黄昏の少年王
――龍災暦275年、9月6日。
まだ夏の蒸し暑さが残る中、少年王ナーヴ・ステルヴィアは、一面に広がる小麦畑の中で吹き抜ける風の涼しさを感じながら、独り佇んでいた。
今年の10月で15歳になる彼は、考え事をする時は決まってこの場所に足を運ぶ。そして小麦や土の匂いに鼻をくすぐられながら、穏やかな風に身を任せる。そうすると大地の息吹が、自分の考えを後押ししてくれるような気持ちになった。まだ6歳の時、初めて叔父にこの場所に連れて来られてから、気づけばそうしていたのだ。
ただし、今回の悩みの種は今まで以上に難敵だった。いつも背中を押してくれていた柔らかな風が、今回ばかりは頼りなく感じる。
先代である父が4月に急死し、成り行きで成人する前に一国の主となる事を余儀なくされたナーヴだったが、来月には晴れて成人の儀と戴冠式を堂々と行うことができる。
だが、その戴冠式こそが厄介なのであった。
彼の治めるアシリア王国は小麦とワイン以外、特に特産品もない小国だった。隣国には然程国土が変わらない7つの王国が広がり、八人の王による不可侵の同盟をきずいていた。
それだけであれば、ただ平和な世界だったのだが、そうも行かなかった。
八国の東には広大な領土を誇るヴァシュニア帝国がある。その広大さは八国の領土を合わせても、その三倍以上にも及ぶ。広大な国土を持って強力な火竜を育て、魔導師の術を持ってその竜を従えた火竜騎士たちによって、大国の支配を盤石なものとしていた。
西では大海を隔てて、30の島と二つの大陸をロムリック共和国が統治している。高い工業技術と莫大な資本を持ち、若き知将パーシヴァル率いる飛行戦艦隊は、ヴァシュニアの火竜騎士たちと互角に争える戦力を有していた。
言うまでもなく、ヴァシュニアとロムリックの間には長きに渡る戦乱があった。
八国の王たちは選択を強いられ、ある者はヴァシュニアに、ある者はロムリックに従い、尖兵として戦った。
約200年に渡ってきた大戦乱だったが、それは唐突な終わりを告げた。
それはどちらかの大国が勝利を手にした訳ではなかった。
二つの大国に割って入り、この世界を破壊し尽くしたある存在によって強制的に終わらされたのだ。
人類の天敵、終末の使徒とさえ言われた厄災。
人々はそれを、極超巨龍と呼んだ。
島をいくつも連ねたような、恐ろしい程の巨躯。連山のように聳える巨大な背びれ。全身は強靭な巌の如き鱗で覆われ、至る所に眷属たちの巣を有していた。
移動するだけで大地は大きく削られ、巨大な顎門から放たれる強力な火炎は、街一つ簡単に消滅させる。彼の眷属たちもまた、火竜騎士や飛行戦艦でも手を焼く程に強力であった。
正しくこの世の終わり。
誰もが極超巨龍に対して絶望していたが、275年前に帝国と共和国は一時的に停戦し、巨龍に対抗する術を編み出した。
この世で最も重く、そして最も硬い金属と呼ばれたドラグウラニア合金の積層装甲によって築かれた、人型の巨大要塞「ガレイオス」である。
三日三晩の戦いで、ようやく極超巨龍を撃退したガレイオスであったが、ロムリック共和国の首都と大差ない巨大なドラグウラニアの塊を動かすためには強力な魔導師が1万人以上必要であり、戦いが終わる頃には9割以上の魔導師が力を使い切って命を落としていた。
その後、制御を失い、大の字になってアリシアの地に倒れたガレイオスは、長くに渡り動かされる事もなく、平和のための慰霊碑代りとなっていた。
小麦畑に佇むナーヴは、連山のように朽ちたガレイオスの亡骸を眺める。
今や只の遺跡と化した巨人は、各国間の平和の象徴として多くの旅人が巡礼に訪れる場所となった。最近では遺跡の近くに修道院を建て、ガレイオスを本尊として祀る宗教まで現れるほどだ。
