大将閣下と、とある母娘の話②
オーティスさん母娘が寝室に入ったのを見届けてから、僕たちは申し合わせたように、それぞれの自室へと向かった。
僕は自分の自室に入ってからベッドに横たわり蝋燭の火を吹き消した。
部屋の中が闇に包まれる。
カーテンの隙間から弱々しい月の光が差し込んでいる。
僕は眼を閉じたが、オーティスさん母娘のことが気になってそのまま眠る気にはなれなかった。
僕は“魔力探知”を発動させてオーティスさん母娘が眠っている部屋の様子を窺った。
すると同時に発動させた“魔力感知”で屋敷中に“魔力探知”が張りめぐられているのを感じた。
どうやらこの屋敷にいる僕を含めたオーティスさん母娘以外の全員が、二人のことを心配して魔法を使ってその様子を窺っているようだ。
━━やっぱりみんなも、あの母娘のことを心配しているんだ。
僕は魔法を通じて感じるみんなとのを繋がりを自覚して、眼を閉じながら、少し嬉しくなった自分に照れて一人で苦笑いをした。
オーティスさん母娘は一時間くらいベッドに並んで横たわっている。
眠っているのだろうか?
どうやら娘のメアリーの方にあまり動きは感じられない。多分寝入ったのだろう。
不意に母親のヘレンさんがベッド上で上半身を起こすのが感じられた。
ヘレンさんはしばらくメアリーの寝ている姿を見つめているようだったが、ゆっくりとした動作でメアリーに覆い被さり、メアリーを抱きしめた。
僕はその行動に母親の子供に対する愛情を感じ、僕の母親も僕が幼いときに横に寝ている僕が寝入ったときに同じよつなことをしたのではないかという甘い感傷を弄んだ。
ヘレンさんはメアリーから体を起こすと、両手でメアリーの首をつかみ力を加え始めた。
━━てっ、ええ!?
心安らぐ暗闇の中で、僕は甘美とでも例えられるような睡魔の柔らかい感触を伴った攻撃に抵抗することを放棄して、眠りにつく寸前だったのだが、ヘレンさんの思わぬ行動に混乱しながらも一気に頭が覚醒してベッドから跳ね起きると全力で走りながらヘレンさんたちのいる部屋へと向かった。
ヘレンさんの指がメアリーの首に絡みつきその喉に食い込んでいく様子が“魔力探知”から感じられる。
僕は必死になって目的の部屋までの通路を駆け抜けた。
時間にして数分、だけどそれはとてつもなく長く感じられる時間だった。僕は自分の速度の遅さを呪うなどという贅沢を楽しむことさえ厭わしく思いながらヘレンさん母娘の部屋にたどり着いた。
部屋の中には既に師匠とノワールさんと24号がいた。
僕がメアリーの安否を確認するために、メアリーを見ると彼女は眠りを破られたために眠そうに眼をこすっている。どうやら無事のようだ。
僕は安心して軽くため息をついた。
ヘレンさんは放心したように半ば口を開きながら視線を虚ろにさ迷わせて、ベッドから身を起こし両腕はダラリと垂れ下がっていた。
今、全身が脱力したようなヘレンさんの体が身を起こしていられるのは意思の力ではなくただ習慣によるものであるかのように思えた。
師匠とノワールさん、それに24号は無表情でヘレンさん母娘を見つめていてその顔からはいかなる感情も窺い知れなかった(もっとも24号は目がみえないし、無表情なのはいつものことだけど)。
僕はこの状況が理解できずに他の三人と同様に何も言えずに、ただヘレンさん母娘を見つめながら立ち尽くした。
僕がこの部屋に着いてから数分後にジゼルが蝋燭を手にしながら、部屋に入ってきた。
そういえば僕は“魔力探知”だけをたよりに暗闇の中を駆けてきたのだと今さらながらに気がついた。
「ノワール様! 先生! それにみんな! これはどういうことなんですか!?」
ジゼルが息を切らせながら不安そうに僕たちに聞いてきた。
「さてな、どういうことなのかは本人に聞いてみなければわからんよ」
師匠が相変わらず無表情のまま感情のこもらない声で答えた。
