第20話 虹の橋を架けて強く生きたい
今回も残酷表現&汚い表現が出てきます。
苦手な方とお食事中の方はご注意下さいませ。
「――さーて、さっさと終わらせるか」
クラウスが斧槍を片腕で大きく∞を描く様に振り回しながら横に歩き出す。
ボアから視線を離さず、リズム良く斧槍を振るうその姿は優雅ささえ感じられる。
表情も普段話している時のものとは違う。真剣そのものの表情だ。
これがおそらく『衛兵』としての「クラウス・ヘーネス」本来の顔なのだろう。
「ギィィィイッ!!」
一方、ボアは俺からクラウスに標的を移したらしく、彼の方へと頭を向け、猛り始めた。
そして完全にボアの向きが俺から外れた辺りでクラウスは歩みを止め、斧槍を構え直した。得物を大きく振り回すあの動きは、ボアの注意を自身へと引きつける為の動きだったのかもしれない。
睨み合うクラウスとボア。
ボアは相変わらず土を蹴り、低く唸り、今にも体当たりをかましてきそうだ。
だが、先にアクションを起こしたのはクラウスの方だった。
「風よ……。我が背より共に彼方へ――」
魔法の詠唱だ。
屯所で俺の前で披露してくれた時とは詠唱が少し違う気もするが、彼が扱える二種の魔法の一つ。確か名前は【フォロー・ウィンド】だ。
――しかし、彼の詠唱はさらに続く、
「重ねて命ずる、我が武器と共に在れ――」
詠唱と共に彼の周囲から微かに風鳴りが響き始める……。
一瞬の間を置き、彼はその魔法の名を紡いだ。
「『二重』・フォロー・ウィンド!」
その瞬間、クラウスを中心に凄まじい勢いで豪風が吹いた。
ボウッ、と顔に風が吹きつけ、帽子が飛ばされそうになったので咄嗟に手で押さえる。
うおお! なんだこれ!
帽子を押さえ込みながらクラウスの方を見ると土が巻き上げられ、土煙が彼の背中と斧槍の先端で渦巻いているのが見えた。ボアも鳴き声を上げながら頭を下げ、風に抵抗している様だ。
そしてクラウスは両手で斧槍の柄を握り直し……、
「行っくぜぇぇぇぇッ!」
怒声と共にボアに飛びかかった。
俺は一瞬、自分の目を疑った。
クラウスが宙を飛んでいたからだ。
そう、飛んでいた。
ボアから五メートルは離れていたのだが彼は一足でその眼前まで飛び込んだ。
「オラァァァッッ!!」
続いて彼はまるで推進器でも付いているかの様に空中で身を捻り、斧槍をボアの頭部へと叩き付けた。
ドパァン! と炸裂音が鳴り響き、ボアの体は横倒しに倒され――、
「ギュィィィッ……?! ――ッ」
――そのまま口から泡を吹いてピクピクと痙攣し始めた。
クラウスはその様子を確認するとボア歩み寄り、
「……よっと」
ドスドスと馴れた手付きでボアの首元と足の付け根に斧槍の先端を突き刺していく。傷口からは黒い血がドクドクと脈打つ様に流れ出ている。
ボアのHPを表示すると「出血」の状態異常を示すアイコンが付き、先の一撃でギリギリまで減っていたらしいボアのHPが更にじわじわと減っていく。やがてHPが尽きるとバーとレベル表記が消えて無くなった。同時にボアも動かなくなっていたのでおそらく息絶えたのだろう。
「ふぃ~、終わったぜ。……お兄ちゃん顔青いけど大丈夫か?」
俺の顔が青いのは多分MP不足と目の前で行われた捕殺の影響だ。
それよりもクラウスに聞きたい事がまた増えてしまった。
「え、ええ……おかげさまで。ありがとうございます。所で今のは?」
「ん? ああ、血抜きだよ。しっかりとやらないと肉が臭くて食いにくいらしくてなぁ……俺はそっちも好きなんだけどな」
違う、そうじゃない。
俺の言葉が足りなかった。
まだMPが減ったままのせいかどうも頭が回らない。
