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34.主婦、セクハラされる

 私と目が合うと、『魔王』はその場に片膝を立てて座り直した。

 先程の豪奢な衣裳と打って変わって簡素な着流しに、金色の髪がさらりとかかる。


 美しい顔を歪ませていた怒りは鳴りを潜め、最初に見た気怠い表情でもなく、彼は珍しい動物を観察する目で私をしげしげと見つめていた。


 何だこれ、どうなってるの?

 あ、もしかしてもう一回目を瞑ったらちゃんと起きられるかな。


「おい、また寝る気か? 一体どれだけ寝るつもりだ」


 ダメらしい。

 仕方なしに私は起き上がる。


 私たちが初めて会った部屋とは違う和室。

 八畳程だろうか、畳の数は数えてないけど。

 私が寝ていた布団の他に、家具や調度品は見当たらない。

 三面は漆喰の壁、残る一面には太い格子が嵌められていた。


 所謂座敷牢だろう。

 牢屋にしては広いけど。


 それにしても、このお布団フカフカで気持ち良いなあ。

 王城のベッドも相当なものだったけど、やっぱり日本人なら畳に布団だ。

 この世界に来て、布団で寝る事が出来るとは思わなかった。

 ああ、気持ち良い。


 私が布団を撫でていると、『魔王』が笑った。


「小僧、もしかして日本から来たのか」


 小僧じゃないんだけど、と呟きながらそちらを見る。

 心臓が痙攣を起こしかける程に破壊力のある微笑みが、そこにはあった。


 これに一瞬で堕とされた女がどれだけいるだろう。

 いや、男もか?

 もっと言ったら、メトロさんも?


 まあねえ、これだけ破壊力があったら、そっちに転んじゃっても文句言えないよね。

 私の好みの顔じゃないのが不幸中の幸いだわ。


「小僧じゃないなら何だ?」

「え?」

「もしかして女か。どれ、見せてみろ」


『魔王』は言うなり私の、恐らく寝ている間に着替えさせられていた着物の裾を捲り上げようとする。


「ぎゃあああああ!」


 流石の私も必死で抵抗した。

 迫る腕を蹴り上げて勢い良く後ずさると、壁に後頭部が激突する。


 痛い……


「あっははは! ぎゃあは無いだろう、ぎゃあは」


 涙目で後頭部をさする私を、あろう事か彼は笑った。

 何なんだこの人……

 睨んでいる私に気づいたのか、一つ咳払いをして彼は立ち上がる。


「すまん、悪ふざけが過ぎた。つい、いつものノリで」


 彼は頭を掻きながら頬を赤らめた。

 その姿すら美しい。

 が、今はそんなの関係ない。


 すまんで済む問題じゃないよね。

 普通にセクハラで訴えられて敗訴するよね、これ。

 いつものノリって事は魔物の国じゃこれが普通なの?

 あり得ない。

 こんな所、一刻も早く出て行ってやる。


「大丈夫か、痛かったか?」

「あんたのせいだっての!」


 私は立ち上がった。


「早くここから出して」

「それは無理だ。お前には聞きたい事がある」


 私にだって聞きたい事は山程あるけど、今はとにかくここから出たい。

 このセクハラ『魔王』から逃げるんだ。


 私は掌に魔力を込める。

『破魔の剣』がなくたって、魔力を制御して何かしらの形にはできる筈だ。

『魔王』に敵わなくても、格子さえ破る事ができれば外に出られるだろう。


 熱くなってきた掌を前に突き出す。

 しかし、私の手はあっけなく、歩み寄って来た『魔王』の手に包み込まれた。


「呪文も道具もなしに魔力を使えるのは凄いと思うが、誰にも教授は受けていないのか」


 ひんやりとした美しい手に触れられ、力が抜ける。


 魔力を奪われた。


 晶玉を触った時と似た感覚だけど、魔力の吸収力はその比じゃない。

 どんなに抵抗しても無駄だった。


 膝から崩れかけた私の脇に手を通して支えながら、『魔王』は言う。


「私が魔力の使い方を教えてやろう。代わりにお前の話を聞かせてくれ」


 何のために?

