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精霊舞闘会~幾星霜の願い~  作者: 古口 宗
第八章 Last Days
104/144

Episode.No10

 次の記録だ、昼間は派手な事にはならんだろう。早くリプレイを回せ。次は...そうだな君が決めたまえ。



 Replay Code.Capricornus


 現在時刻、7時。

 残り時間、24時間。

 残り参加者、6名。



 ギシリ、と音が鳴り、土やコンクリートよりも遥かに柔らかい感触を知覚する。

 埃とカビ、薬品の臭い。瞼を開ければ、白い天井。乾いた口内は、僅かに血の味。そして、耳障りのいい声が聞こえた。


『お目覚めですか、お嬢。』


 それだけ。他の感覚は来ない。いつも悩まされていた、波のように襲う感情。心の奥から沸く後悔と虚しさ、絶望を攫ってくれる波。


『目覚めに珈琲をお持ちしましょうか?』

「そうね、頂くわ。」


 今は五感で誤魔化すしか無い。どのみち、こんなに不安定な状態で他人の感情を受け入れてしまえば、再び自己を見失って暴れるだけだ。気分のいいものでは無い。

 見渡した室内は、見覚えのある物。混乱が収まりきらずに身を隠した、廃病院の一室だろう。たしか...尾咬総合中央病院、だったか。


『どうぞ。』

「ありがとう、貴方も飲む?」

『それでは、お言葉に甘えましょう。』


 背筋を伸ばしたままに、長いマズルを上に傾ける姿は、ややシュールだ。冷静に考えれば、頭だけ被り物のように山羊なのが、既にシュールなのだが。

 丁寧で生真面目な態度が、それに拍車をかけている。つい笑ってしまった登代に、【混迷の爆音】は首を傾げるしかない。


『如何なされました?』

「いえ、何でもないわ...あら、良い香り。」

『ここの病院の持ち主の趣味でしょう。この街は、かつて実在した街をそのままデータにインプットしていますので。』

「実在した、ね...何があったのかしら?」

『そこまでは、私の知る由も御座いません。』

「そう、まぁ良いわ。」


 話の内容に意味は無い。言葉を口に出し、耳で聴く。舌の上を苦味と芳醇な香りが踊る。これで、幾分か気が紛れるだろう。

 感情をしまうのは慣れたものだ。何事も無かったように、奥に閉じ込め蓋をする。溢れた時は大変だが...それは今考えることではない。とにかく、この七日間を生き残る。そうすれば全て解決だ。


『...お嬢、申し訳』

「貴方が謝ることは何も無い。あの怪我でここまで運んでくれたのね、感謝してるわ。」

『しかし、私は貴女の心を』

「【混迷の爆音(アイギバーン)】、止めなさい!もう...いいの。分かった?」

『...かしこまりました、お嬢。』

「少しだけ、一人にして...」


 一礼し、頭を下げたまま背景に溶けていく精霊に、当たってしまった事を後悔する。また、後悔ばかり。自分は何一つ、自分一人さえ満足させることの出来ない、出来損ない。父親の言う通りだ。

 流し込む濁流が途絶えてしまえば、残るのは弱く脆い、少女の頃から変わらぬ心だけ。怪物というには、あまり不甲斐ない戦士。


「私が...生まれてさえいなかったら...」


 弥勒は泣かなかっただろう。

 母が死ぬ事もなかっただろう。

 父の心も離れなかっただろう。

 全てが幸せのまま、進んでいたに違いないのだ。

 なのに、死ぬ勇気も消える覚悟も無い。ただ元に戻すだけの簡単な答えさえ、実行出来ない。浅ましく惨めで、狡く汚らわしい怪物。


(結局...恐ろしくてもそうでなくても、私は怪物。)


 鬱屈とした気分に頭まで溺れ、むしろ気分は晴れていく。そう、どうしようも無いのだ。どうにもならないほど、あまりに救われない。そんな自分だから、仕方ない。何も出来なくても...

 このまま、消えても。


(その筈...なのに...)


 記憶の中の弥勒が、母が、どれだけ沈めても浮き上がる。

 許しを、心配を、愛を。叩きつけてくる。


「違う!私は...私は!」


 投げられたカップが壁を黒く染め、珈琲の香りを部屋へと広げた。

 医薬品の匂いと混ざり、優しかった頃の父の顔が浮かぶ。そういえば、珈琲の匂いが離れない程に愛飲していた。気づかないうちに、趣味が似ていた事に複雑な物が胸中に渦巻いた。


