足掻く
バラけて落ちた矢のうち、一つが【積もる微力】の背中を貫いた。どこに回避していようと、当たるという確信があったのだろう。【疾駆する紅弓】は既に弓を背負い、見下ろしている。
『四つ脚で這う獣は、狩られるのが似合いだな。』
『野、郎っ...!』
『我は先刻まで交戦し、そのままここへ来た。貴様は一晩休んでいた。そしてこの結果だ、優れた物が残るのが道理だろうが、どちらが残るかは貴様には分かるか?』
判断を委ねるような口調が、余計に【積もる微力】を苛立たせるが、深く刺さり邪魔な矢を抜くことすらままならない。一方の【疾駆する紅弓】は、傷一つ無い姿。多少の疲労が見える程度だ。
『契約者頼りの貴様では、この先は生き残れんだろう。あの小僧は右腕を失った。今まで通りに動けると思うか?』
『俺が、レオ頼り、だと?』
『違うとでも?潔く退け、獅子の精霊。貴様の戦える盤面は、既にこの聖戦に存在しない!』
恫喝した声が場を揺らし、静寂を呼び込む。集まる視線を背中に感じながら、【積もる微力】が闘気を揺らした。
『言いたい事はそれだけかよ...』
『...あぁ、そうだ。』
『なら終わりだ。俺はな、諦めが悪いんだよ!』
首の矢を強引に引き抜き、返しに着いた血肉を【疾駆する紅弓】の目に散らす。視線を感じる力は、目を狙うには都合が良い。
一瞬怯んだ馬上の精霊に、全力で投げつけた矢。至近距離で正面、ルクバトには回避は出来ない。狙いを感じた視線から察し、回避のために愛馬から転がり落ちた【疾駆する紅弓】が、地面を転がって弓を引く。
『くたばれ...!』『ぶっ潰す!』
放たれた矢と、飛び出した拳が交錯する。飛びかかった戦士の耳を貫いた矢は壁に刺さり、膝立ちの狩人の頬に吸い込まれた拳は闘気を昂らせた。
咆哮と共に二発目を打ち込もうとした【積もる微力】へ、ルクバトの蹄がめり込み、巨躯を飛ばす。
『クッソが!』
『一撃でこれか...』
外れた顎を強引に嵌め直し、【疾駆する紅弓】は再びルクバトに跨る。頬に揺れる闘気は重みを感じない。いつ起爆するか分からない方の炎だろう。
なれば方法は畳み掛けること。防ぐように使わざるを得ない程に、攻めきる。
『その出血でどれだけ持つ!?見せてみろ!』
『嫌でも焼き付けてやるよ!ダアァララアアァァァ!』
攻めきる姿勢は、【積もる微力】も同じ。この距離が離れれば、もうどれだけ離れようともそれほど変化はない。四穂の事は思考から追い出し、【疾駆する紅弓】を追い詰める動きへと注力する。
しかし、走り出したルクバトに追いつけるはずも無く。みるみるうちに距離を離した精霊が、立て続けに弓を放つ。掴み、弾き、噛み砕く益荒男の様は、怪物の称して違いない。
「精霊の決闘っていうより...化け物退治だね?」
『獣狩りの間違いだろう?』
『舐めんなコラァ!』
砕けた瓦礫を拾い、振りかぶって投げつける。傾けた顔の横を抉っていった石には一瞥もせずに、再び弓を引き直す【疾駆する紅弓】が、ルクバトの足を止める。
再び空に数発放ち、五本を束ねて矢筒から抜き、放ち、追い詰める。
『そう何度も食らうかよ!』
来ると分かっていれば、身構えて対処する事ができる。掴んだ矢で飛んでくるものを弾き、ついでとばかりに投げ返す。
短槍として用いられるような矢だ、投擲しても十分に威力がある。当たれば、だが。走るルクバトに攻撃を当てるのは至難の業だ。
『このままみっともなく足掻くか?』
