潜伏
「今の所は大丈夫そうだね...ピトス、警察は?」
『Report、丑寅の方角に確認。』
「なら、少し左にずれようか...頼むよ。」
屋根の上を、軽々と飛び越える【宝物の瓶】は、トランシーバー越しに真樋に答えている。
瓶を持つ彼には、少し失敬するくらいなら簡単で、年の割にはお高い物を持っている。
「ね、天の邪鬼なお兄さん。」
「だから、ゴメンってば。」
悩んだ末の答えを、更に悩ませる様な発言をした真樋は、彼女に親切(真樋基準である)はしないと誓いながら、先を促した。
「そろそろ、名前くらい教えてーな。ウチは機動力、お兄さんはナビゲート。話すにしても、お前とか君って呼ばれるの嫌やん?」
「...でも、君の名前を知らない。」
「さっきから何回か言うとーよ!?宇尾崎寿子!いい加減覚えて!」
振り向いて叫ぶ寿子に、真樋は顔をしかめる。
「名前を覚えるの、苦手なんだよ。偉人の名前も空白で出すこと多いし。」
「テストの話!?そんなにウチに興味ないの!?」
「いや、学問に興味持ってあげて?」
学生の会話を、こんな所でするとは、二人とも思っても見なかった。だが、人気が少ないのもあり、意外に暇なのだ。
精霊も姿を隠す事なく動いている。警察の出動の影響だろうか?あまり日本らしさを感じない程の、圧倒的な連帯感と影響力である。
「しかし、武装集団に近いね...舞台を壊してのゲームは、想定から外れるのかな?」
「どういう事?」
「都合が悪いプレイヤーは、排除対象って事。」
落ちそうになりながら、真樋は簡潔に疑問に答えた。落ちれば地面に生き埋めである、それは嫌なので鱗を剥ぐ勢いで、しっかりと掴む。
(しかし...何かのテストの可能性が出てきたな。まぁ、上の意向なんて知らないけど。)
自由にさせるというよりは、誤作動の確認といった意図を感じる。精霊という決まった武力、特定の行為を禁止する抑圧的組織、限られたフィールドと時間。
果たして、システムなのか人間なのか、観察の対象は知れないが...甘言に釣られて来た身だが、このゲームの目的に思考を巡らせる。
「...と思うんよ。」
「え?」
「聞いて無かったん!?」
「あ、ゴメン。考え事してた。」
器用に後ろを向いて座り直す彼女に、真樋は簡易的に謝罪した。そんな真樋に、寿子はもう一度説明する。
「ほやから、このまま移動するにしても、ずっと泳ぐ訳にもいかへんやん?どこか良い場所無いかなぁって相談よ、お・兄・さ・ん?聞こえた?」
「そんなに近づかなくても、聞こえるよ。そうだな...場所か。」
歩き回った限りの地理を思い浮かべ、真樋は良いと思う場所をピックアップしていく。
「うん、ここからなら。西の方に民宿がある。今は空いてるけどね。」
「何でなん?」
「惚けた様に、旅行に行ったんだってさ。針治療でも受けたんじゃ無い?」
のらりくらりと、受け答えを流しながら。真樋は己の精霊に命じる。
「ピトス、C地点の確認と道の確保。」
『Roger、五分間お待ち下さい。』
上の方で、翡翠色の霧となって霊体化した精霊を見届け、真樋は下の【浮沈の銀鱗】に告げる。
「このまま、まっすぐ。...いや、少し南へ。」
『何故だ?北西を目指すのだろう?』
「精霊の気配だ...これは、牡牛座?遭遇していない精霊だな。」
不安の色を表す真樋に、いつの間にか前に向き直っていた寿子が、振り向いて訪ねる。
「牡牛座って、あの牛?」
「他にあるなら、教えてくれるかな?」
「嫌味やなぁ。牛さんなら、鉄みたいにピカピカしたの、見たで。なぁ、アルレシャ。」
『あれか...噛みたくは無いな。』
浮力を強め、会話に参加する【浮沈の銀鱗】だが、突然に合図を出して潜る。
息を止める二人の視界が、光の届かない地中に沈み、少しして重さが腰程にまで浮かび上がる。泳いで離れ、液状化していない場所に上がると、真樋は振り返り訪ねる。
「一体どうしたのさ?」
『勘を働かせろ、小僧。視界が効く一本道だと言うのに、小動物一つおらん。何故かね?』
「...でも、精霊の気配は遠い。異臭もしない。」
『見当は?』
「そうだね、狙撃に追われた...とか?」
詳しくは見ていなかった為に、確証を得る痕跡は無い。だが、的はずれでも無い、警戒に越した事はないだろう。
『我が顕現していれば、地盤が沈み建物が崩れる。射線を通さん細い道ならば、歩く事になるが。』
「田舎育ちは、歩くのには慣れてるんだ。この距離なら僕は問題無い。」
「ウチも体力なら自信あるけん。大丈夫よ、アルレシャ。ご苦労様。」
浮力を緩め、深く沈む精霊。そのまま霊体化して、ついて来るのだろう。
『マスター、居住者及び潜伏者の撤退を確認。道なりの障害、クリア。』
「撤退?」
『黒い鼬です。』
街中に出る生き物では無い。了解、とトランシーバーに返すと、真樋はそれを、ポケットにねじ込んで寿子に振り返る。
「どうする?僕としては、ピトスの合流を待ちたいけど。」
「待ってたらダメなん?」
「移動しないって事は、位置が把握されていた場合に危険だ。君の精霊、跡が追いやすいし。」
