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大将閣下と、とある母娘の話⑤

 □□□


 皇国陸軍大将ロジャー・ゴールドウィンは自領にある屋敷の執務室の椅子に座りながら執事の言葉をうんざりした気持ちで聞いていた。

 今、執事が報告している内容はどれも自領の有力者からのパーティーや食事への誘いばかりであったからである。


 ロジャー・ゴールドウィンの家系は代々皇国屈指の名門として武名をもって聞こえている。

 その領地も皇国ないでも指折りの広大さを持っている。

 そのため辺境の狭い土地を所有する領主とは違い、ゴールドウィン家の領地は皇国内における一つの小国とも言えるような形となっていた。

 そうとなればその領地にいる有力者たちの間にも政治的な問題や複雑な利害関係、人間関係が生じてくる。そのためそれらの有力者たちは何とかゴールドウィンを自分の側に引き入れるために機嫌を取り結ぼうとして連日連夜ゴールドウィンに食事やパーティーの誘い手紙を送ってくることになる。


(くだらんな)

 ゴールドウィンは執事からの言葉をなかば聞き流しながら心中でそう呟いた。


(これではなんのために自領に戻ってきたかわからん)

 先の戦争が終わり、皇都に戻ってきたゴールドウィンに与えられた任務は荒廃した国土の戦災復興のために民心を発揚するために活動することであった。


 具体的に言えばゴールドウィンは先の戦争の大英雄として様々な場所で演説をふるい新聞や雑誌などのメディアに露出しインタビューを受け、皇国内の貴族や有力者たちが集うパーティーや食事会に出席し請われるがままに自らの武勇を周囲に語って聞かせることであった。また、実際にゴールドウィンと会える幸運にみまわれた者たちは全員がゴールドウィンの戦場での活躍譚を聞きたがった。


 そうすることによってほとんど何も得る物のなかった先の戦争が自国の勝利によって終結したと皇国民に印象付けようとしたのである。


(あの戦争にはほとんど得る物はなかった。だが完全になかったわけではない)


 ゴールドウィンは考える。


(あの戦争によって得た物と言えば、ただ一つ。皇国は他国との折衝の際には状況によっては武力行使すらも辞さず、その軍事力が脅威であると帝国や他の国々に印象付けたことだ。それがあの戦争によって失われた命に見合う物なのかどうかは自分にはわからない。戦争とはつまるところ外交の一手段に過ぎない。だが自分は卓上で国家の利益と人々の命を引き算してそれによって得られる物を算出する政治家ではなく、あくまでも自分は一軍人に過ぎないのだ。国家とは一つの要素によって成り立っている物ではない。様々な人間、それこそ皇国民全てが各々の視点で国家を論じられる。自分の場合は国家の国力とは軍事力によって支えられているのだと考えている。結局は自らの自意識の問題なのだ。軍人である自らが国家の最も重要な根幹を支えているのだと自惚れたいのだ)

 ゴールドウィンは自嘲的にそう考えた。


 だが、ゴールドウィンは強大な軍事力を背景に小国を相手に恫喝的に外交を優位に進めることは国家として誇るべきことではないと考え、長期的に見れば得策ではなく、むしろ愚策であるという持論を持っている。


(結局自分はどこまで行っても軍人であり、外交家ではないのだ。外交のことは外交家に任せておくにしくはない。軍はあくまでも国家の剣であり盾でなくてはならない。外交の結果として他国と戦火を交える事態にならざるを得なくなった場合に備えて剣は最大限に強く鋭くなくてはならず、盾は最大限に強固でなくてはならない)


 ──一体自分の今までの人生の中で軍人でなかった時期があったであろうか?

 不意にそんな考えがゴールドウィンの脳裡をよぎった。


 もちろん、正式に軍職についたのは皇国陸軍士官学校を卒業した後のことだ。

 だが、ロジャー・ゴールドウィンは代々武名をもって聞こえるゴールドウィン家に長男として産まれた時からその将来は決定されていた。


 物心ついた時から将来皇国ひいては皇主に武をもって仕えるための教育をなされてきた。


 現在では見る者をして心臓が鉄でできているかのような印象を与えるロジャー・ゴールドウィンだが、若い頃はそんな自らの境遇に疑問や反発心を抱いたことが何度もある。


 それでもその度に結局は周囲の期待に応えるための道を選択をしてきた。


 ゴールドウィン自身も軍事関連の作業や訓練などが性に合っていたし好きでもあったし、軍人である自分に対する誇りも持っていた。


 責任感の強い男であるゴールドウィンは、その役目を完璧にこなしてきた。

 そんな彼のことを周囲の人間はゴールドウィンのことを軍人になるべくして産まれた人物だと言い、また英雄になるべくしてなったのだと評した。


 ゴールドウィンは戦後軍務として様々な貴族や、有力者たちが催すパーティーや食事会に赴いた。ゴールドウィン自身はそれらを自らに与えられた軍務だと自らを納得させて戦場でいつもそうしていたように完璧に与えられた軍務をまっとうしようとし、戦場での武勇伝を請われれば陸軍情報部と広報部が合作で作成したゴールドウィンの英雄譚の脚本を暗記して話して聞かせ、また広報部から英雄として自らが人前でどう振る舞うべけであるかという演技訓練まで受けた。


