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まるで

 師匠はその顔面に張り付いている凶相を恥じているかのように、横にいる僕から顔をそらした。


「良いかアルバート。これからお主は外に出て、儂が入ってきて良いと言うまで表で待っておれ」

 師匠は僕の目を見ながら話をするのを恐れているように、相変わらず顔をそらしながら僕にそう言った。


 師匠は今自分の表情がどういう物なのかを自覚していて、それを僕に見せることで、僕が怖がるのではないかと心配しているのだろう。


 出会ったばかりの頃だったならば、確かに僕は今の師匠の形相を見て怯えていたかもしれないけど、今の僕は師匠がどんなに怖い顔をしようとも怯えない自信があった。


 だから、僕はいまだに師匠がそんな不安を僕に対して抱いていることに少し落胆した。


「はい。わかりました師匠」


 僕はそれだけ言って家のドアを開けて外に出た。


 僕が外に出ると、再び中からドアの掛け金が掛けられる音が聞こえた。


 路地に吹いてきた心地よい風が僕を慰めるように、優しく頬を撫でて通り過ぎて行った。


 とりあえず待っていろと言われたが何をすればいいんだろう。というか、師匠は家の中で何をしているのだろう。


 試しに僕は“魔力探知”と“魔力感知”を使って家の中の様子を探ってみたが、予想通り師匠が“魔力探知”と“魔力感知”を無効化する魔法を使用していたため、中の様子はわからなかった。


 夕闇がいよいよその色を濃くして、本格的に夜へと差し掛かろうとする頃。

 僕の目の前を通り過ぎて行く人たちは、皆家路に着いているように見えて僕は少し羨ましく思った。


『帰るところ、か』


 僕は心の中でそう呟いてから、昔母さんと暮らしていた頃のことを思い出した。


 母さんはずっと働きづめで一緒にいられる時間も少なかったけれど、それでも僕といるときはいつも優しくしてくれた。

 あの母さんとの生活が、僕が唯一持っている家庭の記憶だ。


 もしも、今僕が昔母さんと暮らしていた、あの小さな部屋に帰ればまた昔みたいな生活に戻れるかもしれない──そんなあり得るはずのない妄想を心の中で弄びながら僕は師匠の言葉が聞こえて来るのを待ち続けた。


 僕は今、部屋の中で何が行われているのかを薄々わかっていて、それから目をそらすために別のことを考えようとしているのだと思う。


 師匠のあの様子だと、ただ言葉でゴルドーを説得しようとしているわけではないだろう。


 今、この壁を一枚隔てた家の中で、一体何が行われているのか。路地を行き交う人々はそんなことには関心がなく、ただいつも通りの日常の一部としてその路地を歩いているだけなのだろう。


 そんなことを考えて約一時間ほど暇を潰していたら、家の中から師匠の声が聞こえてきた。


「アルバート。もう良いぞ、入って来い」


「はい。師匠」


 僕が家の中に入るとそこには、身体中をガタガタと震わせながら、床に丸まって寝転がっているゴルドーの姿があった。


 股間は濡れていてその付近に小さな水溜まりをつくっていた。ゴルドーが失禁したのは瞭然だった。


 僕は、ある程度予想していたこととは言え、今のゴルドーの姿を見て驚いた。


「師匠。何をされたのですか?」


「何、軽く痛めつけてから精神系の闇魔法で少しばかり精神を弄っただけじゃ。これからは時々悪い夢をみるじゃろう。戦場で学んだ下らん技術じゃ、お主はまだ知らんでも良い」


「はい」


「良いか、アルバート。力に溺れ、その力を悪用しようとすればこのような末路を迎える可能性も高まるのじゃ」


「可能性ですか? 力に溺れ、その力を悪用しても必ずしもこのような末路を迎えるとは限らないのですか?」


 僕は師匠にゴルドーのような人間は、必ずこのような末路を迎えると言って欲しかった。


「そうじゃ。いくら力を乱用しても何の罰も受けずにやりおおせる者もおる。そして、力を乱用する者の多くは自分だけは他の罰せられた者とは違い上手くやれると信じこんでおるのじゃ。自分は他の奴ばらとは違う、自分の力は特別なのだ、と。その考え方こそ力に溺れている証拠じゃというのに」


「はい」


「無論。自分が他人とは違うということや、特別な力を持っているということは悪いことばかりではない。しかし、それはその事実によって他人を見下したり蔑んだりしない範囲内でのことじゃ。のう、アルバート。お主には今闇魔法という力がある」


