殺人事件4
最近、何かがおかしい。
僕が自分自身の妙な変化に気がついたのは、師匠とノワールさんが屋敷をあけて、街で宿を取り始めてから5日くらいたったころのことだった。
正直に言って師匠が考えた殺人犯を捕まえるための計画は、運任せの部分が多すぎると思ったので、僕はそのことを師匠に聞いてみた。
師匠がギルド長がいないところで、僕たちに言うには実はノワールさんには心を闇に囚われた者を惹きせ寄せて誘惑するという能力があるということだ。
この事件の犯人は確実に心を闇に囚われているはずだから、ノワールさんの近くに犯人が来ればおびき寄せることができるだろう、とのことだった。
相変わらずノワールさんの多芸ぶりには驚かされる。
こういう話を聞くとやっぱりノワールさんは暗黒神なんだなって思い出させる。時々忘れそうになるけど。
とにかく僕たちは、師匠とノワールさんに任せておけば万事がうまくいくと単純に思い込んでいた。
師匠とノワールさんが留守にしている屋敷は、僕とジゼルだけで生活することになったが、最初の数日はほぼいつも通り過ごしていた。
朝起きると一緒に朝食を食べ、僕は畑に行き、ジゼルは家事をする。昼時に食時のために屋敷に戻って一緒に昼食を食べると、またそれぞれの仕事に戻る。その後、夕食を食べ終えてから1日の仕事を終えると僕たちは、いつもそうしているようにラウンジに行きなんとなく時間を過ごしてから自室に戻って眠りにつく。
この繰り返しを数日間続けていた。
ある日の夕食時のこと、僕たちはいつものように他愛のない話をしていた。
ジゼルが不意に「ノワール様と先生には悪いけど、たまにはこうして2人きりですごすのもいいわね」と言った。
「そうだね、いつものにぎやかなのもいいけど、たまにはこういうのもいいかもね」
「私ね、時々考えるの。私たちはこれから先、いつまでも一緒にいて、朝アルバートが畑に仕事に行って、私が家事をしてお腹をすかして帰ってくるアルバートのために料理を作って待ってるの。そして、みんなで一緒にご飯を食べて、みんなで一緒に時間を過ごすのよ。そんな毎日がずっとずっと続いて行けばいいなって」
「これから先もずっと一緒か、それもいいかもね」
と僕が言うとジゼルは一瞬何かに気づいたみたいな表情をして、しばらく何かを考え込むように黙りこんでから、少し顔を赤らめた。
「あの、その、いや、ちょっと、“ずっと一緒”っていうのはそういう意味じゃないのよ。そういうのじゃなくて、なんて言うか……」
ジゼルは少し慌てて弁解するように、そんなことを言い始めた。僕は意味がわからずに「“そういうの”ってどういうの?」と聞いてしまった。
「もういいのよ。この話はこれでおしまい。それより何か他の話をしましょう」
ジゼルは赤面した顔で強引に話をそらそうとして、そう言った。
ジゼルは何を言おうとしたのだろうか? これから先もずっと一緒? それの何がおかしいのだろうか。
もしかしたら、と僕は思い当たった。
これから先もジゼルと一緒に暮らしていくということは、僕とジゼルが“そういう”関係になることも考えられるということじゃないのか。でも、僕にとってジゼルは一緒にいるのが当たり前だという関係で“そういう”対象としては見たことはなかった。
それが、突然僕とジゼルが“そういう”関係になり得る可能性があると気がついてしまった途端、僕は自分の顔が火照るのを感じた。
多分、僕の今の顔はジゼル同様赤くなっていることだろう。
「そうだね。明日もいい天気になるといいね」
僕は何を言ったらいいかわからず、とりあえず天気の話をした。
「そ、そうね明日も天気がいいといいわね」
ジゼルもそう言ったが、僕たちの会話はそれ以上弾まず互いに赤くなった顔をそらして、目を合わせようとはしなかった。