「そう、そうよ...私には、あの男の血も、流れてる。娘を張り手にしようとし、母を殺そうとする男の...」


 責任転嫁だという自負もありながら、父への恨みを思い出す。あぁ、救われない。救われてはいけない。そう、自分を説得する。

 少しずつ、落ち着いてきた。自己の否定。これだけは自分の気持ちだと、信じられる。繰り返して、詰め込んで、他の物を追い出して。そうして心を安定させてきた。


「...片付けないといけないわね。」


 ベッドから立ち上がり、割れたカップを一つずつ拾っていく。まだ熱の残る珈琲が、鼻腔を満たす。薬品の匂いを感じなくなり、より一層記憶が過去へと落ちていこうとする。


「い...っ!」


 指から伝う血がカーペットに垂れ、一気に現在へ意識が戻る。小さな切り口の割に、出血が多い。とても綺麗な傷口になっているようだ。

 病院だったのは幸い、薬や絆創膏は豊富だ。出来るだけ効能の強そうな物を見繕い、処置をしていく。これだけ綺麗なら、傷はすぐに塞がるだろう。


「あまり濡らさない方がいいわね...【混迷の爆音(アイギバーン)】、居る?」

『お呼びでしょ...どうなされました?』

「少し切っただけよ、直に塞がるわ。ただ、絆創膏を濡らしたく無いの。片付けをお願いしてもいいかしら?」

『最初からお任せください、怪我をなさる事も無かったでしょう。』


 何故カップが割れているのか、それを追求する事は無く、黙々と破片を拾う。白い手袋に染みが広がり、同時に登代の心にも黒いものか広がる錯覚を覚えた。


「ねぇ、貴方に私を殺せとお願いすれば...貴方は私を殺すかしら?」


 ピタリ、と動きが止まった燕尾服の精霊は、振り返る事無く淡々と作業を進めながら答える。


『私は、お嬢の忠実な下僕です。』

「誤魔化さないで。私の心、分かるでしょう?消えたくて、死にたくて...自分を殺したくて、堪らないの。」

『貴女の道は一つでは』

「一つよ、弥勒を殺した時点でね。私は、八年前から...なにも変わっていなかったのよ。」


 今回は状況が違った。そう言いかけた【混迷の爆音】だが、その言葉を口から出すことは無かった。登代の想い、やっと決めた覚悟、それをズラしたくない。

 それは、願いだった。切なる願い、欲であり望み。登代の異常共感性により、それを知ってしまった以上、精霊である【混迷の爆音】に否定を示す事は出来ない。


『お嬢...では、勝ち残りましょう。その術こそ、私です。』


 故に、彼もまた願うしか無いのだ。己が契約者を救う者を...




 新しく淹れた珈琲から上る湯気が、少し心を落ち着かせた。ささくれだった思考が纏まり、契約精霊を気遣う余裕が戻ってくる。


「意地悪だったわ、ごめんなさい。」

『いえ、本来なら、そうならぬ様に努める事こそ私の使命。力不足をお許し下さい。』

「貴方は、本当に謙虚ね?卑屈と言ってもいいわ。」

『...そうかもしれませんね。』


 それは契約者にこそ言える、と思うものの、それを口にするのは野暮という物だ。そんな事、登代が一番理解しているだろう。

 現に不服の念を感じている筈の彼女だが、それに言及してこない。燕尾服の精霊が沈黙を守る間、登代が飲み物を口に含む音だけが病室に僅かに聞こえた。


「...そうだわ、あの後はどうなったの?」

『と、言いますと?』

「あの山よ。何人が残って、誰が消えたの。」

『すぐに撤退しましたので、詳しくは把握しておりません。ですが、最後まで衝突していた二人の脱落は確実でしょう。精霊の消失は確認しておりませんが...』

「そう...なら、確認しに行ってもいいかもね。」


 街中に出る選択肢が登代から出てきた事に、驚いた顔を見せる精霊。そんな彼に、登代は微笑んで首を傾げる。


「なに?変かしら?」

『いえ、申し訳ございません。』

「構わないわ、自覚はあるもの。でも、知らないと対策の立てようもないでしょう?」

『その事なのですが、私の能力は消耗が大きくありません。ギリギリまで隠れて粘り、焦っている者を遊撃、撃破するのがベストかと。』

「ふぅん?...まぁ、そうね。私も焦っているのだし、他の人もそう、よね。貴方に任せるわ。」


 先程まで軽く錯乱していたせいか、疲れたようにカップを置くと、ゆっくりベッドへと横たわった。


「それなら、暫くは動かない方が良いわよね。」

『えぇ、ここは私が守りますゆえ、お休み下さい。』

「お願いするわ。」


 再び目を閉じた彼女の横で、精霊は笛を横に置き座り込む。倒した精霊を除き、警戒すべきは【魅惑な死神】に【疾駆する紅弓】、【浮沈の銀鱗】。他の精霊が奇襲を仕掛けることは、まず無いだろう。

 とはいえ、彼らの攻撃や接近は、察知するのは彼には不可能だ。諦めて目の前の扉のみに集中する。


「ねぇ、【混迷の爆音(アイギバーン)】。」

『なんでしょうか。』

「ありがとう。最期に会うのが、貴方で良かった。絶対に私を勝たせてくれるわよね?」

『...私は、お嬢の望むままを。』


 己を救わぬ為に、楽になる為に、進み続けようとする契約者の横で、願望とは何かを考え...そして止めた。

 精霊には、その答えに意味はない。ただ主の欲望のままに動く。それしか許されていない記録媒体。


『救いを望まぬものを救おうとするとは...あの女性は、大層な精神をお持ちだったのでしょうね。』


 寝息を立てる契約者の、友人を名乗った弥勒を思い起こし。彼女がもっと、力があればと思わずに居られない。【混迷の爆音】にとって、登代の願いと願望が、一致しているとは思えなかったから。


(救いを求めぬ者などいない...それを拒む理由があるだけ。お嬢、貴女のそれは、本当に乗り越えられぬ壁なのでしょうか?)


 その答えは、誰も教えてはくれないのかもしれない。だが、誰かが動かしてくれるなら...精霊の身でありながら、願わずにはいられなかった。

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