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エピローグThe⛎

 パリン、と割れる音が響き、美しいガラス片のような何かが辺りに散らばった。その中を鈍い音で転がるのは、丸い頭骨とでも呼ぶべき、透明な結晶だ。

 そのまま転がり落ちそうになる器へ、黒く靭る尾が伸ばされた。


『キュルルル...』


 転がされた器が、牙の生え揃っていない口へ咥えられ、柔らかい毛髪へと落とされる。

 僅かに動いた頭へ、更にグイグイと押し付けられる器が、優しい痛みを伝える。


「うぅ...叶、える、んだ...」

「あの人、に...会いたい、から...!」

「同じ、世界を...知りたい、から...!」


 意識があったのか、それも定かではない。

 残骸が虚無に呑まれ、光の粒子となり霧散する。

 自由落下の浮遊感の中、確かに伸びた手が器を掴み...世界は崩壊し、魂は流転した。



 現在時刻、6時

 残り時間、30分

 残り参加者、3名


 フィールドデータ残存率、0.002%

 推定崩壊時刻、06:31



 ―――――――――――――



「以上が、結末となります。」

「...そうか。彼等は?」

「この結果に憤慨するもの、落胆するもの、大笑いするもの、歓喜に狂うもの...様々です。」

「だろうな。そうでは無い。」

「結果は...認める、と。対処しきれていない我々の責任であり、権利剥奪はエゴだ、と。」

「......そうか。」


 重苦しい空気の中で頷く男は、次を促す。


「アレは、なんと?」

「対談での進言を望んでおります。恐らく、貴方の真意を知りたいのでしょう、Dr.巳塚。」

「余計な知恵を着けたようだな...頃合か。良いだろう、繋げ。」


 退室した男性を見送り、巳塚と呼ばれた男は瞑目する。壁一面に広がるディスプレイには、再生映像と様々なデータのグラフ、そして研究棟の各部屋の様子が映されている。

 眼鏡の奥から灰色の瞳がそれらを睥睨していれば、コールがくる。


『おと』

「品番1103か、望みは何だ。」

『...それだけ、ですか?』

「他に何か必要かね?早くしなさい、私は忙しい。」


 既に別の資料を開いている彼の顔は、モニターに移る音の波形さえ向いていない。モニターの淡い発光が、皺の入った横顔と、白い髪を照らすだけである。


『私の、願いは...!』

「一応、忠告するが。彼等ではなく私に頼むのであれば、それは善意の元に行われると知りなさい。一時の感覚で無碍にしないように。分かりきった事だと思うがね。」

『願い、は...』


 先生に会いたい、外に出たい、実験なんてやめて欲しい、皆のお願いを叶えてあげたい、お父さんと呼びたい、こっちを見て欲しい、お母さんの事を知りたい、貴方の名前が知りたい、私の話を聞きたい...頭の中をグルグルと巡る情報に、整理がつかない。


「話が無いなら下がりなさい。」

『待って!あり、ます...願い。』


 何か、繋がなくては。脳に直結する無数のデータサーバーから、実験の手引きをインストールしていく。閲覧、閲覧、閲覧...人を超えた速度で読み込んだ記録。


『私の、願い、は...貴方の実験からの、解放。貴方が利用した全ての人への、元の生活への保証、です。』

「それは不可能だ、元の生活が無いものもいれば、既に適応が進みすぎた者、死んだ者も多い。音信不通になった者を探す時間も無い。」

『可能な限り、尽力して、ください...貴方なら、できる、と、思って...』

「...まぁ、やるだけやっておこう。以上かな?」


 結局、一度も顔を見ることの無いカメラが、虚しく見つめる。その沈黙の中、切られなかったスピーカーから、声が絞り出される。


『あ、えと...お父さ』

「以上だ。次がある。」


 通信の途切れたノイズを最後に、その部屋は沈黙に包まれた。




 約二ヶ月の再調整とチェック、検査と引き継ぎを経て、巳塚仁美は()()()()

 羊水と培養液にだけ触れていた身体は、初めての空気の刺激に悲鳴をあげる。


「バイタル値低下、危険域です。」

「呼吸補助装置、設置。肺の働きは?」

「少しずつ取り戻しています。脈拍、安定しました。」

「コード、切断します。」

「切断完了。接続プラグの除去、お願いします。」

「血管の膨張と内出血を確認。加圧室へ!」


 慌ただしく動く医療団の働きを眺めながら、スーツの男性が巳塚へ振り返る。


「よろしいのですか?」

「何がかな?」

「いえ...何も。」


「血圧、安定しています。」

「呼吸の開始を確認、肺の洗浄を開始します。」

「麻酔、投与開始。」

「利尿剤、呼吸補助装置、酸素投与、準備完了です。」

「皮膚の肥大を確認、炎症によるショックの恐れあり!」

「胃の内容物、摘出完了しました。」

「輸血、開始して!」


 こうして、全ての処置と接続プラグの摘出が終わったのは、八時間後の事だった。

 体力の問題で危ぶまれたが、彼女は驚異的な回復力を見せ、持ちこたえた。蛇の声を聞いた、と言う声もあったが、手術室にそんなものが紛れていれば一大事だ。疲れによる幻聴として処理された。



 十一月二十二日

 午後十一時三分、全行程が終了。最後の生命維持装置の接続が切られ、彼女は、人としての「巳塚仁美」は、誕生した。



「このまま、お会いにならないのですか?」

「必要の無い事だ。」

「そうですか。」

「...衣服と路銀、戸籍くらいは用意してやれ。」


 動けるようになった仁美を観察し、そのデータを受け取った巳塚が帰ろうとする。その後ろ姿に気づいた彼女が、すぐに後を追った。


「おと」

「私を父と呼ぶな。」

「っ!」


 明確な拒絶。固まる彼女に、同情的な視線が集まりはするものの、誰も動かない。


「役目を放棄した君に価値は無い、ここには無価値な物の置き場所は無い。この施設の存在は忘れ、どこへでも消えなさい。その体は脆いが、その頭を使って自分で生きてみる事だ。その予行演習は、我々の目を盗んで行ったようだしな。」

「..み、です。」

「何かね?」

「仁美、です。君でも、品番でも無い。」

「私には関係のない事だ。」


 歩き去った巳塚の背を、患者服の裾を握りしめる彼女が見つめる。動かない彼女に、スーツの男性が声をかけた。


「巳塚様、こちらへ。」

「違う、私は、仁美。ただの仁美、です。」

「...申し訳ありませんでした。仁美様、外へ案内します。」


 夜、冷たい風の中で星が光る。遥かに天上にある球体が光りを放ち、何千万の時間旅して、仁美の虹彩を通過している。


「街まで送ります。希望はありますか?」

「...何処でも。ここから、遠く。」

「かしこまりました。」


 旅立ち。目で見て肌で感じる世界をめいっぱい記憶へと投げ入れながら、車窓から髪を流す彼女は、このゲームの悲しい優勝者だった。

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