こうして夜は明けた
吹く風を遮る物は無く、下の街並みは騒がしい。昼中から煩いパトカーも、直線的な高速道路ではバイクを逃がさない。
「ちっ!なんかばらまけねぇのか!?」
『全部使ったでしょ〜?その銃は?』
「爆弾にするよか、普通に使うわ!くっそ、このまま振り切るしかねぇか...!」
速度を上げても、引き離せはしないパトカーに苛立ちながら、一哉は道の先へと視線を戻す。
暫くは無事な様だが、そのうち工事現場が見えてくるだろう。180km/hの世界では、ものの数分でたどり着く筈だ。
『ハックー、どーする?』
「あん?...トバすんだよ、もっとな!」
吸気部を銃で撃ち抜き、エレメントに穴を開けた。直接響く吸気音が、風の音に混ざる。
「貰うぞ。」
『いたぁ!?だから言ってくれたら抜けたのあげるってば!!』
羊毛を抜かれ、涙目でヘルメットを叩く精霊。その毛は非常に良く燃える。
吸気に混ぜて吸わせ爆発的に発火させれば、一時的にエンジンの回転トルクは上昇、ブーストになる。
『壊れるよ?』
「どうせ後二日程度だ、無くても事足りる。」
『気に入ってた癖に...』
「それより勝ちだ。いい加減バカ共がいい目にあったっていいだろーがよ。」
『ハックーのお願い、そんなに可愛かったの!?』
「てめぇをエンジンにぶち込んでやろうか...?」
ヘルメットの上からでも青筋が見えるような声音で、精霊をがっしりと掴む。イヤイヤする精霊から、盛大に羊毛を毟って再び放り込んだ。
「よーし、いい速度だ。」
『ハックー!前ー!止まんないと危ないって!』
「バカ言うな、なんのために加速したと思ってやがる!」
後ろから、遂に弾丸が飛び始めたところで、工事車両が見えてきた。バリケード、クレーン、三角コーン、鉄骨...なんとも準備のいいことである。
ゲームなら一晩で直っても良さそうだが、そういうシステムではないらしい。故に好都合、重たい四輪では出来ない事もあるのだから。
『ねぇ、ハックー?まさかとは思うけど...ねぇ?』
「ハッ、ビビってんなよ?飛ぶぞ!」
『やっぱり〜!僕は知らないからね!』
肩に乗る【意中の焦燥】が霊体化し、自由になった上半身を前にしっかりと倒す。
手を振って止めようとしている作業員は無視し、張り出したコンクリートを選び加速する。
「奴を逃がすな!」
「ここだけは、マジでゲームみてぇだな。軍にでも言ってろ、アホポリス!」
捨て台詞と共に中指を立てて、宙へと踊り出す。その先は壊れ、張り出た鉄骨。少しばかりの距離を稼ぎ、クレーンのアームに飛び移る。再び加速し、近くのビルの屋上へと飛び出す。
曲芸の様に渡り着いだ一哉に、それでも弾丸を浴びせる警官達。当たらないように、内心ヒヤヒヤしつつ祈り、そのまま屋上の縁を走る。
「おい、羊野郎!」
『なにさ!?』
「...足いった、ブレーキ踏めねぇわ。」
『...はぁ!?前やったので止まりなよ!』
「バランス取れねぇのに、ジャックナイフしてどうすんだよ。」
『っ〜!バカ!』
当然、建物の縁がいつまでも続くはずも無く。地上数十メートルから落下する事になる。
『バイクは諦めてよね!』
「あぁってるよ!」
飛び出した一哉は羊毛に拾われ、乗り捨てられたバイクが下で爆発する。右足を焼いて止血し、痛みと貧血でふらつく頭は叩いて気合いを入れる。
「は、中坊に刺された時のがヤバかったっての。」
『ハックー、警官に撃たれるのもヤバいよ?』
「弾が残ってねぇからな、まだマシだろ。」
『刺された時は残ったんだね...』
雲の様に膨れた精霊は、そのまま地表へとゆっくり降り立つ。片足で跳びおり、軽く跳ねて痛みを確認する一哉が、歯を食いしばって顔をしかめる。
「ちっ、厄日だぜ。」
『自業自得だよ、ハックー。それより逃げないと。』
「あぁってる!」
路地裏に入り、マンホールを引き上げてそこに滑り込む。幸運な事に、換気は行き届いているようで、燃やして投げたコンクリートの破片は勢いよく燃え続けている。
不要に酸素を奪わないよう、鉄棒でそれを叩き壊して消火し、水路沿いを歩く。
「流石に追ってこねぇな。」
『死体は無いし、血痕が無いから迷ってるだけじゃない?時間の問題だと思うなぁ。』
「くそ、早まったか...昼間っから仕掛けんのは思ったよりヤバかったみてぇだな。」
『...あんまり派手にはしてないんだけどねぇ。バレるの早かったね。』
「通報されたにしろ、ちと準備が良かったのはあるけどよ...こういうゲームって事だろ。」
ヘルメットを投げ捨てながら、額の汗を拭う一哉。彼の視界に、光の漏れる曲がり角が入り込んだのはそんな時だった。
「あぁ?こんな地下に...行ってみっか。」
『えぇ?なんかヤバげじゃない?』
「動くもんもねぇ、多分大丈夫だろ。」
念の為、拾った石ころを放って爆発させるが、反応は無い。安全と見て良いだろう。
散らばったコンクリートを乗り越えながら進めば、その光景は彼の目の前に現れた。絶句する一哉に、ウトウトし始めていた【意中の焦燥】も目を開ける。
『どうしたの?』
「いや、これ...」
