エピローグThe♌
苛立ち紛れに本棚を蹴り倒せば、外れたレールが頭へと落ちてくる。
「っ!てぇ〜...」
自業自得であり、文句も出てこない。嵌め直したレールに本棚を戻し、散らばった本を片付けていく。
埃が舞い、咳が出る。啜った鼻水にゴミが混ざっていたのか、また噎せた。
「くっそ...丸一日も寝たせいで、身体の動かし方を忘れちまったみてぇだぜ...」
平均睡眠三時間。いきなり八倍も寝れば、違和感しか無いだろう。
「だぁ!腹立つ!!踏んだり蹴ったりじゃねぇか!
そりゃ、納得したよ、したともよ!あれ以外やり方ねぇしなぁ!?だけど...けど!だぁ、クソ!」
心の求めるままに走り出し、木々に八つ当たりしていく。折れた枝はその辺に放り出し、曲がった竹は...そういえば事務所のハンガーが壊れていた気がする。継ごう。
山イチゴを頬張り、山菜を千切り、ついでに見つけたキノコを採って帰る。晩御飯に混ぜようと思うが、下山中に蛇苺を食べたのか、妙に腹が痛い。
「...んで、そのザマか。つか、なんで山だ?」
「健吾君、普通の人ってね?拳痛める前に殴る力抜くの。なんでこうなったの?」
手に包帯を巻き、腹を抱えて唸るバカを前に、大人二人の冷たい目線が落ちる。
「というか、なんでエノキ?」
「や、なんか生えてたから...」
「んで竹だぁ?」
「ハンガーに...」
「と本?」
「あ、やべ。気づかなかった...」
「とバカか。」
「んなもん拾ったっすか...?」
「「お前だよ。」」
不知火のお前呼びはレアだなぁ、などと下らない事を考えているが、割とピンチだ。下手に耐性があったのか、結構食べた。
「まず野山のもん食うなよ。つか、分かれよ。」
「勝手に採るのも禁止だからね?あと粒粒になってないのは毒だからダメね?」
「そのエノキ、炊いて食ってんの俺たちだけどな。」
「俺の分は...」
「「無いよ病人、粥はそこ。」」
冷たい。
冷静に考えれば、かなりのバカをやらかしているので、何も言えなかった。朝に出て翌日の夜に腹痛で帰ってきたバカに、他に対応のしようが無いだろう。
「あー、よく寝た。」
「お前、ほんっと身体だけは丈夫だな。」
「そっすか?」
「普通は一晩で治らねぇよ、その量。吐いたか?」
「いや、寝てたっす。」
「なんで寝れた...?」
この養父には言われたくない、そんな文句は飲み込んで、ラジオ体操を続ける。ついでに懸垂を始めた頃に、不知火も出勤してきた。
「獅子堂、健吾君、おはよう。」
「おう。」「うっす、おはようございます。」
「え、昨日の様子と違う...まぁ、健吾君だしね。」
「え?えぇ。そっすね?」
「もうお前喋るな、バカが露呈してんぞ。」
慣れない頭脳労働の反動だろうか、頭が働かない。【積もる微力】が、もう少し抑えてくれりゃ良かったのに、等と叶わない事を考える。
「...ん?そーだ、陽富!」
「お前、忘れてたのか!?」
「え、なに?明日、世界終わったりする?」
「やっべぇ、二日も行ってねぇ!ちょ、今から行ってくるっす!すんません!」
「いや、お前は休暇中だからな?そもそも事務所に居んのがおかしい。」
「行ってらっしゃ〜い。」
「ぅす!行ってきます!」
言うが早いか、事務所を飛び出して駅のホームへと駆け下りる。慣れた電車に飛び乗り、いつもの駅で降り、お菓子を買って病院へと駆け込んだ。
「陽富!」
「うわっ!びっくりしたぁ...お兄か。」
「あれ?普通の反応...」
