星空の賛歌
振り上げられた脚、小太刀を空ぶり、高く上がったそれに、刃が吸い込まれる。
盛り上がった筋肉へ、そして太い骨へ。音速に迫る凶器が、風のように通過した。切断された脚が舞い、重い音を立てて芝生へと転がる。
『ヤ、ロォ...!』
『獅子の...!』
『Checkmate、ここまでです。』
振り切った小太刀が閃き、【積もる微力】の首を狙う。同時に真樋によって放たれた弾丸も、こめかみに迫る。
崩れたバランスに、倒れ始める精霊に回避の選択は取れない。小太刀は掌を切りながら掴み、それを弾道へと強引に引きずった。
『Shit、まだ堪えますか。』
『トロいし足りねぇんだよ、オメーらのは。軽すぎんだからもっと数持ってこいや!』
無事な左腕で白布越しに一撃。顎のズレる感触を感じながら、殴りぬける。吹き飛んだ【宝物の瓶】へ向け、尻もちを着いたままに親指を下げて叫ぶ
『ザマァみろ、カスが!』
積もった力は、万全の彼に比べれば赤子のじゃれ合いのようなもの。しかし、ズシリと感じるそれは、確実に【宝物の瓶】の動きを阻害する。
『Sorry、マスター。油断を。』
「構わない、ここで仕留めればいいだけだ。」
左目と左脚を失った【積もる微力】。
手傷を負って笛を失った片角の【混迷の爆音】。
どちらも恐れる程でも無い。もう一度銃を構えた真樋だが、その手を握り、引き寄せられる。
「止めて...!」
「君が動くのは、ちょっと意外だったよ。死にたいの?」
「死にたく無いから、止めてる。貴方の精霊しかいなくなったら、私は生き残れない。」
「そう、なら予定より早いけど、寝ると良いよ。」
放たれた弾丸が小竜の精霊に弾かれ、マズルへと還る。次の弾丸が装填されている自動拳銃の中で、爆発が起きた。
すぐに壊れたそれを放り出し、前に出た精霊を掴む。
「やっと至近距離に出たね。思った通り、力の弱い精霊だ。」
両手でガッチリと掴まれてしまえば、藻掻く以外に出来ることは無い。辿るも逆らうも、「触れている」事と「現在進行形でエネルギーが消費されている」事が条件。
彼の脱出を手伝うエネルギーは、存在しない。何処までも自分からは動けない精霊なのだ。
「返して...!」
「断る。」
縋り付く仁美を脚で押し離し、自らの精霊を呼ぶ。隣に現れた精霊に、短く告げる。
「やれ、ピトス。」
『...Roger、マスター。』
拭われた小太刀が、冷たく月明かりを落とし込む。走り出した仁美へ、【辿りそして逆らう】の声が後を追う。
それよりも早く、肉薄した【宝物の瓶】の武器が赤く染まった。右腹を貫いた刃を、血が滴る。
「かふっ...!」
『Sorry、マスター。仕留めそこね』
最後まで言い終わる前に、硬い何かが割れるような音が響く。何事かと周囲を見渡す一人と三柱の目の前で、街の端から崩壊を始める。
「何が起きてる?」
逃げ出した【辿りそして逆らう】に手を伸ばす事も出来ず、唖然とする。そんな彼のポケットから振動音が鳴り、その発生源をつかみ出して開けば、一通の新着メール。二日目以降、沈黙を保っていた連絡先だ。
『緊急のお知らせ
統合したサーバーデータを管理するメインサーバーが一部破損しました。現在、処理速度の低下原因を究明中。プレイヤーの皆様は街の外、サーバー外へ落ちないようお気をつけください。』
「...は?いや、なにそれ。投げやり過ぎない?というか、何さ統合したって。そんなの聞いてないんだけど。ここに飛ばされたタイミング?というかそんなのでデータ壊れる方がおかしいよね?天球儀での争いを想定して無かったの?復元したとしてもこんなにすぐに壊れるって雑でしょ、安全なんだよね?」
『マスター。』
「これでアイツまで目が覚めないとか、そうなったら冗談でも笑えないんだけど。そもそも残り時間は?ゲームの結果はどうなるのさ。落ちたら?そんな中で続けろって?第一、この空間は何処まで広がってるのか知らないけど、それが崩壊すること自体」
『マスター!』
「何さ!」
怒鳴り返す真樋の目には、無感情な白い布だけが風に揺れている。
『マスター、冷静に。文句を言い募っても状況は変わりません。』
「そんなこと...分かってる。」
『understanding、出過ぎた事を。』
「いや、助かった。ありがとう、ピトス。」
携帯をしまい、目の前に倒れた仁美を振り返る。精霊が巻き付き、治療を開始しているが、血が止まらない。本人の体力が尽きかけているのだろう、回復に回す余力が無いのだ。
「延命措置って所かな...あれなら傷が塞がったとしても、動ける頃には時間切れでしょ。一番安全なのはここみたいだし、とりあえず精霊の排除を進めようか?」
『Roger、マスター。』
『ガキ一人の次かよ、舐めてんじゃねぇぞ...!』
「これでも焦ってるんだ。外側から崩壊してる、直に二人も」
「呼んだかしら?」
「...まぁ、こうなる。」
