合流
凄まじい速度で放たれた矢は、精霊とは射線をずらした真樋に迫る。彼は瓶を開け、大きな金属扉を取り出してそれを防いだ。
弓は、放った後は無防備だ。走り出していた馬に、楽に追従し【宝物の瓶】は小太刀を振り上げる。それは酷く緩慢な動きだが、次の瞬間にはその訳が分かる。
投げられた瓶。それは蓋を斬り取られ、飛び出した中身に刃を立てる。金属同士のぶつかりは、火花を散らして穴を開けた。
『これは...!』
「ガスボンベ!?しもうた!」
立派な紅馬は鬣に高温を持っている。着火しやすくなった高圧ガスは、いとも簡単に引火する。爆発を起こすそれに、いち早く霊体化した【宝物の瓶】が、真樋の隣で実体化する。
『Danger、良い手段とは言えません。』
「だね。とにかく、今のうちに撤退を」
走ろうとした真樋だが、アスファルトから出てきた泡に弾かれる。
「なにこれ、ゴムより弾く...」
「ボクの【泡沫の人魚姫】の泡は、簡単には割れないよ!」
「囲まれた...?」
自信に満ちた声で、道の真ん中で仁王立ちをする少女。彼女の側には、赤い甲殻を所々に纏わせた、人魚の精霊が泡に乗っている。
「貴方の事を倒しちゃう、華二宮四穂ちゃん、18才!覚いといてね、おにーさん!」
「うわっ...」
苦手な類いの相手に、つい声を漏らす真樋。しかも、年上である。
「ふぅ、死ぬかと思うた...」
『生きしぶとい翁だ...』
背後からの声に、真樋はどちらを警戒すべきか迷う。その一瞬で、【疾駆する紅弓】の一撃が肩を貫いた。
「うっ...!」
「いきなり過ぎないかな!?ボクはクロさんみたいに、慣れて無いのに!」
『配慮する必要があるかね?』
「協力者じゃぞ?人は感情でうごくのじゃから、理や効率以外も考えねば。」
『ふん、貴様が夢から覚めやらんだけだろう。』
どうやら、中々に我の強い精霊らしい。今のうちに撤退を、と真樋は新しく瓶を取り出した。
「ピトス、暫く引き付けられるかい?」
『No,program、ですがマスターの不在は悟られるかと。』
「身を守るくらいはするよ。」
梯子を取りだし、近くの家屋に登ろうとする。しかし、その瞬間に途方もない音が、辺りを走り抜けた。
「ぬ?」
「え、なになに!?」
「雷...?史実通りって訳でも無いのか?」
事故を恐れて、真樋は高い場所に行くのは諦める。しかし、泡で囲まれている以上、突破に時間がかかるだろう。そうなれば、一矢で射抜かれる。
『主、どうする?我の弓を試すか?』
「何か見えたか?」
『龍だ、東洋の伝承に出てきそうな...届くか分からんがな。』
「大物だな...止めておけ、お伽噺でも龍を討った話は、とんと聞かんわい。」
それよりも、と振り返る九郎だが、次の瞬間には驚愕する事となる。
逃げ場など無いと、本気で思っていた。割れた途端に飛び散り、付着する泡に囲まれて。前は九郎、後と左右を四穂が囲んだのだ。【宝物の瓶】の能力では、脱出の手立ては無いだろうと。
だが、真樋の立て掛けた梯子が沈み、倒れた事に三人と三柱が視線を向けた時、それは起きた。
『...っ!マスター!』
「何が来」
すぐに真樋を抱え、少しでも盾になろうとした精霊と共に。地面から波を割る様に現れた口が、二人を呑み込んで飛ぶ。
「鮫...!とんでもないデカさじゃ。」
「ちょっ!ボクの方に来ないでよぉ!」
すぐに【泡沫の人魚姫】が乗る泡に飛び乗り、猛進する鮫を避ける四穂。そのまま地面を泳ぎ続けて、精霊は去る。
『...物の中、か。厄介だな。』
