it's death game
既に中は崩壊し、所々に穴がある。まさしく縦横無尽に広がる空間の中、那凪はひっそりと息を潜めていた。
(参ったなぁ...逃げきろうにも、思考を読まれるし。離れる事がまず難しいんだよね。直線移動は、あの跳躍力で桁違いだし。やっぱり...落として埋めるしか、ないでしょーよ。)
方針を定め、手段を模索し、精霊に指示を出す。それだけを行った所で、階下から足音が聞こえた。
「来たね...山羊執事。」
『マスター...』
不安げな精霊に、那凪は振り反る。
「執事ならさ、羊の方が面白くない?」
『...知りません。』
少し呆れを含む精霊に、那凪は満足げに頷く。しっかりと力を抜いておかねば、柔軟な動きは出来ない。精霊頼りなのだ、観察し、コンディションを整える必要がある。
(もう、ミスで失くすのは御免だしね。)
取り戻すために生きているのだ、これ以上増やしては堪らない。もっとも、精霊はこのゲームの観測者であり、失うも何も無いのだが。それでも、嫌なものは嫌だ。気持ちの問題だ。
気を取り直して耳を澄ますが、それ以降変化は無い。
(止まった...?でも入り口で、止まる意味が分からない。あの精霊、インファイトを仕掛けて来ていたし、遠くまでは感知出来ない筈だけど...)
困惑する那凪の元に、何かが風を切る音が聞こえた。そして、轟音。むき出しになった鉄骨が、折れ曲がって出来た足場。そこで、這うように揺らめく光に覆われた笛を、肩に担ぎ上げる精霊が立っていた。
「えぇ...?威力がおかしいでしょ...」
彼の耳は、激突する前に笛の音を聞いていた。そう、振るっただけで出た爆音は、その打撃の威力を増幅させているのだ。
「これが、星霊具っての...?そんなん、聞いて無いってのにさぁ!」
その場から飛び降り、とりあえず距離を取る。障害物を挟まねば、あの跳躍は一瞬で距離を無意味にする。
鎖を引っかけ、那凪を抱えながら別の階層へ移り。【裁きと救済】は後ろを振り返った。
『マスター、来ます。』
「知ってるよ、圧がすんごいんだもんなぁ。」
角を次々に曲がって、彼はひたすらに走る。当初の予定通りの場所へ、どうにか導かなくては。
この思考も駄々漏れなのだろう、ならば簡単。分かっていてなお、防げない様にしてやれば良いのだ。
「と、ここだな。」
『マスター?』
立ち止まった那凪に、不可解な視線を向ける精霊。それに、彼は良い笑顔で、こう宣う。
「それじゃ、着地はお願いね?」
廊下を曲がらず、そのまま直進する。その先は...大穴。一階層まで直下する、見事な縦穴である。
頬を切る風に恐怖を感じながら、爽快感さえ覚える笑みが浮かぶ。こんな無茶苦茶、いつ以来だろうか。燻り、低迷していた感情が溢れそうだ。
「ハッハー!まったく、あんな酷い演奏家に負けたくは無いね!」
上を見て、此方を見下ろす【混迷の爆音】に宣言する。そして、彼の背中は、複雑に編まれた鎖紐に受け止められ、たわんだそれが地面へと那凪を下ろす。
鉄柱と、スポンジ材。二つの均一化された材質が、良いバネになって鎖を引いたのだ。やや乱暴に落ちた那凪は、すぐに立ち上がって【混迷の爆音】を警戒する。
『無茶な若者だが...なるほど、あれがポイントとやらか。』
那凪の平静な心と、降りこいという願望。それを感じて【混迷の爆音】はそう結論づけた。
『警戒してしかるべき...だが、ここからは潰せない。物を落とそうと、鎖が受けるだろうしな...何を狙っているのか知らないが、それごと叩き潰すのみ!』
少し高く飛び、勢いをつけて急降下する。振りかざした笛は受ける風の全てを、爆音として撒き散らす。
慌てて走る那凪のいた場所へ、それは振り下ろされた。轟音を撒き散らしながら、それは床を揺らし、亀裂をクモの巣状に広げた。
『フウゥゥ...』
「ヒュー...演奏家って言ったけど、取り消すよ。まるでバーサーカーだ。」
担ぎ直した笛を構え、蒸気を含んだような白い吐息をはき。熱を持ったそれは、まさに戦人。精霊というには、あまりに狂気。あまりに恐ろしい。
決意と殺意を孕んだ視線は、何処か絶望さえも感じられる虚ろな物。違和感を覚える間もなく、それは那凪の眼前に迫った。
「う、っそ。」
想定外の速さに、彼は目を見開きながら後ろへと跳ぶ。いや、跳ぼうとした。
背中にコンクリートの冷たい感触が触れ、心身共に寒気を覚える。
(まず、このままだと...)
