射手の狙う的
現在時刻、23時。
残り時間、3日と8時間。
残り参加者、???。
落ちていく九郎と三成に、届かないと分かっていても手を伸ばさずにはいられなかった。自分よりも遥かに近い【疾駆する紅弓】が、とっくに諦めていたのだから。
手を伸ばす変わりに弓を取り、下に狙いを定める精霊。しかし、聞こえてきた数発の銃声と共に、ガクリと膝を着く。
『ぐぅ...』
「まさか、当たって?」
『いえ、これは...離れた方がよろしいかもしれませんわ。』
甲殻を更に前に集中させ【疾駆する紅弓】の出方を伺う精霊に、四穂は何を警戒するのかと疑問に思う。しかし、その答えはすぐに訪れた。
『何故、我を置いてくたばりおった...あの老いぼれめが!』
乱暴に弓を叩きつけ、怒りを顕にする精霊。危険だと判断するのも頷けた。しかし、その言葉の方が、四穂には引っかかった。
「ちょっと!そんな言い方ないじゃん!」
『貴様...小娘。何を思っての言だ、それは?』
『あら、主様?抑えて!』
制止する【泡沫の人魚姫】から飛び出し、正面から睨みつけながら四穂は更に言葉を投げつける。
「クロさんがあぁしてくれたのは、ボクが狙われたからじゃないか。なのにクロさんを責めるのは違うでしょ!」
『貴様は頭が沸いているのか?我の怒りこそ、まさにそこだ。』
おもむろに弓を構え、【泡沫の人魚姫】の甲殻へと紅い矢を放つ。驚愕しつつも、それを上へと弾きあげた精霊を示しながら、【疾駆する紅弓】は叫ぶ。
『この我の矢で穿てぬ盾の奥にいる貴様と!あろう事か理想を掴まんが為の道具である我を!奴は弾丸で撃たれた体で庇おうとしたのだ!最後の最期まで、好き勝手に、我を振り回し!あまつさえ先に逝きおった!遺された精霊の運命なぞ、知っておろうに!我を、そしてこの儀式を!奴はくだらんと踏みにじり、誇りを埃の如く扱ったのだ!!』
凄まじい剣幕で捲し立てると、疲れ果てた様に座り込む。
『我の存在意義を、在り方を侮蔑した。奴の生き様の前では、そんなものだったという事だ。我も、そしてこの儀式さえも。』
「...でも、クロさんは最後に言ってたじゃないか。」
『何を?今更、我に為せる物があるとでも?契約者を失い、記録する理想も消え、儀式より爪弾きにされた我に。我の戦は既に潰えたの』
「勝てって、そう言ってたじゃないか。」
遮る様にして、九郎の言葉を思い起こす四穂の顔を、【疾駆する紅弓】はボンヤリと眺める。
『勝て...だと?』
「主君じゃない、だから負けてないって。あの人、最後まで君の事を相棒って呼んでた。道具だとか儀式だとか、きっと思ってない。君の勇姿を見たかったんだよ。」
『我の勝利条件こそ、我が主の勝利そのものだ。主の消えた今、どうしろと言うのか。』
「きっとクロさんなら、主なんぞ自分で良かろう、とか言うと思うな。ボクの予想、違ってると思う?」
『...いや、そうかもしれんな。あの老いぼれの言いそうな事だ。』
泣きそうな目をしながらも、不敵な笑みで此方を見る少女を前に、塞ぎ込める男がいるだろうか?少なくとも【疾駆する紅弓】はそうではなかった。
立ち上がり、弓を取った彼はそれを四穂に押し付ける。ズシリとした重みを腕に感じている彼女に、彼は跪いて口上を述べた。
『我の弓は、主の夢が為に引かれる。《我、【疾駆する紅弓】の名を揚げて問う。契約を交わすか?》。』
『ちょっと...お待ちなさいな!』
『なんだ。』
不機嫌そうに立ち上がり、【泡沫の人魚姫】を見やる精霊に、彼女は睨みつける様に泡の上から見下ろした。
『精霊の契約は、自らの感情と気性を分け与える物。二体も同時に出来るとでも思いますの?』
『覚悟を見せて貰わねばならん。』
『それに、私は水の活動宮、貴方は火の柔軟宮。相性が悪いでしょう?』
『決めるのは精霊では無いと思うが?』
『それは...!』
自らの契約者に視線を移す【泡沫の人魚姫】に、四穂は振り返って笑いかけた。
「なんとなく、大変なのは分かったよ。でもさ、クロさんはボクの事を応援してくれた。だから、次はクロさんの相棒をボクが応援する番だよ。」
『...分かりましたわ。ですが、何かあればその精霊、私が始末致しますわ。』
『言われずとも、契約者を危険に晒す真似はしない。さて...《我、【疾駆する紅弓】の名を揚げて問う。契約を交わすか?》。覚悟は決まっているのだろう?』
「勿論。ボクに任せてよ!」
答えたその瞬間、彼女の太ももに焼き付く様な痛みが走り、そして消える。二度目の現象に、確認するまでも無くそこに紋様が刻まれたのが確信出来た。
中々に儀礼的な物を好む精霊に合わせ、肩にそっと弓を当ててからそれを返せば、【疾駆する紅弓】は満足気に受け取った。本来ならば騎士剣だが、そこまで細かい拘りはないのだろう。
『主様、体調は?』
「ん...ちょっとクラクラするけど、平気平気!」
『契約の代償もあるだろうが...目の前で人が落ちたのだ、慣れていなければショックもあろう。』