「いや、休暇出されたって不知火さんに聞いたから、遂に倒れたかって思って...もう治ったの?」
「遊びに行ってたとかの選択肢はくれねぇのな。」
この野郎、と小突きながら、買ってきたお菓子を傍のデスクへと置く。
彼女の病は脳の物らしく、食べ物の制限は無い。というより、何も制限が無い。怖いくらいに。
「どうだ、調子は。」
「んー、もう痛くも無いし。ピリピリするのも、腰で止まっちゃったから、手とかお腹は自由に動くよ?」
「そっか...でも、急がないと中学生終わっちゃうな。」
「しょうが無いよ。それに、今戻ってもお受験だし〜!」
「いや、色々あんだぞ?ほら...あー...」
「その頃には、もうあんまり行ってなかったでしょ、お兄。」
ジトリと眺めるその目から視線を逸らし、窓の外を見る。冬の近づくその季節に、枯葉が一枚二枚と落ちていく。
「そういえば、お兄はもうお酒飲んだの?」
「あ?なんで。」
「だってもう一ヶ月じゃん。あれ?二十になったよね?」
「あぁ〜...おう、そうだな。今二十歳だ。」
「自分の歳ぐらい覚えとこうよ...」
そういえば気にしていなかった。養父が飲んでいるのは見た事あるが、飲んだらアルバイトに行けないので飲む気も無い。
とはいえ、そんな事を言えば夜間バイトがバレるので、言う訳にもいかない。強引に話題を逸らすべく病室内を見回すが、寂しい病室だ。
「こう何もねぇと、普段何してんだ?」
「ん?ほら、こういうのとか?」
彼女が示したのは、スマホの画面。漫画の絵がズラリと並ぶそれは、健吾にはちんぷんかんぷんだ。
「あ、これは知ってるぞ。なんか息して妖怪を斬る話だろ?」
「流石にざっくり過ぎない?まぁ、間違っては無い...のかなぁ?あ、あとはこういうの。」
「動画?」
「うん。歌の人とか、アニメ作ってる人とかもいるよ?」
「へぇ〜、これ一人で作ってんのか。すげぇ人がいるもんだな。」
「いや、一人でやってる人は少ないと思うけどね!?」
「お、この声聞いた事ある気がする。何処でだっけか...?」
「七転びさん?電車とかじゃない?」
休止しちゃってる〜、と落ち込んでいる陽富の横で、稼ぐ方法を考え直している健吾の元へ、着信がくる。
完全に意識の外からの音に、跳ね上がって椅子から落ちた健吾を、呆れた視線が見下ろした。
「何してんの?」
「いや、なんだろな、ハハ...」
苦笑いのままに電話に出れば、叫び声が鼓膜を劈く。
『テメェ健吾ぉ!?何やらかしやがったぁ!!』
「うぉ!?え?サーセン!!」
『バカヤロー!謝んな、いや謝れ!!なんだこれ!』
「すいません、なんスか!?」
『小切手だ!4000万だぞ、4000万!』
「はぁ...はぁ!?」
目を見開く兄に、怪訝な顔をする陽富だが、電話の声は容赦なく続く。
『獅子堂君へ、約束の協力の対価と情報の謝礼だ、Sより...心当たりねぇんだろうな?』
「いや、そんなん知らな...あ。」
『健吾ぉ!テメェ、人の道は踏み外すんじゃねぇってあれほど...!』
「いや、ちが、誤解っす!!」
ゲームの事を、どう説明するべきか。でも、これで陽富が治るかもしれない。
「はは...三成さん、半端ねぇ...」
「え、何お兄。怖...」
最後まで粘って良かった。
壊れたように笑う健吾に引いている妹の声も、届かない。電話越しの養父の怒鳴り声も、何処吹く風だ。
(センキュー、レイズ。お前のおかげだな...)
吹っ切れた健吾の想いに、僅かに背中が熱をもったような気がした。