サトリ 夜に立つ
現在時刻、17時。
残り時間、2日と14時間。
残り参加者、11名。
それは、健吾達が天球儀まで逃げ切った頃。
それは、一哉が大穴を必死に降りていた頃。
それは、真樋達が下水道に潜伏していた頃。
それは、四穂が部屋で休息を取っていた頃。
そして...彼女が動き出した時間。
笛の地面を擦る音は、未だ体力が戻りきっていない表れ。星霊具の使用は、精霊達に通常よりも負荷の強い戦闘を強いる為だ。
暗い道を奥へ奥へと、瓦礫を退けながら歩くのは、その大きな笛を引きずる【混迷の爆音】である。片手で腹を抑えながら、瓦礫を端へと蹴り寄せていく。
『お嬢、通れそうですか?』
「私は大丈夫よ。貴方も無理してない?」
『無論。私はそこまで頑丈では無く、万全を期さねばならないので。』
「ごめんなさいね、危険な事を任せて...」
『いえ、私の力には理にかなった方法。精霊たるもの、このくらいは本来の仕事の内に過ぎません。』
随分と落ち着いた登代を後ろに、精霊は先に進む。
那凪の均一化の力により負傷はしたが、人体に易く突き刺さる程に細い鉄骨では大事には至らなかった。精霊である以上、人の身よりは余程に頑健だ。
「この先、どこに通じていると思う?」
『そうですね、距離と方向から考えて...おっと、どうやら山の様です。』
随分と上に伸びている階段を見上げ、場所に見当をつけた精霊が、振り返って主人の顔色を見る。
随分と一人で居られたおかげか、調子は良さそうである。他人の感情に振り回されるのは、思いの外に体力を使うのだ。
『どうされますか?』
「もちろん、進むわ。ここまで来たら、それしかないでしょう?」
『左様で。では...!』
笛を構え高く跳躍した【混迷の爆音】が、大きく息を吸う。案の定、固く閉ざされていた出口の扉に、その鈍器じみた笛を叩きつけ...
『ヴァアアアァァァ!!』
柄頭の空洞に口を添え、吸い込んだ空気の全てをそこに吹き込んだ。複雑な内部を通り抜け、圧力を高め、外気に開放されたそれは、爆発的な破壊力をもって咆哮を轟かせた。
歪み、錆びて、入口という働きを放棄した納屋は、あっという間に吹き飛んだ。瓦礫が散らばったそこを、重力に引かれるまでの僅かな停滞で睥睨し、敵影の有無を確認する。
「どうだった?」
『まぁ、こんなものだろう。敵は無く、滞りは排除致しました。どうなされます?お嬢。』
「そうね...階段を登るのも遅くなりそうだし、頼める?」
『承りました、少し身構えてください...ね!』
契約者を横抱きに抱え、精霊は深く膝を曲げる。目を閉じ、息を止めた登代を確認すると、【混迷の爆音】は地表まで跳躍する。
落ち葉の上へと着地すると、登代を下ろして燕尾服を軽く叩き。山の上の方へと視線を向けた。
『夕刻...というには遅い時間でしょうかね。』
「そうね、でも夜中なら警察も動かないかも。」
『なるほど、であれば探しますか?』
「えぇ、早く...一刻も早く私の願いを叶えないと。」
精霊とは反対に、街の方を見下ろしながら登代は唇を噛む。そこは静かな物で、大きな動乱は無い。火の手も上がらなければ、雷も降らず、建物も砕けない...少し大袈裟だろうか?
危うさを見せる契約者だが、それは彼女本人の感情。自制は人一倍手馴れている登代の事だ、止める必要を感じず、精霊はただ背後で佇む。
「この上には何があったの?」
『廃墟となっていますが、納屋や展望台、宿泊施設等ですか...』
「そう、それなら人が居るかもしれないわね。街を彷徨うより、効率的かしら?」
『そうでしょうね。時間もそこまでかからないでしょうし...如何なさいます?』
その問いかけに、当然とばかりに彼女は頷く。その意図を、契約特性から察した精霊は、再び横抱きに持ち上げる。
「そうね、まずは宿泊施設。次は展望台よ。納屋は...これだけ?」
『いいえ、他にもあったと記憶しています。』
「なら、街に降りる前には其方にも寄りましょうか。」
『かしこまりました。』
軽やかに跳ねる精霊は、ほんの数分で寂れたコテージに訪れた。一人と一柱に感情が流れてくる事もなく、そこに生き物は居ないと理解出来た。
「今は誰も居ないみたいね。」
『荷物なんかが残っていないか、確認致しますか?』
「そうね、少しは...」
降ろして貰った登代が、手近な扉に手をかけて押し開く。その向こうの光景に、ピタリと彼女の動きが止まった。
「ねぇ、少し荷物が少なすぎないかしら?」
『ふむ?...確かに妙ですね。運ぶのも大変なので、大きな荷物などは残ってる物と思ってました。』
「近場に運んだ...とか?」
『展望塔の土台に当たる廃虚がありますね。行きますか?』
「勿論。」
返答を聞くか聞かぬかのうちに、精霊は移動を開始している。展望台は山の上にある、斜面を登るように跳ねる精霊は、土や落ち葉を契約者にかからないように除けながら進む。
急激に夜闇が迫る中、視界が悪くなる山道をひた登る。街灯も無いこの場所は、本当の暗闇と言え、月明かりだけでは、周囲を見渡すには足りない。
