広がる混乱
早乙女弥勒を探して、彼女の暴走を止める。
目的がこのゲームの勝利で無い以上、ここでの戦闘は彼女の本意とは離れているだろう。三成の予想では、脅迫か毒の錯乱、取引。
そこを説得し、龍を帰して貰わねば、数分で全滅もあり得る。毒ならば、【辿りそして逆らう】の治癒能力の出番だ。どちらにせよ、まずは接触する必要がある。
「そういえば、考えずに走って来たけどさ。龍の背中とかは?」
「...いたら、分かる。」
「えぇ?あの混乱の中で、落ち着き過ぎてないかい...?」
仁美にとって、既にこの空間そのものが新鮮過ぎて、今更何が起こっても、混乱とはいかない。それは初日に散々すませた。
無愛想にさえ感じる仁美の態度に、那凪は肩を竦める。
「でも、場所が分からないのは変わらない感じ?」
「ん...離れては無いと思うから...。」
「龍の来た方向、か。あれに追い付いてるって事は、乗り物に?」
そんな疑問を抱く那凪を、突然に具現化した【裁きと救済】が抱き上げて跳ぶ。その下を、凄まじい勢いで空気を切って、蹴撃が通りすぎる。
「精れ、い?えぇ...?」
「...。」
閉じかけた目と無表情な顔。しかし、それは那凪の見覚えのある顔。つまり、人間である。
「早乙女、さん?」
「ヒュー、美人な武道家って、それなんてドラマ?」
口笛一つ、高く鳴らした彼は、下ろして貰い周囲を見渡した。辺りに精霊はいない。姿を表すのが、契約者とはこれ如何に。
喋る事もなく、鉄面皮のままで彼女は更に畳み掛ける。集中方法なのか、錯乱状態なのか。判断のつかない那凪だが、彼のやることは決まっている。
「制圧しろ、【裁きと救済】!」
『了解...!』
振り上げられた足を片手で流し、回転を殺さずに捕えにかかる。しかし、精霊の動きに遅れを取らずに、彼女は肘を繰り出した。
『っ!』
「お、黒なのね。っと、それよりも...」
弥勒の相手は精霊に任せ、那凪は彼女の精霊を探す。この場で身を隠すという事は、人間相手に勝負をしないという事。自信の無さの表れだ。
那凪からすれば、突然の襲撃者だ。暗殺?狙撃?バッファー?とにかく、そちらを止める方が容易そうだ。
「精霊は僕らが探すよ。出来れば僕の護衛も...」
『シャー!』
「してくれないみたいね。」
「精霊は、契約者に影響される...彼女を落ち着かせるのが、優先。」
「そうなの?...まぁ、得体のしれない精霊よりは、人間の方が良いか。」
第一、那凪が【裁きと救済】から離れては、均衡が崩れる恐れもある。人間と渡り合う程ではあるが、離れて活動するタイプの精霊では無いのだから。
「なら、早く抑えないと...僕に出来ることある?」
「抑えて、【辿りそして逆らう】。」
『ギャウ!』
流れる水の様に、互いの四肢を鋭くぶつけ合う両者へ、小さな竜は飛び付く。咄嗟の反応で迫る手刀と蹴撃を還せば、硬直するのは両者だ。
だが、そのまま蛇がのし掛かるなら、動き出しが遅れるのは必然。弥勒に巻き付いたのは、いち早く体制を整えた【裁きと救済】の鎖。そのまま弥勒に飛び付いた【辿りそして逆らう】は、すぐに解毒を開始した。
「ねぇ、怪我を治してる様に見えるんだけど...。」
「飛び付いた時に、針を見つけた、から。抜いて、治してる。」
「針?...あれかな、もしかして蠍?さそり座の女って事かな?骨抜きになりそう。」
「貴方の趣味なんて、聞いてない。」
少し睨まれた那凪が、ねぇ?と自らの精霊に同意を求めた。
『マスター、指示を。』
「冷たくない?まぁ、良いけどさ...そのまま吊り上げてて。取り敢えず僕と均一化しよう、少しは毒も抜けるでしょ。」
『それではマスターが...』
「半分だって、問題ないよ。いざとなったら、看病してね?」
欠片も安心出来ないが、基本は精霊に拒否権は無い。渋々、那凪と弥勒の状態を均一化する。
「うぉ!?」
『マスターっ!?』
「...大丈夫、ですか?」
「いや、すっごいお腹空いた。僕も昼から食べて無いけど、それよりもイタッ!」
つい足が出てしまったが、仁美は無かった事にして弥勒に近づいた。頬の汚れを舐めとっていた【辿りそして逆らう】が、此方に気付き元気に鳴く。