 重たい頭を上げて彼を見た。

 彼は思ったより真剣な顔をしている。


「退屈だったんだ。もう百年も『魔王』をしているが、私を斃す者は現れない。手塩にかけて育てたメトロも、ここへ来る前に人間の手にかかってしまった。お前が私を斃すと言うなら、私はその手助けをしよう。だがその前に、私の故郷が今どうなっているか教えてくれないか」


 ん?


 ちょっと待って。

 今、何か変な事言わなかった?


「メトロさん、魔物にやられた筈なんだけど」


 彼は眉を寄せる。


「お前、見ていなかったのか」

「何を?」


 彼が口を開いたと同時に、格子の外からドタドタという足音と男性の声が聞こえた。


「主様、今悲鳴が聞こえましたが大丈……ちょ、何してんだこのエロ親父!」


 見ると、青い着物の若い男が格子をバキバキ破り捨ててこちらへ来る。

 良いの? それ壊しちゃって。

 というか、簡単に壊せる程の強度なの?


 激昂している男に対して、エロ親父と呼ばれた『魔王』は怒りもせず涼しい顔だ。


「見れば分かるだろう、逃げ出そうとしたから捕まえただけだ」

「見ても分かんねぇよ! どう見ても襲いかかってるだろが!」


 どう見ても君が正しいよ。

 実際セクハラされたしね。


 青い着物の男は、一呼吸置いて続ける。


「人間の女の子にそんな事して、主様の魔力に当てられたらどうするんですか」

「おい、どうしてこの子が女だと知ってる? ペンタクル、もしやお前」

「確かめたりしてねぇよ、主様(あんた)じゃあるまいし。着替え担当したワンドから聞いたんだ」


 何だ、とつまらなそうに呟く『魔王』。

 何だとは何だ、と喚く青い着物の男。

 何だと言いたいのはこっちだ。

 何なの、このふざけたやり取りは。


「それより、今後この子を私の元に置くから、他の二人にも伝えておいてくれ」

「は? また人間で遊ぶつもりですか?」

「この子は人間じゃない。私の後継たり得る者だ」


 え、と小さく声を上げ、ペンタクルと呼ばれた青い着物の男は、穴があく程私を見る。

 そして頭を下げた。


「失礼しました。じゃあオレは早速二人に伝えて来るんで、あれ直しといてください」


 ペンタクルは格子を指す。


「お前が破ったんだろう。お前が直せ」

「オレは早く二人に伝えて、それから宴の支度もしなきゃなんで。主様よろしく」


 じゃ、と言ってペンタクルは格子の残骸を乗り越え、颯爽と走り去った。

 あの男、直すのが嫌で逃げたな。


 同じ事を考えていたんだろう、『魔王』が溜息を吐く。


「やれやれ、困った奴だ」


 格子に使われている木はかなり太い。

 一体どうやって直すんだろう。


 彼は軽く左手を振るった。

 袂が優雅に閃く。

 次の瞬間、格子は元に戻っていた。


 何が起きたのか、見ていた筈なのに全く分からない。


「とまあ、魔力が使いこなせればこんな事は容易い。どうだ、私に教わる気になっただろう」


 偉そうに言われると反発したくなる。

 しかし、そこは抑えた。


 突っ込みどころは多々あるが、ここにいれば色々な疑問が解けるだろう。

 さっき言いかけた事も気になる。


 元の世界に帰る手がかりが見つかる可能性も、もしかするとあるかも知れない。


「分かった。私に魔力の使い方を教えて」


『魔王』はめまいがする程眩しい笑顔を向ける。


「良し、じゃあ早速お前の話を聞かせてくれ」


 あれ、まず修行じゃないの?

 ともかく、こうして私は、『魔王』に教えを請う事になった。

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