星空の凜然
片足の【積もる微力】に、踏み込みはできない。霊体化し、健吾に取り憑いた精霊に、【混迷の爆音】は怪訝な顔をしながらも躊躇を捨てる。
確信に満ちた胸中が、嫌という程伝わってくるのだから。立ち向かうように走り出す健吾へ、笛を叩き落とす。健吾が左腕を突き出せば、闘気を纏った腕が背後から笛をかちあげる。
『返すか...!』
『俺を動かすには温ぃんだよ、ダボがぁ!』
闘気越しの一撃は、【積もる微力】へと衝撃を伝えない。迎撃が間に合いさえするなら、打ち合いで彼の体勢を崩すことは困難だ。
『レオ!左脚は使うなよ!』
「分ぁってる!テメェは顕現のタイミングだけ気をつけてろ!」
打ち返された笛を後ろへ叩きつけ、それを支柱に脚を振る。
右から迫るそれに、無いはずの右腕がぼんやりと浮かび、掴み取る。
『逃がさねぇぜ。』
『頼みますよ。』
掴まれた脚へ全体重を預け、自由な脚で顔へと蹴り込む。左腕で受け、その衝撃に後ろへとグラつくが、それは問題にはならない。
『生意気やってんじゃ...ねぇぞぉ!!』
腕の力だけで振り上げ、頭上へと笛ごと掲げ、反対側へと叩きつける。肩を打ち付けた【混迷の爆音】が、脚を振り回して牽制すれば、倒れないように霊体化するしかない【積もる微力】は離れるしかない。
飛び退いた健吾と、脚を離して霊体化した【積もる微力】。解放された【混迷の爆音】が立ち上がり、白シャツに着いた土を払った。
『相変わらずの力量のようで。』
「そっちが軽いんだよ、多分な。」
『お褒めの言葉と受け取っておきましょう。』
担ぎ直した笛の重みが、肩の線を歪ませている。健吾の吐く息が、荒く目前を白に染め、憑いている【積もる微力】にもその緊迫が伝わる。
「まだ行けるよな、レイズ。」
『ヨユーだ、ヨユー。』
『あの怪我で行けるとの判断とは...本当にタフな御仁だ。貴方達を半ば蔑んでいたこと、謝罪しましょう。少しブレもあり矛盾も孕む姿勢は変わらず呆れますが...その本能染みた心は、羨ましくさえある。』
「バカにしてんのか!」『バカにしてんだろ?』
『さて。』
肩を竦めて有耶無耶にする【混迷の爆音】に、苛立ちのまま駆け寄る健吾。敵相手に遠慮はいらない、右肩を引き、突き出す...勢いで右足を振り上げた。
拳を警戒して正面高めのガードを張った【混迷の爆音】へ、低い位置、横からの蹴撃が入る。左脚の無い【積もる微力】は宙に浮く形だが、すぐに霊体化すれば次の攻撃へとスムーズに移れる。
『予想外...!』
痺れるような痛みが膝から登り、笛を肩から落とす【混迷の爆音】へ、左フック。顕現した【積もる微力】の剛腕の一撃が、【混迷の爆音】の腹へと突き刺さる。
「まだまだぁ...!」
健吾の連打に合わせ、顕現する精霊の四肢。闘気が蓄積していくその攻撃を、時に受け、時に流し、時に笛で防ぎながら、ジリジリと後退する。
重みが増し、体の動きが鈍る。防げない攻撃が増える。精霊でさえ押し切るような、息をつかせぬ連続攻撃。
「だぁらあぁぁ!!」
肺の中の空気を絞り切るような咆哮と共に、渾身の蹴撃を突き上げる。胸部へ吸い込まれる靴底がブレて、揺れる闘気が出現する。
【積もる微力】の太い右足が突き出され、笛のガード越しに【混迷の爆音】を吹き飛ば...せない。
『これを待っていた!』
契約者が動く以上、精霊の耐久値よりも呼吸の切れ目が早い。激しく四肢を打ち付け続ける健吾の肺は、空気を取り入れられない。
僅かな呼吸の隙に、全身全霊を持って流し切り、カウンターを叩き込む。横に流した健吾と【積もる微力】の脚、それより細く、長く、強靭な【混迷の爆音】の蹴り足が風を切る。
『吹き飛べ...!』
「守れ、レイズ!!」
『間に合うか...!?』
迎撃にも回避にも届かない、その身を盾にするだけの顕現。ミシリと骨が、それを包む肉が千切れるような音。役目を終えた【積もる微力】が霊体化し、吹き飛んだ健吾が受身を取る。
段階的に地面を打ち、転がり、衝撃を精一杯に抑えた健吾が呻く。立ち上がれない彼の前で、膝を着いた【混迷の爆音】が口角を上げる。
『相打ち、といった所でしょうか。』
「こっちは致命傷じゃねぇんだよ...!」
『私も、限界とは程遠いですがね。』
互いに立ち上がろうと藻掻く一人と一柱。ダラリと下がった精霊の腕は、関節が増えている。軋む胸部に空気を送り込む度に、健吾の口に錆の匂いが広がる。
「その腕で、まだやるのか?」
『貴方こそ、口ぐらい拭えば如何でしょうか?それに、精霊は直撃しましたが?』
動ききった後の硬直、その隙に叩き込まれた蹴りは、脱力した胸筋を押し込み、肋骨へと届いた感触を届けていた。直接食らった【積もる微力】が、無事に済んでいるとは思えない。
「だからどーしたよ、俺が行けるっつったら行けんだよ。」
『よく分かってんじゃねぇか、レオ。』
網目状に裂けた胸から垂れる血を意にも介さず、顕現した【積もる微力】が挑発的に笑う。牙を剥き出したその口を乱雑に拭えば、朱が顔を彩る。
『死化粧にしては派手ですね、準備はよろしいので?』
