暗黒神と闇魔法使い2
アルバートの後ろについて歩き、食堂についた私はいつものように、厨房に一番近い所に置かれてある唯一テーブルクロスが敷かれている、テーブルの席に腰を下ろした。
「あなたも座りなさい」と、
テーブルの側に立ったままだったジゼルを促すと、ジゼルは素直に私の言葉に従って私の隣の椅子に座った。
アルバートは一度、厨房に戻るとスープが入っていると思われる、皿を持って食堂に戻ってきて、私たちそれぞれの前にそれを置いた。
やや、底の深いスープ皿に盛られたその料理は━━。
「シチーね」と、私はアルバートに尋ねた。
「はい。ただし肉は入っていませんが」
シチーとは、グレゴリーが旅をしていたときに異国で学んだスープ料理の一つだ。
本来なら野菜を肉と一緒に煮て、肉からダシをとるのだが。
「アルバート。このシチーのダシはどうしたの?」
「野菜のスープという、ご要望でしたので肉を使わずに厨房にあったトリガラでダシをとりました」
「そうなの」
私は一言だけそう言って、皿の中央に盛られたキャベツを少し口に入れた。
口の中にキャベツにもみこまれた、薄い塩味と酢の味と旨味が広がった。
「味の方はどうですか?」
アルバートが尋ねてきた。
「美味しいわ。でも、すこし味が薄いわね」
「それは、バーネットさんが憔悴しているようなので、食べやすいように、味を薄めにしたのですけれど。ダメでしたか?」
「いいえ。これでいいわ」
なるほどね。相変わらず如才がない子だ。
どうやら、グレゴリーはいい拾い物をしたようだ。さて、私の拾ってきた子はどうなるのかな? 私はそう思ってジゼルの方を見ると、ジゼルは目の前に置かれたシチーを食べようとする様子もなく、ただ皿に盛られた料理を見つめていた。毒でも盛られていると思っているのだろうか?
「ジゼル。美味しいわよ。冷めないうちにあなたも食べなさい」
私がそう言っても、ジゼルはまだ、ためらっているようだった。
「ジゼル。これは命令よ。何度も言わせないで」
私は、ジゼルが萎縮しないようにできるだけ柔らかい口調でそう言った。側に立っているアルバートも不安そうに私たちを見ている。
私の言葉を聞いたジゼルがおずおずと、料理を口に運び、覚悟を決めた様子で一口分だけ口に入れた。
その瞬間、ジゼルの頬が少しだけ緩むのを私は見逃さなかった。
「どう? 美味しい?」
私はジゼルに聞いた。
「はい。美味しいです」
ジゼルは、少し恥ずかしそうに答えた。
「そう。それは良かったわ」
嘘はついていないようだ。アルバートも安心したように、少し肩を落とした。
多分、グレゴリーが作った料理ならもっとためらってたはずだ。そう言えば──。
「そう言えば、あなたが初めてこの屋敷に来たときも、こんな感じだったわね」
と、思わず微笑みながらアルバートに声をかけた。
「そう言えば、そうでしたね。あの時は師匠に見つめられながら食べてたので、少し緊張しました」
「少しどころじゃないわ。あなたは明らかにこの屋敷に連れてこられた時は怯えていたじゃない」
「まあ、そうですね」と、アルバートは口ごもるように言うと、年相応の少年みたいに照れたように眼を伏せた。
やはり、いきなりジゼルを連れてきたので必要以上に緊張していたのだろう。
実際アルバートは、その生い立ちのせいか時々、大人っぽく見えたり時々子供っぽく見えたりする。
まあ、そこが私にとっては可愛いところなのだけれど。
「ところでこの料理にはトリガラのダシが使われているけど、あなたは肉の味とか大丈夫なの?」
と、私はジゼルに聞いた。
エルフはその村落ごとに、食習慣が異なる場合があり、全く肉を食べないというエルフも少なくない。
エルフは肉を食べないというイメージもまんざら間違いでもない。
しかし、そのイメージと相反するように、エルフは弓矢の扱いに長けているというイメージも存在する。
狩猟を行わないで、どうやって弓矢を扱えるようになるというのか。
まさか、エルフは常に的を射ているか、しょっちゅう魔物や他種族と争いをおこしていて、それで弓矢の技量が上達したというわけではあるまいに。
「はい。大丈夫です」
ジゼルは短くそう答えると、さっきの遠慮が嘘のように再び皿の中の料理を口に運んだ。
私は、ジゼルのその様子を見て「淑女がそんなに、はしたない食べ方をしてはいけない」と注意しようとしたが、なんだか小うるさい教師みたいだと思ってやめておいた。
