天秤の音色
走る弾丸は空気を裂き、頭を打ち砕いた。飛び散る鮮血は地面を染め、ぐったりと体は地面に倒れる。...ゾンビの。
画面にgameclearの文字が浮かび、彼は息を吐く。
「...ヒマだなぁ。」
彼、那凪はゆっくりと頭をもたせ、空を見上げた。山の中、木の上で足を組んで寝そべる彼は、手にもったPSPをポケットに捩じ込んだ。
「古いゲームは、画質はいまいちだし、演出は過度だけど...たまにやりたくなる面白さがあるんだよね~。」
誰にともなく言い訳を落とすと、彼は木から飛び降りて...着地出来ずに転がった。
「痛ぁ...」
『マスター...』
「あ、いや。これは昨日の毒の残りが」
『いえ、マスター。敵です。』
「嘘ぉ...上手く出し抜いたと思ったのに。」
腰を擦りながら立ち上がり、那凪は不運をぼやく。それは、まっすぐに彼を目指して進んでいる。
「バレてると思う?」
『明らか。』
「だよねぇ...本調子じゃ、無いってのにさ。」
那凪がブラリと構えていると、木々の向こうから、その人物は現れた。
長い黒髪、此方に視線を合わせなくとも、何故だか落ち着かない雰囲気の女性。見られているような、そんな気配を感じさせる彼女は、魔女の様であった。
「どうも。」
「あ、どうも。」
「...貴方、怯えてるのね。でも、その一方で対処方法を考えてる。隠すのが癖なのかしら?弱った様を見せないなんて、猫ちゃんみたい。」
のんびりと見える那凪に、彼女はそう告げる。ブラフだ、と那凪は断定した。間違ってはいなかったが、それはこの状況を見れば考え付く。
「そうかな?僕はオープンだよ、これでも名を売りたい男だからさ。」
「嘘でも無いけど、嘘でもある、といった所?...あら、動揺だわ。これは、私?」
「さぁね、少し文法がおかしくないかい?」
「ふふっ、小さい頃は良く言われたわ...医者の子供の癖に、って。」
「あぁ、ありがちだ。嫌なモンだよね。」
別に那凪がそうである訳では無いが、子供の時分は色眼鏡が嫌いだったのは事実だ。今は致し方無いか、程度だが。
「...四人。」
「ん?」
「殺人に戸惑いが無い人。火の坊や、怖い男、風来坊の翁、そして私。...あら、怯えてる。本当に怖がりね。」
「さっきの流れなら、君かも知れない。山で二人、怖くないかい?」
「大丈夫よ、二柱いるでしょう?」
対話の終わりを感じて、那凪はゆっくりと後ずさる。残像でも残る様に、【裁きと救済】が現れて前で構える。
「可愛い子ね、残念だわ。潰して、【混迷の爆音】!」
『お嬢、本来の君は中々...いや、言うまい。』
大きな棍棒を抱え、燕尾服に身を包んだ山羊頭。悪魔の様な姿で、精霊は彼女の影から躍り出た。
腕から鎖紐を垂らし、左右に皿を揺らす精霊。肩に担いだ棍棒を両手で持ち、腰を低くする精霊。吹いた風が落ち葉を巻き上げた瞬間に、二柱は動く。
『契約者の願いの遂行の為に!』
『マスターは、殺させない...!』
大上段から下ろされる棍棒が、土を撥ね飛ばす。横に跳んだ精霊は、その場に流れた鎖紐を引く。
棍棒と地面に挟まれたそれは、そこを支点に張り、走る【裁きと救済】によって【混迷の爆音】に巻き付く。
『ほぅ...速い。』
『このまま...!』
重さを均一化した彼女が、【混迷の爆音】を吊り上げようと動く。より絡みつけて、木に跳び移ろうとした時。
後ろでの爆発が、彼女の意識を途絶えさせて吹き飛ばす。次に気がついたのは、受け身さえ取らずに地面を転がった後。痛みによってだ。
『それ、笛...?』
「アイギバーン...神々の逃げた時に鳴った笛の音?無事かい、【裁きと救済】。」
『問題、なし...!』
今は、意識もハッキリとしており、吹き飛ばされた以上のダメージは無い。が、せっかくの拘束は剥がれ、再びその笛を担ぎ上げる隙を晒した。
『吹くのも疲れるんだがな。』
「お願いよ、私の頼れる精霊様。」
『頼まれるまでも無い、さ。』
その足腰のバネは驚異的で、たった一度の踏み込みで目の前に迫る。横へ...はさっき見せた動き。上への回避をしたが、まるで知っていたかの様に、笛が上から振り下ろされる。
『ぐっ...!』
「【裁きと救済】!揃えろ!」
『了解...!』
体が嫌な音を立てて曲がった彼女は、敬愛せしマスターの指示を受け入れる。皿を投げつけ鎖紐を接触させると、他端を自分が握る。
そして、能力を発動した。追撃を狙っていた【混迷の爆音】が、フラりとよろけ、膝をつく。地面に転がった【裁きと救済】は、那凪が抱き起こす。
「軽いね?」
『天秤の精霊の能力、か...腕と腰にダメージがある。』
損傷を均一化された事で、【混迷の爆音】も呻く。だが、それをものともしない勢いで、【裁きと救済】を抱える那凪へ迫った。
「嘘ぉ!?」
『させない...!』
上に振り抜かれた鎖紐が、先端の皿を【混迷の爆音】へと滑らせる。それは、回転しながら鋭く山羊の下顎に迫る。
『流石だな。』
しかし、読んでいたかの様に、ぴったりのタイミングで顔をあげ。仰け反るままに、肩から落とした笛を大きく回して振り上げる。