『どういう風の吹き回しかしら?そんなに気遣いの出来る人でした?』
『ふん、主であれば配慮するなど...主?』
顔を青くし、嘔吐く四穂。すぐに抱き上げ、泡に載せる【泡沫の人魚姫】に彼女は笑みを浮かべて例を言った。
「ありがと、ちょっと思い出しちゃって...」
『数秒で忘却できていたのか...いや、無理に気を逸らしただけか。』
『言葉といい契約といい...気遣いなどやはり無縁ですね。』
『そう睨むな、反省はしている...下の部屋に戻っていろ。少しでも同じルーチンの中にいた方が良いだろう。ここは我が見張っておく。ついでに、後始末もな。』
下の方から聞こえる救急車の音に、精霊は見下ろしながら呟く。
「そうするよ...後、お願いね【疾駆する紅弓】。」
『精々、関係者だとバレんようにな...しっかり休むといい。』
「はーい...」
顔も見せず背中越しに語りかけてくる【疾駆する紅弓】に、無礼だと憤慨する【泡沫の人魚姫】に連れられて四穂は階下に降りていく。
状況を見れば、すぐにここからの転落だと分かるだろう。これ以上、騒ぎが起きて巻き込まれるのは、四穂の精神に良くない。そう判断し、救急車を射抜く事はやめておく。
『さて、片付けておかねば...いや、変に綺麗なのも不自然、か?』
人の文化を考えつつ、どうするのが正解かを探っていく。しかしそこで、ふと彼の脳裏に考えが浮かんだ。
(この血糊...下に垂れていっている。不審に思えば、下を覗くだろうな。)
ちょうど、自分がしていた様に。そして真下は三成が潜み、拳銃を発砲した場所。
(まるのまま、利用出来るやもしれん。覗き込んでくれるなら、壁に張り付かずともベランダに居れば十分か。存分に弓を引ける。)
であるならば、ここに人が来ることが前提だ。整理されたり封鎖されたりしては面倒であり、事件性ありとされたくない。
ならば、現場を偽装してやれば良いだろう。屋上に出る扉を外から開かないようにしてやり、一つ下の階のベランダの窓を開けてやる。後はそこの部屋から、廊下にでて微妙に扉を開けたままにしておいた。
『これだけの事が起きているのだ、些事はさっさとすませたかろう、この程度でも問題ないか。』
少しばかり室内を荒らしてやり、自分は霊体化して九郎の部屋へ行く。出たのは数刻前、その時と変わりない室内を見渡して、彼は九郎の携帯を手に取った。
『...まったく、あそこまで自信に溢れていた癖に、いち早く脱落とはな。本当に...情けない限りだ。』
今にも顔を出すのではと、窓に目をやって椅子に腰掛ける。割れたランプを片付けてなかった事に気づき、それをさっさとかき集めた。
掃除を終え、戸締りをし、霊体化して待つことにしようとし...この部屋はもう使わない事を思い出した。すでに日も変わり、朝日も拝むのが近い日付である。
『どれだけ存在を刻みつけるのか、まったく...貴様の消えた戦の、なんと味気なく思える事か。』
ため息を一つこぼし、その部屋を出た精霊はその足で隣の部屋に赴く。ノックの返事を聞き、入った先では新たな小さい契約者が眠っていた。
枕元に浮いた泡に腰掛け、此方を睨む精霊に断りを入れずに椅子に座る。間取りは同じ、勝手知ったる我が家、という訳である。懐から紙幣を取り出し、精霊に預ける。
『奴の財布から、いくらか預かって置いた。数日ならば持つか?』
『私に聞かれましても...というより、ここから離れませんの?』
『ここまでの好条件も少なかろう。狭く長い廊下、高い地形、そして貴様の...失敬、お嬢の泡があるなら、防衛が易い。』
『貴方の弓に向いている、と?』
『端的に言えば、そうなる。』
弓弦を張り替えながら、彼はそう締めくくった。これ以上は会話の必要がない、という態度に連絡事項の終了を感じた【泡沫の人魚姫】は、濡らしたタオルを絞って四穂の額へとかけ直す。
ショックか、契約の代償か、疲れか。はたまた全てか。発熱のある四穂の寝顔はいささか苦しそうだ。
『...その様であれだけの大口、よく叩けた物だ。』
『それに救われたのは何処の不器用射手でしょうね。』
『反論したい所だが、そうも言えんな。しかし...そいつは笑って無いと死ぬのか?』
「いやぁ...目が覚めちゃったから。」
『主様、起きてらしたんですの?』
「ごめんね、運んで貰っちゃって。ありがと。」
『ヘラヘラする体力があるなら、少しでも回復に回せ。我らの動きに、引いては主の安全に関わる。』
立ち上がろうとする四穂をベッドに押し倒し、【疾駆する紅弓】は弓を背負って部屋を出ようとする。
「どこに行くの?」
『この騒ぎだ、ここに来るものもいるだろう。それを仕留める。我は契約者と距離があろうと、そう出力に変わりはない。主はここで休んでいるといい...安心しろ、我は勝たねばならんのだろう?』
「うん...お願いね、ボクの騎士様?」
『ふん...任されてやる。』




