刺客①
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戦場で出会ったあの男のことを思い出す度に私はわななくような怒りと憎しみが全身を駆け巡るのを感じる。
怒りと憎しみは時として炎として表現されるが、その論でいけば私の中の炎はあまりにも強すぎて、腸を煮、全身を燃え立たせるかと思えるほどだ。
私は毎日、私に屈辱を味わあせた。あの男を思い出す。
思い出すたびにその復讐の炎は殺意となる。
私があのような屈辱を堪え忍ぶことができているのは、ひとえにいつかあの男を殺すという目標があるからだ。
この耐え難い復讐の炎を消すためには、あの男を殺す以外の選択肢はない。それこそが私の悲願だ。
私は人間と魔族の混血児として生まれた。多分、この世界の優しさとはその総和が決まっていて、皆が競い会うように限られた数しかない優しさを求めて奪い合っているように見える。そこには人間と魔族の混血児の孤児に分けてやるような優しさは残っていなかったのであろう。
幼い頃私は物乞いをしていた。まだ戦争が始まる前で人々の生活も比較的豊かだったため残飯を漁ることでなんとか生き延びることができた。
そんな生活を何年も続けていた私の前に一人の太った中年女が現れた。女は私を見るとしきりに「かわいそうに」と言いながら私を自分の家に招いた。
女の家で私は風呂に入れられ、清潔な衣服と豪華な食事を与えられた。
最初私は女の家から金目の物を盗んで逃げ出すつもりだったが、毎日行われる女のあまりの歓待ぶりに気を良くして徐々にそんな気がなくなっていった。
その時、私は愚かなことにこれが人の持つ優しさかと勘違いをしてしまった。
女は私を「天使」と呼び可愛がった。その頃の私の一日の日課と言えば女の機嫌を損ねないようにできるだけ媚びを売ることだった。
時折、女は私の体に触れるようになった。最初はごくわずかな接触に過ぎなかったが時を経るにつれ、その触り方が露骨になり、日中は所構わず盛った猫のように私の体をベタベタとなで回すようになった。
ある夜私は女の寝室に呼ばれた。そこで女から告げられた言葉は私がこれから始まる女の趣味に付き合うかどうかだということだ。女は断られるはずがないという自信と肉欲に満ちた目で私を見つめていた。
所詮世の中こんなものだ。無償の優しさなど存在しないと私はこれまで生きてきた中で学んだことを再確認させられるはめになった。もしも私が断れば私はこの家から追い出されまた物乞いをし、他人の残飯を漁って生きていくことになるだろう。女の方は私を追い出してからまた新しい物乞いの子供を見つけてお楽しみの相手をさせようとするだけだ。
私は女の言葉にうなずくと女が横たわっているベッドに潜りこんだ。その時の私は女と過ごす贅沢な生活に慣れきっていて断ることなどできはしなかったのだ。
数年後、女は日頃の不摂生がたたり心臓の病で死んだ。
女が死んだあとはその遺産を狙って集ってくる遺族たちによって私は女の家を追い出された。
しかし、その頃には私は物乞い以外で生計を立てる方法を見つけていた。
女はいつも私を「美しい天使」と呼んだ。つまり私は美しいのだ。この美しさと女の寝室で学んだお楽しみの方法さえあれば物乞いなどしなくてもいいのだと考えた。
女の家を追い出された私は路地に立ち始めた。地回りの連中が私の売り上げの一部を持っていくのにはうんざりさせられたがそれでも万事順調だった。
老若男女問わず客を取る私は路地ではちょっとした売れっ子になっていた。
ある時、いつも“少しだけ特殊な”お楽しみを要求する馴染みの客が背の低い中年男を連れて私の前に現れた。
「今日は二人がかりってわけか? その分料金も割り増しになるけど構わないのか?」私はすでに壮年を迎えた“少しだけ特殊な”趣味を持つ馴染み客に話しかけた。
「少し黙っていろ」男は私に言った。
「どうだ? こいつは?」男は今度は隣に立っている小男に声をかけた。
「確かに魔導適正があるな。それも常人離れした強力な魔力を持っている」
「そうか。おい、お前。これから私たちと一緒に来てもらう」男は一方的にそう告げると私の手を引いた。
「何をするんだよ。私に手を出したら地回りの連中がただじゃおかないんだからな」
「地回り? そんなチンピラ連中我々の敵ではない。それにこれはお前のためでもあるんだ」そう言うと男はさらに力を入れて待たせてあった馬車に強引に私を押しこんだ。
その時、私はこれからあの中年女のお楽しみの相手をしていたように男の専属の遊び相手になるものだと思った。
「降りろ」男に言われるままに馬車を降りた私の前にあったのは屋敷というにはあまりにも装飾がなさすぎる実用本位とも言えるような巨大な建物だった。
「帝国陸軍魔導研究所だ。お前はこれから帝国に身を捧げる魔術師として教育を受けてもらうことにする。何しろ帝国では頭数になりうる魔術師がいつも不足しているからな。現在帝国と皇国の間ではきな臭い雰囲気がただよっている。ゆえに魔導適正を持つ者はできる限り帝国の魔術兵として育てあげなければならんのだ」
「嫌だと言ったら?」私がそう言うと男の拳が私の頬に叩きつけられた。
その衝撃で倒れた私に男は「帝国臣民の誇り」だの「帝国臣民の義務」だの「帝国臣民の名誉」だのと私には縁のない言葉をわめきながら私の腹を蹴り続けた。
その暴力に抗う術のない私は、男の言うとおり帝国陸軍魔導研究所で教育を受けることになった。




