気の抜けないゲーム
現在時刻、21時。
残り時間、10時間。
残り参加者、5名。
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Code.Aquarius
痛む肩を庇いながら、ビルの屋上へと降り立った白布の精霊が、その血を拭いながらすぐ下の部屋へと飛び込む。開いていた窓から吹き込んだ彼に、待っていた契約者が読んでいた本から顔を上げた。
「おかえり。上手くいかなかったみたいだね。」
『Sorry、マスター。』
「謝ることは無いよ、今回の主な目的は牽制なんだし。これで本気で戦わざるを得なくなる。そうすれば...焦りが出る。」
カラン、と打ち合った瓶が、机の上で揺れる。そして倒れたそれが机から落ち...真樋の膝へと着地した。
「満足した者、心の折れた者...恐怖した者、焦った物。落ちていくのはそういう人だ。だから僕が冷静でいられるように...常に僕以上に不安定で居てもらわないと。」
二つの瓶を懐にしまい、真樋はテレビをつける。下の暴動の他に、崩れたビル群とひっくり返った車の群れ。
「他のチャンネルも似たり寄ったりか...大きく動いてるのは、山羊座の組だけみたいだね。あの瓶、まだ使わないんだ。」
『Thats、脅すからでは?』
「事実だし。秘匿するのは、誠実さに欠けるだろう?彼女とは対等な取引でないと、すぐにバレる。」
逃走中の装甲車を追うヘリの映像を眺めながら、真樋は手持ちの瓶を開けた。
「とりあえず、傷を治したら?傷だけならかけても治るだろうし、それなら酔いも無いだろう?」
『Thanks、マスター。』
「とりあえず、暫くは待機かな。目的の物は取れたんだし。」
ネクタルの瓶と交換で、【宝物の瓶】から預かった瓶。その中身こそ、狩衣の精霊が単独行動をしてまで回収してきた物だ。帰りに仁美に遭遇した時は警戒したが、バレてはいないらしい。
「奥の手は渡しちゃったし、準備は大事だよね。」
使えそうなものは片端から回収する。嵩張らない【宝物の瓶】の能力を、存分に活かす方法の一つだ。
中身を開いて確認すれば、ゴトンと床が揺れ、大きな白磁の笛が転がった。揺らめき這う輝きは消え、亀裂の入った武具。
『Question、使い方は?』
「相手の奥の手を持ってるんだ、幾らでも使い方はあるさ。まぁ、僕らが使えれば一番だけど...無理でしょ、これ。」
持ち上げようと力を入れた真樋だったが、数秒とせずに諦める。成人男性より、余程重い。こんなものを振り回す気が知れない。
とりあえず瓶に戻し、【宝物の瓶】に返しておく。自分で持っていても、意味が薄そうだ。ネクタルは受け取り、懐にねじ込んでおく。
「ふぅ、結構夜も深まったけど。そろそろ人も落ち着い...ても無いね。」
下を見れば、続く喧騒。飽きもせずに家に帰ろうとするものばかり。
管理されたここの方が、余程安全だろうに。家族や家財の心配など、頭の隅にすら浮かばなかった真樋は嘲笑し、窓を開けた。
「遅かったじゃないか、【浮沈の銀鱗】。着地、頼むよ。まずは回復能力者から潰そう。」
霊体化していても位置は分かる。自分に憑いているのを認識したタイミングで、窓から下へと飛び出した。
『無茶をする...!』
呼吸用にガジェットを加え、迫る地面を眺める。目前で波紋が広がり、真樋の身が地に沈む。少しして押し上げれる感覚、地表に出ればホテルの裏の駐車場だ。
『その加えたもの、地中で意味があるのか?』
「水中のとは別で、ただの空洞状の安物だよ。少しは潜水時間を伸ばせると思って、作ってみた。」
『なら遠慮なく潜るぞ、苦しくなったら叩け。して、場所は?』
「まだ天球儀にいるよ。ほら、映ってる。」
『見せんで良い、それより掴まれ。』
真樋がスマホをしまい、背鰭を掴んだのを確認した瞬間、加速する。
ここから天球儀までは数分。息が持つのもちょうどそのくらいだ。カウントし、余裕が出来たと判断した真樋の合図で、【浮沈の銀鱗】は潜水する。
音が聞こえる。土を伝わる振動は背後と、そして正面。背後の喧騒は此方に向かうものもある。離脱力の高い真樋達にはそれほどの驚異にはなり得ない。
正面、小さな反応。あまりにか細い、そして不規則な足音。本調子ではないのは確か、チャンスだ。回復仕切る前に、刈り取る。
『小僧、出るぞ。準備は良いな。』
光のない土の中、暗闇の中聞こえた精霊の声に、手に力を込めて応える。それを合図に、浮力を一気に高め、急激に浮上する。
反応は真上、このまま当たる。噛み付きでは、千切れるまでのラグで還される恐れがある。口内を蹂躙されるのは致命的、故に選択肢は体当たり。
土へ、コンクリートへ、そしてタイルの飛沫が銀色の鱗を滑り、地表へ出た途端に弾け飛ぶ。打ち上げられた仁美へ、すぐに追撃を行う。
