〜happy birthday to ♋〜
憧れだった。とても単純で、故に強い原動力だった。始まりは自分の力不足だった、故にその憧れは目標になった。
歳の離れた兄がいる。華二宮四穂がそれを知ったのは、小学校に上がる年の事だった。
それまでは、少し引くくらいにイチャイチャを繰り広げる両親と、三人家族だと思っていて。まさか自分に兄がいるとは、考えても見なかった。
「ただね、しぃちゃん...お兄ちゃん、いっぱい疲れちゃって寝ているの。」
「朝になったら会える?」
「ううん、もうずっとお眠なの。」
能天気、楽天家、天然ポジティブを地でいく母だが、その話の時だけは少し辛そうだった。父に至ってはちょっと泣いていた。
何となく、それは深く聞いてはいけない話の気がして。でも、仲間外れも嫌で。だから彼女は、こう答えたのだ。
「それなら、起きた時にいっぱい遊べる様に、寝てるお兄ちゃんにお話したいな。ボクもね、寝てる時にママの声が聞こえると嬉しいの。」
その日から、週に一度の一時間、家族四人での時間が始まったのだ。
その場所は彼の眠る病室だった。此方の声は理解しているのか分からない。だが、聞こえているのか反応は返してくる。口が動いたり、手が痙攣したり...植物状態の、一歩手前といった所だった。
「本当に極わずかな例ですが、意識が戻る事もあります。完全にとはいきませんが...治療は続けますか?」
帰り際、大概は同じ質問をされる。最小意識状態と呼ばれる症例に近く、長引けば危険であり―――既に三年近くこの状態だ。希望は持つだけ無駄と言われたも同然である。
それでも希望を持つ、それが華二宮の母だった。父も四穂も異論等なかった。
中学生になってからも、彼女の日常に変化があることは無かった。友達と遊んだり、ゲームやアニメを楽しんだり、化粧に興味を持ったり...その中の一つが、病院へ通う事だった。
兄はやはり寝たきりだったが、その反応は何だか多くなった気もする。例えどんな人か知らなかったとしても、兄妹で話してみたいと思っていた。イメージは若い父だ。
「あら、四穂ちゃん。そっか、もう金曜日か。」
「そ〜、やっと週末〜。」
「あはは、お疲れ様。勉強大変?」
「うん。xとかyとか、分かんない!数字はどこいった!?ってなる。」
「あ〜、そこかぁ。懐かし〜。」
馴染みになった看護師さんとの話も弾み、年上との会話の場として使う事も多かった。同年代とは違う話題も、面倒だなと思う事と新鮮だと思う事の二つがあり。飽きさせない要因だった。
「今日は、お父さんとお母さんは?」
「ママは親戚の子が熱出して、そっち。パパは残業〜。」
「じゃ、一人なんだ。」
「二人は明日来るって。私は明日、カラオケ行くから。」
いつもの一時間。楽しかった事や、愚痴とか。学校での事、友達の事、先生の事。少し話しにくい様な悩みや、イライラした事。僅かだが反応を返して、聞いてくれているのは分かる。喋れないのだから当たり前だが、静かに。
元々が母に似たのか楽観的な四穂だが、兄に話す事を覚えて纏めて考えているうちに、多少の思慮深ささえ出てくる程だった。この時間はリラックスする時間でもあり、自分の一週間を見つめ直す時間でもあった。
「それじゃ、また来週ね、白詰兄ぃ。」
髪を少し整えてやりながら、何かを言おうとしているのか口を動かそうとする兄を置いて病室を出る。
(挨拶、返そうとしてくれてたりしたのかな〜?)
