射手の狩り方
ルクバトの駆ける道は険しく、あっという間に市街地を駆け抜けて郊外へ出ていく。車程でなくとも、その速度は驚愕に値する。
東の山岳に入り、手綱を引いて止めた【疾駆する紅弓】が一息つく。
『あと数刻で日も登る。ここなら警察に追われる事も無いだろう。』
「うん、ありがとう【疾駆する紅弓】。」
『礼は構わん...して、お嬢は?』
「まだ傷が...でも、生きてるよ。」
まだ、という事は其方も回復の目処はあるのだろう。ここは逃げ延びるのがベストだ。
『早々に負け戦を飾るとは...我の弓も堕ちた物だな。』
「ごめんね、ボクがもう少し」
『それ以上言うな、主。例え力が振るわぬのが事実であろうと、それを主に言わせてはそれこそ名折れだ。』
「ん...分かった。」
いつ襲われてもいいように弦を張り直し、目立つルクバトを帰還させる。
木々の中を見渡しながら、隠れるに適した場所を探す。ルクバトの機動力を活かしにくい、密集した木々の地形。姿を隠しての狙撃が一番だろう。
「ボクはどうしよっか?あんまり離れてもダメだよね?」
『そうだな...視線を切って走り続けられるか?我が後に続けば、護るくらいは出来よう。お嬢程では無いがな。』
「ん〜...うん、脚は大丈夫そうだし、行けるよ。」
『ならば、そうしよう。我を振り切る程に動いて見せろ。』
「無茶ぶりだなぁ。」
屈伸をしながら、周囲を見渡して走れる道を探す。山は不慣れな環境だが、土に滑ったりしなければ走るのに支障はない。ヘンテコな飾りのついたセットより安全だ。
追ってくることに関しては、確信があった。何度も位置を悟られただけでなく、時には先回りまで。相手の機動力は此方と引けを取らない。むしろ、速さを除けば上かもしれない。
『しかし、この辺りの地形は妙だな。』
「なにが?」
『草だ。所々無かろう?』
「わぉ、ホントだ。クロさんみたい。」
『むしろ、この程度の違和感には気づいてくれ...』
大きく陥没した所さえある地形、まるで地雷の爆発的でもあったかの様だ。おそらく、何らかの精霊だと見当をつけた【疾駆する紅弓】は、周囲を警戒する。
「でも、土が乾いてるし、これ昨日今日の事かなぁ。」
『周囲の植物に針葉樹が多い、乾燥とは行かずともそういう地帯なのだろう...だが、確かにすぐの事では無さそうだ。そうだな、一日か半日は前か...?』
「それなら、一安心かなぁ。」
『戯け、来たぞ。』
この緑と土の景色の中、赤と黒を基調とした【疾駆する紅弓】は目立つ。否応無しに目につき、その視線は四穂をマスターとする彼に筒抜けだ。
すぐさま振り向き、矢を番えて放つ。空気を切って進むそれは、音も無く瓶に吸い込まれた。見事に防ぎきったが、それに続く第二、第三の矢が迫る。二つ目の矢で割れた瓶から、飛び出した矢と第三の矢が正面からかち合い、弾かれる。
「狙いが的確なのも考えものだね?」
『案ずるな、すぐに楽にしてやる。』
相手が何かをする前に、行動する。真正面から射ては【浮沈の銀鱗】の牙も鱗も間に合う。身を隠す為、牽制を放ちつつ先に走り出した四穂に追従する。
視線を切り続ける【疾駆する紅弓】を、第六感で把握しつつ周囲を見渡す。下手に突っ込めば、【浮沈の銀鱗】の特性上、山から滑り落ち兼ねない。戻るのに苦労をする崖等は要注意なのだ。真樋はそんなに長くは潜って居られないのだから。
「どうやって追いかけるん?生えとる木は水みたいにならんけぇ、危ないんやけど。」