それでも、未だに二つの大国は睨み合いを続けていた。
今でも巨龍の眷属は帝国、共和国、八王国全ての領土に出没している。両国の軍事力は今のところその討伐に向いているが、その微妙な均衡がいつ崩れてもおかしくない状況であった。
そんな緊張状態のなか、来月には戴冠式となる。
その戴冠式の内容こそが、ナーヴの悩みの種であった。
成人を迎えた八王国の王子は、誰の手も借りず、一人で竜を討伐せねばならないのだ。竜の討伐には相応の装備が許されているが、従者や配下の軍は一人も動かしてはならない。王子が独力で竜を討伐し、その竜が大きければ大きいほど、国が繁栄するとの伝承があるのだ。
ナーヴは正直に言って、あまり腕っぷしが立つ方ではなかった。魔導の素質はそれなりに高いのだが、竜を一人で討伐するとなれば、さほど役には立たない。
ナーヴ専用に誂えた機甲化火竜も、専用の魔導甲冑の準備も整っている。
既に1ヶ月を切った戴冠式までの間に竜を討伐せねばならない重責に、ナーヴは押し潰されそうな気持ちになっていた。
日もだいぶ落ち始め、空は橙色に染まり出している。
そろそろ戻らねば、そう思っているナーヴの元に、三つの影が近づいてくる。
魔導と蒸気機関で改造された機甲化火竜とは違う、小柄ながらに人間1人分は乗せられる胴体と、そこから長く伸びた薄い膜のような翼、長い首元には鞍が置かれ、手綱を持った騎手が鐙でしっかりと固定されている。
今ではすっかり馬がわりとして定着した、騎乗飛竜がナーヴの頭上を旋回しながらゆっくりと降りてきた。
近づいて初めて分かる、翼に描かれた鮮やか紋章。金の鹿と長槍は、他ならぬステルヴィア家の家紋だ。長くに渡りガレイオスを守る、アリシア王族の象徴だ。
「陛下」
三体の飛竜の内、青みがかった飛竜に騎乗する騎士が、銀の兜を脱いで口を開く。
「間も無く日が暮れます。そろそろお戻りください」
神妙な面持ちでそう語るのは、近衛騎士の1人、ブライ・ルザーンだ。燃えるように紅い瞳と赤毛、鼻筋の高い整った顔立ちの騎士は、ナーヴと2歳しか変わらないが、鍛え上げられた肉体は、ナーヴの華奢な体を一層細く思わせる。
身辺警護を担当する近衛騎士には、ナーヴが気を許した若者が少なくない。ブライはその中の1人で、無造作に切られた赤毛の短髪は、引き締まった彼の顔にはあまり似合っていない、とナーヴは常々思っていた。
「わかった、わざわざ迎えに来てもらって悪かったね」
飛竜から降りたブライに労いの言葉をかけると、三人の騎士はいそいそと膝をつき、頭を垂れる。
「いえ、滅相もありません!」
年上なのにかしこまり過ぎているブライを見て、ナーヴは申し訳ない気持ちになっていた。未だ戴冠すら済ませていない小童に、そこまで跪く必要はないとさえ思っていた。
「また、ガレイオスを眺めておられたので?」
下を向きながらブライが問いかける。
「ああ」
そう言ってナーヴは、再び視線をガレイオスに向けた。
「お言葉ですが陛下、もはやあれはただの遺跡です。あれが巨龍と戦っていたのは遥か昔、今ではお伽話のようなものです」
「わかってるよ」
ナーヴは寂しげにつぶやく。
「でもいつかまた、あの巨神が龍たちを撃退して、平和な世界がやってくる、そんな時代が来たらいいな、と僕は本気で思ってるんだ」
ナーヴの独白にブライは呆れる素ぶりすら出さず、ただ淡々と返答する。
「たとえガレイオスによって龍たちを退けたとしても、その後はガレイオスが新たな戦果の火種となる事でしょう。そしてガレイオスが無くなったとしても、また新たな火種が生まれます。本質的に、人間とはそう言う種族なのです」
「そんなの、寂しいじゃないか」