『戦装飾ならもうちっとマジにやるさ、だが獣一匹を殴り飛ばすだけの狩りにゃあ、必要ねぇだろう?』
『確かに、獣であれば雑な物でも良さそうなものですね。誰も獲物の顔など気にしませんでしょうから。』
『くたばるのはテメーだって話なんだがな?』
握りこんだ拳から、闘気が揺れる。取り憑いて動くには、健吾の体力が持たない。それに、今の【混迷の爆音】になら無茶な体術も必要ない。
飛び出すのなら、片足で十分だ。四肢を用いて駆けるなら、追撃も行える。土と血に塗れ、負傷した今。体裁など気にかける余地も無い。
『暫く寝てろ、レオ。前に出張る契約者なんざ、想定されちゃいねぇよ。』
「散々引っ張り回した挙句に言う事じゃねぇよ、それ...呼吸が整うまでは、花持たせてやんよ。」
『来るか...!』
片腕で振り回すように、笛を肩の上へと移動させた【混迷の爆音】が腰を落とす。満足な力も入らない左腕は、ダラリと重力に負けている。
重心右に偏らせている【混迷の爆音】へ、右脚で大地を蹴って飛び出す。強引に傾けた体幹により、構える精霊の左側へ。
両腕を着いて停止し、その勢いで振り上げた脚が回転する。側頭部へ迫る蹴り脚へ、迎撃が間に合わない。しかし、ここで回避すれば笛を落とす事になる。片腕で操るには些か重い得物だ。
『ならば...!』
折れた角をその拳へと突き立てる。硬質な部位は防具としての役割を果たし、ダメージを最小限に【混迷の爆音】を打ち崩す。
崩れた彼の肩から落ちる笛だが、既に脚を振り切った【積もる微力】になら間に合う。足が地面に着くよりも早く、遠心力と慣性が笛の先端を鬣に包まれた顔へと届ける。
『ヌゥン...!』
振り切った笛に振り回された【混迷の爆音】が膝を付き、カッ飛ばされた【積もる微力】が背中から落ちる。
すぐに互いを睨む二柱は、状況を把握するより早く肉薄する。飛びかかると同時に振り下ろされる笛、それを叩き落としながら、【混迷の爆音】を掴み引きずり落とす。
互いの首を掴み、転げながら攻撃を止めない。押さえつけて殴りかかる【積もる微力】へ、下から【混迷の爆音】が蹴りあげる。
上下が入れ替わり、噛み付こうとする【混迷の爆音】の顎を、燃える拳が撃ち抜いた。
『いい加減くたばりやがれ...!』
『そちらが落ちてください...!』
健吾との距離が離れた為、【積もる微力】の一打が致命傷にならない。武器を失い、加速する為の距離もない【混迷の爆音】の一撃もまた、もたついた物だ。
千日手になりかけている二柱へ、荒い息遣いと共に叫び声が聞こえた。
「レイズぅ!ソイツ抑えてろぉ!」
『動かすなって事だな!?』
「そうだ!」
瓶を片手に此方へと走る健吾に、【混迷の爆音】が膝を曲げる。首と角を持って振り回している【積もる微力】が、片足で抑えるももう一本ある。
入れられて溜まるかと向けられた踵へ、臆面なく突っ込む健吾が蓋を捻る。
「危ねぇのに近づくかよ...!」
現れたのは、【混迷の爆音】の笛。担ぐ事も困難なそれが空中に現れ、健吾の片腕が掴み取る。長大な笛を。
『なっ...!』
『おい待てレオ...!』
「潰れとけぇ!」
落ちるそれを、誘導するだけの力ならある。慌てて下へ潜り込む【積もる微力】の上で、【混迷の爆音】が脚を振り上げる。笛を蹴り飛ばしたその瞬間、その無防備を【積もる微力】は逃さない。
引き寄せ、蹴り上げ、放り投げる。巴投のように放られ、背中から落とされた【混迷の爆音】が空気を求めて口を開けた。
『レオ、畳み掛けるぞ!』
「合わせろよぉ!」
取り憑いた【積もる微力】の身体を、敵へと運ぶ。起き上がろうとする【混迷の爆音】の顔は、ちょうど正面にある。
肩が動き、先が失われた右腕が引かれる。その断面が届く勢いで突き出せば、ユラリと顕現した拳が追い抜いていく。
「『ダァララアアアア!」』
続く左拳、それが引かれるより早く右拳、間を埋めるように闘気が弾け、その間に左。
「『アアアァァァァ!!」』
後ろへ、下へと飛ぶ【混迷の爆音】の顔を追う。呼吸の続く限り、全力で腕を振るい続ける。
「『ァァァァアア!!!」』
肺へ取り込んだ空気が出るその最後の一息と共に、振り上げた脚を回し薙ぐ。
横へと蹴り飛ばされた【混迷の爆音】へと積もった闘気が炸裂し急転直下、地面へとその首をたたき落とす。
「っはあ!やっ、たろ...!」
『これで、動いてきやがったら、マジで、バケモンだっつの...!』
息を切らせて座り込んだ一人と一柱。その有様もまた、動けたものでは無いのだが。
移動能力に乏しい健吾達に、この広場を離れる選択肢は取りにくい。ここを中心に、外から崩壊しているのだから。
「つーか、なんでこんな事になってんだよ...訳分かんね〜。」
『んな事考えてる間に休めよ...なんか来たら呼べや。』
霊体化した【積もる微力】が消え、目の前にダラリと転がる【混迷の爆音】だけが残る。つかの間の休息となるだろうこの時間、空の星を眺めて息を吐く。
残り時間は...少ない。
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