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精霊舞闘会~幾星霜の願い~  作者: 古口 宗
第三章 舞踏にして武闘
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~happy birthday to ♑~

 父は、愛の深い人だった...刹那的に。

 母は、愛の深い人だった...依存的に。

 私も、愛の深い人だった...怪物のように。




 父の病院には、何度か訪れた事がある。子供ながら、大きく立派な所で働く父を、愚かにも誇らしく思ったものだ。

 父は、医者としては立派だったのは、紛れもない事実である。だが、父親としては立派とは言い難かった。


「お父さんは凄いのよ。」


 母の口癖である。自分への暗示でも呪いでもあったそれは、いつしか登代も蝕んでいった...という訳ではない。そんな言葉なぞ無くとも、彼女はその呪縛を受けていた。

 母と居るだけで、父が誇らしく、愛しく感じられた。つかの間の快楽、刹那的な幸せ。それは、幼稚園に入って発覚した。


 家にいることが多かった。その為に、困る事も無かった。初めて味わう人混みに、彼女の脳内は渋滞を起こす。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。期待、不安、倦怠感、虚栄心。ありとあらゆる感情を、一度に()()した彼女は、フラリと意識を手放したのだ。


「特に異常はありません...人混みに酔ったのでしょう。穏やかな性格のお子様は、稀にそういう事もあります。徐々に慣れていくと思いますよ。」


 父の知り合いである医師は、そう結論付けた。幼い子供にとって、空気を読んで頷く事は珍しくもなく、彼女の診察風景はまさにそうだったからだ。


「精神科に行くことになるとは...より一層、気を付けていかねばな。」


 父は手始めに、環境を変えた。娘が何か、思い悩む事でもあったのかと考えたからだ。急な引っ越しではあったが、前々から話しはあったらしく、職の方は問題無かった。快適な暮らしになるよう、父は尽力してくれた。

 母は娘の為に、新しい関係を築くのに尽力していた。人当たりが良く、子供にも好かれる母親として努めたのだ。おかげで、登代は友人関係で困る事は無かった。優しいおばさんと、その娘。そんな印象だったからだ。


「おはよー、とよちゃん。」


 幼子特有の、少し舌足らずな挨拶をくれる親友も、早くに得られたのは大きいだろう。隣の大きな家、そこの一人娘。

 とてもしっかりしていて、優しく強い女の子だった。父と会うと、嬉しそうだったのを記憶している。年上の男性が好みなのかと、マセた感想を抱いたものだ。


「おはよう、弥勒ちゃん。登代のこと、お願いね。」

「おはようございます、まかつさん。まかせてください!」


 引っ込み思案だった登代は、彼女に連れられて色々な経験が出来たのは、間違いない。

 だが、それは常に多くの人と合うと言うこと。彼女がその危険に気付いたのは、小学生も終わる頃だった。




 その事件は、劇的だった。それまでも、喧嘩をしたり泣きすぎて倒れる事はあったが、これ程までに彼女を傷つけた事件は無かった。

 それは、父が珍しく機嫌が悪い時だった。登代が、学校で一人の女子生徒と衝突したのだ。嫉妬に狂うように突き動かされた両者だったが、些か不自然なもので。登代には、羨むような動機が一つも無かったからだ。

 ただただ、感情だけが沸いた。それを不可解と思うには、それはあまりに当たり前に、登代の元にあった。


「何故こうも毎日、喧嘩になるんだ...!」

「毎日じゃ無いわ...優しい子よ...」

「訳が分からない。男の取り合いで?小学生だぞ。」

「落ち着いて、あなた。」


 後で知ったのだが、父の同僚が不倫騒動を起こして、問題になったらしい。そのせいで、この話題は神経を逆撫でにしたのだろう。

 だが、登代はその男子と話したことも無ければ、特徴といった物も対して記憶してはいなかった。その態度と言い分が、後ろめたい事を隠している様で、余計に父を怒らせた。


「登代!何故そんな事をしたんだ!」

「...ごめんなさい。」


 激しい怒りの感情。失望や心配ではなく、不機嫌と困惑。それが顔に出てしまったのか、父は余計に猛る。

 ぼんやりと、思考が真っ赤に染まっていく。ふと、気付いたときには手が動いていた。


「...あなた。」

「っ...部屋に戻っている。」


 赤くなった父の掌と、自らの腕。全くの同時に手が出ていた。後悔の念が押し寄せる中、父が去った後には恐怖だけが残った。

 体が震えだす登代を、母がそっと抱き締める。その日から、父は家に帰らない日が増えていった。




 小さな日常と、言いきってしまえば、それまで。しかし、この一件を皮切りに変わって言ったのは確かだった。

 父の、大人からの暴力。そして、その直前の身を焼くような怒り。その日から登代は、人を避ける様になる。精神も成熟し始め、一人の時間の増えた彼女は、疑問を持つようになった。


(私は...変わりすぎては無いだろうか?)