振り下ろされる笛の音が、ゆっくりと意識を飛ばしてくる。黒くなった視界が再び戻ったのは、精霊の笛が止まったから。
『退避推奨...!』
全身で鎖を引き、笛を止める【裁きと救済】。那凪がすぐに【混迷の爆音】から離れれば、笛から力を抜いたのか鎖が弛む。
『間に合うか...しかし、何処にいた?天秤の精霊よ。』
『問答、無用...!』
一つの皿を投げつけて、己は離れる【裁きと救済】。跳ね回り、踊るように距離を保ち、鋭い皿を乱舞させる。
笛を盾にしていた【混迷の爆音】も、埒が開かないと悟ったのか、強引に鎖を掴む。腕に深く皿が刺さるが、知らぬとばかりに鎖を引いた。
『っ!』
二つの皿とそれを垂らす鎖は、彼女の能力の要であり武器。咄嗟に奪われまいとした精霊は、抵抗空しく引き寄せられる。
叩きつけんと振り上げられた笛に、瞳孔が縮まり注目を奪われる。脅威の排除を確信した【混迷の爆音】が、その笛を強く振り下ろす。
その時、二つの出来事が起きた。
一つ、笛は地面を叩いた。後ろから瓦礫を抱えて、飛びかかった那凪の重みに、よろめいて狙いが逸れたから。二度目の衝撃に、亀裂が広がった。
二つ、鎖が落ちた。精霊の手からでは無く、天井から、だ。二つ目の鎖が、遥か上の天井から落ち...繋いでいた床の上に、転がった。
『...まさか!』
すぐに逃げようとする【混迷の爆音】に、那凪がもたれ掛かる。結果的に僅かに体勢を崩し、彼は跳躍の為に床を蹴らんと足を伸ばす。
が、その一瞬。その一瞬は命運を分けた。蹴りだした力を受ける床が、無かったのだ。
鎖によって均一化されていた均衡が崩れ、脆かった床が崩壊したのだ。外したタイミングは、二度目の衝撃の前。そう、狙いは初めから、【混迷の爆音】の一撃による、崩落だったのだ。
『く、足場が...。』
だが、一つの誤算。それは振り下ろした笛によって、意識を失った事。【混迷の爆音】の笛の音色が、那凪と彼の精霊の意識を飛ばした事だ。
気がついた時には、【裁きと救済】が那凪を救える場所では無かった。彼の方が、下に居たのである。
『マスター...!』
契約者を捨てて助かる事も出来ず、手に持った鎖を持て余している。今、手元にあるのは一本。那凪に巻き付ければ、命綱とする物が無くなるのだ。
焦りが彼女を一杯にするが、それは次の瞬間には恐怖へと変わる。【混迷の爆音】が、那凪に足を向けたからである。
『させん!』
そう、彼が手にもっているのは、もう一つの鎖。天井から落ちてきた物だ。
那凪と【混迷の爆音】。均一化して、果たしてこの高さから助かるだろうか?答えは否だ。距離を取らざるを得ず、【混迷の爆音】は放置せずに那凪を蹴った。
(あ、まず...)
