仮初の決着
既に夜が開け始める気配が漂い、空が黒から白み始め、周囲の物が目に入り始める。
シルエットを映す峠道、そこを火の粉を散らして駆ける。
「ルクバト、ありがと。でも、君の騎手を取り戻さないと...」
『ブルルゥ!』
「んー、ゴメン。ちょっとボクには分からないかな?」
『主様、おそらく怒られていますわよ?』
肩にのしかかるようにして、【泡沫の人魚姫】が顕現する。視線は感じない、しかし警戒は解かない。未知への警戒と緊張、これほど疲れる事もあるだろうか?
そんな精神状態は長く続くはずも無く、せめて態度だけでも穏やかな物だ。察した四穂も、いつもの調子で答える。
「精霊どうし、言葉が通じたりしないの?」
『その様に便利でしたら、あの素直でない軽薄者に問いただせますわね。』
「いやぁ、あれはねぇ。ボクも精霊が帰ってるなんて思わなかったもん。契約者が襲ってくるぐらい緊迫した状況なのかと...あ、わざとかな?」
『おそらく。あの殿方、ヘタレそうでしたし?』
「無気力って感じじゃない?ボクの事見て顔を顰めるのは止めて欲しいんだよね〜。」
単純に真樋の苦手なタイプ、というだけだが。そういう扱いは相応に堪えるらしい。
続けても得られる物も無いと思ったのか、話題を変えるように自分の跨る駿馬を撫でる。
「ルクバト、君はどうしたい?彼を取り戻さなくて良いの?」
『フン!』
「わぁ、そっくり...笑われた?」
『人馬一体ですからね...おそらく、最初の行動を続けているのでしょう。』
「最初?」
『主様...貴女が彼を動かしたのですよ?勝て、と。自身が主になる、と。』
記憶を探る様に首を捻った後、そういえば、と頷く。どうやら彼女にとっては、数ある出来事の一つ、程度だったらしい。
心做しか、呆れの視線を感じながらも、四穂はルクバトの鬣を梳いた。
「そっか...なんか悪い気はしないね。でも、それなら尚更、何処かで迎え撃たないと。ボクが負けないんじゃない。ボクらで勝たないと。でしょ?」
『まったく...戦闘狂が移りましたわ。』
「クロさん、気になった事とか面白そうな事とか、全部やらないと気が済まない人だよね〜。」
『貴女まで活動的になる事は無いのですよ?』
背中から抱きしめる【泡沫の人魚姫】にあるのは、おそらく不安だろう。片腕を食われ、矢に穿たれ、もう一柱の精霊は封じられ、契約者は疲労している。
だから、四穂は退けない。ここで逃げ腰になれない。何故なら、彼女の想い描く理想こそ、こんな土壇場をひっくり返す様な希望なのだから。
「大丈夫だよ、【泡沫の人魚姫】。きっと勝てる、だからもう少し、力を貸して?」
『えぇ...主様の望みとあれば。』
『フルル!』
「勿論、ルクバトもね!」
同刻、山道を歩きながら空を見上げ、真樋は思考を巡らせる。
「この時間から追っても、仕留める頃には日が高い。邪魔が入るくらいなら、油断するまで待ってから、街中でコソッと殺るか...?出来れば、リタイアして欲しいけど。」
「お兄さん、歩くの早いって!というか、独り言はやめた方がええよ?雰囲気もやけど、気味悪いけん。」
「ド失礼だよね、キミ。」
「お兄さんが礼儀を語っとる...!?」
どんな風に思われていたのか、少し気になる真樋だったが、それはそれ。今考えるべき事では無い。
ひとまずの方針を定め、とりあえず濡れた格好を何とかしたいと考える。町に降りて服を探すか、と自転車を取り出した。
「アルレシャ呼ぼうか?」
「いや、今から町に降りようと思うし。精霊は無しで。あんな武装集団を相手にしてたら、命がいくらあっても足りない。」
麓で走るパトカーの回転灯を恨みがましく見て、真樋はため息を吐く。快適なプレイとは言い難い、等と何処ぞのゲーマーの様に考え、不機嫌を隠すのもやめた。
とはいえ、ここまで来て機動力を捨てるのも惜しく。合流してからは準備も万端に奇襲を行えているのもあり、真樋は寿子を振り返る。
「とりあえず乗りなよ。下り坂なら苦もなく行けるだろうし。」
「やけん、一言余計...この格好で?」
「今更じゃない?」
肩をすくめる真樋は、まるで其方がおかしいとでも言う程に自然体だ。紛うことなく本心である。
「うぅ〜。」
「何なの、ホント...何か言われた?」
「言われたというか、されたと言うか...初めてやったのに〜。」
「......あぁ、あれか。僕には関係なくない?」
「うっさい!バカぁ!」
「なんで僕が怒られるのか...」
完全に八つ当たりなのだが、そんな事は関係ない。彼氏、等と言われた事も思い出し、本当に今更だが真樋から距離を取る。
もう置いていこうか。そう真樋が考え始めた頃、彼の背中から精霊が顕現する。
『Report、来ます。』
「何が...ピトス!」
考えるよりも早く、精霊に叫ぶ。意図された通りに、【宝物の瓶】は寿子に走り寄る。
「はぇ?」
「やりやがれ、【意中の焦燥】!」
『だからハゲるぅ〜!』
木の上から飛び降りた青年が、金の毛を撒き散らして発火させる。
爆発から寿子を抱えあげて逃れた【宝物の瓶】が、深く吐息を吐く。
『Question、連戦致しますか?』
「へぇ、疲弊してんのか?ちょうど良いじゃねぇかよ。」
