決定打
寒空を裂く様に飛ぶ矢が、空中に放り出された寿子を狙う。目の前に迫った死の気配に、呼吸も鼓動も止まりそうになる。
視界が暗転し...次の瞬間には地面に倒れていた。咄嗟に額に手を当てるが、風通しが良くはなっていないらしい。
『ぐ、貴様...!』
『良くやった、小僧!痛快だ、ハッハッハァ!』
大笑いする【浮沈の銀鱗】に拾われ、地面の土くれが冷たく硬い鱗の感触に変わる。困惑しつつもすぐに掴んで落とされない様に体勢を整えた。
「アルレシャ、状況!」
『醜態を晒した貴様が瓶に入り、我がそれを割った。赤派手はナイフに腕を刺されたのよ!やりおるわ、あの夜道怪めが!』
「お兄さんがやったん?」
『気づいたらそこにおった。まったく、後は我がなんとか出来れば最高だったんだがな...』
そういえばと後ろを振り向けば、見えたのは厚い甲殻。海のような深い青の、盾の様な鋏。
「ありがと、でも無理しちゃダメだよ、【泡沫の人魚姫】!」
『ここでせずして、いつ無理なんて致しますの?』
細かくなった甲殻がサッと身にまとわりつき、泡に乗った人魚が此方を睨む。この距離なら襲われないと判断し、【疾駆する紅弓】を警戒する。
『ふん、貴様の軟弱な精霊はくたばりおったか?』
「君は自分の戦った軟弱な相手に、トドメの確認もせずにいるんだね?」
『...良いだろう、殺してくれる。』
「その腕が弓を引けるまで、何時間だい?出来るならドーゾ?」
不慣れなのが丸わかりな、故に余計に腹の立つ笑みを浮かべながら、息をするように皮肉を投げかける真樋。
腕に突き立てられたメスには、どうも何か塗ってあったのか。【疾駆する紅弓】の左腕は不自然な程に脱力している。
「あっちも大丈夫なんかな...」
『捨ておけ、くたばれば儲けものだぞ。貴様の体力が戻った以上、奴は要らん。』
「アルレシャ、助けてくれたんに失礼やん。」
『貴様と言う奴は...ここがどこか、いい加減理解してくれ。』
呆れた様に呻くと、すぐに反転して【泡沫の人魚姫】へと突進する。
遠距離を警戒しないで良い以上、接近戦に集中しても問題ない。鋼の様な鱗で体当たりをしかけ、展開され直した甲殻越しに重い衝撃を届けた。
『くぅ...!』
「大丈夫!?直接受けんでも...」
『いいえ、この程度。私とて精霊、どこの馬の骨とも知れない輩に、大きな顔をさせ続けるつもりはありませんよ...!』
片腕に甲殻を集中し、打撃に向いた形へと変貌させる。大きく振り上げ、近づく【浮沈の銀鱗】に向けて振り下ろす。
「避けて、アルレシャ!」
『断る!手負いなぞ、食い破ってくれるわ!』
「話を聞いてくれへんのんやけど!」
牙を光らせて襲いかかる精霊に、空気を唸らせて槌が振り下ろされる。次こそは砕いてやるとばかりに噛みつき、無理矢理に衝撃を殺す。
顎が嫌な音を立てるが、その痛みなど目に比べればどうという事もなく。バラける隙も与えぬほどに締め上げる。
『放し...なさい!』
『軟弱な。開く振るは苦手か?』
甲殻を噛み砕かんとその顎に力を込める。耳をつんざく力任せな切削音が鳴り、甲殻に白い跡を残していく。
頬張る様な形に食い込んだ牙からは、容易に引き出す事も出来ない。片腕で必死に力を込めるが、閉じる力以外はその見た目通りの精霊だ、適うはずもない。
「ボクの事を忘れて無いかなっと!」
後ろから飛び込んだ四穂が、【浮沈の銀鱗】の上を渡って寿子に迫る。おそらくは何も手段は無いが、おそらくで契約者を危険に晒す訳にも行かない。
仕方なく【泡沫の人魚姫】を解放し、四穂が辿り着く前に地面に潜る。当然、四穂も巻き込まれるが、泡が足場になり【浮沈の銀鱗】が深くに行くまで待機した。
『あわよくば溺れれば良いと思ったが...そうも行かぬか。』
「ボクは泳げないからねぇ。落ちる時はすぐに泡、これは練習したもん。」
『主様、来ます。後ろに!』
「ハイハイ、っと。」
鋭利な鮫肌の鱗を叩きつける【浮沈の銀鱗】に、甲殻を押し付けて身を守る【泡沫の人魚姫】。契約者二人はその衝突に、巻き込まれない位置を取る事が重要だ。
背中に張り付いた寿子は大丈夫だが、四穂はそうも行かない。液状化する地面や突撃する【浮沈の銀鱗】、回り込んでは泡に飛び乗って、常に動き続ける。
「体力仕事してなかったら、もうへばってたかも...!」
『既に息が上がっているがな!』
片目の潰れた【浮沈の銀鱗】は、回り込むにしても方向が決まっている。故に間に合っているが、最初程の素早さは無くなり疲労が見え隠れしている。
『く...コソコソと!』
「当たり前だろ、僕は喧嘩もした事ないんだし。嫌がらせに徹させて貰う。」
『せめて腕が動けば...主!こちらに来れんか!』
「流石に追いつかれるよ!【泡沫の人魚姫】は泡に乗っての移動だよ!?」
進展の無さに焦れる【疾駆する紅弓】が呼びつけるが、それが出来るならやっている。
真樋の動きは消極的だが、故に後手に回った後の対応が早い。当たり前だ、この場でもっとも長引いて困る、体力がいち早く尽きるのは四穂なのだから。