「いや、そっちじゃなくて魔法の方です」
「ああ。そっちは『追加詠唱』とタダの初級魔法の応用だよ。一応、他のヤツには内緒な?」
「明らかに前とは威力も規模も違って見えたんですが……」
「だから応用だって、【フォロー・ウィンド】を同時に武器と自分の両方に二回ずつ使っただけだ」
「なるほど……応用次第であんな事も出来るんですね」
「だな。でも消耗が激しくてなぁ、俺は合計四回までしか魔法を使えないから"とっておき"ってヤツさ――ちなみに五回目を使うとぶっ倒れる……そして今もかなり……ううぇっぷ」
クラウスが口を押さえ、えずき始めた。
よく見ると顔色が今の俺に劣らない位に真っ青だ。
MPバーを表記させてみると、確かに残り二割程しかMPが無い。
彼の言う通り、彼が使える魔法は四回でギリギリらしい。
それに五回目を使うと倒れるとも言っていた。
俺はまだMPが完全に無くなった事は無いが、あの強烈な眩暈と吐き気の先に待っているのは昏倒や気絶の類の様だ。忘れないでおこう。実戦でやらかしたらまず死が待っているだろう、仲間が居ない俺はそれがほぼ確実だ。
「ダメだ……限界……ッ――オヴォロロ……」
クラウスは我慢の限界を迎えた様だ。
口から形容にしがたい液体を大量にぶち撒ける。
それも俺の眼前で。
「ちょ、クラウスさん!? ……うっぷ――」
その光景と立ち昇る臭気に耐えられなくなり、俺も吐き気が込み上げ――その後しばらくの間二人仲良く青空の下、爽やかな風の吹き抜ける平原の真ん中で、壊れた蛇口の如く胃の中身を撒き続けた。
思う存分吐いた後一時間ほどの休憩を挟み、俺はクラウスと二人で仕留めたボアを引き摺りながら屯所まで戻って来ていた。流石にあの後、そのままレベリングを続行する気にはなれなかった。しかし諦めたのではない。後日、また用意を整えて出直すつもりだ。
「しっかし、凄ぇんだか頼りないんだかよく分からないお兄ちゃんだな」
「む。まだ駆け出しなんでその辺は多めに見て下さい」
屯所の前でボアを解体しながらクラウスが藪から棒に言って来たので、俺は少しムスッとした表情で言い訳を述べた。
「はは、睨むなって。でも冒険者家業で一旗上げようってんならボアに殺されかけてちゃいけねーよ」
「それは――」
コレは言い返せない。
悔しいがクラウスの言う通りだ。
命の危機を救ってくれた本人に直接言われては怒りすらも湧かない。
ただ情けなさと無力感に包まれる。
「何も責めてるわけじゃねえぞ? 冒険者やるならギルドで仲間募って、パーティに入れて貰うのが常道だって話さ」
ギルドで仲間を募ってパーティを組む。
まさに王道だろう。それが出来さえすれば……。
本当はそのハズだったんだ。
気の合う仲間を見付けて、物語の様な冒険へと旅立つつもりだった。
だが俺にはそれが出来ない。
ああ、割り切っていたハズなのに泣きたくなってきた。
思わず涙目になってきたので帽子を手で下げ、顔を隠す。
くっそ、大の大人が情けない……。
「なんか訳アリ……か」
「そんな所です。詳しくは話せません。ごめんなさい」
近くからクラウスの声が聞こえたので返答するが、少し鼻声になってしまった。
「うーん、そんじゃあ『傭兵』雇うか、『奴隷』でも買うしか無いだろうなぁ」
「でしょうね――……え?」
……待て、今この男はなんと言った?
傭兵? 奴隷?
今の俺の状況に何か打開策があるというのだろうか。
「クラウスさん、今の話を詳しく!」
「うお!? びっくりするじゃねぇか!」
俺はガバっと椅子から立ち上がり、ボアを解体しているクラウスに飛びつくように説明を要求した。
これは期待してもいいんだよな? そうだよな?