「どうやって泳いどるんかのぉ...」
呟きを溢す彼等に、出来る事は無かった。
真樋が目を覚ましたのは、砂の味が広がる中でだ。顔をしかめつつ起き上がると、白布で隠された顔が覗き込む。
『question、不調はありませんか、マスター。』
「ピトス?僕は...」
「あ、起きたん?具合はどうや、お兄さん。」
少女の声に首を回せば、痛みが走り顔をしかめた。
「人の顔見て、そんな事せんでも...」
「いや、痛かっただけだから。君は...足を見せて貰った方が早いかな?」
「急な変態発言!?」
「いや、分かるだろう?それとも、別の場所かい?魚座かと思ったんだけど...」
起きて早々に、思考を回し始める真樋に、彼女は少し困惑しつつ答える。
「模様の事なら、あるで...てゆうか、その前に言うことあらへん?」
「え?あぁ、そうか。さっきまで...助かったよ、ありがとう。」
「きゅ、急に素直やん...」
今更だが、ボロい小屋の床に気をつけつつ、真樋は座る。射たれた肩が痛むが、応急手当てはすんでいるようだ。
「それはウチじゃないよ?そこのおに...おね?精霊さんが。」
「そうか。ありがとう、ピトス。」
『not,need、当然の事です。』
ひとまず安心出来たのか、零体化して姿を眩ます。立ち上がろうとして、痛みに諦めた真樋が、小屋の中を見渡した。
魚の骨、入り込んだ砂、積まれた草...潮風の匂いを確かめて、彼は顔をしかめた。海に良い思い出は無い。
「海の家...というか、倉庫に近いのかな?」
「そうやね...というか、龍に驚いて連れてきてしもうたけど...良かったんよね?」
「うん?...僕としては助かったよ。あのままなら、仕留められてた恐れもある。おそらくは射手座...機動力、行動力、攻撃範囲も申し分無く、目も良いみたいだった...。要注意だね。」
「それよりも、あの龍は...どうなん?」
「あれは、おそらく制限がある。探る必要はあるけど、なんとか出来るとは思うよ。」
問題はエレメントも性質も分からない事だけど...と、真樋は再び思考に沈む。どこまでもマイペースな男である。
『小娘、いつまで待てば良いのだ。』
「ウチに聞かれても...ダメ言うたんは、あの精霊さんやし。」
『素直は美徳というがな...思考停止は怠惰だぞ。』
段々と浮かび上がった精霊が、文句を溢す。鮫だ、鮫にしか見えない。何故か、地面の上に浮いている。
波紋の広がる板を触れば、木の感触ではない。とても物が沈む事は無さそうな、強い反発力だ。良くみれば、鱗がびっしりと覆ってはいるが、先程まで巨体が沈んでいたとは思えない。
「これは...浮力の操作?」
『液状化以外の力に気づくとは...目敏いな、小僧。超常の物を目撃すれば、疑問をある程度遮断するのが、人というものだと思っていたが。』
「さぁ?僕は人じゃないみたいだからね...」
皮肉気に返すと、彼はゆっくりと立ち上がって扉を開く。眼前に広がる暮れの海に、舌打ちを溢して歩き出す。
「そんな怪我なのに、どこに行くん?」
「悪いけど、お礼として出せる物も無いし。頼んだ訳でもないんだから、そのままお暇させて貰うよ。」
「いや、お礼はいるって言ってないやん。もう少しくらい、休めばええのに。」
真樋の嫌みは流して、彼女は彼を引きとめた。思ったよりも出血していたのか、フラリと倒れかけた真樋を、慌てて支える。
「僕ら、殺し合いの立場だと思ったけど?」
「そんなん、すぐにホイホイ割りきれる訳ないやん。」
