落ち着きの無い精霊
闘気を滾らせ、弓を構える精霊に立ちはだかる【積もる微力】だが、そのダメージは抑えきれていない。流れる血が止まっている訳でも戻った訳でも無く、痛々しい姿はそのままだ。
『先に治療したらどうだ?そのくらいの時間はあろう。』
『いや、契約もダメージもこのままでいい。良いハンデだろ?』
『そうか...後悔するといい!』
瞑目した精霊が、一呼吸、深く吐く。それで完全に切り替え、ルクバトに飛び乗り弓を放つ。
あっという間に集中状態になった精霊の矢は、正確に関節と眉間を狙う。続けざまに放たれた五本を、契約者を抱えて跳ぶことで回避する。
『上に行くなど、愚策でしか無いぞ。』
『んなもん、やり切ってから言いやがれ!』
空中で動けない精霊に、何発もの矢が飛びかかる。片腕で背中へ回る健吾を確認し、その全てを叩き落としていく。
『ここまで変わるか...!』
『トロくせぇ木切れを何本飛ばそうが、無駄なんだよ!』
落下の勢いそのまま、走るルクバトへと脚が振り切られる。弓を盾として、蹴り出された勢いも利用して離脱する【疾駆する紅弓】は、攻め手を思案しつつ旋回する。
その出来上がった時間に、視線は警戒に向けたまま【積もる微力】は呟いた。
『レオ、どこまで動ける?』
「まだちっと慣れねぇな...跳ねたり駆けたりじゃなきゃ、着いてってやるよ。」
『着いてってやる、か...俺の契約者がお前で良かったよ。』
「なんだよ、いきなり気持ち悪ぃな...軟弱だのなんだのはどこ行ったんだよ?」
怪訝な顔をする健吾に、鼻で笑って流した精霊が拳を構える。待ち構えるのは中央。どれだけ離れようと思っても、距離が均等になる場所。
動くことに利点を見いだせない状況に、ルクバトの足を止めた狩人の精霊が弓を引く。このまま待っていても出来ることは何も無い。
様子見とばかりに放たれた矢だが、ほんの一瞬でも気を抜けば簡単に命を落とすもの。掴み、弾き、往なす【積もる微力】も油断はしていない。少しずつ手持ちの矢を増やし、健吾に預けていく。
『意地汚い収集癖が貴様の策か?』
『馬鹿の一つ覚えなパチンコよりゃ、冴えてんだろ?』
『それが何かに転ずるならな!』
健吾の契約が生きている今、【疾駆する紅弓】の勘もまた冴えている。敵の動きを集中して観察し、遅い場所、薄い所を頭に入れていく。
(背中の傷を庇ってか、僅かに左腕が遅い...呼吸のリズムが狂ったのか、三度目の動きで脱力しているな...ならば攻め手は、二射放ち、移動して間髪入れずに放つ左からの一手!その為には...)