「ひゃっ!」
「わ!ごめんなさい、大丈夫?」
廊下に出た直後、歩いてきていた少女にぶつかってしまう。尻もちを着いた彼女に、四穂は慌てて手を貸した。
「あ〜、うん。ダイジョブ、ダイジョブ!それよりゴメンね?ボクの不注意で。」
「いえ、私も前見てなかった、し...」
目に包帯をした彼女が、礼を言いながら立ち上がる。そんな彼女を見て、謝罪の言葉が消えていく。ちょっと見かけない程に可愛かったから。
「どうかしたの?」
「あ、ううん!なんでもない。それより、道とか大丈夫ですか?手伝いますよ。」
「ホント?助かるよぉ〜。飲み物買いに降りたのは良いんだけどさ、はぐれちゃって...道分かんないから困ってたんだよね〜。」
その目で一人で降りた筈は無いのだが...その場で待つ選択肢は無かったのか。とりあえず言われた病室まで、手を取って彼女を先導する。
無言で歩く二人だが、彼女が先に声をかけた。
「凄く静かだね、どしたの〜?」
「えーと...目、どうしたのかな...って。」
「あぁ、そんなこと。」
少しだけ足を早めて隣に立つ彼女に、暗い世界は怖くないのだろうか、と言った疑問を抱く。そんな四穂に、快活な笑みを向けて彼女はポツポツと語る。
「ボクさ、重たい雰囲気っていうのかな、そういうのが苦手なんだ。自分も他人も。だから、ずっと笑ってる様にしてるんだけど...それが嫌だった人もいるみたいでさ。」
顔は笑っているが、声音は静かな物で。でも、話し始めた彼女は、それを誰かに聞いて欲しかったのかもしれない、と感じた。
「結構久しぶりだったよ〜、外から石を投げられたの。小学校以来かな?それで、割れたガラスが目に入っちゃった。」
「え!?それって...」
「あ、ダイジョブ、ダイジョブ!ボク、悪運は強いからさ、失明はしないって。今はそれで、手術の為に入院中。」
手をヒラヒラと振り、ほら元気〜、と笑う彼女の表情には本当に陰りは見えない。阿呆なのか、逞しいのか。どちらかと言えば同類な四穂には、単純に強い人だと感じた。
四穂の前に出た彼女だが、当然この病院の廊下など把握出来ておらず。後頭部を柱に打ち付け、変な声を出して蹲った。だが、笑顔だ。もはや意地を感じる。
「大丈夫ですか?」
「モチロンだよ〜...でも、もうちょい待ってね。」
「エリカ!まったく、一人で勝手に...学生さん?」
蹲った彼女をどうしたものか悩む四穂に、男性の声が聞こえる。スーツを来た彼は、四穂の事を不思議がりつつも彼女に手を貸して立ち上がらせる。
「ったく、これ以上に怪我をこさえたらどうするつもりだ!」
「いや〜。マネージャーさん、大事な電話だったみたいだし、そのまま帰るかな〜って?」
「アホ、暴走機関車を部屋に送るくらい、片手間なんだよ。」
「機関車じゃないし〜。」
どうやら連れの人らしい、と察して。四穂は、どこで離れたら良いかとタイミングを伺っていると、男性の方から声をかけてきた。
「アホ...んんっ、エリカが世話になったね。ありがとう。」
「ありがとね、えっと...お名前は?」
「あ、四穂です。華二宮四穂...」
「シホちゃん、ね。うん!覚えた!いつかお礼するね〜!」
咄嗟に答えてしまったが、これ答えて良かったのか。まぁいいか、と能天気に構えているが、これが少し大事になるとは思ってはいなかった。
桜も散って雨も過ぎ去り、夏休みに入って自由を満喫する四穂だが、週一の時間は欠かさない。宿題もそこそこに、病院に行って看護師さんに面会許可を貰う。
部屋に行くなり、窓を開けて座り、兄へ語りかける。
「もう、信じらんない!昨日さ、告白されたと思ったら、そいつ既に二人と付き合ってたんだよ!?友達とその娘から自慢話を聞いてたから分かったけどさ〜、三人目にまで堂々と手を出すって何事さ!!」
熱烈に愚痴を吐き出し続け、気が済んだ所で暴露でもしてやろうと計画をする。返事は無いが、兄に話す様に言葉にする事で、あやふやな物を形にしていく。とはいえ、実行はしないが。他人の事を引っ掻き回したりはしない。
「...ホントはさ〜、白詰兄ぃと一緒に遊べたらな〜とか思ってるんだぞ。」