 これらの軍務に対してゴールドウィン自身は下らないことだと思っていたがこのような命令を軍務として陸軍大将であるゴールドウィンに対して命じられる人間は皇国内でただ一人皇主しかいない。皇主は皇国の最高権力者であり、名目上のものに過ぎないとはいえ皇国軍の最高指揮官でもある、例えそれが政治家たちからの思惑から産まれたものであろうとも皇主自身から直接発せられ、また命令書に皇主の正式な署名が書かれている以上はゴールドウィンにその命令に逆らう術はなかった。ゴールドウィンが書いたという先の戦争での経験を主眼においた自叙伝も軍が用意したゴーストライター執筆したものにすぎない。そもそもがゴールドウィンの戦時中での軍事活動はすべて軍事機密に属するものであり、このように大々的に公表できる種類のものではない。


 それでもどこまでも謹厳実直な性格のゴールドウィンはそれらの全てをこれが自らに与えられた軍務だと自らに言い聞かせて誠実に遂行した。


 だが、宴の席などで笑いを浮かべることだけは──それが皇主からの命令であれ、軍広報部からの提言であれ──どうしてもできなかった。


 そんな生活に疲れたゴールドウィンが数多の軍人や政治家、有力者に引き止められながらも自領に戻り静養したいと申し出たのが受け入れられたのは、ひとえに今までのゴールドウィンの働きを労おうと思っていた皇主の鶴の一声であった。


 相変わらず執事から長々と自領の有力者たちからの招待の手紙を読み上げる声が続いている。


 ゴールドウィンはため息をつきそうになったのをこらえた。こういう態度も軍の広報部から指導された所作の一つだ。


 戦場が懐かしいなど古い軍記物語に登場する将軍のようなことを言うつもりはない。


 ゴールドウィンは既に軍士官学校を卒業したばかりの意気盛んな若手士官ではない。


 まだ恋を知らない少女が、恋に対して夢を見るような感情を戦争に対して抱くことはない。


 現実の戦場に数えきれないほど多く身を置いてきたゴールドウィンにとって戦争とは既に倦怠期を迎えた伴侶のようなものだった。


 “平和とは次の戦争が始まるまでの準備期間にすぎない”、“治において乱を忘れず”どちらも使い古された言葉だ。


 ゴールドウィンはそれらの言葉に従い、常に軍人として自らを律している。

 だが、戦争の中で長い時を過ごしてきたゴールドウィンは平和な時代の中に生きている自分にいつもどこかで違和感を感じていた。


 ──自分には平和な時代の喜びを享受することができないのだろうか?

 再びゴールドウィンの脳裡にそんな疑問が浮かんだ。


 執事が数多い招待状を読み終えてから、一度呼吸を置くと「最後に魔法で封をされた手紙が届けられております」と言った。


「何だそれは? 危険な魔法でもかけられているのか?」

 皇国では穏健派で知られその象徴とも言われているゴールドウィンのことを煙たく思っている帝国との再戦を望む者も少なくない。


 魔法で封をされた手紙というと自らの暗殺を企てようとする者からのものである可能性があると考えるのも当然のことだ。


「その手紙にかけられている魔法とはどういった種類のものだ?」


「それが領軍に所属している魔術師に調べさせたところ何ら害のあるようなものではなく、むし魔法の存在を主張するようなものであったあったそうです」


「ふむ。妙だな私の暗殺や害意を持つ者からの手紙ならできるだけ魔法の存在を隠そうとしそうなものだが。脅迫状の類いかもしれんな」とは言え、逆に“悪魔の盟約者”などという異名を持つ自分に対して脅迫状などを送ってくるような者がいるとも思えない。

 イタズラで皇国陸軍大将になど魔法つきの手紙を送って来たならすぐに足がつく。むしろ足がつかないほどの魔法を使える者が送ってくる手紙ならそれこそ魔法の存在を感じさせないだろう。


「それで、その手紙の差出人は誰になっているんだ?」


「それが、名前は書いておりませんがただ『闇魔導師より皇国陸軍大将閣下へ』とだけ書かれております」


 “闇魔導師”というその言葉を聞いてゴールドウィンは雷に打たれたように数多の戦場をともにした、自らが尊敬してやまない一人の老人のことを思い出した。

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