殺人事件8
僕たちはひとまず、宿屋に戻った。
僕は師匠と相部屋で、ジゼルはノワールさんと相部屋になり、それぞれが部屋の中に入っていった。
ジゼルは何度も心配そうに僕の方を見ていたが、かける言葉が見つからないようで、何も話しかけてはこなかった。
師匠とノワールさんも口数が少なく、必要な要件だけを口にしていた。
僕は師匠と部屋で二人きりになったとたん、師匠の前だというのに倒れこむようにしてベッドに横になってしまった。
師匠はそんな僕を見ても何も言わなかった。
僕は精神的な疲労と虚脱感で体に力が入らなかった。
「さて、ではそろそろ寝るかの」
師匠はそう言うと部屋の灯りを消して、自分もベッドに横になった。
部屋の灯りが消されてから数時間たっても、僕は眠れなかった。疲れているはずなのに眠ろうとすると逆に緊張が全身にみなぎってくる。
僕はベッドの中で布団に包まれながら、さっき自分が犯してしまったことを何度も頭の中で反芻した。
それは、考えまいとしても、僕の心の中に強引に入り込んでくるようにして、僕が眠りにつくのを妨げた。
精神は確実に休養を必要としているはずなのに、僕は眠ることすらも許されないのだと言われているような気分になる。
結局、僕は一睡もしないまま朝を迎えることになった。
みんなが揃って食堂で朝食をとっているときも、僕たちはほぼ無言だった。
僕も食欲がなかったけど、それが義務であるかのように機械的に食事を口に運んだが、僕は味覚が麻痺しているのかのように、その食事の味がわからなかった。
「それで、これからどうするんじゃ?」
食事が終わったところで師匠が言葉少なに僕に聞いてきた。
「屯所に自首しにいきます」
僕は昨日から考えていたことを言った。
「そうか、お主の好きなようにするがいい」
「はい」
ジゼルが何かを言いたそうに僕を見ているが、僕はそれに気がつかないふりをした。
僕は宿屋を出て屯所に向かった。
屯所には時々、捕まった師匠を迎えに行ったことがあるが、今日は今までとは行く理由が違う。
僕は罪悪感で足が震えだしているのを自覚した。
僕は屯所で衛兵たちに捕まり裁かれることで、この罪悪感が少しでも薄まるのではないかと期待していた。
だけど結論から言うと僕が捕まることはなかった。
僕の応対をした衛兵は最初から僕の話に懐疑的で、僕のことをいたずらに来たか、虚言癖を患っている子供であるかのように扱った。
決定的だったのは、死体の場所を聞かれて僕が死体は異空間の中に移動させたと言ったときだった。その言葉で衛兵は僕のことを相手にするのに値しないと判断して僕を屯所から追い出した。
僕が人を殺したのは確かな事なのに、それを証明する術は何もなかった。
昨日、師匠が言った通り死体が見つからなければ捕まることはないようだ。
それでも、僕は納得できずにいた。
罪悪感は相変わらず僕の精神を蝕み続けている。
屯所から出るとジゼルが立っていて僕を見ると駆け寄ってきた。
「大丈夫? アルバート何かひどいことされたりしなかった?」
「うん、大丈夫だよ。何もなかったし捕まることもないみたいだ」
「そう。良かった」
ジゼルは安心したようにため息をついた。
「ところで、師匠たちは?」
「冒険者ギルドの方に行ってるわ。今回のことでいくつか報告するんだって」
「それじゃあ、僕たちも冒険者ギルドの方に行こう」
「うん」
僕たちはそれ以上何も話さずに冒険者ギルドに向かった。冒険者ギルドについて、師匠たちに取り次ぎを頼むとギルドの奥にある応接室に通されて、そこで待っているように言われた。
相変わらず僕とジゼルの間に会話はない。でも、この沈黙は数日前に感じた心を揺さぶるような気まずい沈黙ではなく、単純に僕が罪悪感と虚脱感と喪失感に苛まれて何も話す気分になれなかっただけだ。
多分僕のそんな態度がジゼルにも伝わり、話をすることをためらわせているのだろう。
しばらく、そうして待っていると師匠とノワールさんが応接室に入ってきた。
「儂の方の用事は終わったが、アルバートお主の方はどうじゃった?」