『キュ~。』
「どう?」
『キュ!』
ボンヤリと白昼夢を見るようだった目が、少し生気を取り戻して見えた。どうやら、無事に助かりそうだ。
「うっわ、これダルぅ...。体力的にって言うか、精神的にヤバい。いまなら、何でも言うこと聞いちゃいそう...これの倍以上って、ヤバくない?」
同意を求められても、仁美はなっていないので分からない。代わりに空を見上げ、大きな龍を探した。
「いないと思うよ?雷鳴が消えてる。こう見えて、耳は良くってね。」
「そう...。」
ほっとして、彼女は精霊の顎を撫でる。嬉しそうに喉を鳴らす精霊は、それでも尾は噛んだままである。
少しずつ瞼を閉じていく弥勒を見ながら、仁美は辺りを警戒しておく。これだけ派手にやったのだ、何が来てもおかしくない。
「もうほどいて良いかい?」
「ん、大丈夫みたい...。」
『了解。』
「後はさ、僕の治療もお願いしたいな~、なんて?」
『シャー!』
「なんでこんなに嫌われたかな...。」
鎖を回収して、座り込む那凪の側に立つ精霊。彼女は、仁美を襲うつもりは無いようだ。本当に契約者絶対主義らしい。
「え~と...ここには、牛に蠍に...イタチと龍と蛇ってなにさ?」
「それと、貴方。天秤?」
「そーだよ、マークは見せられないけど。」
紋様だけの為に、異性の体を見たくは無い。仁美が頷くと、彼は笑う。
「ありがと。それで...あとは五人警戒しないとかぁ。」
「なんで?」
「魚っぽいのは、さっき泳いで行ったでしょ?食われかけた事あったなぁ...。あとは、羊と獅子と射手かな?と...水瓶だと思うんだけどね。」
「星座なのは、分かってる...。」
「まぁ、分かりやすくヒントがあったしね。それで、今日は牛...本当についてないなぁ...。」
乾いた笑いを浮かべる彼は、仁美に振り替える。
「まぁ、とにかく。警戒するのは、羊と獅子、射手に水瓶。双子と蟹と乙女と山羊は分かんないから、その中の一つ。どう?」
「双子と乙女は、ここ。」
「蟹と山羊か...え?乙女?双子ぉ...?」
記憶にある、二色のイタチと龍に蛇。どれがどれか、必死に頭を捻る。
「というか、龍の精霊だよね、この人?毒とか言ってたし。」
「うん...。」
「そんなに警戒しないでよ...。僕が精霊、探そうとした意味ぃ...まぁ、ここまで強いなら、精霊は離してもいいのか。」
なんだか勘違いが加速しているが、それは唐突に終わる。物陰から、【純潔と守護神】が歩いて来たからだ。
『新手...!』
『落ち着いてください、天秤の姫。私はこの方の精霊です。』
「...あぁ、納得。乙女座の精霊は、召喚士って事ね。でも双子...あれ?蛇とイタチ...ん?数が...蟹?山羊?えぇ~...?」
混乱する那凪を他所に、仁美は弥勒を精霊に預ける。眠る弥勒を動かす事は出来ないので、場所を譲っただけだが。
『感謝致します、仁美様。でも、私は人を運ぶ程の力は...お手伝い頂けますか?』
「身長が...ごめんなさい。」
『では、双寺院様をお呼びください。私がおりますので、いざとなれば龍を呼びますから。』
「ん。」
そう何度も呼ばれては、此方が危ない。急ぐ事を決めて、仁美は立ち上がる。【辿りそして逆らう】は、弥勒に乗ったままだが。
「僕は、ついていかない方が良いかい?」
「...うん。」
「わぁ、本当に信用ないね...牛と蠍はいるのにさ。」
肩を竦めて、彼は己の精霊に向き直る。
「仕方ないからさ、【裁きと救済】が彼女を守って上げて。逃げるくらいなら、離れても大丈夫だろう?」
『マスターが...』
「蛇さんにも美女さんにも、戦闘能力は薄そうだし?龍を呼ぶにも、制約あるでしょ。僕程度を潰すに使わないって。」
『...了解。カッコつけ。』
「待って、今なんて?」
小さく呟かれた言葉に、那凪が違和感を抱いて反応するまでの数秒。その間に仁美は遠くに行っており、【裁きと救済】もそれについていた。
『...その、お気の毒様です。』
「慣れてるから、大丈夫...。うん、大丈夫。」
もう一度だ、記録を戻せ...
