暗黒神と闇魔法使い1
私は、とりあえずジゼルを拘束している首輪と、後ろ手に縛られていた縄を“闇の刃”で切り裂いた。
「さあ、これで自由に動けるでしょ?」
私はジゼルに言った。
「はい」
ジゼルはまだ放心しているような表情で答えた。
「それじゃあ、しばらくそのままで待っていてね。まあ、待っていなくてもいいけれど。皇都の地下室に死体に囲まれているエルフの女の子、なんてのが他の人間たちに見つかったらどうなるかという考えが浮かばないほど想像力が欠落しているなら逃げてもいいわよ」
「絶対に逃げません! もう、私の全てはノワール様の物です!」
ジゼルは全身を横に振りながら言った。
「そう、いい子ね。それじゃあ、少しだけそこで待っていて」
私は、そう言うと一度、地下室の闇を利用して異空間を通り、グレゴリーの家に赴いた。
グレゴリーの家に行くと、ちょうどグレゴリーはラウンジでアルバートに魔法を教えていた。
異空間と地下室にいたせいで、わからなかったけど、どうやら今は夜のようだ。
「グレゴリー。早く私を召喚するための門を開いて」
私は、グレゴリーに向かって開口一番そう言ったが、グレゴリーとアルバートは一瞬、私の出現に驚いた表情で私の方を見た。
しかし、グレゴリーは「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「何故、儂がお主の言うことを聞かねばならんのじゃ。来たければ、勝手にくればよいじゃろう。もっとも儂の腹の虫は、まだ治まっておらんがのう」
グレゴリーは、不機嫌そうにそう言った。
どうやら、予想していた通りまだ機嫌は治っていないようだ。
「聞いて、グレゴリー。あなたが怒っているのはわかるけど、私は今さっき家族を亡くしたエルフを保護したの、その娘を助けるためには、あなたの力が必要なの、だから早く門を開いて」
私が、そう言うとグレゴリーは慌てた様子になった。
「なんじゃと! なぜ、それを早く言わなんだ。向こうの門が閉じるまで、あとどれくらいじゃ?」
私の話を聞こうとしなかったくせに、よく言うわ。と、言うといつものよう言い争いになりそうだから、余計なことを言わずに黙っていた。とにかく今は一刻を争う。
「持って、あと数分ってところね」
「ならば急がねば」
そう言うと、グレゴリーは足下に闇と影が集まらせて、暗黒神を召喚するための門を開いた。
人が一人通れるためには充分な大きさだ。
「それじゃあ、行ってくるから」
私は、そう言い残すと急いで門に入り、ジゼルのいる所へ戻った。
生きている物を、異空間に入れると皆、死んでしまうことは前にも言ったけど、例外として暗黒神を召喚するための門が同時に数ヶ所開いていれば、その門を直結させて空間を越えて、生きている物を移動させることができる。
もっとも、その場合には暗黒神を召喚できるほどの能力を持った人間が最低でも同時に二人は必要だからめったに、できることではないけれど、今回は例外のようだ。
そんなわけで、私はグレゴリーに門を開かせてジゼルのいる地下室へと向かった。
ジゼルは相変わらず、放心しているようだった。
良かった。もしかしたら自害している可能性もあったからね。
生きているだけで、充分だ。
「ジゼル。この影の上に立ちなさい。」
私は、できるだけジゼルを怯えさせないように声をかけた。
「え? はい」
ジゼルは、まるで糸に操られた人形のように私の指示にしたがう。
「これから、別の場所に行くから私にしっかりつかまっていなさい」
ジゼルはまるで他に頼るもののない、赤ん坊のように必死に私にしがみついた。
そして、私たちは門を通ってグレゴリーの家に移動した。
ジゼルは、一瞬で周囲の光景が変わったことに驚いたようだ。
私たちの目の前には、グレゴリーとアルバートが並んで立っている。
「ノワール様。この人たちは誰なんですか?」
