初めてのクエスト3
師匠と僕は小1時間ほど休憩して、僕の体調が回復したのを確認してから再び洞窟の中に入った。
さっきまでとは違う緊張感が僕の体に張りつめる。今度は失敗しないようにしないと。
再びさっきのゴブリンの死体があったところに来た。
師匠は立ち止まってゴブリンの死体の方を向き、小さな“闇の刃”を放ってゴブリンの2体の死体から左耳を切り落とした。
「師匠、何をされているのですか」
「ん? 死体の体からどこか一部を持ち帰って討伐達成の証拠とするのじゃ。それよりあまりこちらを見なくてもよいぞ」
師匠は屈んでゴブリンの耳を拾い上げるとそれを、袋の中に無造作に入れた。
「はい。そうします」
「馴れなくてはいかんが、倒れないように注意せよ」
「はい」
そのまま、洞窟のなかを100メートルほど進むと“魔力探知”に多数の反応があった。
「師匠“魔力探知”に反応がありました」
「うむ。気がついたか。それでは状況を報告せよ」
「30メートル先に多数の生物の存在が確認できます。大きさはさっきのゴブリンくらいの大きさなのでゴブリンだと思います。その中に一体3メートルくらいの2足歩行の生物がいますこれがオーガだと思います。多分、この先に広間のようなところがあるのだと思います」
「うむ。それで数は?」
「数は、えーと、ゴブリン17体、オーガ1体、合計18体だと思います」
“魔力探知”に集中しながら答えた。
「惜しかったのう。正解はゴブリン18体、オーガ1体、計19体じゃ」
「はい」
「落ちこんでいる暇はないぞ。幸運にも儂らは敵に気づかれずにここまで来ることができた。モタモタしていると見張りの異変に遠からず気づかれるじゃろう。この機を逃すわけにはいかん。良いかアルバート、闇魔法使いというのは闇の中にいるときこそ有利になるのじゃ」
師匠はそう言い終えると僕の返事を待たずに魔法を発動した。
今度もさっきの魔法と同じだ闇が具現化した“闇の刃”、“闇の槍”、“闇の矢”がゴブリンたちを襲った。
ただし今度のはさっきのとは規模が違う。壁や床など、天井以外のいたるところから、とても数えきれないほど無数の攻撃魔法が発現して魔物たちを殺戮していく。
洞窟の奥からいくつもの凄まじい叫び声が木霊となって聞こえてくる。
10秒ほど師匠と僕はその場に立ったまま様子をうかがって待っていた。
「どうじゃ、アルバート奥の様子は?」
「動いている者は反応はありません」
「よし。今度は正解じゃ。それでは儂はまた死体の確認に行くがお主はここで待っておっても良いのだぞ」
「いえ、僕も行きます」
「そうか、ではついてこい」
師匠と僕が洞窟の奥に進むとそこは予想通りかなりの広さの広間となっていて、あちこちにゴブリンの死体が転がっている、奥の方で倒れている巨大な生物がオーガだろう。
さっき以上の濃い血の臭いに気分が悪くなった僕はその場でまた嘔吐してしまった。
師匠が僕の背をさすりながら心配している。
「やっぱり、やめておいた方が良いのではないか?」
「いえ、大丈夫です。吐いたらスッキリしました。続けましょう」
僕は口の回りにこびりついていた吐瀉物の残りを手の甲でぬぐいながら答えた。
師匠は「そうか?」と言ってまだ心配そうに僕の方をうかがいながら、死体の確認作業を続けた。
その間、僕は師匠の指示で念のため“闇の盾”を発動させながらできるだけ、死体の方を見ないように師匠のことを見ていた。
それにしても、昔食べていた牛の内臓は平気だったのに、やっぱり死体から直接はみ出している内臓というものは、気分を悪くさせるものなのだなと、原形をとどめることも困難なほどに惨殺された魔物の死体に囲まれながら、僕は余計なことを考えた。恐らく現実逃避なのだろう。僕はまた気を失わないように気付けとしてポーションを飲んだ。
すると、師匠が確認しようとした最後の倒れているゴブリンからかすかな、うめき声が聞こえてきた。
「師匠! このゴブリンまだ生きてますよ!」
僕は驚いてそう言ったが、その仰向けに倒れているゴブリンは四肢の切り傷から激しく出血しており、胴体からも血があふれ内臓ははみ出していて、生きているのがやっとという状態だった。長時間見ているとまた気を失うかもしれない。
師匠は「うむ」と一言、言ってから何かを考え込むように黙りこんだ。
「アルバート。お主がこのゴブリンを殺せ。これも修行じゃ」
師匠は口を開くと驚くべきことを言った。
「え!? でも、このゴブリンはもう少しで死にますよ」
僕は思わず師匠に言い返した。
「もしかしたら生き延びるかもしれん。とどめは刺せるときに刺しておくものじゃ」
「で、でも」
僕はうろたえながら、ためらった。正直に言うと僕はこの状態のゴブリンを殺すことに対して罪悪感を感じたのだ。
「こやつが生き延びれば、また人を襲って奪うぞ」
師匠は表情を変えない。
「でも、こんな目に会えばもう人を襲うのをやめるかもしれません」
僕は必死に抗弁した。
「一度、人を殺して奪うことを覚えてしまったゴブリンは、元の無害な魔物に戻ることはほぼない」
「じゃあ、少しは元の状態に戻る可能性もあるということじゃないですか!」
僕は自分の言っていることが自己欺瞞に満ちた綺麗事だと自覚しながらも、言わずにいられなかった。