見通しの良い丘は、声もよく通る。歩いてきた登代の姿を確認するより早く、真樋から溜め息が漏れた。
しかし、それだけだ。【混迷の爆音】の負傷が治る訳でも、大きく戦力が上がるわけでも無い。動けない物が動けるようになるのは厄介だが、対処はできる。
『お嬢、ご無事で。』
「私はね。でも、貴方は大変だったのね。それのせい?」
『えぇ、そうです。』
答えながら開けた瓶から、重い音がして笛が飛び出した。肩を竦める【混迷の爆音】に、真樋が視線をやる。
「あんまりガッカリって感じでは無いね。」
『空よりは良いですから。大方、死角に入った時に瓶を入れ替えたのでしょう?慌てた私がお嬢の上で開けば、といった所ですか?』
「というよりは、獅子座の精霊の契約者が先だった時の為、かな。君のその傷で、僕らに追いつけるとも思わないし。」
『左様ですか。でしたら...』
踏み出す音は一瞬、目の前が暗くなった真樋を、【宝物の瓶】が引き寄せて跳ぶ。
吹き飛ばされる土砂が顔に当たり、ハッとする彼の前で、重そうに笛を担ぎ直す精霊が、血を飛ばしながら呟いた。
『見くびられたものだ、とだけ言っておきましょう...!』
「まだ動けるの...?見た目よりタフな精霊だ。」
『私はそれほど頑丈では。お嬢の決意が堅いのです。』
「あぁ、そう...なら折るまでだ。ピトス!」
蓋を開けた空瓶を構え、【混迷の爆音】を睨む真樋の叫び。それに呼応した精霊が、一陣の風となって契約者へと走る。
反転して跳ぶ体力は残っていない。即座に息を吸い、笛を吹き鳴らした【混迷の爆音】により、真樋が吹き飛び、【宝物の瓶】の意識も消失する。
その間に、山羊頭の精霊と合流した登代が、彼の肩に手を置いて語りかける。
「離脱!行けそうかしら?」
『ちょうどいい物が手に入りましたので。失礼しても?』
「優しくしてちょうだいね?」
『かしこまりました。』
瓶の口を登代の額に当て、それを懐に仕舞って跳躍する。逃がすものかと追いすがる【宝物の瓶】には、笛を振って牽制する。
空中では回避も出来ず、小太刀で受けた精霊が落ちる。そのまま追いかけようと走り出す精霊へ、真樋が叫ぶ。
「いい、行かせておけば!どうせ毒が回る。それよりも、今は目の前の精霊だ。」
片脚だと言うのに、ふらつきながらも立ち上がった精霊。力が出るようになっている。契約者が近づいた証拠だ。
「多分、【浮沈の銀鱗】が牽制してくれてるんだ。今のうちに倒すよ、ピトス。」
『Roger、マスター。』
『簡単に言ってくれるぜ、おい...!』
駆け抜け、小太刀を滑らせていく精霊の攻撃を、刀の腹を殴って逸らしていく。瓶を使えない【宝物の瓶】と、契約者から離れた【積もる微力】。
その力の均衡は、防戦一方。顔に、そして刀に力が積もれど、防衛が楽になるかならないかという差でしかない。
『Great、耐えますね...』
『言った、ろーがぁ...テメェ、らの、攻撃が...足りねぇんだ、ってよ...!』
潰れた左の視界、そこへ回り込み続ける【宝物の瓶】を、風切り音と直感に従って捌き続ける。少しずつ、力が出るのが分かる。来ているのが、分かる。
『ったく、遅ぇよバカが...』
『Oh My God...マスター、どうしますか?』
小太刀を掴み取った【積もる微力】と、急接近する【浮沈の銀鱗】の気配。遅かったと判断して指示を仰ぐ【宝物の瓶】へ、真樋も頷く。
「せめて切り札を得てからにしよう。アレは彼女に預けたままだからね。」
『させる訳ねぇだろうが。』
小太刀を引き、寄ってきた【宝物の瓶】を雑に殴り倒す。起きようとするも、二発分も顔に積もっていては重みが違う。起き上がるために顔を回す狩衣の精霊へ、轟音が鳴り響く。地面を伝う音、そして音を超えた振動が身体を襲う。
『そういう事かよ、世話が焼けるなァ!』
滾らせた闘気を用いて、丘を殴りつける戦士の精霊。どんどんと苛烈さを増す乱打に、芝生が揺れる輝きに包まれていく。
『ハァ!イグニッション!』
一際、振動が大きくなった瞬間に炸裂する闘気の奔流が、地面を大きく陥没させた。下に流れていた水路、それを塞ぐように。
突然の抵抗、高まった圧力が逃げ場を求め、大量の水が吹き上がる。その中から【浮沈の銀鱗】と、彼に捕まる健吾が落ちてくる。
『よぉ、レオ。遅かったな。』
「ぶはぁ!あぁ、死ぬかと思った...ナイスだ、レイズ。」
下へと潜られる前に【浮沈の銀鱗】を殴り飛ばし、健吾の足を掴んでぶら下げる。投げるように後ろへ離された健吾が、前に回って受身を取りながら大の字になり、荒く呼吸を繰り返した。
「結構な怪我だな。」
『休ませて貰ったんでな、これくらいは問題ねぇよ。それよかテメェが無事かぁ?』
「ドリンク休憩みたいなもんだ、気にすんな。よっ、と...」
勢いをつけて立ち上がった彼が、短髪の水滴を乱雑に払い、後ろへ流す。いつも通りの位置に収まった剛毛から手を離し、相棒と並び立って一人と二柱を睨む。
「さぁ、レイズ。反撃開始だ!!」