「あっ、ぶない!!」
『ほぅ...?』
笛から僅かになる風切り音から、那凪は咄嗟に後ろにさがって回避する。軽い等と嘯いてはいるが、精霊を一人抱えているのだ。そのまま尻餅をつき、冷や汗を流す。
苦笑いしつつ、彼は【混迷の爆音】を、ひいてはそのマスターを見上げる。
「あー、宴もたけなわだけど、ここいら」
「あら、締める所よ。盛り上がりは終わったわ。」
「だよね~。」
苦し紛れのジョークも、バッサリと返され。彼は高速で考え始める。
「...置いていかないの?」
「何を?」
「彼女よ。」
一瞬、何を言っているのか理解できず、平然と返したが。示されたのが精霊とわかり、彼は息を呑む。
確かに、自分が死んでは何の意味も無い。殿を任せての逃亡も、あり得ない手では無い。とりわけ、ここまで追い詰められては。
「...冗談。精霊を失えって?4日目にかい?」
「怯えと後悔...嘘、よね?」
「黙り...なよ!!」
一体、彼女が何を聞きたかったのかは分からない。しかし、手にもった土と落ち葉を投げつけると、那凪はすぐに命令を下した。
「【裁きと救済】!」
『...っ!』
精霊が覚悟を持って、鎖を握る。相対する彼女の背中に那凪はこう吐き捨てた。
「重い!霊体化して着いてくる!」
『...はい?』
走り出す那凪の命令に、一瞬は呆けた物の、すぐに従う。目に入った土を払い、【混迷の爆音】と登代は追いすがる。
『お嬢、気になる事でも?』
「いいえ...少し昔馴染みを思い出しただけ。」
『...左様で。如何しますか?』
「続けるわ、もう、遅いもの。」
人の足では、精霊から逃げ切れる訳も無く。登代との会話を終えた【混迷の爆音】が、速度を上げて那凪に追い付く。
『悪く思うな、務めなのでな。』
「いや、思うでしょーよ!?」
体を投げ出す様に前へ倒れ込み、横に振られた笛を避ける。後頭部、凄まじい風が撫でていった。
「ふぅ~!涼しいね、走って暑かったんだ。」
『お望みなら、何度でも扇ごう。』
「遠慮する、よ!」
横に転がり、山の急な斜面を、一気に落ちていく。途中の木に足を引っかけて体勢を立て直し、そのまま走り去る。
『下へ行くか...。』
上へ行くよりも、危険はある。しかし、地形を物ともしない彼の精霊では、登るも降るも変わらない。
それならば、重力の味方する下へと言う魂胆なのだろう。そう判断した【混迷の爆音】は、登代を待つことにした。距離を離した所で、すぐに追い付けるからだ。焦って契約者と離れる方が不味い。
「ふぅ。速いわね、貴方達...彼は?」
『童心に帰って遊んでいるさ。』
「...そう、滑り台にしては、危なそうね。」
下を顎で示しながら、冗談をこぼす精霊。そちらを見て、彼女は道の過酷さに顔をしかめた。
『エスコートは必要かね?』
「お願いするわ。」
曲げた片腕に腰かけて、彼女は首に手を回す。それを確認し、精霊は落ち葉の積もった斜面を滑る。大きな変化のある地形では、跳躍で越えて。あっという間に移動する。
しかし、急に顔をしかめ、彼は平坦な斜面を跳躍する。その下で、落ち葉に隠れた鎖紐が、音を立てて出現する。
「はぁ、本当に不意打ちが効かないね?」
迫る音を探知し、罠を仕掛けておいた那凪が舌打ちする。
彼の思考を読み、少し下に着地し精霊が笑みを浮かべる。
『終わりかね?』
「さぁ、どうだか。」
質問に対して、彼は適当な答えを返す。だが、その感情は、【混迷の爆音】に筒抜けだ。注意が向いているのは...上。
『そこか!』
登代を下ろした【混迷の爆音】が、木の上に隠れていた【裁きと救済】を襲撃する。飛び込んだ彼が笛を叩き下ろせば、それをすると思っていた精霊は、地面に飛び降りて回避する。
『今っ...!』
木の上に残した鎖が、能力を発動させる。その先にあるのは...朽ちかけた大木。
叩かれて折れる寸前の木と、古い大きな木。均一化されたそれは、どちらも内側に折れる。
『くっ!』
木の感情までは、流石に読めず。【混迷の爆音】は逃げ遅れ、咄嗟に笛で受け止める。しかし、彼のパワーでは、堪えるのも難しく、下敷きとなった。
「【混迷の爆音】!」
「さってと、そろそろ...お?」
形勢逆転かと思えば、登代が懐を探り始める。何か、手がある。察した那凪は、【裁きと救済】を連れて走り出す。笛を吹かれた時、近場にいれば今度こそ終わりだ。
「星霊具!」
『ヴァアアアァァァ!!』
後ろの声は確認するまでもなく、危機的状況を告げている。すぐにでも逃げねばならない。
音を感じる那凪の聴覚は、大概のものなら拾えるだろう。視界の効かず、入り組んだ場所で撒くしかない。
「ねぇ、僕ってもしかしたら凄いピンチじゃない?」
『肯定...。』
「だよねぇ...泣きそうだよ。」
ヘラヘラと笑いながら、彼は目指す先にたどり着く。すぐに【裁きと救済】が横抱きに抱え、中へと飛び込んだ。
がらんどうの地下空間が広がる、取り壊し途中の廃ビル。青年はそこで、すぐにくる悪夢より息を潜めた。