「さて、どうじゃろうオーティス夫人よ。儂はこの屋敷の主としてお主に事ここにいたった経緯について尋ねる権利があると思うのじゃが。何か答えてくれんかのう?」
師匠がオーティスさんに尋ねた。
「戦争が、あったんです…」
「そうじゃな」
師匠は話の続きを促すしながらも、オーティスさんを刺激しないように最小限の言葉で静かに言った。
「私には夫がいました。メアリーにとっては父親です。私たちは互いに愛し合っていました」
「ふむ」師匠が相づちを打ちながら自分の顎をなでる。
「私たちは幸せでした。例え戦時中であろうとも愛する人との間に子供を授かり、当たり前のことかもしれませんが私たちはその子供、メアリーを愛しました。私たち家族は皆互いに愛し合い、どんな苦難のときであっても、皆で手を取り合いこの苦境を乗り越えてきけると信じていました」
僕たちは何も言わずにオーティスさんの言葉を聞いている。例え何か言葉を挟もうとしてもオーティスさんはその言葉を無視して話し続けただろう。
多分、オーティスさんは今まで溜めていた胸のうちを誰かに話したかったんだと思う。
オーティスさんは相変わらず放心した表情のまま、力が衰えた老人が自分の意思に反して止めどなく口から流れ出るよだれを止められないように言葉を口から流し続けた。
「そうして数年がすぎたころ、夫のもとに召集の手紙が届きました。夫は徴兵されて戦地に行きそこで名誉の戦死をとげました」
オーティスさんは“名誉の戦死”という言葉に自嘲的とでもいうような皮肉な響きを持たせて言葉を口から出した。
「夫が徴兵されたのは、一通の手紙からでした。そして、夫の戦死を知らされたのもたった一通の手紙でした。それはどこにでもあるお役所から届けられるような、なんていうことはない事務的な手紙でした。夫の遺骨や遺髪、もちろん遺書や遺品なども私たちのもとへは届けられませんでした。私はその手紙を何時間も何日も繰り返し読み続けました。それを読んでいるうちに私は、私たち家族の幸せな未来がたった一通の手紙によって全てが否定された気持ちになりました。私はその結果、その手紙を手で丸めてゴミ箱の中に放り投げました。私は愛するメアリーの寝顔を眺めながら私たちの輝かしい未来を否定する象徴である手紙をゴミ箱に捨てることによって、私は私の否定された運命に対し抗うことを決めたのです。そうです、あの手紙はけっして感情をもって燃やされるものではありませんでした。あの私たちの暖かい将来を否定する手紙は他のなんということのない手紙と同様にゴミ箱に捨てられるべきものだったのです」
オーティスさんの言葉はとうてい頭で一度考えてから発せられる種類のものではなかった。
ただ、幼い子供のように思ったことを前後の繋がりなどを無視して思うままに言っているだけのようだった。
おそらく今のオーティスさんにとっては、聞かせる対象などどうでもよく、ただ自分の記憶や思いを聞いてもらえる対象に対して話しているにすぎないのだろうと思えた。
その口調は、もしかしたらオーティスさんは僕たちではなく安い塗料によって壁に描かれた人型の絵に対しても同じように語りかけていたかもしれないと思わせるものだった。
「私は毎日、必死に働きました。メアリーと私、親子二人で生きていくために必死に働きました。それでも、もうどうしようもなくなったのです」
これはどこかで聞いたことのあるような話だ。この手の話はそこらじゅうどこにでも転がっている。
その言葉は僕が師匠と出会う前の身の上話が他人からしたら取るに足らないどうでもいい話だと、今まで何十、何百となく思い知らされた自分の境遇を再確認させた。
でも、だからこそ僕はオーティスさん親子に対して憐憫の情を抱く。傲慢かもしれないけどこの母娘をなんとか助けてあげたいと思う。
「それで、私は決めました。この子を殺して、その次に私も死のうと」
「嘘は言っていないわね」
ノワールさんは冷徹さともいえるような態度でそう言った。