上へと視線を向け、道筋を瞬間的に把握する。理解はしていない、しかし跳べる場所を感覚的に直感したのなら、それに従えばいい。契約者の恩恵を信じ使いこなしてこその、精霊である。
視線が逸れたのを認識し、何かの変化を悟った【積もる微力】が身構える。次の矢か、隠し玉でもあったかと睨めつければ、なんとルクバトは反転、此方に走ってきた。
『そっちから突っ込んでくるたァ、舐められたもんだな!』
『今に分かる。』
視界を塞ぐように、立て続けに放たれた矢。しかし真正面からの素直すぎる射撃など、【積もる微力】に取っては止めてくれと言っているような物。
掴み取った矢を、二槍の武具に見立てて構える。矢を弾き、迫ったルクバトへ向けて振り払うが、それを【疾駆する紅弓】が矢で受け止めて往なす。
『ちぃ!』
『付け焼き刃で適うと思うな!』
僅かに逸れたその姿勢に、隙を見出して矢を放つ。すれ違いざまに通された弾道は、ひねり揚げた肘で強引に迎え撃つ。
体が捻られ、伸び切り、次の動作が間に合わない精霊を認識し、馬上へと飛び上がる。
『ルクバト!』
叫ぶ狩人の精霊へ、紅馬の脚が振り上げられる。【積もる微力】の右腕を打ち据えながら、騎手を打ち上げる蹄鉄が、咄嗟にしゃがんだ健吾の頭上を掠めた。
宙で振り返る【疾駆する紅弓】が、弓を絞って狙いをつける。すれ違いざまの矢、ルクバトの後ろ蹴り、そして、これが三撃目。
回り込んだ背後、左の肩から首を狙い、全力の一矢が放たれる。首を回して噛み付こうとする【積もる微力】だが、その瞬間に危機感が全身を襲う。
「レイズ、上だ!」
首を回した左腕は、咄嗟には上がらない。右腕は先程の蹴りの衝撃がまだ残っており、ここから飛び退くのは健吾が危うい。
結果、頭上に振り上げられたルクバトの前脚を受ける以外の術は無い。矢だけでも防ぐ為、噛みつきにいく首は止めない。
衝撃に備え、全身に力を込める精霊の脇を、前に出る影が一つ。
「キツいっつってんのによぉ...!」
踏み下ろす為に伸びきった後脚を狙ったタックル。健吾の体格で全体重を込めたそれは、鍛え上げられた軍馬の身体を揺るがし、狙いがズレる。
左肩を打ち抜いた蹄鉄が、紅を滲ませて地面へずり落ちる。外れた肩から剥がれた皮膚が、軍馬の足を滑らせた。踏ん張り、倒れることは無かったルクバトだが、その一瞬で十分。戦士に蹴り飛ばされる。
『ちぃ、助骨だけか...』
「次が来んぞ、レイズ!」
『わぁってんだよ!』
間髪入れず放たれた矢を全て噛み砕き、着地の隙を狙おうと走り出す。健吾と同時に駆け出した精霊がその拳を振り上げるが、その攻撃に合わせて弓を置き、宙に浮く己の方を逸らして着地する。
深く沈んだ【疾駆する紅弓】の目前には、全力で走り込んでいた健吾の姿。抜きはなった勢いで突き出される矢だが、【積もる微力】に蹴られ、健吾の頬を掠めた。
『間に合うか...』
仕留め損ねたと判断し、距離をとる狩人の精霊の前で、息を整えながら【積もる微力】が叫ぶ。
『てめぇ!レオを狙うたァどういう了見だ!』
『貴様が間に合わないと判断すれば、突き飛ばすしか無いからな。距離を置いて貰うにはいい手だろう?』
『俺が間に合わねぇなら?』
『そこまでの相手なら、我が苦戦するものか。』
文句にも似た【積もる微力】の質問を、バッサリと切り捨てた精霊。そんな態度に、つい健吾がボヤく。
「だからって...俺、一応お前の契約者なのによ...」
『ふん、勝手に言っていろ。我はこの力を振るうべき願いを持つ者なら誰でも構わん。』
「おいおい、自暴自棄って奴か?」
精霊としてあんまりな...何柱か似たような事を言っていた気もするが、とにかく。契約者を切り捨てるような発言をする【疾駆する紅弓】に、健吾が不信感を露わにする。
