追い詰める狩人
波紋がアスファルトに刻まれていき、その後ろを蹄が叩く音が続く。弓を放つ為にルクバトが斜めに走る間は距離が開き、真っ直ぐに追い始めると距離が縮まる。
しかし、近ずけば液化した場所に踏み入れる恐れがあり、この距離から矢を放つしか無く。堂々巡りな状況が続く。
『Danger、矢を防げなくなった時が敗北です。』
『我には避けれんとでも言うか、この面隠しめが...!』
『Question、後ろから来る矢を避けるのは至難の業では?貴方が私の様に、敵を正面に捉えれば逃亡できません。』
『えぇい、分かっている!くそ、我とて鈍足では無いと言うのに、なんなのだこの二柱は...!』
霊感も駆使し、直感的に矢を小太刀で弾く【宝物の瓶】の言い分に、納得しながらも憤慨する【浮沈の銀鱗】だが。その速度は緩まるどころか加速し、目的地までの距離をどんどん縮めていく。
狩りの鉄則に乗っ取り、疲労するまでは追い続けるかと考えていた【疾駆する紅弓】も、その気配が見えないと判断し弓を四穂に預け、手綱をしかと握りしめる。
「ちょっと、ボクが持つには大きいんだけど。」
『落とさねばそれで良い、それと落ちるなよ?』
「あ〜...優しくしてね?」
『確約しかねるな。』
弓を持ちながらも、腰にしっかりと手を回した事を確認するや否や、ルクバトを急加速させる【疾駆する紅弓】。
グングンと【浮沈の銀鱗】との距離を縮め、大きく波打つ地面の手前で横っ飛びに跳ねる。そのまま大きなビルの側面を走らせ、上から獲物を睨みつけた。
「うっそ、壁も走れるん!?」
「は、うわ!?ホントだ...」
『驚いている場合か!息を吸え、捕まるんだ!潜るぞ!』
僅かに浮上し反動を付ける【浮沈の銀鱗】、契約者達の様にしっかりと掴まり直す【宝物の瓶】を見て、ルクバトを駆りながら精霊が怒鳴る。
『奴ら、潜るつもりか!弓を!』
「無茶苦茶を言うなぁ!離せない〜、無理ぃ〜!」
『えぇい、貸せ!』
「みゃー!落ちるぅー!」
弓を取り上げて引き絞り、横から射抜かんとする【疾駆する紅弓】。片手で拘束かとばかりに掴まられていようと、その狙いは違わない。
真っ直ぐに伸ばされた腕は、美しい均衡の曲線を弓に描かせ、その矢を標的へと弾き出す。
『通ったか!』
『させんわ、ヌケサクめが!』
潜る寸前、その身を回転させ自らを盾にして地中へと消えていく。ビルの端に到達し、跳ねて道に戻った【疾駆する紅弓】の前で、再び地上に浮上した【浮沈の銀鱗】が泳ぎさって行く。
『...この距離は当たらんか。昨日であれば射抜いてやった物を。』
『あら、うちの主様では御不満かしら?』
「もう、喧嘩してる暇があったら追うよ!ほら、遅くなってる、さっきの矢は効果あったみたいだよ!」
『腹は装甲が薄いか。』
再度、ルクバトを駆りながら弓を引く。しかし距離の所為か、掠める程度で命中とは言えない。
仕方なく距離を詰める事に専念し、弓を背負い直すと両手で手綱を握りしめる。
「ねぇ、このまま追って大丈夫?」
『何がだ?』
「だって、逃げるだけなら地中通ったら良いのにさ。ずっと潜んないじゃん。」
『呼吸が持たんからだろう。追わせたい...というなら、その時は何かする前に射抜く。』
郊外へと離れていく【浮沈の銀鱗】が唐突に潜り、その身を隠す。長くは潜って居られない筈で、今度こそ逃さないと神経を集中させる。
立ち止まった今は流される事も無いと判断し、泡を発生させる【泡沫の人魚姫】の後ろで四穂が周囲の状況を確認する。
「ここ...港?何でこんな所に来たんだろ。」
『さぁな。何を考えていようと、狩りとるまでだ。』
視線を感じ取った瞬間に、振り向きざまに矢を番えて上に放つ。真っ直ぐに額に飛ぶそれを小太刀に受け、精霊が鉄骨の影から姿を表した。
ガントリークレーンから見下ろす【宝物の瓶】は、此方を見つつよく通る声で叫ぶ。
『Conclusion、やはり何らかの探知を持っていますね。狙いから察するに、視線でしょうか?』
『喋る暇があるとは、余裕だな。』
『どうでしょうね。』
瓶を取り出し、その蓋を開けて取り出した物。それを見て、【疾駆する紅弓】は眉間にシワを刻む。
『貴様...舐めているのか?』
『No、有効な手段とは思っていません。』
手にしたアーチェリーに用いる弓に矢を通し、上から射撃する【宝物の瓶】。それは四穂にも二柱の精霊にも当たらず、十数cmは離れた場所に突立つ。
『Jesus...想像より難しいですね。』
『殺してやる...!』
僅かでも勝算を見出す腕さえ無いと判断し、ルクバトから降りた【疾駆する紅弓】が腰を落として弓を引く。
全力で引かれ、深くしなる弓は微動だにせず。ほんの数瞬静止を見せ、次の瞬間には解放される。狙いは過たず、上空のか【宝物の瓶】の額へと突立つ。
『仕留めた...!』
『いや、まだだ!』
すぐに第二射を構える【疾駆する紅弓】に、アーチェリーの矢が放たれる。布の上から額に矢を立てられ、狩衣と顔を覆う白布を風に泳がせる姿は、まるで幽鬼の様で。