非情な現実を突きつけられても、ナーヴは意思を曲げようとはしなかった。
「傷つけあいだけの道じゃなく、助け合う道だってあるはずなんだ。ガレイオスは帝国と共和国が手を取りあった結果なんだから」
今はもう動くことの無い、太古の人類の英知の結晶を眺めながら、ナーヴは自信を持って語る。そんなナーヴの姿が、ブライには眩しく感じられた。
「ナーヴ様はとてもお優しいお方です。しかし、そこに付け入る隙を見出す者もいることを、どうかお忘れなきよう」
「わかってる、父上によく言われたからね」
『王たる者に非情な選択は付き物だ、お前の優しさは王には不要だ』
3年前に亡くなった父親の言葉を振り切るように、ナーヴはガレイオスに背を向け、ブライの飛竜に近づく。
「帰ろう、今夜は冷えそうだ」
王城に着いて早々に寝室に転がり込んだナーヴだったが、それを追いかける書記官のヴィヴィー・クレイアンの入室を許したが為に、溜まりに溜まった執務を消化する羽目になってしまった。
各所官からの書類の捺印、諸国の動向の報告の聴取、そして領地で発生した竜被害の対策指示。
寝室で簡易的な夕食を取りながらの執務など、彼の乳母が見たら卒倒するような光景だろう。
「では、最後に。明後日から始まる八王国会議ですが、バリアン候、シュテルヘルム候、ラドニア候を随伴とし、各諸侯の機甲化火竜の調整が完了次第、明朝出発となります」
ようやく明日の予定の話となった為、ナーヴはワインを杯に注いだ。それを見逃さなかったヴィヴィーの眉間に、深い溝が出来上がる。
「陛下、1ヶ月前とはいえまだ未成年なのですよ。せめて私の目の前ぐらいは控えてくださいませ」
書類を抱きかかえながら、不機嫌そうに眼鏡を直す彼女に、ナーヴは肩をすくめて見せた。
「どうせ、1ヶ月後には諸侯たちにイヤというほど飲まされるんだ。八王も酒豪揃いだし、今のうちに慣れておくのも、王の責務の一つだよ」
「よくそんな都合がよろしいことが浮かびますこと。その様子では会議で他の諸王方に気遅れする事もないでしょう」
呆れた、と言わんばかりの顔でヴィヴィーは呟いた。それを肴にするかのように、ナーヴは杯を傾け、蠱惑的な紅い液体を吞み干す。
「来月の戴冠式を前にして、八王会議を開く。今回の主催であるガウェイン王陛下は、これからの力関係をはっきりさせる算段だろう。他の王もそれに乗っかっているようなものだ。だから酒の席だけでも遅れを取らないようにしないとね」
酔った戯言のようにナーヴは語るが、半分以上は冗談ではなかった。表面上は同盟関係を結んでいる八王国だが、その中にはすでに帝国派、共和国派の陣営が出来上がっており、戴冠して軍を動かせるようになったナーヴを取り込もうと、両陣営は躍起になるはずだ。酒宴の席でも壮絶な腹の探り合いが展開される事は、想像に容易い。
「そう仰るのであれば、深酒して冷静さを失わない術を、ブライ殿に伝授して頂かなくてはなりませんね」
嫌味っぽく言うヴィヴィーだったが、寝室の入り口で屹立していたブライは、自分が槍玉に挙げられても微動打にしていなかった。
面白く無さそうに書類を片付け、ヴィヴィーは寝室の出口へと向かった。
「では陛下、また明日の朝にお逢い致しましょう。深酒はおやめくださいませ」
そう言って彼女は部屋を後にした。
ナーヴはベッドに腰掛けて、注いだ二杯目に口をつける。酒気による眠気を感じながら、鮮やかな銀色の長髪を気だるそうに弄ぶ。眠くなるとよく出る癖だった。
「本当のことを言うと、腹の探り合いをしながら飲む酒なんて、美味くもなんともないんだけどね」
寂しそうにつぶやくナーヴを見て、仏頂面を貫いていたブライが少しだけ悲しい表情を見せた。