師匠が僕に話しかけてきた。
「死体がないということで、相手にしてもらえませんでした」
「そうじゃろうな」
「でも、僕には納得ができません。罪を犯していながら罰せられないなんて」
「アルバートよ。お主が殺したのはすでに何人もの人間を殺していた凶悪犯だと言っても、お主の心の慰めにはならんか?」
「はい。僕にあるのは、ただ僕が魔法を使って人を殺したという事実だけです」
「しかし、あの場合は仕方のないことじゃった。お主がああしなければジゼルが傷つけられていた可能性もある」
「そうですね。結局は仕方がないということで自分を納得させなければいけないんですよね。でも、師匠だって前に戦争で殺した人たちのことを仕方がないと言って割りきれないって言っていましたよね」
「そうじゃ。儂にしてからがそれは生涯の課題じゃ。アルバートよ、お主はまだ若いこれから先罪を償う方法を自分で見つけだすのじゃ」
「わかりました。師匠」
僕はそれ以上何も言えずに師匠の言葉に従うしかなかった。
僕たちは冒険者ギルドを出て屋敷に帰った。
でも僕の足取りは重く通いなれているはずの道が、ひどく遠くに思えた。
屋敷に戻ると僕はいつもの日常に戻ることで、自分を落ち着かせようとして必要以上にはりきって、畑の野菜の世話などをしてそのその後数日を過ごした。
でも、そんな僕の態度はやはり、いつもとは違うように見えたらしくジゼルは何度も僕に「大丈夫?」とおずおずと尋ねてきた。
僕はジゼルを安心させようとして、そのたびに「大丈夫だよ。何も心配はいらない」と返事をしなければいけなかった。
仕事を終えてみんなで夕食の席を囲む。相変わらず食事の味が感じられなかった。
夕食が終わると、僕はラウンジに行かずに自分の部屋に戻った。
今は一人になりたかったのだ。
僕はラウンジで心が休まるような時間を過ごすことを、自分に対して許すことができなかったからだ。
僕は僕の犯した罪に対して罰が与えられることを望んでいた。
何時間くらいたっただろうか、多分時刻はもう真夜中になったはずだ。
それでも僕は眠れなかった。
部屋の扉をコツコツと叩くノックの音が聞こえた。
「はい」と僕は返事をした。
「私だけど、入ってもいい?」予想通りジゼルの声が聞こえてきた。
「いいよ」僕はぶっきらぼうに答えると、ジゼルが遠慮がちに部屋に入ってきた。
「あのね。私、あなたに謝らなければいけないと思って」
「何を謝るの?」
「だって、あの晩、私が宿屋から出ようとしなければあんなことにならなかったはずよ」
「ジゼルが気に病む必要はないよ。積極的に反対しなかった僕も悪いんだ」
「それでも謝らせて、今のあなたは見ていられないわ」
「そうかな?」
「そうよ。まるで何かに取りつかれたかのように自分を責めている」
「実際、僕は責められなければいけないことをしたんだ」
「いいえ。あなたは私を守ってくれたわ」
「結果的にそうなっただけだよ」
「お願い、アルバート。そんなに自分を責めないで、あなたが元気になってくれるのなら、私は何でもするわ」
「僕は大丈夫だよ。そんなに心配しないで」
「いいえ。私が村を焼け出されて家族で旅をしていた時、父さんと母さんもいつも言っていたわ。大丈夫だって、心配いらないって、でも全然大丈夫じゃなかった。父さんと母さんは殺されてしまったのよ。今のあなたの言葉はその時のことを思い出させるわ。だから、お願いあなたはどこにも行かないで、またみんなで仲良く楽しく暮らしましょう」
「僕はどこにも行かないよ」
「でも、今のあなたは自分が楽しく暮らす資格がないと考えているように思えるわ」
そうなのかな。そうなのかもしれない。
「さっき私は何でもするって言ったわよね」
「うん」
「その証拠を見せるわ」
そう言うとジゼルは、意を決したように僕のベッドに横になった。
「来て」
ジゼルは僕にそれだけ言った。声が少し震えている。
僕はその言葉に従うのが当然であるかのように、ジゼルが横たわっているベッドに入った。
そして、その夜僕はジゼルと寝た。