 本、映画、SNS。そういった物から感じられるのは、人の持つある程度の一貫性。

 初めは多重人格も疑ったが、あまりピンと来ない。父親には既に、相談出来る仲では無かった。


「登代、ここに居たのね。」

「ごめんなさい、弥勒。せっかくだけど教室には」

「私もサ~ボり。ねぇ、何を読んでいるの?」


 9年も続く友人関係は、冷める事は無かった。真面目で芯のある彼女だが、少しばかりのワルさはするものだ。

 付き合わせたからか、罪悪感を抱きつつも、温かい気持ちになれる。だが、何故か彼女を心配するような心地にもなった。


「今日は疲れたかな~って。登代って、ちょっと共感性が強いから...ほら、皆テスト明けだし。」

「共感性...?」

「うん、誰と話してても、自分の事の様に怒ったり笑ったりするでしょ?私は、そこまで親身になってあげられないもの。」


 彼女も十二分にお人好しだが...しかし、その一言が、彼女のそれからを決定づけた。それが、良かったのか悪かったのかは、誰にも分からないが。




 それからの彼女は、非常に容易に生きる事が出来た。少し冷徹とも取れる程、感情に蓋をしたのだ。

 己の感情が分かるのは、一人の時だけ...それ以外の時を、他人の感情だと閉め出して、蓋をしたのである。

 人よりも、異常とまで取れる程強い共感性。それは、もはや読心術の域。母の溺愛する父を警戒しきれないのも、それのおかげだろう。母から離れれば、ステータスを常に意識し、家族から心が離れていっている父を、愛する事は難しかったのだから。


「行ってきます。」

「えぇ...行ってらっしゃい。」


 ぼんやりとする事が多くなった母に挨拶をし、彼女は学校へと向かう。自分を通して、見ているのは父親の影。薄まるどころか、日に日に焦燥感さえ帯びる愛に、登代は執着といった感情を学んだ。

 ずっと、ずっと蓋をして。多感な年頃の彼女が、気付かない間にボロボロにしていた精神は。休まるのは一人になれる、ほんの短い朝の時間である。


「あら、猫...珍しい。」


 此方を見つめる愛らしい姿に、つい微笑んでしまう。


「登代、何を笑っているの?」

「っ!?」

「猫ちゃん?ここでは珍しい...迷い猫かしら。」


 常に穏やかで、また今の落ち着いた心境と近かったからか。久しぶりに、人の接近に気付かずに驚いてしまった。不思議そうに覗く彼女に、曖昧に笑いかける。


「皆には内緒よ?」

「ふふっ、登代は恥ずかしがり屋さんね。」

「そうかも。」

「...うん、そうだよ。」


 少しの悲しみ。小さな騙し合い。長い付き合いだ、お互いに筒抜けなのは分かっていても、どうしても一歩は踏み出せない。

 もし、この時。登代の抱えた闇を弥勒にぶつけていたら。

 もし、この時。弥勒が踏み込んで登代にたずねていたら。


 こんな事には、ならなかったのかもしれない。



 こんな...事には。




 その日、帰った登代を待ち受けていたのは罵倒だった。


「だから、俺にどうしろって言うんだ!」

「お願い!離れないでぇ!もうあの女の元には」

「何処でそんな事を聞いたんだ!」


 扉を開けた瞬間、胸中に溢れるのは怒りと憎悪。愛は、易く反転し、憎となった。不安や悔しさよりも、相手を負かし縛り付けたい所有欲求、認められ、逃したくない承認欲求。

 複雑怪奇な感情が、成熟しきっていない登代の心を、あっという間に埋めつくす。咄嗟に蓋をして、無視をしようとするが...流れ込んでくる他人の感情だ、自分の物では無いのに、制御できる筈もない。

 たとえ自分の感情だろうと、完全に制御できる人間がいるだろうか?いや、いる筈もない。そして、父と母も例外ではなかった。たった一つ、不幸があるなら。父の愛は完全に冷めていた。それだけだろう。


「あなた!」

「喧しいぞ、ヒステリック野郎!」


 明確な殺意。邪魔な物を片付けるだけの行為。あまりにも刹那的だが、あまりにも強い感情。

 それを実行しないほどには、理性が残っていた父親。だが、側にいた余裕のない、一人娘は違った。既に一杯一杯だった心は、瞬間的なそれに全てを持っていかれた。


「あぁ!!!」


 人の事切れる音を、初めて聞いた。メスの切れ味が、肉を裂く感触も。そして...登代は気を失った。




 記憶の中では、人を埋める自分がいる。だが、その時の事は、まるで意識に無く。気が付くと、車に再び乗り込んでいた。


「...あ、私。怪物だ。」


 人の感情に振り回される、恐ろしい実行者。人の身で、何人もの感情は押さえられない。離れなくては、人間から。

 疲れと、困惑。外で煙草を曇らせている父親の感情なのか、自分の感情なのか、判断も出来ないものがぐるぐるとする。


(悲しみ...これは、お父さんのだと良いわね。)


 でなければ、母が浮かばれない。殺しておいて何を、と自嘲する。もう、出ていくしかない。早く、早く、早く。


(...電話。)


 もう使わないであろう、文明の機器。それを見て、ふと親友の事を思い出した。

 数回のコールの後、すぐに彼女の声は聞こえた。


『もしもし、どうしたの?こんな夜中に。』

『声?何かあったの?...登代、泣いてる?今から会える?』

『お母さん?おばさんに何かあったの?登代!』

『出来るわけ無い!登代!』


 一方的に捲し立てた事は、もう覚えていないのに。弥勒の声は頭に残っている。会っても無いのに、心が安らぐ様だ。どうやら立派に母の娘らしい。


「ごめんなさい...母さん、弥勒。」


 音を立てない様に、彼女は扉を開けて。叩き壊した携帯を捨て、すぐに夜闇に走り出した。

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