14.主婦、王都に着く
振り返ったのは、美しい男性だった。
長い金髪を背中に流し、細身ではあるが鍛えられた肉体。金色の瞳は神々しくさえ感じられた。
作り物と見紛う程に整った顔に柔和な笑みを湛えて、彼は私を見る。
その時私の中に巻き起こった感情は、嫉妬だろうか。
いや、この胸を締め付けられるような切なさは、恋に似ている。
彼は言った。
死ぬなよ、次に私と会うまでは、と。
行かないで。
言おうとして止めた。
彼の決意を知っていたから。
そうして私は、自分の感情に反して彼を見送る。
取り縋りたいのを必死で我慢して。
ーーーーー
ふかふかの敷物に、モフモフの毛玉。
隣にはスヤスヤと寝息を立てるニコル。
テントの中で、私は目を覚ました。
あれ、私夢見てた?
こっちに来てから夢なんて一度も見なかったのに。
見たのを忘れてるだけかも知れないけど。
それにしても綺麗な人だったなあ。
本当にいるなら一目で良いから拝んでみたいものだ。
起き上がると、気配を察したのかニコルが目を開けた。
「ごめん、起こしちゃった?」
「い、いえ。そろそろ起きようかと思っていました。おはようございます」
「おはよう」
あの後、ニコルが他の魔物が寄って来ないように全ての痕跡を消したので、現場は初めから何も無かったかのように綺麗になっていた。
血痕とか死体とか、どうやって消したのか聞いてはみたけど、結局魔法を使った事以外は良く分からないままだ。
朝までは動かずにいた方が良いだろうと、テントで寝ていた私たちである。
「朝ご飯の支度をして来ますね。少し待っていてください」
「うん、ありがとう」
ニコルを見送って、立ち上がった私は思い切り背伸びをする。
手が天井に当たった。
テントが随分小さく感じる。
そういえば私が大きくなったんだった。
服は元々ゆったりしていたので、多少丈が足りないくらいで済んでいる。
十分丈だったズボンが六分丈になっていたり、膝上まであった筈の上着からヘソがチラ見えしていたりはするけど、問題ない範囲だ。
胸はツルペタだし全体的に筋張っているものの、性別は変わっていない。
これは念のため昨日調べた。
何歳に見えるかニコルに聞くと、私と同じくらいでしょうかと言っていたので、多分見た目は十五、六というところだろう。
相応に筋力も上がっているようで、結構ずっしりしていた毛玉を軽く持ち上げる事ができた。
『勇者』になるために、身体的には心配なくなった訳だ。
技術的にどうなっているかは森を少し行けば確認できるかも知れない。
『破魔の剣』は現場に落ちていたので私が持っているけど、それが使えるかどうかも分からないし、こんな所で死ぬのは嫌だ。
今はやめておこう。
「ご飯出来ましたよ。こちらへどうぞ」
ニコルから声がかかった。
私はまだ丸くなって寝ている毛玉を揺する。
「毛玉、朝ご飯だよ。起きて」
目を覚ました毛玉は、ビクッと飛び上がってから私を威嚇した。
そしてそこにいたのが私だと分かったのか、目を丸くする。
君、昨日一部始終見てたよね。
まあ飼い主を私と勘違いしているような子だから、仕方ないか。
連れ立ってテントを出る。
良い匂いが鼻をくすぐった。
「ありがとうね、ニコル」
「い、いえそんな。当たり前です」
顔を赤らめてニコルは首を振る。
新妻みたいで可愛い。
私は結婚した時三十近かったし、こんな初々しさは無かったな。
だから夫の反応も薄かったのかも知れない。
……今は夫の事は考えないでおこう。
ニコルが折角作ってくれたご飯が美味しく食べられなくなりそうだ。
何とか頭から元の世界の事を振り払って、美味しく食事を頂いた。
テントを畳み、荷物と毛玉を馬に乗せて私たちは出発する。
昨日まで馬はアンディが世話していたので、元の世界で馬を触った事もなかった私はおっかなびっくりだったのだけど、良く人に慣れた子で助かった。
半日程で森を抜ける。
幸いにも魔物には遭遇せずに済んだ。
前方が開けると、遠くに城のような建物が確認できる。
