10.主婦、ご馳走様を言う
「あらあ、今回はまたえらく短いお帰りだったわねえ」
そんなジュリアの声に迎えられて、私たちは再びテオの店にやってきた。
「王都へ行く支度をしに来た。テオは?」
「生憎、今出かけてるのよう。この前の魔物騒ぎで、町の警備が手薄なんじゃないかって話が出てねえ。王様に掛け合って警備を強化できないか、町の人たちで会議をしてるの」
「そうか、じゃあ宿の手配だけ先に頼む」
「分かったわあ。でも王都に行くなんて、また急な話ねえ」
カウンターに回り込んで鍵を一つ掴むと、ジュリアはメトロさんに差し出した。
「はい、前と同じ部屋。お代はテオが戻ってからで良いわよねえ」
「ああ、ありがとう」
「それにしてもチカちゃん、そのモフモフは何? 私にも抱っこさせてえ!」
言うが早いか、私から毛玉を取り上げるジュリア。
毛玉は無反応だ。というか寝ている。
この町に入るのに結界に引っかかっては大変だからと、メトロさんが晶玉で毛玉の魔力を吸い取っていたからだ。
魔力は魔物の原動力ではあるが、それがゼロになったからといって死ぬ訳ではないらしい。
寝たら回復するそうだ。
あの本に書いてあった。
ちなみにまだ読了はしていない。
「まあ、寝ちゃってるのねえ。可愛いわあ」
完全に脱力している毛玉に頬ずりしながら、ジュリアは蕩けんばかりの笑顔だ。
よっぽどモフモフが好きなのね。
その気持ちは良く分かる。
と、奥から不安そうな顔のニコルが出てきた。
「その子……」
メトロさんは人差し指を唇に当てる。
ニコルにはどうやら毛玉の正体がバレているみたいだけど、どうして分かったんだろう。
ニコルはメトロさんの意を汲んで頷いた。
ちなみにメトロさんの仕草にドキッとしたのは秘密だ。
「ねえ、ニコルもモフモフするう?」
「い、いや私は良いです。遠慮します」
「ええ、可愛いのにい」
「に、苦手ですから」
奥に引っ込んだニコルに、ジュリアは変な子ねえと独りごちて私に毛玉を返した。
「テオが戻ったら部屋に知らせに行くから、ゆっくりしててねえ」
そう言い残して、ジュリアはたった今店に入ってきた客の方へ向かう。
仕方ないのでメトロさんと私は宿の部屋へ行った。
部屋のベッドに毛玉を下ろして一息つく。
産まれてちょっとの赤ん坊と同じくらいの重さとはいえ、やっぱりずっと抱っこしているのは辛い。
まして今は子供の身体だ。
ふと、息子にもこのくらいの重さの頃があったと思い出した。
あの頃は育てるのに必死で、可愛かったと思えたのは大分時間が経ってからだったな。
今頃どうしてるだろう。
泣いてるかな、それとも私の事なんか忘れて幼稚園で元気に遊んでるかしら。
病気してないかな。
お父さんに迷惑かけてないだろうか。
いつの間にかこの暮らしに慣れかけていたけれど、思い出してしまうと強く心が揺さぶられる。
帰りたい。
帰って息子の顔が見たい。
「どうした?」
優しい声がした。
本来何の関係もないのにあれこれしてくれるこの人に、心配までさせたくはない。
私は首を振る。
「何でもない」
「そんな事はないだろう。何で泣いてる?」
頭を撫でてくれる温かい手。
どうしてこの人はこんなに世話好きなんだろう。
思わず、私はメトロさんにしがみついた。
「帰りたい」
メトロさんは優しく、でもしっかりと私を抱きしめてくれる。
「安心しろ、俺が帰してやる」
どこまで優しいの。
見知らぬ異世界人にいくら親切にしたって、この人には何の見返りもないだろうに。
自分の喉から嗚咽が漏れるのを感じた。
まるで本当の子供みたいだ。
みっともないと頭の中の冷静な部分が思っていたけど、こうなったら自分では止められない。
結局メトロさんは、私が落ち着いて自ら離れるまでそのままでいてくれた。
考えてみたらかなり恥ずかしい。人に抱きついて大泣きなんて。
中身はともかく見た目が子供で助かった。
とりあえず、ごちそうさまです。
そして、テオが戻ったと知らせに来たジュリアは、私の赤い目と赤い顔を目の当たりにして、メトロさんを叱ったのだった。
「あなたねえ、いくら自分の子供だからってこんなに泣くまで叱る事ないでしょう。何があったか知らないけど、子供のする事なんだから多少は目を瞑ってあげないと」
「いや……」
「違うんですジュリアさん。悪いのは私で」
「あらあら、子供にこんな事言わせてえ。メトロさん、あなたも少し反省なさい」
完全に勘違いされている。
可哀想なメトロさん。
私のせいだけど。
「ごめんなさい」
小さく呟くと、メトロさんは困ったような表情で「気にするな」と返してくれた。
ーーーーー
テオから折り入って話があるとメトロさんが呼ばれたので、私は部屋でそのまま待機となった。
毛玉は寝てるから遊べないしお腹は空いたし、どうしようかと思っていたところにノックの音がする。
開けるとニコルがいた。