『勘違いするな、この間に合わせ染みた契約に敬意を持ち合わせていないだけだ。この弓を引く場所が決まったならば、我が誇りに掛けて全力を尽くすと誓おう。』
「...なんか、アレだな。お前クソ面倒臭いな。」
『な...!』
僅かにショックを受けたのか、一瞬硬直する【疾駆する紅弓】だったが、すぐに精神状態を集中し、取った距離が死なぬうちに弓を引く。
唐突な再開だったが、持ち前の反射神経が【積もる微力】にその矢を掴ませる。すぐに投げ返したそれは紅い尾を引き、回避し損ねた【疾駆する紅弓】の肩を掠めた。
彼だけでは不利が過ぎると悟り、ルクバトを召喚し直して跨ると、壁を駆け上がり弓を構える。上から振る矢、瓦礫の積もった足場。双方に注意を向ける精霊に、疲労が溜まっていく。
軽やかに駆け、跳ね、翔ぶ紅馬は、投擲攻撃で捉えるのは至難の業。再び【疾駆する紅弓】が二面攻撃を仕掛けに降りてくるのを待つしか無い。
『だぁ、ダリぃ!てんめぇは無駄な事してねぇで降りてきやがれ...ってんだ!』
焦れた戦士の精霊が、足元の折れた鉄骨を担ぎ、投げつける。轟音を上げて壁を揺らす鉄骨が、揺らめく闘気によって柱を折り曲げて行く。
崩れた周囲に足場がなく、ルクバトが鉄骨に乗った瞬間、それは回転しながら吹き飛んで行った。当然、壁は崩れ、【疾駆する紅弓】は地上へと戻る事になる。
それだけで止まることは無く、亀裂が一気に上まで走る。落ちてきたコンクリートの粉や破片に、噎せるような心地だ。
「ねぇ...これ、もしかしなくても大変じゃない?」
『呆れ果てたパワーだ...どうしてくれる?』
『逃げ回るのが悪ぃんだよ。で?止めんのかよ?』
「アホか!」
挑発するように笑う精霊の腹を殴り、健吾が叫んだ。
「どー考えても崩れるだろ、これ!既に足場がなんかの残骸なんだぞ、ここ!」
『煩っせぇな...』
耳を塞ぐ戦士の精霊だが、すぐ横を廃材が突き刺さったのを見れば考えも変わる。
多少降ろうが殴り飛ばせば何とかなるだろうが、生き埋めにされたのではどうしようもない。生き残る事は出来ても、健吾を守り抜けないだろう。
「とりあえず、ルクバトで駆け上がれねぇのか?」
『無理だ。こうも崩壊が進めば、下手に駆ければ早めるだろう。最悪、巻き込まれるぞ。』
「だぁ、逃げ場は!」
周囲を見渡す健吾の目に、横穴が止まる。それに駆け込もうとする健吾を、仁美が引っ張った。
「そっちは、昨日の山に繋がって、ます。囲まれてる筈です...!」
「つっても、ここよりはマシだろうよ!他に道あんなら、そっち行くけどよ!」
「それは...」
「決定だ、行くぞ!お前も来いよ、リタイアすんでも、天球儀には行かねぇとだろ!」
仁美を担ぎながら、四穂に向けて叫ぶ健吾が走る。そのすぐ後ろで、何かの廃材が地面と激突して砕け散る。
頭上に迫る物は【積もる微力】が蹴り飛ばしながら走る健吾達を、後ろから【疾駆する紅弓】が追い抜いて行く。四穂を横穴に放り込んで引き返すと、仁美を健吾から取り上げる。
『貴様は走ることに集中していろ、お節介め。』
「そっくりそのまま返してやるよ、その言葉。」
『貴様の様に余力のない者に言っているのだ。』
ルクバトの蹄の音が遠ざかり、縦穴に誰も居なくなる。後は自分が入るだけである。もう崩壊はかなり激しさを増しており、視界が効かない程だ。
障害物になった物は、へし折り、殴り飛ばし、道を切り開く精霊を伴い、走り抜けた健吾が横穴に飛び込んだ。その瞬間、光が途切れ、縦穴の底が埋まっていく。
「っだあ!間に合ったぁ!」
「ご無事、ですか?」「生きてる〜?」
「あー、何とか?くそ、なんも見えねぇ...」
退路は塞がれた。進むしか無い暗がりの中で、一同はつかの間の休息を取るのだった。