歩けばかなり時間がかかりそうだが、見えるだけで安堵感があった。
結局私たちが王都の入り口に着いたのは、日が大分傾いた頃だ。
一日ほぼ休憩も無しに歩いて来たが、疲れがほとんど無いのに驚く。
前の姿の時に体力が余程無かったのか、この姿になって体力が有り余っているのか。
ともかくこれは嬉しい。
ずっと馬の上だった毛玉はともかく、ニコルには少し疲れが見て取れる。
早く宿を取って休ませてやりたいところだ。
検問の通り方はニコルが知っていた。
荷物の中に通行許可証があって、それを見せればほぼ問題なく王都に入れるらしい。
念の為、毛玉は以前のように晶玉で魔力を吸い取ってある。
私もニコルも魔力を持っているから必要ない気もするが、無駄に暴れたり迷子になったりされても困るので念の為だ。
さて、さっさと検問通って宿を探そう。
と思ったのに。
検問と思しき場所で何か揉めている。
遠くない内に夜になってしまいそうだし、ここで時間を取られるのは嫌だ。
先に通してもらえれば良いんだけど。
「だから、元々余はこの国の人間なの! どうして入れないのよ?」
「規則なので」
「規則規則って、もうちょっと融通利かせてくれても良いじゃない。ねえ、アル」
「左様でございますが、規則である以上通行許可証をお持ちにならなかったルード様の手落ちであるかと」
「ええっ! それを言うなら出る時に通行許可証持ってけって言わなかったアルが悪くない?」
大柄で筋肉質な若い男と、壮年の細身な男の組み合わせだった。
身なりの良さは私たちと比べ物にならない。
どこかの貴族様が、通行許可証を持たずに王都を出て、戻ったは良いが中に入れず往生してるといったところか。
私たちには関係ないよね。
二人いる検問官の一人がこちらに気付いた。
私は通行許可証を見せる。
「どうぞ通ってください」
「はい、どうも」
私たちが傍を抜けようとすると、大男がこちらを指差した。
「ちょっと、何でこの人たちはそんな簡単に入れるのよ」
「通行許可証を見せていただいたので」
「通行許可証だけで!? どう見ても怪しいカップルじゃない!」
失礼な。私たちは普通の旅の者です。
「ルード様、いくら怪しかろうと通行許可証は絶対です」
「ええっ! じゃあ今すぐ通行許可証制度廃止する!」
「無理です」
「じゃあどうするのさ、家に帰れないじゃん」
「今日はとりあえず野宿でしょうか」
「無理でしょ!」
「私がお世話いたしますのでご心配なさらず」
「そういう問題じゃないよね」
いつまで夫婦漫才を続けるつもりなんだ、この二人。
まあ、関係ないから放っておくけど。
「ちょっと君たち!」
肩を掴まれた。
「その通行許可証貸してくれない?」
「嫌です」
「そんな事言わずに! お礼は弾むから、あと、宿はこれから探すんだよね。余の家に泊まらせてあげる。ご飯もご馳走するよ。だから人助けだと思って」
誰が見ず知らずの男二人を助けるっていうのか。
私は放置して先に進もうとする。
しかしそれを阻んだ者がいた。
「あ、あの」
「ニコル?」
「助けてあげたらどうかと」
何なのこの子、天使なの!?
可愛い見た目にそんなピュアな心を持つなんて、天使以外の何者でもないわ!
おばちゃんトキメキが半端ないわよ!
「宿代も浮きますしお礼を貰えたら滞在費も賄えます。ここは恩を売っておいて損はないかと」
違った。ただの金の亡者だった。
おばちゃんのトキメキを返して。
まあ、ニコルの言う事にも一理ある。
頼れる大人がいない状態で、お金は何よりも便利な存在だ。
「分かったよ、ニコル」
私は検問官を振り返った。
「この人たち、私たちの連れって事で大丈夫ですか?」
「良いですよ」
軽く返された。
この都、こんなザル検問で大丈夫か?
「ありがとう、助かったよ!」
「お礼はこの子にどうぞ。それより、ホントに家に泊まらせてくれるの?」
「もちろん! そうと決まれば早く帰ろう、アル!」
「かしこまりました。ご一行様、ご案内いたします」
こうして、私たちは王都に辿り着いたのだった。