「あ、あの、今日はメトロさん、遅くなるみたいなので。お、お腹すいてるんじゃないかと思って」
差し出されたのは焼き立てのパンとオードブルだ。
渡りに船ってこういう時に使うのね。
「ありがとう。お腹すいてた」
「そ、それじゃあ」
私に料理を押し付けくるりと踵を返すニコルを捕まえて、私は笑った。
「一緒に食べよう」
「い、いや私は」
「ね!」
「え、えええ」
ニコルを部屋に引っ張り込んで座らせる。
「暇だったの。仲良くしましょ」
「は、はあ」
こうして私は強引に二人だけの女子会を開催したのだった。
聞きたい事は沢山ある。
でもとりあえずは食事だ。
「いただきまーす」
パンに噛り付いた。
ジュリアが焼いてくれたものだろう、まだほんのり温かくてふわふわだ。
「おいしーい」
この辺りには当然コンビニなどないし、子供が夜一人で出歩く訳にもいかない。
今日はもうご飯にありつくのは諦めようと思っていた矢先なので、余計に有り難みがある。
強引に連れ込んだくせに食べる事に集中している私に、ニコルは笑った。
「美味しいですよね、ジュリアさんの料理」
「うん、美味しいよね。レシピ教えてもらっても絶対こんな風にできない」
「私も中々真似できません。チカさんも料理なさるんですか?」
「呼び捨てで良いよ。敬語も使わないで」
いえいえとんでもない、とニコルは首と手を振る。
「私は半端ものなので」
「その半端ものって何なの?」
ニコルの動きが止まる。
あれ、変な事聞いちゃった?
「ごめん、私その辺の事全然知らなくて」
「い、いえ、そうですよね。チカさんはあちら側の方なんですものね」
「あちら側?」
「あ、え? 違うんですか?」
違うも何も、言葉の意味が分からない。
「えーと、ニコルは私の事どこまで知ってるの?」
「ど、どこまでって、ええと」
お人形さんみたいな顔の少女が物凄くキョドってる。
何これ可愛い。
しかし今はそれを顔に出している時ではない。
「毛玉が魔物だって事は知ってたよね」
「は、はい。見れば分かります。半端ものなので」
「で、その半端ものって何なの?」
「そ、それは」
どう説明したものかと思案しているのか、ニコルは視線をあちこちに泳がせる。
しばらく待っていると、宙を彷徨っていたその両腕がいそいそと顔以外を覆っていた布を取り払った。
露わになったのは、瞳と同じ青色の髪と尖った耳だ。
整った顔と相まって、キラキラと輝いてさえ見える。
「わ、私は魔物と人間との子で。だから魔力を持ってて。魔力を感じ取る事ができるので」
それで毛玉の事も魔物だって分かったのね。
きっと私にも異世界人のオーラみたいなものがあって、それが感じられたって事だ。
私に取ってそれは最早どうでも良い。
「髪の毛、触らせてもらって良い?」
「あ、え?」
神々しささえ感じるその姿に、私は完全に魅了されていた。
「良い?」
「は、はい。どうぞ」
見た目通り、サラサラの豊かな髪。
偽物のように鮮やかな青色なのに、自然に顔と馴染み、背中に流れている。
「こんなの隠してるの勿体ない。こんなに綺麗なのに」
「……」
ん?
ニコルがまた固まってる。
私また何かまずい事を言っただろうか。
その瞳から、雫がポタリと落ちた。
「え、え? ごめん私変な事言った?」
「い、いえ。あの、この髪の毛を褒められたの初めてで。びっくりしてしまって」
涙を流す様も美しいとか、そんな事言ってる場合じゃなくて。
「い、今までずっと、禍々しいとか、恐ろしいとか、そんな事しか言われなかったから」
考えてみればそうだ。
人間を食べる魔物と人間の混血なんて、この世界の人たちに受け入れられるものじゃない。
これまで色んな場所で、場面で、心ない事を言われ続けたんだろうし、生きている限りそれは続くんだ。
こんなに美しいものを受け入れられないなんて、この世界は何て勿体無い事をしているんだろう。
そっと抱きしめると、ニコルは声を上げて泣いた。
本日二度目のごちそうさまです。
立場は反対だけど。
ニコルが落ち着いた後、私たちはあれこれ話に花を咲かせた。
戻ってドアを開けたメトロさんの第一声がこれだ。
「何やってるんだ、こんな時間まで」
ありがとうございます。
想定通りです。
「何って、女子会ですよ」
「そういう意味じゃない」
「あ、あの、メトロさん、私が悪いんです。つい長居してしまって」
「どうせチカが引き留めたんだろう」
「はいそうです」
呆れ顔のメトロさんを横目に、私はニコルの手を握る。
「今日はありがとう、ニコル。またお喋りしようね」
「は、はい。こちらこそ、ありがとうございました」
紅潮した頰で、ニコルは返す。
楽しかったようで何より。私も楽しかった。
あとはメトロさんに叱られるだけだ。
まあそれもご褒美と言えなくもない。
私は女同士の楽しさの余韻に浸りながら、ニコルを見送った。