ジゼルが恐怖をにじませた声で、私に聞いた。
「彼らは、私の知り合いの人間よ。二人で闇魔法の修業をしているの」
私がそう言うと、グレゴリーが例の評判の悪い微笑みを浮かべながら「クェックェックェッ。大変だったみたいじゃのう。でも、もう安心じゃ。この家で心と体を休めるといい。ここには、お主を虐げる者は誰もおらんからのう」と言った。
ジゼルは「ヒィッ」と悲鳴をあげると私にしがみついて、私の後ろに隠れようとした。
まあ、なんと言うか予想通りの反応だ。
また、予想通りにグレゴリーが落ち込んでいる。
「人間は嫌いです! 特に闇魔術師は嫌いです!」
ジゼルはグレゴリーとアルバートに向かって、そう叫んだ。
まあ、あんな目に会わされたら無理もないか。
「いや、あの闇魔術師というより闇魔法使いと呼んでくれんかのう。その方があの、その魔法使いのおじいちゃんという感じで、親しみやすい感じがするんじゃが」
グレゴリーは、自分が何を言っているのかわからないような感じで、そう言った。
「えーと、あの、その師匠は見た目ほど怖くて悪い人間じゃないから、安心していいよ」
アルバートが意を決したようにそう言った。
グレゴリーは、顔が怖いとか言われると、ひどく傷つくのだ。それでも言わざるを得ないとアルバートは判断したようだ。
ほら、思ったとおりグレゴリーが傷ついた顔をしている。
「お嬢さんの名前は何というのじゃ」
「ジゼル・バーネットよ」
いまだに怯えて、口が聞けない様子のジゼルに代わって私が答える。
「そうか、アルバート。ジゼル・バーネット嬢を風呂に入らせて、それから傷の手当てをせよ。どうやら体中に怪我をしているようじゃ」
グレゴリーは、アルバートにそう指図をすると私に意味ありげに目配せをした。
「え、でも」と言ってジゼルが渋る様子を見せた。
「これは、命令よ。ジゼル。言われた通りにしなさい」
私がそう言うとジゼルは言われた通りに、アルバートに連れられてラウンジを出て行った。
その間に私は今日あったことのあらましをグレゴリーに話した。
私が話し終わり、ラウンジに二人きりになった私とグレゴリーの間に数十秒の沈黙が流れる。
最初にその沈黙を破ったのはグレゴリーだった。
「それで、何人殺したんじゃ?」
え? なんのこと?
と、とぼけようとしたが、私は、そんなことに何の意味もないと思って正直に話すことにした。魔術師たちを殺したことをボカして話したのだけれど、グレゴリーにはお見通しというわけね。
「ちょうど20人ね」
グレゴリーは「そうか」と言って、悲しげに目を伏せた。グレゴリーは私が人を殺すといつも同じように悲しげな表情を浮かべる。
私はグレゴリーのその表情を見ると、いつも決まって軽い罪悪感に苛まれる。そしていつも、その感情を打ち消すために自分の中に怒りを生じさせる。
「何よ? 何か言いたいことでもあるの? あるならはっきり言いなさいよ」
「いや、儂には何も言うことはない」
「私に嘘が通じないということは、あなたが一番よく知っていることじゃない。何よ、戦争バカを二十人くらい殺した程度で、何だっていうの? もしも、あいつらの企みが上手くいっていれば、またこの国は戦火の炎に包まれることになっていたのかもしれないのよ?」
グレゴリーは、目を伏せたまま何も言わずに私の言葉を聞いている。
「それに、あなただって戦時中は私の力を使って散々、人を殺したじゃない。殺した人数は千の位じゃ足りないかもしれないわね」
「そうじゃ、その通りじゃ。全てはお主の言う通りじゃ」
「ねえ、聞いてグレゴリー」
私はできるだけ優しい声色を使いながら言った。
「あなたが望むのなら私はこれからも、何人でも殺すわ。それこそ何万人でも。それにあなたがその気になれば、この国の王にだってしてあげる」
