chaser of Frame
不馴れな操作に焦りを感じながら、健吾はアクセルを存分に踏み込む。唸るエンジンの割に、そのタイヤは地面を蹴ってはくれない。
「なんっで加速しねぇんだ!」
「ねぇ、もしかして入ってるの2速じゃない?」
「んな訳...あったっス。」
すぐに変速しなおし、いつの間にか横に並ぶ一哉から離れようとする。しかし、ここは市街地。運転に慣れない健吾が100km/hで爆走出来る筈もなく。
放置された車の間を縫って、とにかく離れられないかやってみる。車に比べ、バイクはリラックス出来るとは言いがたく、体力の消耗は向こうが多い筈だ。
「燃料...残ってます、か?」
「おぅ、まだ半分くらいありそうだ...コイツの燃費ってどうなんスかね?」
「さぁ...私も古い車は分からないわ。」
「えっと...ラングラーのTJ、って書いてあるから...11、くらい?」
メンテナンスノートを開きながら、仁美がスマートフォンを片手に首を傾げる。正直、そこまでして知りたいものでも無かったが、礼を言って携帯を返して貰う。
「まぁ、向こうがガス欠になる頃に走れりゃいいさ。流石に80キロで仕掛けて来ることもねぇだろ。」
「そうでも無いみたい。」
後部座席で、窓を眺めながら弥勒が呟く。驚愕や怯えさえ含んだ声に、つい健吾が其方を見れば同時にガンと音が響く。
「キャッ!」
「あいつ...正気かよ!?」
窓ガラスを手にした鉄棒で叩き上げ、ヒビを走らせた一哉は再び振りかぶっている。もう一度強く打ち付け、崩れたバランスを戻すように蛇行する。
もし転倒すれば、即死も有り得る。だというのに、全力で振り下ろされた鉄棒だということは、真っ白になったガラスが証明している。
「死ぬ気かっつの!」
「多分、精霊の力を、信じてる。」
「毛が膨らむ奴か?この速度でも大丈夫とは信じ難いけど、な!」
持ち直した一哉が殴り掛かるのと同時に、ハンドルを右に切る。突如として距離が縮まり、一哉のバイクは再びバランスを崩した。
それでも転倒せず、遅れたとしてもすぐに追いついてくる。どうも、運転では向こうがかなりの格上らしい。
「どこまで、行きますか?」
「さぁな!とりあえず走ってりゃ、なんかしら思いつくさ!」
「山の中に入るのは?この車の方が、オフロードには向いてそうよ。」
その一言で西に向かうラングラーの前に抜きん出た一哉が、ブレーキの勢いに任せて後輪を振り回しターンする。ジャックナイフターンを決めた一哉は、迷わず加速した。
その先は健吾のいる運転席。目一杯高く掲げた前輪を、ボンネット目掛けて振り下ろす。その勢いに任せ、同時に赤熱した鉄棒を突き出せば、それはボンネットを突き破ってエンジンベルトを断つ。
「なんか嫌な音したぞ!?」
「爆発したりしない?」
「とっとと...くたばりやがれ!」
エンジンが止まり、ガクンと傾いたラングラーに、再び鉄棒が振るわれる。フロントガラスにうち据えられたそれは、見事な蜘蛛の巣を走らせた。
身を投げ出すように健吾が飛び出した直後、二発目の衝撃が窓をぶち破る。車内に炎が散り、少し遅れて二人も外に出る。
「あぁ?なんか多くねぇか?」
『増えてない増えてない。天球儀の時に見えてたよ〜?』
「そうだっけか?まぁ、いいさ。どうせプレイヤーだろ、狩るだけだ!」
『どうせ、ヘナってたら躊躇する癖に...』
精霊の呟きは無視し、ウィリー状態でバックしてボンネットから前輪を下ろす。その僅かな隙に立ち上がった健吾が、バイクが走り出す前に掴みかかった。
両者でハンドルを握り合い、クラッチが握られたバイクは空転するエンジン音を響かせる。
「てめ...放せっての!」
「誰が!」
バイクが倒れれば、起こすのは一苦労だ。一哉も放す気は無い。近すぎるために、【意中の焦燥】も爆発を起こす訳にもいかなかった。燃料に引火すれば、一番危険なのが一哉なのだから。
膠着した状況が数秒のあいだ続き、弥勒と仁美も車の向こうから合流した。制圧に向かう弥勒が黄金の羊毛に包まれ、発火する。
「早乙女さ」
「...守護神】!!」
放たれた電撃が羊毛を焼き、熱気を辺りに振りまいた。ほんの一瞬、必要なだけの力の解放ならば、【純潔と守護神】のリキャストも短い。
光を反射して散る羊毛の中から、精霊を掴み取る。
『えぇっと...優しくしてね?』
「さぁ、どうでしょうね?」
両手で抱えてはいるものの、微動だにせず固まっている精霊を見れば加えている力は分かる。
精霊が動けないと悟ると、一哉はバイクを手放して健吾に蹴りかかる。すぐには対応出来ず、またも鼻っ柱をうち据えられて血が垂れる。
「貰ったぁ!」
「俺の何がそんなに気に食わねぇんだ...!」
「言ってんだろ、半端な善意で他人を蹴落とせねぇ癖に、こんな所に来やがって!のうのうとした惚け面ぶら下げてっからだよ!!」
「てめぇが凄ぇ腹立つ奴なのは分かった!のうのうと...してられっかよ!!」
拳が、脛が、肘が。互いの腹や顔に振るわれては弾かれて。肉が、骨が打ち合う音が鈍く響く。