そこからだ、フォーカスしろ...
騒がしさに目を開けて、彼は起き上がる。
時刻は夕刻。高速道が崩れたらしく、消防まで出払っている。
「えぇ、煩い...ここってそんなに物騒だった?」
少年、瓶原真樋はゆっくり背を伸ばし、眠りから覚める。
大人びた印象と幽霊の様な風貌は変わらず、しかし英気は養えた。昼夜逆転、キャンプ場暮らしだが、数日なら悪く無い。
「精霊かな...?どう思う、ピトス。」
『Thinking...首都高に爆発物は無かった筈です。精霊かと。』
「じゃ、離れようか。互いに潰しあってくれたら楽だし。」
すぐに方針を定め、陰陽師の様な風貌の精霊を引っ込める。瓶から自転車を取りだし、それに乗って町を北上する。
かなり南にいたのだが、そろそろ天球儀も気になる所だからだ。離れるついでに、夜になる前に見ておきたい。
「明るいうちから、おっ始めるなんて...随分と乱暴だ。」
炎上する橋、崩すようなパワー...そこから相手を考える。
(まずは火のエレメントであるのは確実...羊か、獅子か、射手座...一人は獅子かな?あのパワーだし。爆発...性質が活動宮の牡羊座?乗り物にでもなりそうだ...。)
それならば、危険なのは羊だろうか?あの場から北上すれば、ここに行きつく。神話通りなら、すぐだろう。もっとも確実ではないので、他も警戒する。
(僕だって、瓶を使えば爆発なら好きに起こせるしね...。)
予想しておく事で、簡単な対策の考察や、心の準備に繋がる。大概は、殺し合いなんて素人の集団だ。覚悟は初動の早さに繋がり、それを覆すのは難しい。
ただし、この場に限ってはそれは、間違いであった。移動しながらだったからだ。角を曲がろうとしたした時、思考を続けていた真樋は、一瞬対処が遅れた。
『人!?』
「ぐっ!」
燃える馬とぶつかり、瞬時に姿を表した【宝物の瓶】が、飛び上がる彼を受け止める。
「ほぅ、契約者じゃ。相棒よ、これだと思うか?」
『そうだな...いや、違うだろう。あそこから移動したにしては、位置がおかしい。』
「なんじゃ、腰抜けか...。」
好き放題言って、彼は馬から降りる。
『おい?』
「お主、立てるか?」
手を伸ばす老人、九郎に【宝物の瓶】が立ち塞がる。
「ふむ?顔を見せんとは無礼な。しかし、男とも女とも分からんな。」
『Praise、徹底抗戦。』
「分かってる、ピトス!」
「やる気か?面白い、やるぞ【疾駆する紅弓】!」
『はぁ...乗れ、主。』
引き絞る弓と抜かれた小太刀が、落ちる夕日を反射して。遠くで響いた銃声を合図に、宙を走った。