とにかくジゼルは今日、色々あったのだし、これから少しずつ学んでいけばいいのだ。
食事が終わり。アルバートが食器の片付けを始めようとしたところで、アルバートに声をかけた。
「悪いけど、先に自室に戻らせてもらうわ。ジゼルも随分と疲れているようだし」
「はい。わかりました」と、アルバートは即答した。
「それじゃあジゼル。私の部屋に行きましょう。今夜は私と同じベッドで寝るのよ」
「はい」
実は、この屋敷がホテルだったときに使われていた空き部屋がいくつか余っているのだが、今のジゼルの精神状態を考えると、一人にしたら何をしでかすのか、わからない。
なので、今夜は一緒のベッドに寝ることにしたのだ。
私は、ジゼルと一緒に部屋の中に入るとジゼルをベッドの上に寝かせて、灯っていた蝋燭の火を消してジゼルの隣に横たわった。
横に寝ているジゼルから、緊張している様子が伝わってきたが、疲労が緊張感を上回ったのだろう、すぐに微かな寝息が聞こえてきた。
本来なら、暗闇は私の視界を遮る障壁となり得ないのだが、私はあえて視界に何物も映らないように、人並みの視力に落とし、心安らぐ暗闇の中で目をつぶり、さっきラウンジで交わされたグレゴリーとの会話を頭の中で反芻した。
もう、何十年も前の話になるか。
私とグレゴリーが初めて出会ったのは彼がまだ十八歳で、違う名を名乗って皇都にある皇立魔導学園で学生をしていた頃のことだ。
グレゴリーは自室として割り当てられていた、学園の寮の一室に私を召喚したのだ。
私は、私を召喚したグレゴリーのあまりの若さに驚いた。しかも、彼はたった一人で召喚したと聞いてまた驚いた。
このグレゴリーが闇魔術の天才なのは間違いがないと確信した。
当時の彼の年齢を考えれば、当然のことだが現在では顔に深く刻まれている皺もなく。
今では、鋭い眼光を放つようだと言われて評判の悪い目付きは、その強い意思を湛えているようで、口元も同じように強く結ばれている。
何よりも、その佇まいや物腰は人間なら何者も近寄らせないような、底知れない迫力を備えていた。
「我を呼び出せし者よ。汝は我に何を望むか?」
私は、暗黒神である私に対しても全く物怖じした様子も見せない、目の前の人間が何を望むのか興味が湧いて尋ねてみた。
すると、グレゴリーは私のその言葉を聞くと急に、ソワソワと落ち着かないような態度になり、消え入りそうな小さな声で「友達がほしい」と言った。
は?
わざわざ暗黒神を呼び出してまで叶えたい願いが「友達がほしい」なの?。
私はグレゴリーのその言葉を聞くと肩から力が抜けていくのを感じた。
「それなら、自分で作ればいいんじゃない? 友達」
「それができるなら苦労はない。なぜか皆私を怖がって近寄ってもくれない。ああ、皆どうやって友達を作っているのだろう」
確かにさっきも思ったが、グレゴリーには並の人間には近寄りがたい雰囲気が備わっている。
まあ、天才故の悩みと言えば、それまでだが。
「それで、窮余の一策として私は暗黒神を召喚して友達を作ってもらうことにしたのだ。供物なら私が持っているものなら何でも捧げよう。だから、お願いだ。どうか私に友達を作ってくれ」
「はあ」
そんなこと言われても、私もどうしていいかわからない。大体、そんな理由で究極の闇魔術の一つと言われる暗黒神召喚を行う?
今まで数少なくいた私を召喚した者たちの願いといえば、誰かを殺してほしいだとか、何かを破壊してほしいとか、他には何らかの形で闇魔術に関わる事ばかりだった。
それなのに、目の前にいるまだ幼さを顔に残した男は私に友達を作ってくれと言う。
そんな願いは叶えた事がないし、私もどうしたらいいかわからなかった。
そこで私は一つのことを思い付いた。
「それじゃあ、仕方がないから私があなたの友達になってあげる」
「は?」
今度はグレゴリーが驚く番だった。
「だから、私があなたの友達になってあげるって言っているのよ。これからよろしくね」
「は、はあ。こちらこそよろしく」
グレゴリーは呆気に取られたように同意した。
「ところで、友達って何をすればいいの?」
「わからない。何しろ私には今まで友達と呼べる人間がいなかったからな」
グレゴリーは居心地悪そうに、はにかむようにそう答えた。
「それじゃあ、友達が何をするのかわかったら、また呼び出して。とりあえず今日のところは私は帰るわ。供物のことは、また今度でいいわ」
私はそう言うと足元に開かれた闇の門に潜って異空間へと戻った。