「なぁブライ、どうして人間は疑ったり、相手を騙したり、傷つけたりするんだろう。ラドニア候は酒杯を酌み交わせば、どんな相手でも仲良くなれると言っていたのに」
ナーヴの問いかけに対して、ブライは暫し考えた後に、ゆっくりと口を開いた。
「仲が良くなると言う事と、相手を信頼すると言う事は、似ているようで大きく違います。例え酒宴で義理を誓いあったとしても、様々な誘惑の結果として裏切り会う事は多々あります。義理を通し切れる程の信頼関係を築く為には様々な努力が必要なのです」
「じゃあ、全ての人々が固い信頼関係を築けたら?争いや騙し合いは無くなると思う?」
真っ直ぐなナーヴの眼差しを受けて、ブライは思わず目をそらした。
「自分には、解りかねます」
苦しそうに零したブライを見て、ナーヴはかぶりを振った。
「悪かった。下がってくれ」
「では、失礼致します」
力無く扉の向こうに去っていくブライを眺めながら、ナーヴは酒杯を煽る。空の杯を乱暴にテーブルに投げ置き、倒れこむようにベッドに身を委ねる。
歯切れの悪い感覚が酒気と混ざり合って、ナーヴの意識をまどろみの中へと誘う。
ナーヴは嫌な夢を見そうだと考えながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
もし竜と呼ばれる存在が居なかったとしたら、どのように世界は発展しただろう、と帝国軍火竜騎士二十八家紋が1人、ロンドヴェル・ガイズリー伯爵は常日頃から考えていた。
まず、ガイズリー卿が居するフロックス城のように大部分が地下に埋められ、地上に出た部分が耐熱煉瓦で作られた建築物は出来ていなかっただろう。竜の火焔に耐える為に生み出された建築法は、火竜被害に遭う国の全てで見ることが出来る。
だか竜の存在なんてなければ、地下に逃げることなく、木造の芸術的な建築物も出来ていたかもしれない。
自分のような火竜騎士も勿論廃業だろう、とガイズリー卿は嗤う。
捕縛した大型火竜の鱗に鋼鉄の装甲板を鋳着け、大きな顎門には馬のハミを模した耐熱加工の管を噛ませる。管は竜の両脇にぶら下がった、大型噴出機に直結され、竜が噴き出した火焔流に数種の霊薬と空気を化合して、爆発的な推力を生み出す。最後に空気抵抗を緩和する為、長球状に魔導結界を形成すれば、天空の覇者たる機甲化火竜の出来上がりだ。
我ら誇り高き騎士達はこの機甲化火竜を駆り、帝国に仇なす輩を撃滅してきた。両翼に着いたライメタル製の槍の高速射出装置は、他の竜であろうと、地下要塞であろうと容易く貫くことが出来る。
こんな化け物じみた兵器があればこそ、ヴァシュニア帝国は広大な領地を治めることが可能であり騎士達の地位を確立することが出来たのだ。
もし火竜がいなくなった場合、引火性の低い霊薬からの推力が得られないし、羽ばたきによる上昇も不可能になる。
では人間はどのように空を飛ぶのだろうか。火竜技術に関心の高いガイズリー卿には、とても興味深い話だった。
「閣下」
フロックス城の防壁に立つガイズリー卿に、1人の女性が声をかける。
ガイズリー卿の騎乗する火竜「ジェーガン」に共に騎乗し、火焔流の制御や魔導結界の形成、射出したライメタルの槍の回収を一手に担う、補助魔導師のライサであった。
「出撃準備が整いました。いつでも出立頂けます」
「わかった。して、敵の数は」
ガイズリー卿は城の南西にある火竜格納庫へと歩き出しながら、ライサへと問いかける。
「斥候の報告によれば、一号級が四十体、二号級が五体、三号級が一体とのことです」
竜はその大きさによって等級が割り振られる。一号級は人間より一回り程大きく、移動用の騎乗飛竜も主に一号級が使われる。
その倍の大きさで二号級、さらに倍で三号級となっていき、最大で五号級まで割り振られている。それ以上に巨大になると、呼称が「竜」から「巨龍」となる。