こんなことを本人に言っても仕方ないのだが、それでも愚痴らずには居られなかった。頬をつつくと意外に柔らかく、少しおかしく思って続けてしまう。
気分を変えようと、愚痴では無く楽しい話題を探す。そういえばと、友達に借りたCDをセットし、少しポップな曲を流す。
「これね、今人気なんだって〜。白詰兄ぃ、音楽にはちょっと大きく反応するよね。」
そのまま今週の楽しかった事を、思い出しながら語っていく。三十分もすれば来週の事が話題に登ることが多くなり、そろそろ話題も尽きてきた。
そんな折にノックの音が聞こえ、不思議に思いながら振り返る。今日は両親はもう来た筈で、忘れ物も無かった。誰だろうと考えながら、扉を開ける。
「やぁ、四穂ちゃん。」
「え?あ...エリカ、さん?」
「そうそう、エリカちゃんだよ...あ、これボクの曲だ。ありがと〜!」
病院に配慮した声量で、にこやかにお礼をする彼女は、患者用の衣服では無く少し派手なファッションだ。
初めて目を見た事、いきなりの訪問、ボクの曲という発言、抱きつかれた事。色々な事がごちゃごちゃになり、パニックになる四穂から、唐突にエリカが離れる。
「混乱させてどーする...」
「たは、反省。」
「華二宮さん、だったね。いや、うちのがどうしても礼をしたいと言うんで、こうして訪ねさせて貰ったんだ...今、お時間良いかな?」
幾許か落ち着いた四穂が、ようやく事態が飲み込めて来た。
「もしかして、あのエリカさん...?」
「あり?ボクの顔ってそんなに知られてない...?」
CDを示しながら尋ねる四穂に、彼女は首を傾げた後に少し大袈裟に胸を張る。
「そう、今まさに世間を騒がせてるアイドル、エリカちゃん17才!それがボク!」
「半分は事務所での騒動だけどな...」
良くも悪くも目立ったらしい彼女を他所に、ボソリと男性がボヤく。そのまま四穂に近寄ると、そっと耳打ちをした。
「ま、あんな奴だ...歌う事以外に際立ったモンも無いってんで、君の為だけに歌うと抜かしやがった。迷惑かもしれんが、付き合ってやってくれ。あれで結構、打たれ弱い。」
「いえ、迷惑とは思わないですけど...良いんです?」
「止めても聞かん。病院の許可ならあるから、楽しんでやってくれ。」
それなら幸いと、兄の隣に座れば彼女は此方を見て笑顔を作る。
「貴女とお兄さんに、ボクからの気持ちだ!」
その歌は、アイドルのイメージとはかけ離れた、流れる様な穏やかさを持った曲だった。この日の為に作ってきたという歌に、四穂は完全に魅入られていた。
「ふぅ...その、どうだったかな?」
「あ、凄く素敵でした!その...!」
「不思議だろ?コイツは底抜けに明るくいる癖に、人の弱い所に潜り込むのが抜群に上手いんだ。コイツの歌には、そういう何かがある。」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き回し、邪魔者は帰るぞ、とエリカを引きずって行く男性。何故?と首を傾げる四穂に、彼はベッドを指さした。
「今回は、随分と波長があったらしい。お兄さんと仲良くな。」
示された方を振り向けば、兄の目に涙が光っていた。今までに無い反応に、驚きを隠さずに飛び上がる。
どうすれば良いのかと両親に電話をかけ、病院の先生を呼び、呼びかけや脳波の測定等...忙しくなり、落ち着いた頃には当然のように二人の姿は無かった。
その後、兄の経過は回復に向かっていた。瞬きをする様になり、声を出すようになり、最近は短時間ならばゆっくりと会話も出来ている。
四穂にとって、歌が奇跡を呼んだと思えた出来事だ。事務所のドアを叩いてから三年。今年で高校も卒業してしまう年。アイドルとしては目立ったとも言えず、二十歳になれば卒業してしまう。
そんな時、メールが来たのだ。まさしく、奇跡だとか夢だとか、そんな舞闘会への招待が。
(ボクの歌が、ボクの歌で救える誰かに届く様に...もっとビッグになってやる!)
努力はした、後は機会が巡るまで。どんな結果であれ、悔いは無い。せめて、舞台に立てる様に。怪しげな神の手でさえ、掴んで見せるのだ。