『ん?...わぁ。何コレ?』
目の前に広がるのは、巨大な縦穴だった。元は建築物でもあったのだろう、鉄骨やコンクリート、金属片が辺りに散らばり、あろう事か突き刺さってさえいる。
爆発、崩落。どちらにせよ、とんでもない破壊力であるのは違いなく、これが精霊の仕業なら恐ろしい。
「これ、アレか。俺が工場で待ち伏せ仕掛けた日の。」
『場所バレしたの間違いじゃない?』
「煩ぇ、黙ってろ。」
肩の精霊を鷲掴みにし、光源代わりに前に持ってくる。僅かに発光するほどの黄金の羊毛だが、巨大な縦穴を照らすには不十分だった。
「なんかの口みてぇだ...飲み込まれてる気分だぜ。」
『放してよぉ〜!』
「分かったよ、うるせぇなぁ。」
フードに放り込むように精霊を手放し、縦穴の下を覗き込む。上から陽の光は届くが、薄暗さが勝り良く見えない。
刺さった鉄骨や瓦礫を足場に、一哉は降りてみることにした。落ちても【意中の焦燥】がいるので問題ないだろう。
『何するの?』
「いや、登るのしんどいだろ?だから下から繋がってねぇかとな。」
『いや、引き返そうよ...』
「サツと鉢合わせたら嫌だろーが。」
時々、足を滑らせたりもしながら、跳ねる様に下を目指す。終始ヒヤヒヤと頭の上で見守っていた【意中の焦燥】が、一息つけた頃には既に日が傾いていた。
『ハックー、今夜はここ?』
「ンなアホな...もう少し良いとこあんだろ、多分。」
『懐中電灯くらい、持っとけば良かったねぇ。』
すっかり影になった穴の底で、手探りに道を探す。動くものも無く、目印も無く。仕方がないので、中心で火柱を上げて明かりにする。
「壁まで見えるっちゃ、見えるな。」
『道あった?』
「おー、あったあった。多分、昔の物置とかに行く奴じゃね?ホラ、ゲームとかで山ん中の納屋に入ったらビルの地下とかに通じてんだろ?」
『いや、知らないけど...』
ズカズカと奥に進む一哉に、ビクビクと追従する精霊。足場は悪いが、ガレキ等は端に寄っており歩くのに支障は無い。
「ここも倒壊の影響はあったんだな。壁も天井もボロになってやがる。」
『まぁ、歩いて通れて良かったねぇ。足痛いのに、変な動きしたくないでしょ?』
「壁伝って降りた奴に言うかね、それ...」
蛍の明かり程度の精霊を前にし、暗い通路を進み続ける。傾斜がきつくなり、やがて階段が見えてきた。上に上がれば、外に出られるだろう。
肌寒いそこを上がれば、朽ちた小屋が眼前に広がる。まるで中から破られた様に外に広く散らばった破片は、経年劣化による物では無いだろう。
「何か居たのかね?」
『でもお昼には僕達穴に居たよ?』
「その前からここに?...あの崩落起こした奴かね、会いたくねぇ〜。」
『ハックーなのに?』
「あのな?俺はスコア稼ぐのは好きだけど、負けるのもストレスフルな展開も嫌いなんだよ。」
木片を跨いで外に出れば、そこはどうやら山の様である。結局は戻って来た事に、ややゲンナリしながらも、獲物を探すことにする。
この際、誰でもいい。仕留め損ね続けた流れを断ち切りたい。悪い方へ悪い方へ転がっている流れのままでは、精神的に滅入るのだ。
『ハックー、足痛いでしょ?休んだら?』
「もういい感じに麻痺してきたっての。どうせあの脳筋以外に、突っ込んでくるよーな奴はいねぇよ。足はそんな重要でもねぇ。」
『...禿げたくないからね。』
「じゃ、今のうちに石ころ集めてろよ。」
『うぅ〜、精霊使いの荒いおバカめぇ〜。』
「誰がバカだ、誰が!!ったく...」
文句を垂れながら動くものを探っていると、ふと音が聞こえる。何かの倒れるような、しかし違和感を覚える音。
「んだぁ...?木にしちゃ、なんっかおかしいよな...」
『ふかふかのクッションとか、プールにでも沈むみたいだね。』
「クッション...プール?余計に混乱するだろーが!」
『なんで怒るのさ〜!?』
「キレてねーよ!」
ここで考えるより、見た方が早い。そう判断した一哉は、音のした方へと駆け出した。山を軽く走るくらいならば、怪我をした足でも出来る。
『ハックー!』
「あんだ!」
『空!』
「あぁ?...泡?」
首を傾げた彼の目に、泡を飛び移る少女が映る。射抜かれたかと思いきや、紅い馬に攫われそのまま走り去っていく。
「...なんだ、今の。」
『いや、僕も分かんない。』
「って、そうじゃねぇ!今の追おうぜ!」
『本気ぃ!?人魚も乗せてたよ!』
「あ?...泡かぁ、相性悪ぃかな。」
『絶対ね。もー、ハックーはおバカだなぁ〜ぁあいたぁ〜。』
精霊の頬を抓りながら、一哉は消えていく泡の下へと集中する。動くものがあるのが分かり、確実に契約者だと悟る。
『狩猟本能に目覚めた猫みたいな顔してるよ、ハックー。』
「どんな顔だよ、そいつは...あ、逃げられた。」
『追いかけるなら着いてくから、掴まないでね?』
「じゃ、乗ってろ。」
『また鷲掴む〜!』
文句の煩い精霊を肩に押し付け、彼らより山の上に回る。物を投げるのも、突き飛ばすのも、上から行った方が有利であるのだから。
後は、油断するのを待つだけである。