淡々と三射目をレストに乗せる【宝物の瓶】に、【疾駆する紅弓】が再び矢を射掛ける。慣れて来たのか、回避して見せた精霊に舌打ちを零しつつ、彼は四穂に叫ぶ。
『気づいているだろう、後ろのもう一人の相手は任せるぞ。』
「さすがに、下から来られると自信ないよ?」
『なので、お二人は上でやり合ってくださる?』
『ふん...死ぬまで射抜いてくれる。』
足下に発生して泡が浮かび上がり、空へと誘われる【疾駆する紅弓】。泡を目掛けて飛んできた矢を射落とし、同じ高さとなった精霊を睨む。
互いに100メートルも離れていない距離、市販のアーチェリーより射程のある、精霊の弓を用いた【疾駆する紅弓】の矢を回避できる距離ではない。
『Danger、撃ち落とします。』
『ふん、やってみろ。』
中身をバラバラと捨て、空にした瓶の蓋を開けて滞空させる。
泡に向け放たれた矢は、全て射抜く。
互いに一撃必殺の状況で、寒空の空気を弓弦が揺らした。
上空の矢が降って来ない事を祈りながら、四穂と【泡沫の人魚姫】は背後の視線へと意識を向ける。
「ねぇ、気づいてるよ?ボク、見られる事にはちょっと敏感なんだ、職業柄ね。」
『...どんな職か知らんが、見世物になる気分は想像出来んな。』
「アルレシャ、言い方。こんばんは...でええよね?」
精霊から少し離れた場所に立つ寿子に、すぐに襲いかかるのも無粋かと挨拶に答える事にした。
「こんばんは、おじょーさん!ボクは華二宮四穂、18才!アイドルやってま〜す。」
「えぇ!芸能人さんなん!?有名人!?」
「だよだよ!」
『おい、今は重要でない所に引っかかるな。第一、有名人で順風満帆に人生を生きている奴なら、ここに居ないだろう。どうせ欠陥品か未熟者だ。』
「ぐふ...刺さる。」
「...ん?遠回しにうちの事、未熟者って言っとる?」
直接的に侮蔑を吐き続ける【浮沈の銀鱗】が、深いため息を吐きながら問いかける。
『くだらん挨拶も、腹の探り合いも、グダグダした推理ごっこも飽き飽きだ。噛み砕くのか、否か。それだけ決めろ、小娘。この場には口煩い夜道怪もいないのだからな。』
「やけん、乱暴なのは嫌やって言いおるやん...しつこいなぁ。」
『貴様...!未熟者の唯一の利点は、環境に馴染みやすい事では無かったのか...』
「何調べなん、それ!?」
自分の精霊と喧嘩をする少女に、毒気を抜かれた【泡沫の人魚姫】が四穂を慰めながら問いかける。
『此方はどうしますか、主様。』
「ん〜...どうしよっか?正直さ、君であの精霊どうにか出来るかな?」
『そうですね...負けはしませんわ。私も泳げますし、あの牙なら甲殻で防げるでしょうし...でも鱗は、どうでしょう。分かりませんわ。』
「だよね〜...」
相談と言っても、この距離。隠す気も無かった二人の声は、しかと【浮沈の銀鱗】にも届く。
『やはり喰って良いか?我に噛み砕けん物なぞ...』
「せやから待ってって!説得!話し合い!」
『それで何か解決するならやってみるが良い。』
「ボク、結構ガンコ者らしいよ〜。」
「誰一人として味方がおらんのやけど!」
寿子の絶叫に、煩わしげに浮力を弱めて潜る精霊。そんなコンビを見て、四穂は可笑しそうに笑う。
「ははっ、【疾駆する紅弓】も大概だけど、我の強い精霊ってやっぱり居るんだね。そんな、喧嘩みたいなのもするんだ。」
「ほら、笑われとるで、アルレシャ。」
『他人の所為にするな!貴様もだ、たわけ!』
きっと手があれば叩いていただろうと言う態度で、不機嫌に言い返す【浮沈の銀鱗】。ひとしきりに笑った後で、四穂がその佇まい直すと共に、精霊も視線を戻す。
「まぁ、とにかく。これは勝負なんだ。恨みっこ無しで行こうか?」
『本性を表しおったか。』
「夢ってね、競い合う以上は誰かの屍の上にあるんだよ?ボクもそれから逃げようなんて思わないさ。」
『小娘、だそうだが?』
「う〜...そんなん、うちだって知らん訳でも無いけど...あー、もう!こうなったらやるしかないやん!うちだって負けられへんからね!」
隣と正面から詰め寄られては、流石に反論を通す気も起きず。半ばヤケクソになりながら宣言し、【浮沈の銀鱗】に跨る。契約者との距離があまり離せない精霊だから、というのもあるが。
「潜って、喰らって!【浮沈の銀鱗】!」
『無論だとも!』
地中という安全圏に常にいられるから、というのが大きい。潜られている間は完全に手出しが出来ず、寿子の肺活量では推測して攻撃も難しい。潜水時間の長さは、そのまま選択肢の多さになるのだから。
ひとまず、襲われるにしろタイムラグを作るため、四穂と【泡沫の人魚姫】は泡で浮遊する。猶予時間もまた、対処のしやすさに直結する。
「まずは契約者、狙えなければ鱗。ダメならお腹、届かなければ口内。OK?」
『承りましたわ。』
「うん。頼んだよ、【泡沫の人魚姫】!」
服のように纏っていた甲殻を右腕に集め、巨大な鋏を構える精霊は地面を見つめる。ほんの一瞬でも揺らいだ瞬間、確実に勝利を掴む為に。