「そろそろ?」
『えぇ、おそらく。』
木々が開け、けもの道だと言えそうな場所に出ると、上の方に建造物の影が見える。目的地はあの場所で良いだろう。
もう一跳躍だと、膝に力を入れた【混迷の爆音】の肩を、登代が素早く叩く。すぐに建物の方に視線を移す精霊は、その屋上に反射を見た。
『っ!...感謝します、お嬢。』
「いえ、間に合ってよかった。」
燕尾服を掠め、飛んで行った物を認識しつつ、冷や汗が頬を伝う。第二射がすぐに来ないのは、出来ないのかしないのか。
とにかく、たたきつぶすには近寄らねばならない。笛を盾に、全力の跳躍で接近する。夜闇に紛れるような、濃紫の甲殻がこちらに向いた。
『蠍か...!』
振り下ろす笛を、鋏で殴りつけるように防ぎ、尾の棘を直接刺しにいく。笛を攻撃に使った今、防ぐ手立てはなく。
だが、それで倒せる精霊では無い。即座に息を吹き込み、笛から爆音を吹き鳴らす。意識を飛ばし、宙にいる【混迷の爆音】達を吹き飛ばす。
「訪問するには、少し迷惑な時間じゃないかしら?」
『失礼、非礼を詫びよう。だが、夜行会と洒落込むには良い夜ではないかな?』
「ダンスのお誘いなら、門番を通してからにしてちょうだい?【魅惑な死神】!」
壁を這う精霊が、地表に降り立ち威嚇する。すぐ側で笛の音を聞いた筈だが、既に万全に動ける様だ。
「単純な造りの甲殻種だと、貴方の音色もあまり意味がないのかしら?」
『さて。であれば、何度も奏でるまで。』
「あら?夜の演奏なら静かなクラシックが好みよ。」
『生憎と、器用でも無いもので...!』
先手必勝とばかりに飛び込み、八千代に向けてその笛を叩き下ろす。
風が吹き荒れる中、強引に振り回される笛は空気を唸らせる。あまりに暴力的なその楽器に、素早く割り込んだ精霊が己の暴力を振るう。
『意外に素早いのだな、それに硬い鋏だ。』
『シュルルルル...』
『そう連れない事を言ってくれるな、よ!!』
押し付けた笛に口を添え、再び息を吹き込む。意識を飛ばす爆音が響き、踏ん張る事も出来ない精霊を後方に吹き飛ばした。
「くっ...【魅惑な死神】じゃ軽すぎる...!」
「諦めて潰れてくれる?畳み掛けて、【混迷の爆音】!」
「させないわよ、穿いて【魅惑な死神】!」
再生した射出針が、土煙の中から飛び出す。登代の心臓へと真っ直ぐに飛ぶそれを、攻撃に使うはずだった笛でたたき落とす。
距離を取り、精霊と合流点する八千代に、笛を肩に担ぎ直した【混迷の爆音】が呻く。
『早く正確だ...もっと小さな得物であれば、防ぐのも容易では無かった。』
「でも、貴方の笛は大きいわね。」
『故に無駄だ、投降するなら悪いようにはしないが?』
「冗談がお好きなのね。」
「決裂よ。やって、【混迷の爆音】。」
対話に終止符を打った登代の声に、精霊は跳躍して接近する。
大きくぶん回した笛を、遠心力に任せて叩きつけたのは、防御体制をとった【魅惑な死神】の眼前だ。重い武器では外したら次の攻撃は遅れる...それが本命であれば。
「堪えて、【魅惑な死神】!」
『無駄だ、昏迷し果てるのみ。』
吹き込まれた息が爆音を撒き鳴らし、軽い精霊を吹き飛ばす。意識を失わせる音色は、近くの八千代まで響き、膝をつかせた。
相手の意図を察しても、感情を読む登代と【混迷の爆音】には意味がない。先読みしようにも、近づかれた時点で気絶しては一手が間に合わない。
「やりづらいわ...」
『万策尽きた様だな。』
焦燥と後悔を感じ取り、【混迷の爆音】は八千代の前に立つ。契約者の合図があれば、すぐにでも潰せる位置。
「さようなら、綺麗な人。」
「嫌味な女。」
二人の視線が交差したのも僅かな事。掲げられた笛が、処刑斧の様に振り下ろされる。撃ち出された針も笛を止めるには至らず、硬質な音を立てて弾かれる。
死の予感に、僅かな抵抗とばかりに、本能的に目を閉じて...しかし、訪れたのは痛みではなく音だった。
『まったく、どいつもこいつも...主の盾にもなれん虫、勝手に飛び出す阿呆、眠りを邪魔する無粋者。腹立たしい事この上無いわ!』
金属音とともに、取り落とすような衝撃が手に伝わり、【混迷の爆音】は顔を歪める。そのまま息を吹き込もうとする彼に、光沢のある角が差し迫った。
突き飛ばされた精霊が呻き、前を睨めば。蒼白な顔の女性と、隣で地を蹴る猛牛が一柱。
「大丈夫でしょうか、蝎宮さん。」
「貴女...どうして。」
「うちの子が暴れたそうだったので...それに、一宿一飯の御恩もありますから。」
震えながらも、八千代に手を貸して立ち上がらせた二那の横で、噛んでいた鉄板を吐き捨てて角の金属化を解いた【母なる守護】が叫ぶ。
『忌々しい友人ごっこなら後にしろ!こんな所でくたばりおったら、承知せんぞ!』
「えぇ...だからお願い。頼りにしてる、【母なる守護】!」
『ふん...!当然だ!』
猛る雄牛の突進と、空を唸らせる大笛がかち合い、夜の寒空を震わせた。




