殺人事件6
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美しい満月の光が窓から差し込んでくる部屋の中で、私は一人煩悶していた。
もう何日も人を殺していない。
私は喉の激しい乾きにも似た欲求を飼い慣らせずに、魔法を使って人を殺したいという思いに囚われていた。
最近は衛兵の警戒も厳しくなっている、どう考えても危険を犯してまで人を殺すために出かけるのは得策ではない。
だが、そんな頭で考えたことも私の欲求の前では脆くも砕けてしまいそうになる。
私は衛兵の警らの計画も、捜査の進捗状況も全て把握している。
だから、大丈夫だと、次で最後にしようと、毎回同じ事を頭の中で考えて繰り返している。
今まで大丈夫だったのだから今回も大丈夫だという思いと、今までが大丈夫だったからといって次も大丈夫だという保証などないという思いが頭の中で交錯する。
私がこのように考えるとき、勝利を収めるのは決まって前者だ。
なぜなら私は、天から特別な恩恵を授かっている天才だからだ。
私は全てをやり通せる。私ならばできる。
そう考えて私は自分が特別な天才だということを、自覚することで軽い高揚感を覚えて、今夜も魔法を使って人を殺すために夜の街へと出かけた。
今夜、衛兵たちの警戒が薄い場所まで来るとそこに、折よく女が一人で佇んでいた。酔っているのだろうか?
月明かりの下で見るその褐色がかった肌をした女は美しかった。私がこの生涯の中で見てきた女たちの中で誰よりも美しいと思うほどに。
私はその女をこれから殺すことに少し躊躇した。だが、私は殺さなければならない。理由などはない、ただ私がそうしたいからそうするだけの話だ。
「こんな時間にこんなところで何をしているんだ?」
私はできるだけ警戒されないように、少し遠くから女に話しかけた。
「少し酔ったから、ここで頭を冷やしているのよ」
女は私を警戒している素振りを見せずにそう言った。
「こんな時間に女一人でこんなところにいたら危ないぞ。最近、殺人事件が頻発しているのは君も知っているだろう」
「そうね。そう言われてみれば気をつけないとね。でも、それを言うならあなたも怪しいわよ」
女は相変わらず警戒心や恐怖感を感じさせずに言う。酔っていることで感覚が麻痺しているのだろうか?
「私は怪しい者ではない。ほら、これを見て」
私はそう言って懐から衛兵の証拠である身分証明書を出して女に見せた。
「あら、あなた衛兵だったの。それなら安心ね」
女は少し意外そうだった。
「さあ。それがわかったなら私が家まで送っていくよ。家は遠いのかい?」
「そうね。でももう少し休んでいたいわ」
「おいおい吐かないでくれよ。吐くなら人気のないところにでも行ってくれ」
「そうしようかしら。でも、怖いからあなたもついてきてくれない? 衛兵さんが一緒なら安心だわ」
この言葉は私にとって願ってもないことだった。
「仕方がない。それじゃあ少し奥の方へ行こう」
私はいかにも困ったという表情を作りながら女を路地の奥へと誘った。
女は素直に私についてくる。ここまで来れば人が通りかかることもないだろうという場所まで来た。
「それじゃあ、あそこの隅のところに立ってくれ」
「え、いいけど何をするの?」
「すぐに分かるよ」
女は私に言われた通りに路地奥の隅に立った。
私は呪文を唱えて、発現させた魔法を女に向かって放った。
私の放った魔法はいつものように女の体を切り裂くはずだった。だが、わたしの魔法は女の体に当たる前に何かに当たって砕け散った。
「“闇の盾”じゃよ」
突然誰もいないはずの背後から、声が聞こえて来たので私は驚いて振り返った。
そこには、夜の闇から抜け出して来たように、街で評判が悪いことで有名な闇魔術師が立っていた。
「ようやく、尻尾を出したようじゃの、それにしても犯人が衛兵だったとはの。通りで警備網に引っ掛からなかったわけじゃ。被害者に警戒心があまり感じられなかったのもこれで得心がいったわい」
全身に闇がまとわりついてきて、私の体の動きを封じた。
私は地面に倒された。
「“闇の拘束”じゃ。これでもう、お主は動けんよ」
「私をどうするつもりだ」
「それは、これからの話次第じゃ。お主にはこれからいくつかの質問に答えてもらう。嘘をついても無駄じゃぞ」
「待ってくれ、本当に何がなんだかわからない」
「一つ目の質問じゃ。最近、この街で起こっている魔法を使っての連続殺人の犯人はお主じゃな?」
「何を言っているんだ。そんなことがあるわけがないじゃないか」
私は叫ぶように言った。
「嘘ね。こいつが犯人で間違いないわ」
闇魔術師の隣まで来ていた女が冷酷さを感じさせるような語調でそう言った。
「なぜ、そんなことがわかるんだ。衛兵にこんな真似をしてただで済むと思っているのか!?」
できるだけ相手を怯ませようとして、大きな声で言った。だが、この二人には何の効果もないようだった。
「二つ目の質問じゃ。お主に共犯者はいるのかのう?」
「ふざけるな! いい加減にしろ! おい、早くこの忌々しい魔法を解け!」
「どうやら、こいつの単独犯ね」
女がまた言う。どうして、この女は本当のことがわかるんだ?
頭が混乱してきた。
私はこれからどうなるのだろう?
当然、この闇魔術師と女が私をただで解放するはずがない。
私の身柄は司直の手に委ねられるのだろうか?
どちらにしても、私は終わりだ。
破滅は免れない。
「三つ目の質問じゃ。まあ、これから先は答えんでも良いがな。とりあえず、聞いておこう。なぜこんな事件を起こしたのじゃ?」
「私は誰も殺してなんかいない」
「嘘ね」
女がため息まじりに言う。
なぜ? なぜ? なぜ?
なぜ私は魔法を使って人々を殺したのだろうか。
それは、私が殺さなければいけなかったからだ。
なぜ殺さなければならなかったのか。
それは、私が魔法を使えるからだ。
魔法を使えるからと言ってなぜ殺さなければいけなかったのか。
それは、私の本当の力を周知させる必要があったからだ。
私は天才だ。
その私が今のような不遇の地位に甘んじなければいけないなどと、耐えきれるものではない。
私には魔法という力がある。
だから、その力を使ったまでのことだ。
私は私の魔法で誰かを傷つけるとき、その征服感に身が震えるような快感を覚えた。
私が殺した被害者の死体が発見され、衛兵屯所に騒ぎが起きるときも私の承認欲求が満たされ快感を覚えた。
そうだ。私が魔法を使って人を殺していたのは全て必然のことだったのだ。
だが、今の私は囚われていて破滅を待つ身だ。
指ひとつすら動かせない。
厄介事は全て外から来る。
私のような人間にとっては全く理不尽な話だ。
闇魔術師がさっきからいくつかの質問をしてくるが、今はもう耳に入らない。
もはや、私が破滅することは間違いない。
だが、その前に最後の時まで魔法を使い誰かを殺したい、できれば若い女がいい。
美しければなおさらいい。
目の前の女はだめだ。さっき魔法がきかなかった。闇魔術師の方も同様だろう。
誰か、誰でもいい。
誰か私に殺されてくれないか。
そこへ少年と少女の二人組が現れた。
少女の方は透けるような白い肌と流れるような金髪の美しいエルフの少女だった。
私はこの幸運を神に感謝した。
決めた。この少女を殺そう。