「てめぇみてぇに倫理観欠如させてたらな...胸張って兄貴やれねぇだろうが!」
「選べねぇ奴が、言ってんじゃねぇぞ!出来ねぇ事までやろうとする、その態度が気に入らねぇ!!」
一哉の膝が腹にめり込み、下がった健吾の顔に拳を突き出す。避けられ、肩の上を打つその腕を、関節の曲がらぬ方向へと押し込まれた。
「が...!」
「さっきから訳わかんねぇ事言いやがって...別にてめぇが苦しい訳でもねぇだろうが。」
「知るか、腹立つんだよ。」
そのまま押し倒そうとする健吾と、踏ん張る一哉。二人が何度目かの睨み合いをしていると、一哉が急に振り向く。
そちらを視線で追えば、小さな路地だ。僅かながら、向こうの道も見える。
「後ろなんか気にしてどうした?」
「今何か、動かしたか?」
「てめぇ嫌味か。俺のレイズはお前らが」
健吾がより力を込めようとした途端、路地から大きな音がする。立てかけてあった板が倒れ、連鎖的に物が落ちたらしい。
「やっぱり、なんかいやが」
一哉が最後まで言い切る前に、破裂音と共に頬に痛みが走る。
路地から盛れる赤い光とサイレン。辺りを見渡せば、所々上がる火の手と締め切られたカーテン。青い顔の仁美に、精霊を手放した弥勒。
『ハックー、ヤバくない?』
「バカお前!なんっで俺の所に来んだ、怪しいだろうが!」
「警察...か?なんか物騒だな!?」
流石に銃を構えた警察に囲まれては、人を押さえつける訳にも行かず。距離をとって手を上げる。
そんな健吾とは対象的に、一哉は鉄棒を発火させてフードを目深に被る。どうせ肩に精霊がいては、言い訳出来ないからだ。霊体化を今更しようと、結果は変わらないだろう。
「そこの男、止まりなさい。」
「白昼堂々発砲たぁ、ここはアメリカかよ?」
『あめりかって所、物騒すぎない?発砲に放火なんて...』
「放火はてめぇもだろーがよ...!」
他人事のように語る精霊をもみくちゃにし、肩にしがみついているのを確認しつつ走り出す。
狙うのは警官の焼死。NPC相手ならば、いくら焼き殺そうとゲームでしかない。遠慮なく、マナーも配慮も考えずに行く。
「撃て!」
「「了解!!」」
既に放火及び連続殺人としてマークされていた一哉に、一切の躊躇なく数発の弾丸が浴びせられる。
驚異的な動体視力でそれを避ける...には及ばずとも、直撃を減らす。精霊の広げた羊毛越しに、命中したのは1発だけだ。残りは掠めて飛んでいく。
「お構い無しかよ...!?」
「今のうちに逃げましょう、健康君!」
「けどアイツが...クソ、レイズの居場所を吐かせようと思ったのに!」
足元に飛来した弾丸に、健吾が息を飲むのが分かる。背後の動きも知覚しながら、警官達の真ん中へ躍り出た一哉がアスファルトに鉄棒を叩きつける。
その先に飛び移った精霊が、地面に触れた瞬間彼の周囲が発火した。燃え立つ炎のフィールドの中で、取り出したガスマスクで熱気を防ぎながら一哉が吠える。
「最近噂の異常発生者だ、取り抑えろ!殺しても構わん!」
「出来んのかぁ?命大事にしろよ、ツクリモンども!」
炎の向こう、走って位置取りを変える警官の動きを認識し、そこから狙撃しにくい位置へ走る。警官と警官の間。一歩間違えたら仲間を誤射する位置へ。
一瞬の躊躇に反応し、灼熱の鉄棒を叩きつける。肉の焼ける音と、骨の砕ける感触。それに恐怖と興奮を覚えながら、一哉は銃を奪う。
「そーら、土産物だ!」
撃鉄を起こして見せ、乱雑に引き金を引く。足元に着弾、跳弾する弾丸に警官達は警戒を強めている。
『ハックー、立てたよ!』
「よくやった、羊野郎!」
膨らみきった羊毛に手をつっこみ、中の物を握る。捻れば毛の中から、唸るような音が響く。
黄金の羊毛を払い除けるように、足を振り回して潜り込めば、数瞬の後に羊毛の中身からバイクが疾走した。
「逃がすな、追え!」
『犯罪行為はダメ。僕は今、身に染みて分かったよ。』
「は!こんなんはゲームなら日常茶飯事だろーがよ!」
『それ、なんてゲーム?物騒すぎない?』
後ろの回転灯の音を聴きながら、一哉は次々とギアを上げていき、フルスロットルで市街地を走り抜ける。
あっという間に後方へ流れていく景色の中、壁スレスレになりながら右へ左へと路地を曲がる。
「四輪に単車のマネが出来っかよ!」
『わ、ぶつかる!!前〜右〜電柱〜!!』
「煩っせぇな!黙ってろ!」
下半身で車体を固定し、転倒しそうな程に車体を傾け。路面を削り、後ろからのサイレンも聞こえなくなるほどに走る。
「余裕。もう少しビビんなくても良かったか?」
『あー、ハックー?少しその判断は早いかもよ?』
肩の精霊が示した先は、高速道路に合流する手前。装甲車で道を閉ざされた大通りだった。
「確か、この上ってよ...」
『ハックーが壊した橋だね。』
「俺じゃねぇだろ!?クソっ、登るしかねぇじゃねぇか!!」
紅い襲撃者は、インターのゲートポールをへし折りながら、先の無い高速道路へと上げられた。
現在時刻、12時。
残り時間、2日と19時間。
残り参加者、11名。