「いや、逃げる。」
「させっかよ!」
自転車に跨る真樋に向けて、大量の石ころが投げられる。狙い通りに着弾した瞬間、それは真樋の足元で発火する。
「ヤバっ...!」
『マスター!』
想像以上のパワーは、自転車と共に真樋も吹き飛ばす。瓶や小道具を撒き散らしながら、崖側に転落していく真樋に【宝物の瓶】も駆け出した。
「ハッ、その先は何もねぇよ。バカな精霊だぜ。」
『ねぇハックー、そういうのを慢心っていうんだよ?』
「じゃ、彼処から助かるかよ?」
『えっとね〜。ボクとか、飛べる奴とか、潜れる奴とか柔らかいのとか、他には』
「もうイイ、喋んなお前。」
『痛いよハック〜。』
頬をモチモチと弄られ、抗議する精霊の毛並みから石ころを取り出す。ニヤリと笑みを浮かべた彼は、バットケースから鉄棒を抜いて発火させる。
「さ〜て、お嬢ちゃん。どうするね?」
現在時刻、6時。
残り時間、2日と1時間。
残り参加者、???。
何があったのか、観測しているだろう?そうだ、それを出せ。我々は監査する必要がある。
現在時刻、2時。
残り時間、3日と5時間。
残り参加者、???。
夜のまだ明けぬ空の下、一哉は薄暗い建物に声を張り上げる。
「先に帰ってんだろ!荷物取りに来たぜ!」
「そんなに叫ばなくても聞こえるわ...あら?お客さん?」
扉を開けて、山の上の展望台から顔を覗かせる八千代が、意外そうに呟く。
霊体化する【母なる守護】は、敵意を感じなかったのだろう。それに安心したのは、一哉以外の全員だ。
「タクシーみてぇなモンだ。そんで、アレは?」
「危険極まりないわよ...とにかく死なないわ。契約者から離れたから、てんで闘いにはならないけど...ずっと怒ってる。」
「はっ、なんとも...扱い難い精霊だったんだな。デメリットがデメリットにならねぇ契約者だったのが、マジで目立ってただけか。」
自分の事は棚に上げて、健吾の事を異常者扱いしながら、一哉はバットケースを抱え直して扉をくぐる。表で狼狽える二那に、八千代は笑みを浮かべて手招いた。
「とりあえず入る?私のお城。明晩までは争う気も無いの、明日の夕方...いえ、もう今日ね。とにかく、その間は安心してくれていいわよ?」
「では、お言葉に甘えて...」
「あら、素直に信じてくれるのね?ふふ、気に入ったわ、貴女。」
当然、不信感は強い。しかし、だからといってここから逃げるかと言えば否だ。ここで襲われるなら、逃げても追われる。それに、何やら手一杯のようだ。
「よぅ。とりあえず、協力は終いって事だよな?」
「あら、力に任せて両手に花の夜でも送る?」
「冗談じゃねぇな、第一タイプじゃねぇよ。」
『ハックー、それより第一に持ってくるべきことってあると思うんだ、ボクは。』
残念、とおどけて見せる八千代が、机に置かれたカセットコンロの鍋を開ける。フワリと漂う湯気が、今更の様に空腹感を思い起こさせる。そういえば、夕飯はまだだ。
「...ま、まぁ?まだ筋肉野郎は消えてねぇし?俺たちは仲間だよな、うん。」
「野犬に餌付けしてる気分だわ...貴女もどう?」
「えぇと、私は...」
少し微妙な笑顔を浮かべる二那の前で、豪快に一口を放り込んだ一哉がむせる。
驚いて振り向く八千代に、二那は諦めた様な悟りの視線を向けた。
「か、かっ...!」
「どうしたの!?」
「辛ぇ...!」
「嘘、そんな...あら、ホントね。」
目を丸くして驚く八千代に、果たして味覚はあんのかと。二度と口にしてたまるかと言い捨て、自分の荷物と共に壁際で丸くなる。
寝た。数秒で寝た。あまりの早業に呆れる二人に、精霊がコロコロと戯れる。
『ね〜、ボクも食べて良い〜?こう見えて、辛党なんだ〜。』
「私は食べれないし、いいわよ...悶絶する程?」
まだ僅かに自分の料理の腕を信じる八千代が、もう一口だけ食べて【意中の焦燥】に渡した。やはり、食べたくは無かったらしい。
皿に盛られたそれを、口一杯に頬張りながら【意中の焦燥】が八千代を見上げる。
『で?なんでこんな所に?』
「あら、知らない?高い方が有利なのは、大概の喧嘩で共通してるのよ。特に、私の精霊は壁も走れて狙撃も出来る。最高でしょう?」
『いや、そっちじゃ無くて...あっち。』
蹄で示した先には、大きな檻。その中で、鎖で吊られている【積もる微力】である。
「だって、見えないと怖いもの。目を離した隙にいなくなってました、なんて。」
『いや、同じ空間にいても怖いよ...』
『なら失せろ、チビ野郎。』
小さくも、ドスの効いた声が檻から響き、金色の毛皮がプルプルと震える。動く事も無いと思われるが、それでも恐ろしい。
契約者の方に走っていくと、ガシリと毛皮を掴まれて毛布代わりにされた。
『広げないで〜、ハゲる〜。』
「うるせぇなぁ...」
それぞれ勝手に行動する精霊たちに、肩を竦めて八千代は二那に振り返った。
「私も寝るとするわ。あっちに空き部屋があるから、布団なんかは置いてあるのを使って、好きに寝ていいわ。と言っても、倉庫や備品庫なんだけどね。」
各々で寛ぐ人達に、強い人達だと呆れの様な羨望の中、二那も布団を探す為に部屋を後にした。