食事後、僕たちはいつもと同じようにラウンジへと向かった。本当は、すぐにでも自室に戻って身悶えしたいような気分だったけど、いつもと違うことをして、2人の間にこれ以上不自然な雰囲気が漂うのが嫌だったのだ。
ジゼルがラウンジに来たのも、大体の所は僕と同じ気持ちだったからだろう。
僕は、椅子に座り膝の上で読みかけだった本を広げたが、その内容は全く頭に入って来なかった。
僕たちの間に会話はなかったが、それはいつものような親しい間柄の人たちの間にだけ感じられる安らぎを与える沈黙ではなく、ギクシャクとした気まずい沈黙だった。
僕は時折気づかれないように、ジゼルの方を伺った。ジゼルの方も時々チラチラと僕のことを見ているのが感じられる。
一瞬、ジゼルと目が合った。
お互い顔を真っ赤にして、必死になって顔をそむけた。
目が合ったジゼルは美しかった。
いや、ジゼルが美人なのは前から知っていたけど何というか“そういう”目で見たことがなかったから、大して気にもしていなかった。
心臓の鼓動が早鐘を打つように高鳴っている。
僕は、こんな気持ちになったのが初めてなので、どうしたらいいかわからず、早く時間が過ぎて自室に向かっても不自然じゃない時間になってくれればいいと思った。
そんな状態のままお互いに時を過ごして、ようやく夜もふけて眠りについてもおかしくない時間になった。
「それじゃあ、ジゼル。僕はもう寝るから」
と僕はジゼルに声をかけた。
「そうね。私もそろそろ寝ようかしら」
相変わらず僕たちはお互いにぎこちなかった。
ジゼルと別れて自室のベッドの中で横になっていても、どうしてもジゼルのことを考えてしまい、悶々として眠れなかった。
それが、師匠たちが屋敷を留守にしていた5日目のことだった。
結局、翌朝目が覚めても僕の胸の高まりは収まらなかった。
お互い昨日と同じようなぎこちない態度で朝食をとり、僕は畑に行って仕事をしていても、ジゼルのことを思い出すたびに胸が痛く苦しくなり、ジゼルに会いたくなる。
それでいて実際にジゼルに会うとお互い、何も言えずに黙りこんでしまう。もちろん、ジゼルのことを嫌いになったわけではないのだが、何となく僕たちは以前のようにうまくお互いの関係がかみ合わなかった。
僕は、早く師匠とノワールさんが屋敷に帰ってくればいいのにとそればっかりを思った。
師匠とノワールさんがいれば今の二人きりでいるときの気まずい雰囲気が晴れるはずだと考えたのだ。
師匠とノワールさんが屋敷をあけてから7日が過ぎた。
相変わらず2人は帰ってこない。
街からも何の便りもこないので、僕は思いきって直接師匠とノワールさんに会いに行くことにした。
師匠に会って僕が今、抱いているこの不思議な心境のことを相談すれば、師匠は何らかの解決策を見い出してくれるはずだと思ったのだ。
ジゼルと2人で昼食をとっているとき、僕は今日の仕事が終わったら師匠たちに会いに行くつもりだとジゼルに告げた。
「なんで、ノワール様や先生に会いに行くの?」
「いや、全然連絡もこないしどうしているか気になって様子を見に行くんだ」
「それだけが理由?」
「他にも師匠に相談したいこともあるし」
「アルバート。あなた最近少し変よ。先生に相談したいことってそれのこと?」
図星だった。
「ジゼルの方だって、少しおかしいじゃないか」
「そうね。確かに私たちはお互い、最近おかしいわね。それじゃあ、私もそのことをノワール様に相談するために一緒に街に行くわ。先生の着替えも届けなきゃいけないし。何よりも屋敷に1人で留守番なんて危ないわ」
こうして、僕とジゼルはそれぞれの思いを胸に秘めて、2人で街に行くことにした。