「落ち着け、まず前提として両方とも金がかかるぞ?」
「金なら有ります!」
「よし、傭兵はやめとけ!」
「え」
訳も分からないまま早速選択肢の一つが閉ざされた。
「金がかかる」と聞いたから「それは問題ない」と答えたつもりなんだけど……。
「傭兵ってのは全てがそうじゃねーけど基本的には金に汚い奴等の集まりだ。お兄ちゃんみたいな世間知らずが雇ったら食い物にされんぞ? 詳しい話も聞かずに『金はある!』なんて言うヤツはカモだろうよ」
なるほど。
なんだかさりげなく小馬鹿にされた気もするが一理無くもない。
傭兵雇ってゆくゆくは傭兵団ってのも少し惹かれるんだけど、この場はクラウスの忠告を信じさせて貰おう。となると残るのは……、
「じゃあ『奴隷』ってのはどうなんですか?」
奴隷。
俺の知識では人権を無視され、金で売買される人々。そんなイメージだ。
元居た世界では現実では非難され、非現実の世界ではややマイナーだがよく題材として取り上げられていた。――大きな声では言えないが俺もその手の作品にはよくお世話になった。
「そうだなぁ、詳しくは奴隷商に聞いた方がいいんだろうけど――」
クラウスが教えてくれたのは要約すると大体以下の通りだ。
・この世界、少なくともこの国では奴隷制度は一般的に認知されている。
・主に奴隷身分になるのは比較的罪の軽い犯罪者や借金等で身売りを余儀なくされた者達。(例外も多々あるらしいが大抵の場合は黙認されるそうだ)
・奴隷を購入するのは殆どが貴族や商人等の比較的、裕福な客層。
基本的には労働力、珍しい所では子の居ない家庭に養子として買われたりもするらしい。……無論、性的な目的で買う人間も中には居るとの事だが――職業柄か、それとも彼の性格か。その辺りの事情を話す時のクラウスは少し険しい顔付きだった。なんとも正義感に溢れる男だ。俺も彼のこういう部分は見習わなければ。
「でもよ、美人な奴隷を囲うってのは男なら一度は考えるよな!」
前言撤回。彼も一匹の雄だった様だ。
へらへらっと険しい表情を崩し、そんな事を言い出したクラウスに俺は思わず体制を崩した。
だがその意見は否定しない、むしろ支持しよう。
一人の男として。
「まぁ、奴隷を一人二人養う位ならそれなりの仕事に就いてりゃ問題ねぇしな」
「そんなものなんですか」
「おうとも。後は男の度量だぜ! ……すまん、話が逸れたな」
いや、大いに参考になった。
そうだよな、どうせなら美人がいいよな。
どうも戦闘能力ばかり考えてガチムチPTを組むつもりになっていた。
危うく更に道を踏み外す所だったのかもしれない。
ありがとう、クラウス。
「冒険者はあまり奴隷を買わないんですか? 一人や二人を簡単に養えるんならパーティメンバーに加えるとか色々とやりようがあると思うんですけど」
「……たまーに聞くけどな。でも、いい評判は無いぜ? 逃げる時に囮にしただの、罠避けや盾代わりに使ったーとか、戦闘で使い潰したーとかそんな話ばっかりだ」
クラウスの語る冒険者の奴隷に対する扱いは俺の想像よりも酷いものだった。
要するに使い捨ての駒や消耗品の様な扱いなのだろう。
俺もゲームでNPC等をそういう風に扱った事が全くない訳では無いが……。
それとこれとでは訳が違う。
「それは……酷い話ですね」
「そんなもんだろうさ。手っ取り早く女が欲しいなら娼館にでも行けばいいし、戦う為に仲間が欲しいならギルドで募るか傭兵でも雇ったほうがまだ確実だからな」
そう言いながらクラウスは【ファイア・ボール】に『追加詠唱』を加えて火球を滞空させ、解体したボアの肉をナイフで刺して焼き始めた。ジュウジュウと音を立てて油が滴り落ちる。初級の魔法だとクラウスは言っていたが中々の火力の様だ。
便利な魔法だ。俺もMPが使えるのなら是非覚えたい。
「――それに腕が立つ、立たない問わずに奴隷は買っちまったら飲ませたり食わせたりで多少なり維持費もかかる。だからわざわざ奴隷連れて歩く冒険者なんて余程の物好きか嗜虐趣――ああ、悪い。お兄ちゃんに言ったつもりじゃないんだ、許してくれ」
「大丈夫ですよ、気にしてません」
嗜虐云々はさておき、物好きと言われるのは別に不快だとは思わない。
物好きな冒険者……大いに結構じゃないか。
どうせ俺は既にどちらかといえば邪道な存在だろう。
ステータス、戦闘スタイル、職業。そのどれもがまともではない。
「それに、もう決めました。他に良さそうな手もありませんし」
そうだ。もう決心している。