巨龍はもはや災害じみたものだが、三号級までであれば機甲化火竜三騎程で容易に殲滅できる。
何せ、ガイズリー卿の火竜は帝国でも数少ない四号級なのだから。
「三号級が一体とは、なんとも味気ない。久しぶりに大暴れが出来ると期待したんだかな」
黒い豊かな髭を撫でながら不敵に嗤うガイズリー卿をライサは嗜める。
「閣下、すでに城下に被害も出ています。あまりおふざけになられては」
冷ややかなライサの言葉対し、ガイズリー卿はおどけて見せた。
「勿論、高貴なる者の務めは果たすさ。お主も、しっかりと頼むぞ」
「御意」
親子ほど歳の離れた2人が同じ火竜に乗るようになって、すでに五年は経っている。しかし、あまり心を開かないライサとどう接するべきか、ガイズリー卿はいつも苦心していた。
しばらくして2人は巨大な火竜格納庫へとたどり着く。城の三分の一を占めるこの巨大施設は、巨大な崖を大きくくり抜いた作りになっており、その穴は分厚い鋼鉄の扉でふさいでいる。
扉の隙間から格納庫に入ると、すでに三騎の火竜が出撃可能な状態となっていた。
ガイズリー卿の駆るジェーガンと、彼の配下の騎士が駆る二体の火竜だ。どちらもジェーガンには劣る三号級だが、それでも高い戦闘力が期待できる。
「お待ちしておりました、閣下」
格納庫で待機していた2人の騎士、ウェッツェルとモリーがガイズリーへ敬礼する。
ガイズリーも敬礼を返すと2人に楽にするよう手振りで指示を出す。
「閣下、いつでもトカゲ野郎共を皆殺しにする準備は出来てますぜ」
巌のような肉体と、これまた岩のような丸い鼻が特徴的なモリーが、下卑た笑みをこぼす。
「モリー、貴様の尊大な態度は竜の大好物だ。自分の火竜に喰われないよう、気をつけておくのだな」
モリーとは対照的に、かなり痩せ細ったウェッツェルが嫌味ったらしく呟く。
「笑わせるねぇ、二号級相手にビビってるよいなひょろひょろのお前に心配される程、落ちぶれちゃいねえよ」
「貴様、もう一度言ってみろ!」
竜たちと一戦交える前にここで一戦始めそうな二人を前にガイズリー卿はため息を漏らした。
「貴公ら、閣下の前で狼藉は許さんぞ」
獣のような目で睨みつけながらライサが諌めると、二人は縮こまってすっかり大人しくなった。
若者達の愉快な光景にガイズリー卿は笑みを浮かべたが、すぐに真顔で覆う。
「貴君らにとっては歯ごたえのない相手であろうが、実戦は実戦だ。気を引き締めてかかれ」
「はっ!」
2人が威勢の良い返事をすると、ガイズリーも負けじと格納庫中に響き渡るよう声を張る。
「これより出撃する、角笛を鳴らせ!」
格納庫の整備士達が一層忙しそうに動き出す。それに続くように、とてもとても低い角笛の音が、城内に響き渡った。
角笛に呼応するように、格納庫の扉がゆっくりと開く。それに合わせて火竜のそこかしこについていた大量の管が次々と外されていく。
ガイズリー卿達は梯子を使ってそれぞれの火竜の頸の部分へと登る。ガイズリー卿とライサが備え付けられた鞍に座ると、大きな卵のように液体金属が二人を包む。鉄の卵の中はライサの簡易魔導により、そとの様子が投影されている。
発進準備の整った三騎が巨大な滑車に乗せられて、格納庫から運び出され、強い日差しの下に晒される。
陽炎の中、三騎はゆっくりと巨大な翼を羽ばたかせ始める。魔力で増強された揚力が巨大な火竜を浮かせるのに、そう時間はかからなかった。
ゆっくりと上昇し、格納庫のある巨大な崖すら超えた時、巨大な顎門が真っ赤に染まる。圧倒的な熱量の火焔流が、管を経由して圧縮された酸素と霊薬を燃やす。
雷鳴のような轟音が空に響き渡ったのもつかの間、三騎の機甲化火竜はすでに整備士達が視認できない程遠くまで滑空していたのであった。