「【辿り...そして逆らう】っ...!」
振り回された尾鰭に、小さな精霊が突撃する。還された力はバランスを崩し、放り出された真樋を抱え、【宝物の瓶】が離脱する。
壁まで飛んだ【浮沈の銀鱗】から、飛沫する金属片。水滴の形状は鋭い流線型であり、当たれば最悪は死。空中にいる仁美には逃げ場が無い。
切り裂かれ、投げ出された地面の上を転がる。左足が、そして両腕が動かない。切断は...されていない。大量の出血と強すぎる痛みがシャットアウトされ、強烈な熱さと寒気を錯覚する。
『シャー!』
「威嚇よりも先に、する事があるんじゃない?」
天球儀へと飛んで行った【浮沈の銀鱗】を待ちながら、草原の上をゆっくりと歩く真樋。深い呼吸、落ち着いている。目の前の惨劇に少しずつ頭を慣らし、彼は精霊に告げる。
「やれ、ピトス。」
『Roger、マスター。』
掲げられた小太刀が、冷たく光る。治療に全能力を捧げている【辿りそして逆らう】に、防ぐ術はない。
『小僧!伏せろ!』
突如響いた怒号に、真樋は迷わずしゃがみこむ。攻撃と回避、一瞬迷った【宝物の瓶】が、次の瞬間に吹き飛んだ。天球儀へと激突し、崩れた天板が辺りに降り注ぐ。
「何が来た!?」
『我が知るか!馬鹿でかい騒音が止まったから、慌てて戻ってきただけだ!』
「あーもう!とにかく離れるのが良さそうだ。ピトスを回収してきてくれ!」
次が来ない事を確認しながら、真樋は地を泳ぐ精霊に指示を飛ばす。ぐったりとした仁美の傍を、彼女の精霊は離れない。
殺す暇があるだろうか?彼女の精霊が奥の手を持っていないとも限らない。自由な瓶は残り一つ、試しに使うには躊躇する。
「このまま放置しておけば良いか...行くよ、【浮沈の銀鱗】。」
『言われずともだ。次の目的地は?』
「北の方に煩いのがあれば。」
『それなら...どこにも行く必要は無さそうだが?』
「それってどういう」
真樋が何かをいい切る前に、天球儀を囲む鉄柵がへし折れる音。其方を見れば、向こうから大量のパトランプが迫ってきている。
その先頭で、機関銃をばら蒔く男には見覚えがある。嫌なタイミングで出会ったものだ。
『おいレオぉ!なんかいんぞ、もう一発投げとくかぁ!?』
「うるせぇよ、今それどころじゃねぇんだよ!」
『んじゃ、あれどーすんだ!』
『少し静かに出来ないのでしょうか...』
何故か共に乗っている【混迷の爆音】に、苦い顔をした真樋が【浮沈の銀鱗】から降りる。逃げる?冗談では無い。もう時間が無いというのに、ここで遭遇できた物から目を離したくは無い。
しかし、近くに脅威があるのも事実。なんなら、目前から迫ってくるのも脅威だ。
「毒と笛、山羊はどうにかなる...問題は獅子だ。」
まだピンピンしている様子、真正面から競う気は無い。継戦能力で言えば、【積もる微力】は随一だ。喰らえば喰らうだけ不利になる攻撃もそれに拍車をかける。
一方の【宝物の瓶】は、準備した罠や瓶を使い潰す戦い方。この終盤戦で出来ることは少ない。【浮沈の銀鱗】の能力も、【積もる微力】相手では有効とも言い難い。
「この子を人質...逆上されたら堪ったもんじゃないな。それに、協力体制がどれほど強いものかも分からない。」
自分なら、寿子を捕まえられようと、自業自得だと切り捨てる余裕があるならする。【混迷の爆音】の武器を奪った今、健吾が仁美を助ける意味は見いだせない。
とりあえず、【宝物の瓶】を吹き飛ばした物を探らなければならない。何か見えないかと目を凝らす。パッと見える位置には何も居ないようだ。本気で隠れられては、素人に見つかるはずも無いが。
『おい、またか!今は思考に溺れている場合では無いぞ!出来もしないのに情報を得ようと無駄な努力をするくらいなら、早々に決断して動け!死ぬぞ!』
「あ、あぁ。すまない。あの車両、こっちに来るみたいだ。おそらく、あれを入口すれすれに止めて、それを盾に立てこもる気だったんだと思う。一度潜って離れるフリをして、天球儀に入ろう。」
『なら急いで捕まれ!』
焦りを見せる精霊にしがみつき、潜水した瞬間に轟音。大質量のぶつかる衝撃音だ。
(まさか、大砲...?そんな訳無いか。)
授業で見たビデオ、その音から推測するが、こんな位置にそれが設置されていない事は覚えている。そうそう動かせるものでも無い。
すぐに【宝物の瓶】にネクタルをかけるが、目を覚まさない。傷は塞がったが、思ったより損傷が大きかったらしい。
「このすり鉢状の地形なら、君の能力でも戦えるか...中央の投影機を壊さないように行けるかい?」
『誰にものを言っている、難しい事では無い。』
投げ飛ばされでもしたら、どうする気なのだろうか。それとも、そんなことにはならないという自信か?今は信じることにして、彼等の突入を待つ。