『煩せぇ!願望だろうが欲望だろうが、手を下ろしたその瞬間から叶える資格は無くなるんだよ!』
吠えた精霊が、無謀と知りながらもルクバトへ駆け寄る。ほんの僅かにでも距離が詰まれば良い、離れればまた詰めれば良い。拳を、もう一度届かせるだけで良い。
『ダァラアァ!』
投げた矢がついにルクバトへかすり、僅かにバランスが崩れた直後、握りしめた拳が闘気を高ぶらせた。
『イグニッション!!』
脳を揺さぶられるような衝撃に、落馬した【疾駆する紅弓】が受身を取る。その間に接近した【積もる微力】が、後ろ蹴りを放つルクバトを往なしながら狩人の肩を捕まえた。
『やっと...もう逃がさねぇぞ!』
『ならば逃げるのはやめるとしよう!』
大型の弓はこの距離では使えない。このままへし折ってやろうと、拳を振り上げた【積もる微力】の顔へ、鋭く突き出されたのは矢。
咄嗟に仰け反った戦士が距離を取れば、追うように狩人が突進する。突き、薙ぎ、払い、振り、突く。連続で後ろへ跳んだ【積もる微力】がバランスを崩した所で、弓を引き、そして放つ。
『コパッ!?』
『気道に入ったか。』
妙な音と共に血を吹き出した口を拭い、首に付き立った矢を掴む。しかし、返し引っかかり抜けない。絶妙に五感の隙を突く射撃は、【積もる微力】の急所を一つまた一つと潰した。
既に動きの怪しい戦士の精霊へ、今度は弓を下ろすこと無く狩人は近づく。横に従えたルクバトも、警戒を解いていない。
『さぁ、もう諦めろ。お前の出る幕は残っていない。』
答えられない精霊に、一方的に言葉を落とす【疾駆する紅弓】だが、目の前の精霊はまだ立ち上がる。平然と、という訳では無い。既に四肢に力は入っていない。当然だ、呼吸困難と失血、生きているのが不思議な損傷。
それでも【積もる微力】を立たせるのは、気力のみ。誇りも忠誠も見せない戦士の精霊は、ただ負けないという一点のみで頭をあげる。
『いちいち煩ぇんだよ、お前...俺が出番だ理屈だの為に戦うと思ったかよ?』
『では、何故立つ。精霊として、この聖戦』
『それがウゼェっつってんだ!目の前にベタベタ後付けた願いの塊が、欲を隠して拳構えてやがんだぞ!精霊として、そいつの全部を曝け出してぶつからせてやらねぇと気がすまねぇ!』
彼の手の中で亀裂が走る音が響き、刺さった矢が砕け落ちる。吠える戦士に言葉を遮られた狩人は、これ以上の問答を諦め弓を引く。
理解できない、しようとも思わない。彼にとってこのゲームは、契約者の望みを聞き、それを叶えるだけのもの。その為の自分、その為の精霊。契約者が生き残るならば、それ以外の結果は蛇足に過ぎない。
『さらばだ、獅子の精霊。』
『くたばるかよ...!』
頭部を狙う矢が、まっすぐに宙を駆ける。振り上げた拳によって逸れた矢が、顬を掠めて後ろへと流れた。
ただ正確なだけの一射。それも完全に防げない様は、王者の威風を欠片も感じない。これが獅子座の精霊かと、冷めた感情が【疾駆する紅弓】を満たす。
終わりだとばかりに絞られた弓弦。キリキリと引かれた弦が、プツリと切れた。
『何!?』『あぁ?』
すぐにルクバトに跨り弦を張り直す【疾駆する紅弓】が周囲を見渡す。変化は見受けられないが、力加減を見誤る程の影響があったのは確かだ。
そんな気を逸らした精霊に、【積もる微力】が黙っているはずも無く。背中の矢を何とか引き抜いて、全力で投擲する。闘気を纏ったそれがルクバトの尻を掠め、後ろの瓦礫を砕く。