矢のように高速で飛翔する三騎の機甲化火竜は、すでに八王国がひとつ、ラニスタン王国の国境近くまで接近している。馬を使っても一週間かかる距離も、機甲化火竜の加速を持ってすれば一刻もかからない。
徐々に西の空の彼方に、幾つもの黒点が浮かんでいるのが見えた。徐々にその黒点は大きくなり、大空を飛翔する飛竜達の群れである事がわかる。一号級でも火焔を吐くことは可能なため、普通に対峙すれば充分に脅威であろう。
しかし、ガイズリー達は機甲化火竜を駆る火竜騎士、そしてガイズリーの火竜は四号級の化け物だ。
『露払いを頼む、俺は奥の親玉を叩く!』
『御意!』
思念通信を二人の部下に飛ばすと、二騎の火竜はさらに加速し、接敵する。
二条の流星がごとく、敵の群れに飛び込んだウェッツェルとモラーの火竜に、火焔の雨が降り注ぐ。二騎は一切速度を緩めず、火焔の合間を縫うようにして滑空する。
華麗な舞踊のように敵の攻撃をくぐり抜け、二騎は敵の群れのほぼ中央まで潜り込み、そこで互いに背を預ける。
一号級の竜達が一斉に中央へと飛来する。
その刹那、轟音が響く。
機甲化火竜が超加速する際の爆音とは異なり、まるで雷鳴のように響く。
それは機甲化火竜の主兵装である、ラインメタル製の巨大な槍が、超高速で射出された音だった。
雷が如く放たれた槍が一号級の竜達に襲いかかる。剣戟すら弾き返す強固な鱗の鎧を、槍は難なく無力化し、胴体の肉を大きく破壊する。そのまま反対側まで貫通した槍は勢いを一切失わぬまま、二体目の竜へ襲いかかる。獰猛な肉食獣のように二体目に槍が喰らいつくと、くの字に曲がった竜が次の瞬間には、数多の肉片と血飛沫に変わった。
三体目、四体目と次々と竜を屠るラインメタルの槍は徐々に大きな弧を描き、機甲化火竜の元へ戻ってくる。
帰り際に三体ほど貫き殺した槍は装甲で覆われた翼の元へと近づき、射出装置へと再装填される。
モラーは混乱しながらも襲いかかってくる竜の群れへ、ウェッツェルは回避行動をとりながらも直線状に並んでしまった竜達へ向けて、再び槍を射出した。
次々に血煙と化す竜の群れ。
暴力の象徴であったはずのそれは、さらに強大な暴力装置を前に次々に駆逐されていった。
敵の火焔を器用に回避しながら駆逐を続けるモラーとウェッツェルだったが、それを見ていたライサが異変に気付いた。
「閣下、一号級の数が報告と明らかに異なります。最低でも八十はいるかと」
最初の報告からすると、敵の数は倍以上だ。後から増えたのか、観測者が見誤ったかは不明だか、ライサにはその事に違和感を覚えた。
「八十如きではあの二人は落とせん。もう既に二号級も三体落としているし、一号級も残り半分ぐらいだろう。問題ない」
「しかし」
ライサが不満を口にしようとした矢先、モラーの火竜が爆炎に包まれる。
炎と煙に巻かれた火竜は右の翼を大きく損傷し、射出装置を失っていた。
突然の被弾によりバランスを失い、失速しながら墜落しかけているモラー。
『無事か、モラー!』
ガイズリー卿が思念通信を飛ばす。
『クソが、やられました!推進器は生きてるんで、損傷部に治癒をかけながら再浮上を試みます』
部下の無事を知り、ひとまず安堵するガイズリー卿だったが、西の巨大な雲から現れたモノを見て、すぐに気を張り直す。
『モラー、復帰せずにそのまま下がれ。ウェッツェル、貴公も一度下がるんだ』
突然の指示に、二人は困惑した。下がれと命令された事以上に、ガイズリー卿の声が強張っていたのが分かったからだ。
「真打登場のご様子だ」
モラーを襲った火焔が放たれた場所には悠々と飛翔する巨大な竜がいた。