「儂がそんなことを望んでおらんことは、お主が一番よく知っていることじゃろう。それに、儂は昔からお主のことを、暗黒神としてではなく一人の女性として──」
グレゴリーはそこまで言うと、我に返ったかのように口をつぐんだ。
「今、何を言おうとしたの? 私のことを一人の女性としてどう思っているの?」
「さてな、忘れてしまったよ。歳をとるというのは怖いものじゃ、今自分が何を言おうとしたか忘れるほど耄碌するとはのう」
と、グレゴリーは寂しげにとぼけてみせた。
「私には嘘は通じないわ。お願いだからさっきの言葉の続きを言って」
多分、その時の私は人間臭く哀願するような口調になっていたことだろう。
重苦しい沈黙が、ラウンジを支配するように、のしかかってくる。
グレゴリーは、ただ一言「すまん」とだけ言った。
「それは、何に対して謝っているの?」私が言うと、グレゴリーはもう一度「すまん」と言った。
「さて、ではそろそろ寝るか。儂は先に自室に行かせてもらうことにさせてもらう。ジゼル・バーネット嬢や後のことは、お主に任せる。何しろバーネット嬢は儂の顔を見るとひどく怖がるからのう」
そう言うとグレゴリーは、席を立ち逃げるようにラウンジのドアへと向かった。
私は「待って」と言ったがグレゴリーの背中には遣るせなさに満ち、何者をも寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
「明日も朝から仕事じゃ。年寄りの夜更かしは体に毒じゃからのう」
グレゴリーはそう言い残すと、私を一人置いてラウンジを出て行った。
私はグレゴリーの背中にそれ以上、何も言葉をかけられずに一人、ラウンジに立ち尽くしながら「お願い。何か言葉をかけてよ」と小さく独り言を呟いた。
しばらくすると、アルバートがジゼルを連れてリビングに入ってきた。アルバートはラウンジに一人でいる私を見ると「あれ? 師匠はどうしたんですか?」と言った。
「もう自室に行ったわよ」
「何かあったんですか?」とアルバートがまた聞いてきた。
「別に、何もないわよ。いつものケンカね。それでグレゴリーがヘソを曲げて自室に逃げ込んだのよ」
「そうなんですか」と言いながらもアルバートは心配そうに私の顔を見た。
この子は、大人の中で働いて常に人の顔色を窺ってきたせいか、妙に勘の鋭いところがある。
でも、私が一言「そうよ」と言うと釈然としていない様子だったが、「わかりました」と一応、納得したフリをしてくれた。
「それで? ジゼルの方の手当ては終わったの?」
「はい。でも着替えがないので、僕の部屋着を着てもらってます。ちゃんと洗濯したてのやつですから大丈夫です」
ジゼルの方を見ると確かにさっきまでと違う服装で、顔を俯かせている。
「それじゃあ、アルバート。ジゼルに何か食事を作ってきて。ここしばらく、まともな物を食べていないみたいだから、空腹の時にいきなり脂っこいものはダメよ、消化にいい野菜のスープでも作ってあげなさい」
「はい。わかりました」とアルバートは答えたが、ジゼルは「今は、食欲がないので何も食べたくありません」と、か細い声で言った。
「これは、命令よ。ジゼル。お腹が減っていると元気がでないわ。無理にでも食べるのよ」
「はい」とまた、ジゼルがか細い声で言った。
「それじゃあ、僕は早速野菜スープを作ってきますから、ちょっと待っててくださいね」と言うとアルバートは、飛び出すようにラウンジから出て行った。
ジゼルは、まだ怯えているようで顔を俯かせていたが、私はさっきのグレゴリーとの会話を思い出すことで頭がいっぱいで、何も声をかける気には、なれなかった。
時々、私が溜め息をつくと、ジゼルは肩をビクッとさせて震え出す。
私たちは二人とも言葉を発することなく、時間だけが過ぎていった。
そんな状態が三十分以上も続いた頃に、ドアが開き、ラウンジにアルバートが入って来て「食事の準備ができましたよ」と言った。