「はい」


「その力を(みだ)りには使うまいぞ」


「はい。わかりました師匠」


「さて、と」

 と言ってから師匠は少し腰をかがめてゴルドーの顔に自分の顔を近づけた。


「良いか。最後にもう一度だけ言っておく。これから以後メリィ・ヒーリング嬢に接触することを禁ずる。もしも儂の言いつけを守らねば、母親と繋がっていたへその緒が切られなんだら良かったと思う目に会わせるぞ」

 と、師匠はゴルドーに話かけた。


「わ、わかった。もうメリィには近づかない。この街も出ていく。だからお願いだ。もうこれ以上はやめてくれ」

 ゴルドーは相変わらず震えながら、恐怖のために見開かれて涙ぐんでいるその目を師匠からそらして言った。


「良かろう。その言葉、努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ」

 ゴルドーはその師匠の言葉を聞くと必死になって何度も首を頷かせた。


「では戻るぞ。アルバート」


「はい」

 そして、僕たちはゴルドーの家を後にし、ノワールさんとジゼルが待っている広場へと戻った。でも、僕はその道中師匠がさっき垣間見せた、師匠の本当に恐ろしい一面を見たことで師匠に対して久しく忘れていた恐怖の念を少しだけ思い出していた。


 広場に戻ると列をなしていた相談者たちは既にいなくなっており、ノワールさんとジゼルに挟まれて座っていたメリィ・ヒーリングさんが僕たちの姿を見つけて心配そうにこちらをを見た。


 師匠はノワールさんに近づき、「メリィ・ヒーリング嬢の運勢はどうなっておる」と聞いた。


「どうやら、危険は去ったみたいね」


「だ、そうじゃ。もう安心してよいぞ」

 師匠は今度はメリィ・ヒーリングさんの方を見ながら口元歪めるような微笑みを浮かべながら言った。


 メリィ・ヒーリングさんはそれを聞くと、師匠に対する恐れも忘れて安心したように「ありがとうございます」と何度も僕たちに頭を下げた。


「さて、日もすっかり暮れたことじゃし、儂らも帰るとするか。メリィ・ヒーリング嬢も気をつけて家に帰りなさい」


「はい。ありがとうございました」

 メリィ・ヒーリングさんは繰り返し頭を下げて、お礼の言葉を言い続けてから帰って行った。


 師匠と僕は机と椅子を荷車に積み込み、冒険者ギルドにそれを返しに行くことにした。

 今度はノワールさんとジゼルも一緒だ。辺りも暗くなったし、女性二人だけにしておくと、また絡まれるかもしれないからだ。


 ギルドに机と椅子を返し終えてから、師匠は少し思案顔をしながら「どうじゃ、今日はもう遅くなったしこれから屋敷に帰ってから食事の準備をするのも骨じゃろう、このまま街で食事をしていかんか?」と、言った。


「いいえ。今日は私が食事当番の日です。屋敷に帰ってみんなで食事をしましょう」

 と、ジゼルが珍しく少し頑なな語調で師匠にそう言った。


 師匠もジゼルの案に対して特に反対する理由もなかったらしく、「うむ。よいじゃろう」と、答えた。


 屋敷に帰る途上ジゼルは、ずっと上機嫌で鼻歌なんかを歌っていた。


「どうしたのジゼル? 何か嬉しそうだけど何かいいことでもあったの」

 ノワールさんがジゼルに尋ねた。


「今日は特別な日ですからね」


「どう特別なの?」


「だって、今日は私たちみんなが誰かを幸せにした日ですから。ノワール様と私は占いと人生相談で悩んでいる人の話を聞いてあげて、その悩みが解消するような助言を与えたし、先生とアルバートは困っている恋人たちを助けてあげました。ほら、今日は特別な日じゃないですか」


「そうかもしれないわね」

 と言うとノワールさんも微笑んだ。


「クェックェックェッ。確かにそう言う風に言えるかも知れんの」

 師匠も笑った。


「だから、今日はこの特別な日を祝うために、私たちだけで食事がしたかったんです」


 僕だけ何もしなかったような気がするけど、まあいいか。それでも少しは役に立った場面もあったはずだと、僕は自分を納得させた。


「それに、こうしていると私たちまるで──」

 と、そこまで言うとジゼルは口を閉じた。


「“まるで”何?」

 ノワールさんが聞く。


「フフッ。何でもないです」

 ジゼルが少しはにかんだように微笑んだ。

 ノワールさんも微笑んだまま、それ以上追及しようとはしなかった。師匠も微笑んでいる。


 ジゼルは何を言おうとしたのだろう? こうしていると僕たちみんなはまるで──。

 なんだろう?


 “まるで”、そうだ。こうしていると僕たちみんなはまるで『家族』みたいだ。


 僕はこの思いつきに、自分の頬が緩むのを感じた。


 そうして、僕たちは僕たちが暮らす家に続く家路を歩き続けた。

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