山の中 響く音 下る騒乱
いつでも飛び出せる構えの【混迷の爆音】に、潜むことを止めた【魅惑な死神】が襲いかかる。
鋏に囚われれば、その尾を深く刺し込まれるだろう。そうなれば、流石に毒も回り傷も広がる。
『お嬢、衝撃に警戒を。』
「えぇ、思い切りやってちょうだい。」
主が頷いたのを確認し、跳躍して精霊の突進を避けた【混迷の爆音】は、その笛で空を蹂躙しつつ地上へ堕とす。
爆音を伴いながら、葉や土を吹き飛ばし【魅惑な死神】の意識も刈り取る。その上に降り立った【混迷の爆音】が、間髪入れずに飛び込み蹴りを放つ。
『シュルルルゥゥゥ!』
『堪えた...!?』
驚愕する【混迷の爆音】の蹄は、確かに顔を捉えている。意識を失い、無防備な所への一撃。僅かにヒビさえ走る甲殻の間から、赤い双眸が睨む。
鋏が閃き、切断するかの様な力が【混迷の爆音】の足を襲う。笛を手放したのは悪手だった、仕留めきれなかった事を悔やむ。
「【混迷の爆音】、目を狙って!」
『御意!』
無事な足を弓を引き絞る様に曲げ、解放する。砲撃を思わせる様な威圧感さえ感じる、至近距離からの蹴り。咄嗟に鋏でガードした瞬間に失策を悟る。
相手が望んでいた行動だと、契約が本能に知らせたからだ。いや、それ以前に視界を濃紫が覆ったからだろうか?
「ふっ...!」
『シィイイィィ!!?』
四対の目玉の一つが、鋭いメスによって摘出される。青い血を滴らせ、悲鳴を上げた【魅惑な死神】が暴れ回る。
開かれた鋏から抜け出し、【混迷の爆音】は笛を担ぎ直す。痛む右脚は後ろに引き、姿勢を低く保つ。跳躍による肉薄は諦め、迎撃の構えだ。
『お嬢、一度退きますか?』
「そうね...その脚でいける?」
『まずは、こやつを叩く必要があるでしょうが...ね!』
地中が揺れた瞬間、笛を地面に落とし【魅惑な死神】をたたき出す。空中に落ち葉や土を撒き散らしながら、爆音が周囲を震撼させる。
潜む先を失い、笛の音より意識を取り戻した精霊が、【混迷の爆音】に襲いかかる。針が鋭く月明かりを反射し、忠実な暗殺者の一撃が山羊の角に弾かれる。
『幸運だった...そして、これで終いだ。』
回転させる様に、勢いを殺さずに再び振り下ろされる笛が、爆音を放ちながら加速する。蹴りの入った額に、今度は笛の一撃が入る。
意識を飛ばす音色により、回避も防御も受け身も取れず。ヒビの入った甲殻が弾け飛び、青い液体が笛を染めた。
『シュルアアアァァァァァァ!!』
『ヴァアアアァァァァァァ!!!』
肉に抉り込む笛を押し返す様に、【魅惑な死神】が踏ん張り鋏を開く。させまいと笛に力を込める【混迷の爆音】の口から、咆哮が漏れる。
ギリギリと互いに力む精霊は、やがて明確に差が出てきた。大きな蠍と、細身の精霊。しかし、契約者との距離の差が明確であった。
『残念だが...君の敗因は一つ、契約者の決意だ。私の主は、他の誰よりも昂り冷静だ。』
万全の力を出せる【混迷の爆音】には、化けサソリと言えども力押しでは敵わない。
少しばかりの余裕が出来た【混迷の爆音】が、口を開き吹き口となる柄へと添える。
『ヴァアアアァァァァァァ!!』
振り回した際の風ではなく、強靭な肺から流し込まれた気圧。妖しげな光の蠢く笛は、それを数倍の爆音に変えて暴力とする。
意識を飛ばし、風圧に飛ばされ、半端な解放をされた筋肉は痛みを訴え、立ち上がりかけた【魅惑な死神】は崩れ落ちた。
『ふぅ...疲労が強い。暫し身を潜めましょう。』