『ぐ...別行動は苦手だというのに。いけ、ルクバト!』
自身は真樋に対処する事にし、逆手に持つ矢を強く握る。召喚されたルクバトは一直線に【浮沈の銀鱗】を踏み抜きにかかり、四穂と【泡沫の人魚姫】に襲いかかるチャンスを減らしていく。
鬱陶しげに尾で払おうとする【浮沈の銀鱗】だが、ルクバトの跳躍力の前では地平の攻撃は無いに等しい。潜航と浮上を繰り返し、結果として四穂の体力を消耗出来ない。
『三対三、同格と思ったか?精霊と人間では訳が違う。奇襲でも無ければ避けるも易く、一度接敵すれば片手間でどうにかなる。』
「その割に、君は随分と手間取ってるね?」
『我は機動力と狙撃に優れた精霊だからな。白兵戦は嫌いだ。』
そういいつつも、木の間を縫い、飛び乗り、手に持つ矢を短槍の様に突き下ろしてくる。
運動オンチという訳ではなくとも、スポーツマンとはかけ離れた真樋には、それを躱すので精一杯。このままでは、此方の体力が先に尽きる。
(瓶の中身...残っているのは補助道具以外はアレだけ。ここで使うか...?もう少し補填しておけば良かったな。)
『考え事とは悠長だな!』
「それしか出来る事も無いんでね!」
『もう一つ作ってやろう。そこの土となり、お仲間に絶望を与える事だ!』
突き出された矢がセーターを裂き、中に仕込んでいた瓶が割れる。そのまま矢に貫かれ、ガスボンベの中身が噴出する。
当然、その中に矢は突き立てられている訳で。ルクバトの鬣や蹄を見ればわかる通り、【疾駆する紅弓】の意匠は貫く炎。矢も例外では無い。
『ぐっ...!』
「マズっ...!」
細かくなった容器が、爆発と共に四散する。直ぐに目を閉じ、顔の前に腕を運ぶ一人と一柱にそれは次々と突き刺さった。
痛みを訴える腕を確認し、このまま動いても問題無い事を把握する。血は出ているが、血管内を巡回はしていない...筈だ。感覚が宛になるかは分からない。
『なんて物を持っているのか...!』
恨み言を言うが、それに応えるものはない。いち早く真樋が駆け出したのは、【浮沈の銀鱗】を警戒して背を向けている【泡沫の人魚姫】...その背中に庇われている四穂だ。
手には蓋の開いた瓶。何をするつもりか察した【疾駆する紅弓】は、彼を止めようと走る。その速度は差が大きいが、距離が近かった。先に駆け出した方が圧倒的有利。
『くっ...主、屈め!』
「届けぇ...!」
「何っ!?」
振り向いた四穂に飛び出す真樋に、【泡沫の人魚姫】の尾ビレが払われる。助骨に嫌な音を響かせ、手から瓶が放り出された。
「お兄さん!」『仕留める...!』
寿子の叫びと迫る【疾駆する紅弓】に、真樋は宙を飛ばされながら...笑みを浮かべた。
「やれ、【宝物の瓶】!!」
『Roger、命じるままに。』
彼の元に密かに戻っていた精霊。契約者の呼び声に応え、宙を舞う瓶を蹴りあげた。
既に蓋も開き、顕現していた瓶。余計な手間暇はなく、ただ少し飛び方を変えるだけ。そんな作業は簡単に終わり、対応が追いつく事はない。飛んだ先...前傾姿勢で走りよる【疾駆する紅弓】の対応が、だ。
『なっ!?』
「悪いね。初めから契約者より、精霊を狙ってたんだよ。」
真樋の霊感。精霊の気配を悟るそれは、契約者を狙うセオリーよりも精霊への奇襲による無力化を選ばせた。
驚愕のままに瓶に閉じられた【疾駆する紅弓】に、聞こえているかも分からぬ声をかける。蓋を閉じて懐にしまえば、後は楽な仕事である。
「...さて、手負いの精霊一柱ならどうにかなるかな?」
『Yes、マスター。酔いも覚めました。』
「あぁと...これってさ、マズくない?」
泡の上で口角をひくつかせる四穂に、冷たい光沢を走らせる小太刀が突きつけられる。
それが払われる前に、泡が弾けて四穂が落ちる。頭上で空を裂く小太刀に冷や汗を流しながら、すぐに持ち直して指示する。
「辺りを埋めつくして!【泡沫の人魚姫】!」
『承りましたわ...!』
落ち葉、人間、精霊。その全てを持ち上げるように、一面に泡が湧き上がる。その上を跳ねるようにして、その場を四穂が離脱しようとする。
踏んでは割れる泡の音からそれを察し、真樋は其方を向く。精霊の反応もある。霊体化して取り憑いているのだろう。
「させるか...!」
手に持ったナイフを投げつけ、泡を割る。人を狙う事は難しくとも、跳んだ先に浮く大きな泡なら易い。
発動を早める為か、人を乗せるギリギリの強度の泡は、掠めただけでもパチンと弾けた。足場が消え、落下する四穂が声を上げるより早く、紅い毛並みが真樋の前を通り過ぎた。
「ルクバトっ...!?」
「ちっ、残ってたか...」
少女を背に乗せ、山道を駆ける精霊。背に乗る片割れはおらずとも、その忠誠は同じ。敵から確実に距離を取る道を跳ね駆ける。
「どうせ、近づいたら蟹が出るしな...ピトス。」
『Concern、射ても防がれます。』
「それもそうか...仕方ない、追うとしようか。視野に入れなきゃ悟られないでしょ。」
ここまでくれば、相手に勝ちの目は無いだろう。窮追戦の始まりだ。




