~happy birthday to ♓~
波の音が鳴る。朝日が差し込み、海面を煌めかせる。
水を割り進む船。はしゃぐ子供の声。水底から浮かび上がり、少女はそれを眺める―――
中学生として、最後の夏休みも終わり。はしゃぎ倒して疲れた彼女は、新学期早々に突っ伏していた。宿題の一つも終わっていないまっさらなノートは、居残りの運命を告げている。
「お、終わった...」
「だから真面目にやりやって言うたやん。」
「居残り仲間に言われとうないけんね!」
「お前ら、帰る気ある?それとも先生へのイジメ?」
黒板に書いた式を何度も叩きながら、嘆く様に担当教師が叫ぶ。慌てて書き写す物の、意味はさして分かっていない。それでも、とりあえず公式さえ覚えておけば点は取れる...筈だ。
「なぁ〜んで力と時間を掛けてんだ!力と距離だって!」
「だって距離がどれか、分からんのー!」
「回るとこ、その中心だ。どこから持ってきた数字だ、これ...重りどうしの距離か。そこじゃ無いんだ...同じ数字掛けたら、重い方が下に下がるだろう...?」
全員で精神年齢の低い会話を繰り広げていると、外から聞こえていた吹奏楽部の演奏が消える。時間は既に6時を回った様だ。
「あぁ...今日も間に合わねぇ...」
「先生、ドンマイ!」
「明日ガンバろ?」
「頑張るの、君達だからね?なぁ、受験生?」
早々に逃げ出す生徒に、深く溜め息を落とす教師。そんな彼には目もくれず、皆が昇降口に行く。
「興味も無いんに、覚えられんって〜。分かる?」
「分かる。もう分からんもん。」
「分かるのか、分からないのか...」
バカな会話を投げかけ続け、友人と笑い合い。高校受験が〜と騒ぐ。あまりに平凡で、繰り返される日常。
波のさざめきを聞き流しながら、皆と別れた後の少女、宇尾崎寿子は沖を見る。測量の為か、何隻か見慣れない船が動いている。
(ウチらの海やのに...)
不満げに口を尖らせ、家の扉を開け放ち、嫌な気分を飛ばすように大声を張り上げる。
「ただいまぁ!」
「あ、バカ姉が帰ってきた。」
「バカってなんやの、バカって。」
「いててて!だってバカじゃんかよー!」
今年で小学校になった弟の頭を、ギリギリと締め上げる。抜け出して逃げる弟に、舌を出していると頭をしばかれた。
「何してんだ、玄関で。」
「あ、パパ。」
「お姉がイジめる〜!」
「そっちが先に言い出したやんか!」
「ハイハイ、落ち着け。二人ともゲンコツか?」
「「ごめんなさい!」」
姿勢を正す姉弟に、早く入れ〜と促す父親。ケタケタと笑いながら走り去る弟と、靴を脱ぐ寿子。そんな寿子に、父親が話しかける。
「そういや、今日は遅かったな。」
「あ、いやぁ。ハハハ...」
「ん〜?なんだ、先生からまーた残されたか?」
「ママには!ママには内緒に!」
「ったく、バレて怒られるのは父さんなんやぞ。勉強が全てとは言わんけどな、出来たら得するぞ。」
「はーい。」
生返事を返すと、寿子は自室へと駆け上がる。制服から着替え、明日の教科を確認して鞄に詰め込む。
すぐに降りて行くと、料理を並べる母とゲームをする弟がいる。
「あら、お帰んなさい。手ぇ洗った?」
「まだやけん、洗ってくる〜。パパは?」
「外で一服しちょーよ。」
「またぁ?」
「一日一回やん、多目に見たりぃ。」
絶対、仕事中にも吸ってる。そう思いはしたが、口に出すほどでも無いと切り替える。
手を洗って、配膳の手伝いをしていると、父親も帰ってくる。
「お前は手伝わんのか。」
「これ終わったら〜。」
「いや、パパもね?」
「父さんは片付けするっちゅうて決めとるの。」
「聞いてないんやけどね?さ、食べよーや。」
クスクスと笑いながら、席に着くようにうながす母親に、二人とも席に座る。
「あ、あとちょっと!」
「なんで今始めたんよ。」
「父さんが全部食べるぞ?」
「はぁ!?...分かった、止める。」
「いや、止められるん?」
最初から止めれば、等と喧嘩をしつつも、食事に手を伸ばしていく。しかし、そんないつもの日常も、いつまで続くかは分からない。観光客を集める為、埋め立て工事の計画が進んだのだ。
彼女の父親は沿岸漁をしている。毎日のように海に出て、定置網漁で港に魚を卸している。回遊する魚を追い込むこの漁は、環境的には長く続くが魚の生態と沿岸の環境に左右される。
「来年は高校生...になれとるとえぇけど。」
食後、自室でペンを回しながら、寿子はそんな風に呟く。自分の成績もだが、家の収入も不安があるのだ。
とはいえ、自分に何が出来るでも無く...何事もなく日々を過ごす事になった。町の働きかけで、計画は遅れてはいるが...立ち消えになったという話は聞かない。
「寿子〜、おはよ〜?」
「うん、おはよ。何かあったん?」
「んぇ?なんで?」
「いや、鞄...」
「あ、忘れた〜。」
「えぇ...」