「そうね、さっきのコテージに身を潜めましょう。こんな山奥なら、人も来ない筈よ。逃げた二人が気になるけど...貴方の無事が第一前提だわ。」
『かしこまりました、尽力致しましょう。』
登代の感情を契約によって貰っている【混迷の爆音】は、彼女の心を乱さず側にいても心地がいい。
そういった意味で、心配しての言葉だったのだが、職務に忠実な精霊はそうと受け取らなかった様だ。
「ねぇ、精霊は...契約者に心と命を吹き込んで貰うのよね?その前は?」
『乱雑なAIに過ぎません。故に最初の契約者とは、我々精霊にとって親であり、自身です。存在意義と言って良い。』
「その割には、あの牛。あまり似てなかったわ。」
『本人の気質が、そのまま出る訳でもございません。心のみが元となり記憶や経験は別、親族等が近くなる様に見える事もあります。』
「...そう、貴方が私で良かった。」
『痛み入ります。』
彼女の闇には目をつぶり、感謝のみを返答して霊体化する。体力の限界だったのだろう。
近場で眠る化けサソリが、いつ起き上がるとも分からない。足早にその場を離れる彼女は、この時何を思っていたのか、分かる者はここにいなかった。
現在時刻、2時。
残り時間、2日と5時間。
残り参加者、11名
彼女は暫く動かないだろう。探れ、必要なのは...code・Cancerだ。
現在時刻、6時30分。
残り時間、2日と30分。
残り参加者、11名。
「駆けて、ルクバトぉ!」
発砲された弾丸が、髪を掠めて通り過ぎる。前に、斜めに、横にと跳ね駆ける...いや、翔ける紅馬は止まらない。
山の中をいけば、契約者が振り落とされる危険も高まる為、未だに舗装された路面を走る。それは、パトカーから逃げきれていないことを意味した。
『振り切れませんの!?』
『ブルゥ!』
「あ、これボクに怒ってる?」
『お爺さんほど、逞しくないので...速度を出せないとでも言うのでしょうか。』
無茶を言うなとばかりに息を吐いた紅馬は、片割れの不在を指摘していたのだが...そんな事は分かるはずも無く。
どちらにせよ、振り切るには難しい状況であり、徐々に追い詰められているのは明白だった。段々と掠める弾丸が増えていき、僅かな痛みと恐怖が身に刻まれていく。
「ねぇ、チビっちゃいそうなんだけど...どうにか出来ないかな?」
『どうにか、と言いましても...私も今は片腕ですし、この傷では力も入りにくいですから。』
矢で射抜かれた腹に手を添え、【泡沫の人魚姫】は悔しげに顔を歪めた。冷や汗を流す契約者に、自分が何も出来ない無力感。
そんな心情等、慮る筈も無く。治安維持組織はその暴力とも言える正義を執行する。何度目かの弾丸は、遂に四穂の肩を捉えた。
「あぐっ...!」
『主様!』
「あ、顕現はしないでね。ここじゃ、落ちちゃうからさ...大丈夫、だから。」
手綱を握る手に力を込め直して、思い切り低姿勢になる。少しでも被弾面積は小さくなるが、バランスが取りにくく腰に来る。
多少無理な姿勢だが、それに配慮して貰っては追いつかれかねない。ギャロップを続けるルクバトに振り落とされないよう、抱きつく程に密着する。
「うぐ...振動が直に来る...」
『主様、やはり一度泡を撒いた方が』
「ダーメ、どうせ撃たれたら割れちゃうし、車も止め切れるか分からないでしょ。君が落馬する方が遥かに確率高いし。」
吹き付ける風で揺れる前髪をどかし、前方を確認する四穂は精霊の申し出を却下する。山を登る程に険しさの増す道は、舗装された道でさえ荒れて来ている。
