刺客③
私の所属する部隊は後方待機だった。
それはそうだろう、こんな勝敗が決した戦闘に貴重な魔術師部隊を前線に向かわせるなど常識で考えてありえない話だ。
私も油断していた。今回の戦闘はどこか自分とは関係のないところで決着するだろうと思っていた。
ところが、奴らはやってきた。その奴らの先頭にいたのがあの男だった。
一見して痩せた老人なのはわかるが、その動きの俊敏さは若者と変わらない。
おそらく一個小隊全員で進撃を敢行したのであろう、あの男の後ろには数十名の魔術師とおぼしき一団がいた。
老人たちの周りの友軍兵士たちが次々と倒れてゆく、無詠唱で魔法を発動させているのだ。
魔術師である私にはわかった。自らが歩兵のように突撃してくる闇魔術師が私とは比べ物にならないほど強大な魔力を持っていることを。
なまじ魔力がある私にはわかる、その闇魔術師の老人と私とは魔力において歴然とした差があることを。
そして何より、私の印象に残ったのはその闇魔術師は四方を敵に囲まれながらも顔に凶相ともいえる歪んだ笑顔を浮かべていたことだ。
「総員。防御魔法を使用せよ!」小隊長の声が戦場に響く。
言われなくてもそのつもりだったが、私が聞きたかったのは援軍の到着を告げる声だった。
いまや眼前に迫った魔術師の一団に対して私は“光の盾”を使って防御姿勢に入ったが敵の魔術師たちの攻撃魔法はやすやすと私の“光の盾”を切り裂いた。
それは私の予想できた結果に過ぎなかった。私程度の防御魔法では眼前の魔術師たち攻撃を防ぎ切ることはできない。
私は内心帝国随一の魔術師だとうぬぼれていた。だが、そのうぬぼれは私の“光の盾”と一緒に砕けちった。
今の攻撃で一体何人が死んだだろう。私でさえ敵の攻撃魔法をしのぐのに手一杯だったのに他の奴らは生きているだろうか。そう思って私は周囲を見回した。やはり、さっきの攻撃魔法に耐えきれずに死んだ者が多かった。
奴らが私の前に来る。逃げ場はない。だが、私は逃げ出した。この行為は敵前逃亡の罪で軍事法廷で裁かれるものだ。だが、それがどうした誰が私の敵前逃亡を証言するというのか、敵は我々をみなごろしにするつもりであり、実際にそのための実力も備えている。
下半身に熱を帯びた液体が流れた。私は恐怖のあまり失禁したのだ。
奴らが確実に目視できる距離まで来た。私はその瞬間、自らの避けられぬ死を自覚した。
逃げ惑っていた私の前に、あの男が立った。私は必死の命乞いをするために膝をついて手を合わせた。
あそこまでの実力差を見せつけられては、誇りだのという戯言を吐いてはいられない。
ただひたすら相手の憐憫の情に訴えかけることしかできなかった。
そこに撤退を告げるラッパの音が聞こえてきた。一個大隊が相手が魔術師の集団とはいえ一個小隊相手に戦線を混乱させられて撤退するなどとは常識では考えられないことである。
あの男は膝まずいて、命乞いをする私など眼中にないかのようであった。
「小佐殿、敵は退却を開始しておりますが、どうしますか?」
あの男の隣に立っていた魔術兵士が聞いた。
「相手が逃げるなら好都合じゃ。お主も知っているはずじゃ。逃げに転じた軍隊の弱さを。ならば逃げる兵隊たちをみな殺しにすればよい」
「しかし、相手の罠かもしれませんよ。我々が敵陣奥まで進軍したら伏撃を受ける可能性もあります」
「その時は儂が判断する。それよりも今はこの地獄を楽しもうではないか」あの男は相変わらず楽しそうに笑っていた。
「ハッ。了解いたしました小佐殿」
そう会話している二人は私の存在など眼中にないようであった。
「なんじゃ、まだそんな所におったのか」思い出したように男は私に声をかけた。
「ほれ、撤退のラッパが鳴っておるぞ、兎のようにとっとと逃げろ。さもないと死神に追いつかれるぞ」男は私に言った。
私はその言葉を聞いて弾かれたようにその場を逃げ出した。
あそこまでの実力差がある相手ではそうすることより他に何もできなかった。
屈辱だった。だが当時の私には逃げる以外に何もできなかった。
友軍があの一個小隊によってめちゃくちゃに混乱させられた戦線をようやく立て直した時には相手は雲を霞みと撤退したあとであった。
その後も何度かの敵軍の突撃があった。圧倒的な魔力を持つ集団の攻撃に私たちは逃げることしかできなかった。
私はそんな自分を恥じた。内心に帝国随一の魔術の使い手として自負していたのが、高々魔術師からなる一個小隊を恐れて逃げるしかないなどと、その時の私の悔しさは想像を絶するものであった。
戦争が終わり、私は自分の意思で軍を辞した。
私は皇国に移り住みあの男の消息を探し始めた。その時の私の頭にあることはあの男に対する報復しかなかった。
私はこれまでの人生の中で、認められたのは魔術の才だけであった。その才をあそこまで愚弄したあの男が許せなかった。必ずあの男を見つけ出し殺してやると私は誓っていた。そうすることによって私は再び誇りをとりもどせると考えたのだ。