那凪の行動は正しかった。彼を壁まで運べたのだから。だが、【混迷の爆音】の脚力を見誤っていた。鎖で蹴りは防げても、その勢いは殺せない。むき出しになった地下の建造物へ、思い切り叩きつけられる。
『マスター!』
すぐに鎖を伸ばして合流する【裁きと救済】に、彼はヘラリと笑う。
「作戦成功、だね?」
『強引、無茶苦茶。』
「ごめんごめん。でも、急いで天井を落として。どうせ生きてるって。」
地下の底まで落ちれば、あとは足場がある。跳んで戻ってくるだろう。故に生き埋め。天井も最初の衝撃を均一化した事で、限界は近い筈だ。
「すぐに追撃を。」
『了承。』
上に投げられた皿が、天井に刺さる。その鎖の端を持って、それは瓦礫の一つへ。
(今さらだけど、この鎖紐の限界って何メートルなのかな。ここから逃げきれたら、聞いてみるか。)
ひび割れた瓦礫を踏み壊す精霊を見つつ、ぼんやりとそんな事を考える。天井の崩落音を聞きながら、那凪はゆっくりとその体を起こす。
目の前を瓦礫に鉄骨、白い緩衝剤や木片が通る過ぎる。ふと、その中を逆に昇る物が混ざった。
「...え?」
気づくのが遅れたのは、その笛の音の所為なのか、終わったという安堵だったのか。とにかく、それが起きた時には、那凪の眼前は青白い少女の顔だった。
遅れて、燃えるような痛み。あの瓦礫郡を、跳び上がった【混迷の爆音】が、爆音で周囲に吹き飛ばしたのだ。あちこちで突き立てられた破片が、その威力を物語る。
『ます、たぁ...あんぴ、かく、にん...』
「あ、あぁ。僕は大丈夫だ。でも、君は...」
『よか、った...』
手を添える頬は、異様に冷たい。そもそも精霊の体温とは、どうだっただろう?これは、異常なのだろうか。
『まったく...ギリギリだった。』
「お疲れ様、【混迷の爆音】。信じてたわ。」
上の会話を聞き流しながら、那凪はそっと、腹から突き出す鉄骨に触れる。それは、【裁きと救済】を貫通し、彼を壁に縫い止めている。
競り上がる血を、吐くわけには行かない。己が傷つく事で、誰も泣いてはならない。飲み下したそれは、腹に重く貯まる。
悟った那凪は、そっと彼女の頭を撫でた。それが、精霊にとって良いものなのか、分かりはしない。だが、せずにはいられなかった。
「...ありがとう、【裁きと救済】。僕の最高の精霊。」
痛々しい顔に、喜色を浮かべ。彼女は足元から消えていく。最後の仕事とでもいうのか、その鎖はより一層、輝いている。
「...ごめんね。」
精霊の意識が途絶えたのを見て、那凪はその鎖を握る。もう、脱出など出来る体力は無い。その代わりに、一泡吹かせるくらいは出来るだろう。
腹を抉る痛みを無視し、彼はその鎖を届かせる。驚くくらいに軽く、距離を伸ばしたそれは...登代に、まっすぐに向かっていた。
『お嬢!』
「っ!?」
庇った精霊の腕に、しっかりと鎖が巻き付く。そして、その能力は、【裁きと救済】は発現する。
『がぁっ!?』
「ぐうっ...!」
均一化し、開く穴と治る穴。だが、鉄骨が消えるわけでは無い。再生と破壊を繰り返し、削り、抉る様に同じだけの穴が、徐々に【混迷の爆音】に空いていく。
「ははっ、して、やったり...」
彼の意識は、そこで途絶えた。最後に見えたのは、あまりにも青い、青い綺麗な空。
(今なら、お前に届きそうだ...)
亡き友を思い、天野那凪はゆっくりと、その瞼を閉じた。
現在時刻、12時。
残り時間、3日と19時間。
残り参加者、12名。