地形を無視した移動能力は圧巻だが、波紋が残るのである。それに、目撃された恐れもある今、留まりたくは無い。軽くそう説明すれば、寿子は首を傾げる。
「でも、合流を待ちたいん?お互いに近づいた方が、早ないの?」
「ここから離れたら、君の精霊が動きやすいじゃないか。」
「襲わんよ!?」
「まだ脱出しきって無いものね。同じ考えで良かったよ。」
「...もしかして、バカにされとる?」
目先のエサに飛び付くかもと、暗に皮肉ったのが伝わったらしい。寿子も、彼の性格を把握し始めているのだろう。
もっとも、真樋の方は寿子の価値観との相違を、未だに把握出来てはいない様だが。
「行こうか、道は覚えてる。」
「方向音痴やったりせんよね?」
「...それは二度と言わないでくれ。」
「わ、分かったけん...そんな睨まんでよ。」
分かりにくい人だ、と思いながら。寿子は先を歩く真樋について行った。
「...逃げおったわい。あと二百メートルも、進んでおればのぅ。」
『だから、早めに射ると言ったのだ。』
「当てるだけではいかん、潜られたら終わりじゃろう?貫通するかも、定かでは無いではないか。片方が残れば厄介!ならば纏めて射抜くのじゃ!」
『二兎を追うものはなんとやら、だな。』
呆れた様に、踵を返す精霊は、部屋に戻って椅子へと腰かける。
ベランダの窓を閉めると、九郎は笑いながらベッドへ乱暴に座った。
「ガッハハハ!獅子は兎にも油断せんのだよ!まぁ、儂らは獅子ではないがな。どちらかと言えば、馬か?」
『ルクバトなら、いないが?』
騎馬の事を示し、精霊は腕を組んだまま首を振る。立て掛けた弓をいじりながら、九郎は天井に目を向ける。
「のぅ、客人。そう思わんか?」
言いながら放たれたそれが、ランプを壊して突き刺さる。30cmは離れた所から、白いイタチが顔をだした。
『へい兄弟。ヒドイな、狙いも行動も。』
「儂に兄弟はいないんじゃがな。」
血縁を除く、と注釈はつくが。弓を手放した九郎の前に、隙間をスルリとくぐった精霊が降り立つ。
すぐに【疾駆する紅弓】が弓を取って構えるが、彼はそれを制した。
「待てぃ、相棒。イタチ一匹に殺られはせん。熊に追われるよりも、遥かに易いわい。」
『...ふん、好きにしろ。』
椅子に座り直す精霊を尻目に、九郎は精霊に向き直る。
「で、目的はなんじゃ?監視かの?」
『いやぁ、ハハ...バレると思って無かったんだ。言い訳を考える時間でもくんない?』
「しかし、喋るイタチとは珍妙じゃの...調子が崩れる。」
『端から無いだろう、お調子者め。』
精霊の横やりはスルーし、九郎は天井の隅を見上げた。
「次から侵入するなら、痕跡は消すんじゃな。」
『あちゃぁ、爪痕か...ちょっと遅くても、霊体化しときゃ良かった。』
この目敏さで生きてきた彼には、隠していない小さな痕跡等、飾られているに等しい。
「それで?言い訳はどうするんじゃ?」
『思い付かね⭐』
「ガッハハハ!いっそ清々しいわ!」
ウインクをしておどける精霊に、九郎は高笑いを返す。頭の痛い思いをしつつ、【疾駆する紅弓】はポルクスをつまみ上げた。
『痛くしないで?』
『気色悪い、止めろ。して、これはどうする?』
「そうじゃの...四穂君にでも、任せるかの。」
丸投げを堂々と宣言し、カードキーを持って九郎は部屋を出る。
首根っこを捕まえた精霊を、【疾駆する紅弓】が連れてくる。普通に歩いて、である。
『そんな、姿見せて良いのかよ?』
『これの格好も中々だ、我の格好も仮装で通る。』
『あ、そう...』
こいつも、大概に濃いキャラだな...等と考えているポルクスに、九郎が尋ねた。
「お主、霊体化せんのか?」
『便利でもねぇって。他はそうでも無いだろーが、俺とかは走った方が早ぇし。霊体化しようにも、捕まってると無理なんだよ。結構、自由じゃねぇと。』
「ふむ、ぷろぐらむか...まぁ、細かい基準は分からんな。」
『端から分かって無いだろう...』
「バカ言うな、自作のブログからじゃぞ、儂の本は。」
何度もミスって、壊しかけたが。
閑話休題、隣の部屋をノックし、開くまで待つ。少しして、勢い良く叩き開けられた扉が、九郎の顔を襲う。
「っ!...危ないのぉ。」
「あ、ごめんなさい!大丈夫でした?」
「このぐらいで、怪我はせんわ。」
『我にはっ、当たって、いるんだがっ...!』
鼻を押さえる【疾駆する紅弓】の手の中で、ポルクスがクツクツと笑う。首根っこを捕まれてぶら下がる彼に、一体何を笑う事があるのか、それは分からないが。
「うわぉ、何その子!可愛い~!」
「扱いに困ってな。持っといてくれんか?」
「逃がさないように、可愛がって上げればいいの?得意だよ~!」
満面の笑みを浮かべる少女に、白い顔を青くしてポルクスがぼやく。
『待って、ナチュラルサイコパスにしか聞こえねぇ。本当にこれに預けんの?マジで?』
「失敬な!ボクはファンの心を、掴んで離さない様にだね?」
『心を捕まれたのはお主では...?』
あっという間にポルクスを取り上げられ、【疾駆する紅弓】はジトリと少女を睨む。彼の望む厳粛な闘争は、そこには無い。
溜め息を溢す精霊は、霊体化して時を待つことにした。