報告では三号級という事だったが、それ以上にかなり巨大だ。城塞を思わせる紅いその巨体は、もはや四号級の域に達している。
モラーとウェッツェルが群れの中から離脱するのを確認すると、先手必勝とばかりにガイズリー卿は槍を巨大竜の元と放つ。
ガイズリー卿の機甲化火竜に備わった槍は部下二人の物より一回り大きく、それが翼を挟むように上下に取り付けてある。
合わせて4本の巨大な槍は、ライサの魔導制御を受ける事で生きた蛇のような動きを見せながら、四号級に殺到する。
普通ならます避けることは不可能だが、敵は実に滑らかな動きを持って、次々と槍を回避してしまう。足に、首元に、翼に、喰らい付こうとした鋼の蛇はことごとく鱗一枚の近さで回避されてしまっている。
相手に効果がないとわかると、ガイズリー卿は槍を全て呼び戻させた。
発射も、発射後の軌道変更もすべて補助魔導師の魔力によって行われるため、再使用が可能な射出装置も、魔力切れの危険から無駄撃ちは出来ないのだ。
槍が戻った次の瞬間、巨大な豪炎がガイズリー卿の火竜目掛けて凄まじい速度で飛来してきた。
推進器を使った急加速で回避するが、巨大な火焔は次々と吐き出される。消耗戦に持ち込まれたら重装備な分こちらが不利だ。
「閣下、如何なさいます」
少し不安そうに問うライサ。
回避行動をとりながらも、ガイズリー卿は勝利の策を練っていた。やがてひとつの答えを見いだし、四号級と大きく距離を保つ。
「ライサ、再び奴の間合いに入ったら、火焔流を停止、推進器には霊薬をたっぷりと充填させろ。こちらの回避不能距離まで近づいたら槍を全弾発射し、最後に俺の合図で最大限まで加速しろ」
矢継ぎ早に出された指示に、ライサは一瞬呆気に取られる。
「どうした、返答せよ、ライサ・パーラウェイ」
ガイズリー卿の殺気立った声に、ライサはすぐに我に帰った。
「申し訳ありません。閣下の御声のままに致します」
「結構、では行くぞ」
ガイズリー卿の機甲化火竜が敵の射程まで侵攻を始める。と同時に、顎門から紅い光が消え、推進器の機能が停止する。
ガイズリー卿目掛けて、巨大な火焔が飛来する。急加速での回避が出来ない上に重装備の影響で、ギリギリの回避を強いられる。死の業火が装甲板を舐める。
一発、また一発と回避するごとに、火竜の装甲が傷のように赤くなる。
既に推進器内には充填できる最大限の霊薬が注がれている。
身体の三分の一が赤くなり出した辺りで、ついに敵の火焔を回避できる最低限の距離へと達する。
ここでラインメタルの槍をすべて放つ。
鋼の蛇は雷となって、四号級に殺到する。
攻撃しながらの回避は困難と判断したのか、敵は火焔を吐き出すことをやめ、回避に専念しだした。
微妙に発射をずらし、回避行動中に次の槍が喰らい付けるようにするが、敵は神がかった動きを見せ、一本、また一本と槍が空を切る。
そして最後の一本が巨大な竜に襲いかかろうとした時。
「今だ!」
ガイズリー卿が、咆哮する。
最大出力の火焔が口から推進器に注がれ、大量の霊薬と酸素が混ざり合う。
次の瞬間、ガイズリー卿の機甲化火竜は視認できない程の速度に加速する。凄まじい加重が身体に襲いかかり、二人は苦悶の表情を浮かべる。
最後の槍を回避しきった敵の竜へ、不可視の火竜が接近する。
回避行動を行わせる前に、機甲化火竜の頭に装備されたドラグウラニア製の角が、敵の竜の胴体に突き刺さる。
敵を串刺しにしたまま機甲化火竜は飛翔を続け、ようやく減速した頃には敵の巨大竜は絶命していた。
『御見事です、閣下!』
『流石、帝国最速は伊達じゃありませんなぁ』
離れて一号級たちを相手にしていたモラーとウェッツェルから思念通信が飛んでくる。
モリーが被弾したとはいえ、二人は善戦し、既に一号級も残り数匹となっていた。