「多分、有機物で出来た生物細胞は液化しないんだと思うよ。それに、おそらく【浮沈の銀鱗】に触れていない物体もね。」
液化した地面に浮く落ち葉を見ながら、真樋は教える体で自分の認識を再確認する。
土等の同じ性質の物体と、異なる物体の落ち葉。範囲内で液状化しているか否かの判断はそこだろうか。逆に言えば、触れさえしなければ液状化しない。
「盾...は僕らが持った所で力不足だしね。道も見えるわけでは無いんだろう?」
『当たり前だな。光など届かん、動くものしか分からんよ。』
「間に物...は液状化したら意味ないし。水中呼吸のガジェットも、地中じゃあね。」
「何でそんなもの持っとるんよ...」
このゲーム区域、意外に店舗内容が豊富で手に入らない物は少ない。とはいえ、確実にお金を払っていない真樋に、やはり呆れた声が漏れる。
そんな事には反応を返さず、真樋は【浮沈の銀鱗】から飛び降りるとグローブとスパイクを瓶から取り出す。
「ちょっと、何しとん?」
「僕がいなければ、君が深くを潜って移動できる。僕は離れて行動した方が効率的だ。」
「せやけど、精霊さんもおらんのに。危ないやん。」
「山歩きは慣れてるんだ、問題ない。上着、無くさないでよ。」
少しズレた返答をし、瓶を構えながら山を駆け上がる。何が入っているのか知らないが、あっという間にいなくなってしまった真樋に、寿子はため息を漏らす。
「ねぇ、もしかしてうちって嫌われとると思う?」
『思うが?』
「冷たい...皆が冷たいんやけど。」
『我は魚なのだろう?熱を期待するな。』
「初日の事、まだ根に持っとるん!?」
『潜るぞ、目と口を閉じろ。』
潜行した【浮沈の銀鱗】は、頭上に響く足音を地面の振動で把握する。まっすぐに山を登る一つ、少し先に重たい一つ、その前を軽い物が一つ。
先頭の足音、四穂の物に向けて急激に浮上していく。地表近くは木の根がある事も多いが、小柄な寿子一人なら問題ない。【浮沈の銀鱗】が口を開けば、その影に隠れてしまえるからだ。
「うわ!?」
『ぬぐ!?』
足元から飛び出た【浮沈の銀鱗】の口の中で、驚いた四穂が声をあげる。
その足元、太い木の根が顎門の閉じるタイミングを遅らせた。その一瞬で【疾駆する紅弓】が四穂を突き飛ばす。
『悪運の強い女子だ...』
「や〜、危なかった〜...ありがとね!」
『ふん、すぐに行動しろ!』
潜ろうとする【浮沈の銀鱗】めがけ、番える暇は無いと判断して矢を直に突き立てる。鱗の上をチリチリと滑ったそれが、狙い通りに瞼を貫通し水晶体を破壊する。
『SYUUUUAAAAAAAA!』
「アルレシャ!?」
声にならない叫びをあげる【浮沈の銀鱗】が、痛みに任せて地上を泳ぐ。とにかく離れると言う意思が、本能的に働いたのだ。
暴走を始めた精霊に、全力でしがみつく寿子。そんな彼女の背中に、唐突に衝撃が来る。
「何、何なん?」
『何をしている!?』
困惑したのは寿子だけでは無く、足首まで地面に埋められた【疾駆する紅弓】もだ。液状から戻った土から、足を引き抜きつつ叫んでいる。
それもそうだろう、己の護るべき契約者が、相手の精霊の背中に飛び乗ったのだから。
「やっほ〜、君のお名前は?」
「え?寿子...ってなんでおるん!?」
「わ〜、素直。不審者に着いてっちゃうタイプ?」
必死にしがみつく寿子の腰に、がっしりと腕を回すとヘラヘラと挨拶する。