「はぁ...今、殺されると思わないの?」
「心配してくれるん?でも、ウチの【浮沈の銀鱗】は強いで?」
調子が崩される真樋と、人(?)任せにされた【浮沈の銀鱗】が、同時に視線を向けて。深く息を吐いたのだった。
一方、その頃。崩れた橋から脱出した健吾。【積もる微力】の肩で揺られながら、合流を目指していた。
「レイズ、少し揺れねぇ様に出来ないか?」
『あぁ?注文が多いんだよ。慣れねぇんだ、我慢しろ。』
落雷を目印に走る精霊は、暗くなり始めた街を豪快に走り抜ける。火傷の痛む健吾が、跳ねる度に呻き声を上げる。
『だぁ!ウルセェな、モヤシ野郎!』
「仕方ねぇだろ、唐変木!人間には痛みって安全装置があんだよ!」
『あー、鬱陶しい。とっととチビッ子を見つけねぇと...』
瞬間的な事だったとはいえ、皮膚に水ぶくれが見られる程。上半身の所々にひろがり、通常なら入院を進められるレベルである。
冷やす物も無く、耐えるしか無い。【辿りそして逆らう】の治癒能力を信じて、ひたすらに走る。
「ん?レイズ、今なんか聞こえて」
『伏せろ!』
しゃがんだ精霊の頭上を、針が過ぎ去っていく。続く金属音に、再び幾つかの針。
「防げ!【積もる微力】!!」
『ダアァララララアアァァ!!』
狙いも何もない針は、拳によって全てを叩き落とされる。いや、針と思っていた物の、殆どは弾丸だ。
『そーいや、針は一発ずつだったな。』
「あ~もう!仕方ねぇから、このままやるぞ。俺はほとんど動けねぇから、離れんなよな。」
『ったく、世話の焼ける。まぁ、俺の力も出るから良いけどよ。』
遠回りするにも、道は狭く通りにくい。それなら、このまま正面突破するのみ、である。脳筋と侮るなかれ、時には思考を捨てた最速の一手も、最善に成り得る。
足腰には痛みも無いため、走る分には問題ない。服が無い事が、ここで役立った。擦れて痛む心配も無いからだ。
「レイズ、ついて来いよ。」
『はっ、トロくさくて欠伸が出らぁ。』
走る健吾の横を、ぴったりと【積もる微力】がついてくる。金属音は弾かれる音の様で、此方に来るのは一部だけだ。
「っ!レイズ!!」
『わぁってる!ダアァララララアアァァ!!』
『モオォォッ!』
突っ込んで来たのは、牛の精霊だ。表面の光沢と、殴った瞬間の重さ。直感的に不味いと悟った【積もる微力】が、健吾を掴んで飛び退く。
『止められねぇだと...!』
『フウゥー...』
大きさ、重量。その突進からなる破壊力は、全精霊の中でもトップクラスだろう。
『レオ、少し離れてろ...止めてやる!』
「バカ野郎、離れたら力も落ちるだろうが。火傷が治りゃ、いくらでもやらせてやるよ。」
『ちっ、なら急ぐぞ。ダァラアァ!!』
床の金属から離れ、硬質化の終わった牛の精霊に、横から重い一撃を叩き込む。残った重さで動きの鈍る精霊を尻目に、二人は早々に駆け出した。
「獅子堂君か!そのケガは...」
「三成さん!仁美は?」
「今、ポルクスが探して...【辿りそして逆らう】ならば、見つけたようだ。」
「離れてんのか...!」
無防備であろう仁美と、治療能力のある精霊。合流の優先順位を迷う彼に、【積もる微力】が怒鳴る。
『レオ、治療が優先だ!無策で精霊から離れるよーなら、協力者ってよりも足手まといだ!』
『兄弟、あの青年の精霊がいねぇ。治療を対価に、防衛して貰ってる可能性もある。急げ、お前が死ぬぞ。』
場所はカストルが把握している。伝えられた場所へ、健吾はすぐに走り出した。