なんとか高校には受かった物の、中学には無かった留年という危機と戦いながら、高校生活を続ける。船に揺られて通い、眠気に抗いながら勉学に励み、部活動で泳ぎ体を動かす。
そんな中、遂に埋め立て工事の開始が決定された。開始は年末、実行されれば沿岸での漁は難しく、先祖代々の貯蓄を切り崩す事になるだろう。
友達と話しながら教室に入れば、今日も騒がしいまでの活気が教室にはある。誰かの机に集まる者達、窓辺でボーとする者、走り回る者、本のページを巡る者。
そんな中を道を探りながら机にたどり着き、早々に席につく。いつも、朝はギリギリに登校する事が多いのだ。
「おーい、先生来たんだから座れ〜!出欠は...田辺はどうした?」
「あ、腹壊してトイレ行ってま〜す。」
「お前らがストレス与えるからだぞ〜。」
「それは冤罪っすよ!」
生徒達をからかいながら、名簿にチェックを終えた教師が号令を促す。
今日も、一日が始まる。
そんな毎日。中間考査で努力の証を見せつけ、調子に乗って期末で順位を落とした夏休み。
母親の雷をくらい、夏休みの宿題をマトモにこなす事を決意した年だった。さて、残りは読書感想文とレポートだけだと言う時。
「バカ姉、この漫画の続きは?」
「アホ弟、そこの4番目やんよ。」
「アホちゃうし。」
「バカやないよ。」
パラパラと漫画を読む弟に、宿題やったのか、等と自分の巻き添えをかまそうとした時、スマホにメールが入る。
「ん?誰やろ。」
「オッパイでけぇ姉ちゃん?」
「アホ。だとしても家には呼ばんわ、エロガキ。」
「ちぇ〜。」
覗き込んで来た弟を蹴り離しながら、メールを開く。送り先は見た事のないアドレス(メールアドレスなど記憶してはいないが)、そしてタイトルは妙な文句。
そこには、『勝者に願いを叶える権利を』とだけ題され、十二のルール等と言う如何にもな物が記されたメール。軽く読んで、頭を?で満たすとそのメールを閉じる。
「何やったん?」
「イタズラ?」
「なんや、つまんね〜の。」
すぐに漫画に戻る弟を後目に、課題図書へと目を戻す。眠るのに、数分とかからなかった。
目を覚ますと、弟はとうに部屋から撤退し、ページのひしゃげた本が枕になっていた。
「あちゃ〜...閉じて重し置いとったら直らへんかなぁ。」
とりあえず後回しにするかと、ページを丁寧に伸ばして辞典を上に載せておく。一階からいい匂いがし、夕飯の支度を手伝おうと思い立って下へ降りる。
「ママ?なんか手伝えへん?」
「ん〜?ありがたいけど、宿題終わったん?」
「息抜きも大事なんよ。」
「そういうのは、やってる子が言うんよ。まぁでも、今年は頑張っとるみたいやし、お願いしよかな。」
「じゃ、ウチがワタ取っとくけん。」
鱗が剥がれ頭の落とされた魚のワタを取り除き、三枚おろしにしていく。二人で処理をしていると、玄関から大きな声で弟が帰宅を告げた。
「ただいまー!めっちゃ船いたぁ!」
「釣りに行ってみたが、イマイチだったわ。」
「おかえりなさい。ご飯出来るけん、手ぇ洗ってきぃね。」
今日は出港しなかった父も、大きなバケツの中の収穫に不甲斐なさげだ。
刺身にし、醤油にワサビを溶かして、よそったご飯を温める。紫蘇の歯で彩り、配膳する頃には弟は食卓に座っていた。
「パパは?」
「外〜。」
「またぁ?」
割とすぐに帰って来た父親からは、煙の臭いは無く。少し不思議に思いはしたが、気に止める事も無く家族四人で食事を取る。
この時間が一番好きだ。談笑しながら、父の取った魚に、母の調理した魚に舌づつみを打つこの時間が。
その夜。トイレに起きた彼女は、両親の話を聞いた。これが続くなら、漁師として続けるのは困難であると。引越し、転職、そんな話が出てくる。
生まれ育った街を、出たくは無かった。大好きな海を、離れたくは無かった。そして、布団の中で考えた時...昼間のメールを思い出し、それを開く。
「願いを叶える...権利。」
日付と時間を確認し、カレンダーを見る。その日は日曜日。場所を見て、行けると確信する。
怪しさしか無いメールだが、止める方法は他に思いつかなかった。離れたく無い。その一心で、寿子はそのメールに賭ける事にした。
肌寒くなって来た季節、上着を着込んで船に乗った寿子は、普段は足を運ばない島へと来ていた。早朝、まだ一般の船が出ていない時間で、人も居ない。
「ホントにこんな所でゲームするん?」
「えぇ、そうです。もっとも、かなり特殊ですが...」
「特殊?どんななんやろ...?」
首を傾げる少女には目を向けず、船を操っていた男は背を向けて船に乗り込む。
「それでは二十四時間後に再び送り届けますので。ご健闘をお祈りしています。」
「あ、ありがとうございます。」
相手の丁寧な態度に引きづられ、背筋を伸ばして礼を返す。
貰った地図で林の奥に入れば、関係者以外立ち入り禁止の施設の中に、カプセルとでも言える円柱がコードに繋がっていた。
「これに入るんよね...よし!」
その先が地獄とも知らず、彼女は足を踏み入れた。