とはいえ、何も考えていない訳ではない。もっとも危険で無い位置に行っただけの事だ。
『潜られるぞ!』
「そしたら、この娘...寿子ちゃんも一緒に地中だね。心中する?」
「アルレシャ!絶対潜らんでよ!」
耳元で囁きかけられ、ゾワゾワした感覚を紛らわせる様に叫ぶ。それが届いたのか、能力を上手く使えないかは知らないが、呻きながら爆走する精霊は潜行の意図を見せなかった。
『く...身を避けろ、射抜きにくい!』
「無茶言わないでよ、くっついてないと死んじゃう。」
「耳元で叫ばんとって〜!」
振り落とされない、最低限の動きで抵抗する寿子。引きはがそうとしても、一回り年上の四穂に力では敵わない。
「なんかさ、ボクが女の子を無理やり、押し倒してるみたいなんだけど...」
「さっきから発言が怖いんやけど!?」
「あ、ちょっと可愛いカモ。ボクってSっ気あるのかな。」
「アルレシャ〜!何とかして〜!」
涙声になり始めた寿子の声も、拾うものはいない。【疾駆する紅弓】も狙いが狂わない様に、暴走する【浮沈の銀鱗】が止まるのを待っている。
当然、その様子は隠れる筈もなく。痛みが鈍り始め、落ち着きを取り戻した【浮沈の銀鱗】も気づき、止まるに止まれなくなる。
『逃げんのか?』
『離れて貴様を見失えば、それこそ危険だろう?』
『ふん、なればここで落ちろ!』
寿子を狙うのを止めて、四穂に絶対に当たらない程下を狙う。地面スレスレに射たとしても、液状化したそれは阻む事は無い。
浮力を瞬間的に高め、ユラユラと回避をする。上に上がれば速度は落ちるが、この際仕方の無い事だ。上に四穂がいる以上、自分は攻撃出来ず相手も派手に撃てない。
『えぇい、振り落とせんのか。』
「出来るならやっとるよ!」
「えぇ〜、寿子ちゃん冷たいー。」
「やから耳元で喋らんで!」
「だって落とされたくないんだもん。暴れるなら一緒に落ちよ?あ、なんか柔らかい物に...」
『...楽しんでないか、主。』
もう貫いても良いかもしれない。弓を構え、少し上に狙いをつけていく。
『いや、違う。我の成すことは勝利だ。』
少し冷静になり、その狙いを後ろに逸らして放つ。細くなった下半身は回避は易く、掠める程度に留まる。しかし、上下より僅かに移動が遅く、その数瞬は大きい。
四穂が契約者を引き剥がすか、【疾駆する紅弓】が射抜くか、寿子が振り落とすか。どちらにせよ、精霊達は互いに千日手。ミスを待ちつつ繰り返すしかない。
(意外に強かな娘の事だ、あの言動も気をそらす為の物だろう。体力を消耗させ、落とした時。後ろへの転換は間に合わん、鮫より先に我が弓が射抜ける。)
空中の相手程射抜きやすい物は無い。拘束されてはいない物の、その動きは変化できず、予想は易いのだから。
後方を多めに狙い、機動力でも削いでやろうかと何度も弓を構える。視線を感じ、そちらを向けば四穂と目が合った。どうやら、期待には添えた様である。
「そーだ、寿子ちゃん。彼氏さんは?」
「誰やねん、それ!」
「律儀に答えちゃうとこ、ボク好きだなぁ〜。はい、ご褒美♪」
「はい?むぅ〜!?」
唐突に手を放した四穂に困惑し、振り向いたのが運の尽き。肩と首を捕まえられ、口に柔らかい感触が伝わる。
あまりに突然、更に無意識に呼吸も止めた事で、不自然な姿勢は簡単に【浮沈の銀鱗】から離れていく。
『バカものが...!』
『遅い。』
すぐに引き返そうとする精霊よりも速く、番えられた矢が空を切った。




