられて。人を奮い立たせる物を、少しだけ理解した気もする。
「ちょっと最近は忘れてた物も、思い出せたし。」
「...け、なんか負けた気分だぜ。このまま撃っても後味悪ぃじゃねぇか。」
ルクバトが起き上がるのを手伝い、一哉は盛大にため息を吐いた。なんだか相手の思う通りに事が運んだようで、心底腹立たしい。
「おら、行くんだろ。急げよな。」
「分かってるけどもね、ボク怪我人なんだけど?少しぐらい、手を貸してくれても良くないかな?」
「ガキが色気ぶって甘えんなよ。早く立て、別にそこまでの怪我じゃねぇだろ。」
怪我だけでは無いのだが、重複契約の負担が一哉に分かるわけも無く。これ以上、弱っている所を見せて心変わりされても堪らないので、なんとか必死さを隠して立ち上がる。
「紳士じゃないなぁ、モテないよ?」
「ほっとけ、これが紳士のツラに見えっかよ。」
汗と泥を手で拭い、足の調子を確かめるルクバトを見上げる様は、まぁ野生児か。
そんな少し失礼な納得をしつつ、四穂はさきにルクバトに跨る。
「さ、乗って乗って〜。というか、支えて〜。片手の子には出来ないお願いだからさ。」
「それが目的かよ...!」
「助かりたかったのもあるよ?痛いのヤだし。」
銃を見つめながら言う四穂に、わぁったよ、とだけ返してバックパックにねじ込む。丸腰になった一哉は、四穂の後ろに飛び乗るとルクバトの手綱を握った。
「んで?俺は乗馬なんてした事ないけど。」
「のわ!耳の傍で囁かないでよ!」
「だぁ、うっせぇ!今、気にすることかよ。」
「あぅ、耳の後ろで叫ばないでよ...」
頭痛が酷くなってきた四穂が、頭を抱えて呻く。舌打ちを一つこぼし、一哉が片手を回して彼女を支えた。
「見様見真似だ、揺れても文句言うなよ。」
「は〜い...」
最大出力で泡を配置した影響か、既に目を開けている事もキツくなってきた。しかし、後ろから抱きかかえてくれている一哉も敵。それを悟られる訳にはいかない。
「とりあえず、行きゃ良いんだろ?あっちだったか?」
「うん、そのまま...崖の下の辺りだよ。」
「あん?崖ぇ?...この方向は。つーとアイツのだな?」
検討をつけた一哉が、ルクバトの横腹を蹴り走らせる。鐙にはめた足も、銃創が痛むが気にしてはいられない。
すぐ後ろから、サイレンの音が聞こえてき、継いで爆発音。音に苛立った燃える牛でも突っ込んだのだろう。
「わっ!君の精霊、平気かな。」
「アイツの毛は一度広がりゃ、鉄棒で殴ったりバイクで突っ込んでも受け止める。あれくらいじゃ死にはしねぇだろ。」
「直接戦闘するタイプじゃん!なんでお兄さんが前に出るのさ?」
「簡単だぜ?広げるの遅せぇし、広げると動けねぇんだよ、アイツ。」
要はかったるいという事らしい。なんとも見た目通りというか、らしい理由だと四穂は苦笑いをこぼした。
「それより、マジに合ってるんだよな?これで収穫無しとか、冗談じゃねぇぞ。」
今の方角は山の上を目指している。警察からも、他の契約者からも逃げにくい。山の向こうは確認しておらず、逃げ場があるかも分からないからだ。
第一、道が無い。車やバイクは勿論だが、ルクバトでさえ駆けにくい。徒歩でもキツいだろう。
「うん、きっと...きっと居るよ。瓶が転がってたし...契約する前の、引っ張られるみたいな感覚がある。【疾駆する紅弓】が呼んでるんだよ。」
「はぁ?...ま、契約者様が言うんならそうか?」
精霊とそんなに離れた事の無い一哉には、分からない感覚である。ゲーム開始時にも、ほぼ偶然と言って良いほどに、すぐ精霊を発見した事も手伝い、疑う余地は無かった。
仮に騙されたとして、その先に待つものは何か?この少女に準備できる物が思い当たらないし、そもそも誘導が偶然に偶然を重ねた結果。警戒は低かった。
故に、その接近に気づかなかった。ほとんど意識を失いかけている四穂や、霊体化した【泡沫の人魚姫】も例外ではない。
「あぐっ...!」
「うぉ!?どうした、いきなり。」
自分の腕の中で、唐突に体を仰け反らせた少女に一哉は周囲を警戒する。サッと見渡したその一瞬で、違和感を発見し注目する。
「何かいやがる...」
『っぷぁ、ただいまハック〜...何見てるの?』
「ナイスタイミング。」
肩の上に顕現した精霊を捕まえ、毛を一掴み抜き取った。抗議する声を無視し、彼はそれを木々にばら撒き葉を焼き払う。
姿を隠す物が無くなり、濃紫の甲殻が視界に入った瞬間、第二射が放たれた。