凹凸の激しいアスファルトは、やがてガードレールさえ無くなった道へと続いていた。そこまで来れば山頂も近く、その先に道は無い。
『主様...』
「大丈夫、次の角で逃げるよ!ルクバト、崖下に道があるから、飛び込んで!【泡沫の人魚姫】はその衝撃を泡で受け止めて!」
『なんと無茶な...分かりました、しかと受け止めてみせますわ!』
雰囲気を感じ取ったのか、ルクバトが加速していく。距離を離しにかかった駿馬に、警官達もアクセルをふかせていく。
エンジン音と発砲音が過激さをまし、追い詰めにかかっている事が聞き取れる。視線は痛いほどに感じている、緊張感が身を支配していく。
「こんな時こそ、笑ってなくちゃ...!あの人なら、そうしてる!」
『ちょっと主様!?危ないです!』
身を起こし、手綱を握り直し、飛ぶ弾丸を気にもとめず加速に身を任せる。走りやすくなったルクバトも、心無しか焦りを伴い駆けていく。
「飛っべぇ〜!!ルクバト!」
「馬鹿な、血迷ったか!?総員、止まれ、止まれぇ!!」
嘶きを残しながら、その身を崖下へ投げ出す精霊。そのまま追いかけていては、パトカーも同じ運命を辿っただろう。
道ギリギリで急ブレーキをかけ、何台も横滑りに停車していくの後目に、弾力のある泡を踏み割りながら地上へと落ちていく。
「く、戻れ!引き返せ!絶対に町に入れるな!」
次々と今来た道を戻るパトカーだが、流石に追い付く事は無いだろう。
泡で押し殺していったとは言え、数十メートルの落下の衝撃に呻く四穂は、上を見上げながらニヤリと笑った。
「へへん、どーよ。」
『無茶が過ぎますわ、次からはもう少し主様の安全を考えてくださいな。』
「善処するよ。さて、追いつかれても堪んないし、早く町まで」
ルクバトに走って貰おうとした矢先、不意に暗く陰る。上を見上げた彼女の目に映ったのは、大きくひしゃげたパトカーである。
「...はぇ?」
『主様!』
全甲殻を右腕に集め、巨大な鋏を形成した【泡沫の人魚姫】が、それを切断した。左右に別れて落ちた残骸が、すぐ側でグシャグシャに潰れ、一拍遅れて冷や汗が滲む。
「...っは!はぁ、あり、がとう、【泡沫の、人魚姫】。」
『いったい何が...』
「分かんないけど...ヤバそうだねぇ。」
見上げている四穂の視線の先では、木が嫌な音を立てて減っている。へし折れているのだ。
そして、目の前の木が倒れた時。甲高い音が舗装された道に乗り上げ、猛然とした吐息が吹き上げられる。
『ホゥ、小娘ガコンナ所デ何ヲシテイル?』
「わぉ、ロボット?どーしようね、これ。」
『私に言われましても...ですが、先方はやる気みたいですね。』
『ヨク分カッテイルデハナイカ。ソロソロ暴レネバ、我モ鈍ルト言ウモノ!』
馬の燃ゆる蹄、牛の鉱物の蹄。二つが音を響かせて道を蹴り、距離を離しては詰め、互いの隙を伺う。
パトカーは、この精霊が吹き飛ばしたのだろう。であれば、慌ただしく接近してくるか、混乱の最中か。どちらにせよ、警察が来るのは時間の問題。
「契約者を探すよ、【泡沫の人魚姫】。あの硬そうな精霊を相手には、流石に時間が足りないよ。」
『かしこまりましたわ。しかし、何処に...』
浮かぶ泡に乗り、辺りを見渡し始めた精霊は、遠くに走る2人組を見つける。というより、見つけられた事に気がつく。
感じた視線は一つだけだったが、それは明確に上空の【泡沫の人魚姫】を捉えている。その反応は落ち着いており、間違いなく契約者だろう。
『見つけましたわ。』
「じゃ、そっちを迎撃しよっか!走れぇルクバト!!」
『イィィーーン!』