「あれ?強くなってる...?」
『ここまで差が無いなら、乗り物の速度か...上か?』
狩人の精霊が見上げたその瞬間、上空の日の中に黒い点が躍り出た。
「命知らずぅ...燃えてたお兄さんみたい。」
『その例えは良く分からんが、命知らずなのは同意しよう。』
『さっきから何眺めてやが...あ?身体が...』
手を閉じ、開く【積もる微力】へと自転車が落ちてきてバラバラになる。四方八方に散らばった部品を払い除けながら、戦士の精霊は口角を上げた。
「レイズぅ!着地!」
『無茶苦茶なんだよ、テメェは!』
「お前にだけは言われたくねぇわ!」
飛び上がった【積もる微力】の前で、【辿りそして逆らう】が必死に二人を減速している。脇に抱え、着地した精霊は乱雑に二人を地面へと下ろした。
「いって!」「ひゃっ!」
『シュー!』
小竜の精霊からの抗議には耳を貸さず、契約者に目を向ける。それを正面から捉え、健吾は口を開いた。
「随分とボロになったな?」
『遅せぇからだよ。』
「そりゃ悪かったな。」
バランスを崩しながらも、精霊の前でしっかりと立ち上がる健吾。人の身でありながら精霊に立ちはだかるその姿勢に、【疾駆する紅弓】は弓を下ろし問う。
『聞こうか、主。何故来た。』
「このバカ扱えんのが、俺以外に居るかよ。なんでケンカしてんのかしんねぇけど、ヤベェ雰囲気だって聞いたら来るしかねぇだろ。」
『おい、誰がバカだ!』
「そこ突っかかるとこじゃねぇだろ!」
ギャンギャンと言い合う一人と一柱に、呆れを含みながら四穂が止めに入る。
「それより、どーするの?止める?」
『冗談だろ?』『否だ。』
即刻否定した精霊達に、健吾が頭を抱えながら問いかける。
「まずなんでケンカしてんだ、お前ら...」
『売られたからだ。』
『この聖戦も終わりが近い。これだけの精霊が残ることこそ異端なのだ。サインが還る必要がある以上、契約者一人に一柱の精霊が残るべきだろう。』
「あぁ?つまり?」
首を捻る健吾に、【疾駆する紅弓】は説明を投げた。視線で四穂に促せば、えぇ!?と驚きながらも彼女は引き継ぐ。
「えぇっと...ボクがリタイアすると、君一人に【疾駆する紅弓】と【積もる微力】が着くんだけど...それだとゲームが終わらないでしょ?」
「なんか聞いた事あるような、ねぇような...」
「それに託けて、契約者の扱いが雑な彼が気に食わないから、潰してやるとか言うことじゃない?」
『誤解を招く解釈を堂々と語らんでくれるか?』
「え?違った?」
『...そっちは、あくまでも付随的な理由に過ぎん。』
視線を逸らす精霊に、皆の視線が突き刺さる。それを振り払うように弓を構える【疾駆する紅弓】が、健吾に怒鳴る。
『どちらにせよ、選択しろ!我か此奴か、一柱を。ただの人間に精霊を二柱も御せる精神は備わっておらん!』
「俺が決めたところで納得しねぇだろ、アンタもコレも...」
後ろで殺気立つ戦士の精霊に、健吾が深くため息を吐く。精霊である以上、命じれば言うことは聞いてくれるだろう。
しかし、それでは互いにモヤモヤとしたものを残すだけ。【積もる微力】にそんな感情を残されては、心穏やかとは言えない。
「契約した時点で覚悟はしてたよ...レイズ、付き合ってやるから暴れたいだけ暴れろよ。」
『は、分かってんじゃねぇか。』
『上等だ。来るならば来い、獅子の精霊。』