まだ激しい息遣いのままガイズリー卿は通信を返す。
『少し綱渡りが過ぎたがな。このまま残りを殲滅して、血のワインで祝杯と行こう』
『御意!』
思念通信が途切れると、ガイズリー卿は身体を鞍の背もたれに任せた。
後ろを見ると、激しい魔力消費と無茶な超軌道でライサが憔悴仕切っていた。
「閣下、お言葉ではありますが、こう何度も無茶ばかりされては堪りません。一度後退して援軍を待っても良かったのでは?」
ライサの問いかけに対しガイズリー卿は堂々と応える。
「その間にどれだけの犠牲が出るか分からん。神速の槍などと持て囃されていながら、民を置いて敵前逃亡など、性に合わん」
尊大な自信の前に、臣下であるはずのライサは大きなため息をこぼす。
ガイズリー卿はそれを見て苦笑いしながら、再び背筋を伸ばす。
巨大な竜の死体を鼻先にぶら下げたまま、四号級相当の機甲化火竜はゆっくりと帰投準備を始めた。
フロックス城に帰り着いたガイズリー卿一向は、格納庫に機甲化火竜を預ける道すがら、配下の臣民たちからの歓喜の声を浴びていた。
城内の石畳の道を重々しく踏みしめる、巨大な鋼鉄の鎧を纏った火竜。その背中から身を乗り出しながら、ガイズリー卿は民達へ手を振り返す。
「勤勉たる我が臣下の皆の衆! この城に迫る脅威は去った! 今宵は火竜のステーキと血のワインで朝まで飲み明かそうではないか!」
勝鬨を上げるようにガイズリー卿が叫ぶと、民衆達の歓喜の声が一層大きくなった。
ライサは大きいため息を漏らしながら、巨大火竜ジェーガンの操作を続けていた。
三体の火竜は格納庫に潜り込み、造船所のドックを模した構造物の中に身体を縮めて納める。
火竜から降りた一行は、城の大広間へと向かう。
城主の帰りを待ち望んでいた使用人たちが、既に様々な料理をテーブルの上に載せ始めていた。
「戦果は上々のようですな、閣下」
大広間の中央に老齢の男性が佇んでいた。書記官のワルプ・シュグルフだ。
もう何年もこのフロックス城に仕えている古株の官であり、ガイズリー卿との付き合いも長い。
武将として名高いガイズリー卿も、細かい内政については彼に頼りっきりの状態だった。
「応、久しぶりの四号級との戦だ。大いに滾ったわ」
ガイズリー卿の高笑いが、大広間に響き渡る。
「しかし、ライサのその顔を見る限り、今回もかなり無茶をなさったようですな」
指摘されてばつの悪そうな顔をするガイズリー卿を見ながら、ライサとワルブはほぼ同時に大きなため息をついた。
「閣下、貴方はこのフリックス城のみならず、23の領地を治める偉大なお方です。そのような無茶のたび、私どもは肝を冷やす思いですぞ」
まるで親に叱られている子供のようであった。先ほどまで勇猛果敢に戦っていた歴戦の名将の面影はどこへやら。大柄のガイズリー卿は身体を小さくしながら、ワルブの説教を聴いていた。
長い説教が一通り終わると、ワルブは懐から書簡を取り出す。
「まぁ、それはさておき、例の密偵からのご報告です」
受け取った書簡を開くと、ガイズリー卿はわずかに頬を強張らせる。
「うーむ、こりゃまた厄介なことになりそうだ」
渋い顔をしていたガイズリー卿をライサが心配そうに見つめる。
「閣下、如何なされました」
「うむ、読んでみろ」
そういってライサに書簡を渡す。羊皮紙の書簡の内容に目を通したライサは思わず動揺の声を上げる。
「まさかそんな、これでは八王会議が!」
動揺の色を隠せないライサに対し、ガイズリー卿は遠くを見ながら顎鬚を撫でていた。それは彼が、冷静に何かを考えるときのしぐさだった。
「ここは一つ、骨をおってやるかのう」
しばしの長考ののち、歴戦の勇士はまるで悪戯を考え付いた子供のような顔をしていた。