「もし、こやつが生き延びて、また人を襲ったとき。お主はその被害者に対して責任が取れるのか? 儂は取れん。だから、殺すしかないのじゃ」
「タス、ケテ」
足元のゴブリンが息も絶え絶えという状態ながら絞り出すように言葉を発した。
「師匠! こいつ喋りましたよ」
「だからと言って。儂らのすることは変わらん」
「モウ、ヒト、オソワナイ、ダカラ、タスケテ」
ゴブリンは苦悶に満ちた表情で必死に命乞いをしている。
「師匠。こう言っていますが」
僕は、その死にかけのゴブリンが今際の際に必死になって発する命乞いの言葉を聞いて、このゴブリンにとどめを刺すことに良心に痛みを感じた。
「嘘じゃ。その証拠にこやつは握った剣を離しておらん」
「ウソ、ジャ、ナイ、モウ、ヒト、オソワナイ」
「嘘じゃ。殺せ」
「タス、ケテ、クダ、サイ」
「何で、僕が殺すんですか? さっきみたいに師匠が殺せばいいじゃないですか」
僕は、自分がすごく卑怯なことを自覚しながらも、思わず言ってしまった。“何かを殺す”という責任を師匠だけに負わせようとしたのだ。
「これも修業じゃ。さあ、お主がとどめを刺すのじゃ」
師匠は相変わらず表情を変えない。
「タス、ケテ」
「わかりました」
僕は、呟くような声で承諾した。
僕はできるだけ足元のゴブリンが苦しまないように、心臓に狙いを定めて“闇の槍”を放った。
ゴブリンの小さな命乞いの声が断末魔の微かな叫び声へと変わった。
僕は一度目を閉じて呼吸をしてから目を開いて師匠の方を見ると、師匠はさっきまで命乞いをしていたゴブリンの左耳を“闇の刃”で切り取り拾って皮袋に入れていた。
「さて、これで依頼は達成じゃ。帰るぞ、アルバート」
「はい」
僕は力なく答えた。
洞窟の出口に向かう途中、僕たちは無言だった。
その沈黙の中で僕は“何かを殺す”ということの責任や重圧について考えていた。僕はここに来るまでそのことについて、あまりにも楽観的に考えていたことに対して自己嫌悪に陥っていた。
洞窟を出て日の光を浴びると、僕は安心したあまり倒れこみそうになった。
師匠は、そんな僕を見て少し休んでいこうと言ってくれた。
僕たちはさっきも休んだ木陰の下で休んだが相変わらず無言だった。
「すまんのう」
師匠がポツリと言った。
「何がですか?」
「儂は自分が学んだようにしか、お主に教えてやることができんのじゃ」
「そんな、僕の方こそ今日は足を引っ張ってばかりで、次は必ず──」
僕は『役に立ちます』という次に続く言葉が出せなかった。
「良い良い。お主は優しいのう」
僕たちは、しばらくそこで休んでから街に戻った。
冒険者ギルドでゴブリンとオーガの耳を渡して、報償金を受け取った師匠は屋敷までの帰り道は馬車を雇うと言った。
僕の体のことを心配して、そう言っているのは明らかだったので僕は反対したのだが、馬車の料金は今日の報償金から出すからと、結局師匠に押しきられてしまった。
馬車に揺られて屋敷に帰りつくまでも、僕たちは必要最低限のことしか話さなかった。
屋敷の玄関を開けると、それに気がついたジゼルが嬉しそうに小走りで駆け寄ってきた。
「おかえりなさい。どうだった?」
「うん。とりあえず無事だったよ」
「クエストは成功した。アルバートも良くやってくれたよ」
師匠がジゼルにそう言った。
「本当ですか? 良かったわね、アルバート。それと今日のお弁当どうだった? 少し頑張ったんだけど」
「うん。おいしかったよ」
僕は、その言葉に吐き出してしまった弁当のことを思い出した。
「そう。良かった。でも、少し元気がないみたいだけど、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
「さあ、とりあえずは風呂にでも入って休憩させてくれ」
「はい。そう言うと思って、もう準備はできてますよ」
「それは、ありがたい。なにしろ儂もアルバートも、もうクタクタじゃ」
師匠が浴室に向かうと、僕は師匠の後に入浴するために時間を潰すためラウンジに行った。
師匠は決して僕と一緒に入浴しようとはしない。以前に話していた身体中にあるという傷痕を見られるのを嫌がっているのだろう。
ラウンジの長椅子にはいつものように、ノワールさんが横になっていた。
「おかえりなさい。初めてのクエストはどうだった?」
「はい。疲れました」
「その様子だと、あまり上手くいかなかったみたいね」
「はい」
「まあ、初めてグレゴリーの戦う姿を見たのなら無理もないわ」
戦う? 違う。あれは一方的な虐殺だった。僕は日雇い仕事をしていたときに聞いた、街外れに住んでいる闇魔術は悪魔のような手際で魔物を殺戮していたという噂を思い出した。
「気にしないで、すぐに馴れるわよ」
馴れる? 本当に馴れるのだろうか? そしていつか師匠みたいになるのだろうか? なれるのだろうか? ならなければいけないのだろうか?
僕には何もわからない。
とにかく、今日学んで言える確かなことは僕はこの家に来たときのままの、あまりにも無力で未熟な、ただの子供だということだけだ。
「ねえ、アルバート。あなたやっぱり背が伸びたんじゃない?」
横に立っていたジゼルが僕にそう言った。
──本当に、そうだろうか?