本当はこのままずっと一人で地道に狩りを続けるのが無難なのかもしれないが、また今日みたいな事態に陥らないとも限らない。そうなった時に自分の傍に仲間が居てくれればどれだけ心強いだろうか? 例えそれが金で買った奴隷身分の人間だったとしてもだ。
少しだけ欲を言うと、最初は目の前に居るこの男の様な頼れる前衛が欲しいが。
あれ? コレはもしかして『クラウスが俺の仲間に!』なんていう展開もアリなんじゃ……。
「そうか。んじゃ止めても聞かねーんだろうなぁ」
「他に何か良さそうな提案があるのならそっちでもいいんですけどね? ……例えばクラウスさんが俺の仲間になってくれるとか」
肉を次々と焼き上げながら話すクラウスに俺はそれとなく誘いをかけてみたが、
「オレ? 嫌だよ。オレには冒険者なんて向かねーよ」
「やってみないと分かりませんよ?」
「無理無理、たまにサボってボア狩りも出来るこの仕事以外考えらんねぇわ」
――あっけなく振られてしまった。
この不良兵士め……。
ボア狩りが得意だとは言っていたが普段から勤務中にもやっているのか。
「そんな事より――ほれっ」
「これは?」
急にクラウスに折りたたんだ毛皮を投げつけられたので咄嗟に手で受け止めた。
獣臭い事この上無いこの毛皮は……。
「さっきのボアの毛皮だ。冒険者なんだろ? 戦利品だ」
「いや、でもボアを倒したのはクラウスさんでしょう」
「アレを見付けて頭半分削り飛ばしたのはお兄ちゃんだ。オレはたまたまトドメを刺しただけさ。それに肉さえ貰えれば毛皮なんてオレは要らねぇ」
むむ。貰ってしまっていいのだろうか。
クラウスはああ言ってくれているが、ボアは見付けたのではなく向こうから襲い掛かって来たものだ。頭を斬り飛ばしたのは確かに俺だが、どちらかと言えばそのせいで状況を悪化させていた気がする。
それに実はボアを倒した経験値が俺には全く入っていないらしく、俺は現在もLv1のままだ。つまり然程ボアの撃破に貢献していないという事ではないのだろうか? これはただ単にパーティを組んでいなかったからトドメを刺したクラウスに経験値が流れただけなのかもしれないが……。
「……じゃあ、毛皮は俺、肉はクラウスさんの取り分と言うことで」
「話が早くて助かるぜ。ホレ、焼きたてだ。ウマイから食え食え」
色々と考えたが結局はクラウスに勧められるがままに毛皮を受け取ることにした。クラウスは肉があれば満足そうだし、俺もボアの毛皮がどれ程の金策になるか確かめなければいけない。
利害の一致だとでも言いたい所だが……実際は彼の厚意に甘えただけだろう。これは一つ貸りを作ったと俺の中では勘定しておく。その内何かで返させて貰おう。
そして俺は差し出された焼きたてのボアの肉を口にした。
自身の取り分のハズなのに気前良く振舞ってくれるらしい。
こちらは遠慮せずに頂いておく。
自分の為にせっかく焼いてくれたのに断るのは無粋だ。
……決して空腹に負けた訳では無い。決して。
「っと、あちち」
カリカリに焼けた香ばしい肉の表面に歯を立てると、スッと肉の表面が裂け、内側から濃厚な肉汁が溢れ出てきた。少し野性味に溢れる独特な風味があるが、柔らかくも噛み応えのあるその食感と癖のある肉の味は後を引く。味付けはシンプルに塩のみだがむしろそれが肉と脂の旨味を引き立たてていると言える。
美味い……すっげえ美味いんだけど焼肉のタレが欲しくなるなぁ。
あとニンニクと生姜醤油も。加えて炊き立ての白米も揃えばもはや無双だ。
こんな時にそれらが欲しくなるのは日本人の性だろうか?
空腹だった事も手伝い、肉オンリーだというのに食が進む。
噛めば噛むほど味が出るのだが、気を抜くと口の中で数回咀嚼しただけで肉がいつの間にか喉を通過し、胃まで降りてしまっている。
――もしかするとボアの肉は飲み物だったのかもしれない。
「ハフ、ん……美味いですね。あ――」
しまった。そういえば以前クラウスに出されたボアの肉を「宗教上の理由で……」とかなんとか言って断ったのをすっかりと忘れていた。今、俺はクラウスの前で思い切りガツガツと肉を食ってしまっている。これは少し気まずい。
俺はおそるおそるクラウスの方を見たのだが……、
「だろ? 何日か寝かした肉もいいけどやっぱ新鮮なのが一番だよなぁ」
クラウスは満面の笑みで肉に噛り付いていた。
どうやら思い出している様子はない。
――よし、あの時の事はこのままなかった事にしよう。
そう決めた俺はクラウスに倣い、肉にむしゃぶりついた。




