ある転生護衛兵の十年
「大丈夫、必ず丈夫になる。体だって大きくなって国一番の騎士になれる!」
寝込んでは体の弱さを嘆き、悪ガキどもにいじめられては泣く幼なじみをそう慰め続けて三年。
無理だ、騎士になんてなれっこないと訓練の厳しさに弱音を吐く幼なじみをなだめすかし、時にどついて訓練に向かわせて二年。
十二歳の今もまだ線が細く、少女のように華奢な幼なじみをようやく王都へと送り出すときがきた。
これからこの幼なじみは王都にある聖騎士団の騎士見習いとなり、十七歳で聖騎士に叙任されるまで王都で過ごす。
「絶対手紙を書いてね。会いに来てね」としつこく念押しする幼なじみに「はいはい、必ず書く、必ず行く」と約束し、馬車ならぬ竜車に押し込んだ。
よっしゃ、これで五年後の楽しみができた!
五年後、幼なじみは王都の神殿で一人の聖乙女候補の少女と出会う。道に迷った彼女の案内をしたことがきっかけで、時々、言葉を交わすようになり、やがては恋に落ちて結ばれる――こともあるかもしれない。なにせ、攻略対象は、隠しキャラを含めたら五人いる。すべては主人公の好み次第だ。
幸い、逆ハーエンドなんてものはないから、取り巻きに成り下がる幼なじみの情けない姿を見ることもない。
幼なじみに会いに行くという口実の下、画面の向こうで繰り広げられていた恋愛模様をこの目で見てやろうではないか!
そう、わたしには前世の記憶がある。
物心ついたときには謎の知識が頭のなかに存在し、家族にせっせとつたない言葉で説明したが、とても大雑把な我が両親と兄たちは「お前は面白い夢をみるなぁ」で済ませた。
そういわれるとそんな気がするもので――わたしもやはり家族と同じく大雑把なのだ――変わった夢だなと思っていたのだが、幼なじみが目の前に現れたことで、夢とはどうやら違うようだと気づいた。
両親を亡くした幼なじみは五年前にこの地の領主である叔父のもとに引き取られてきた。
領主に仕える護衛兵を父に持つわたしたちに、領主様が幼なじみを紹介したとき、もじもじとはにかむその姿と名前が、わたしの前世の記憶の一部を強く刺激したのである。
ああそういえば、こういうシーンが乙女ゲームの回想シーンにあったな、と。
実にさりげなく、しかし明確に蘇った記憶にあれ?と思いつつも、わたしは滞り無くあいさつを済ませ、一歳年下だという男の子の案内役を引き受けた――兄や弟に任せたら、こんな繊細そうな子どもがどんな目に遭わされるか、火を見るよりも明らかだったのだ。
そしてわたしは彼と話すにつれ、見れば見るほど一応女である自分よりもかわいい顔をした少年が、幼いころは病弱で気弱で女の子みたいだったという設定の攻略対象、新人聖騎士であると確信した。
それから、乙女ゲームとはなんぞや?とあらためて己のなかの知識を検証し、前世という観念を見出し、ここは前世でプレイした乙女ゲームに極めて類似した世界である、と結論づけた。
なぜとか、本当かとか、考えても結論が出ないことは早々考えることを放棄した。
そして、せっかく乙女ゲーム世界(推定)に転生したならば、やはりここはメインとなる恋愛模様の舞台をこの目で見なくてはなるまい!と考え、幼なじみが聖騎士となるようサポートすることを決意した。
大好きなゲームが二次元でなく、実写版映画になると聞いたら、イメージが崩れるのが怖いと思いつつも見てみたいものだろう。少なくともわたしはそうだ。
どついてもどついても一向に矯正されない我が兄弟と違って、幼なじみはとても素直だった。さすが接触をはかるだけで、好感度が自然に上がっていく、チョロ男(と前世のわたしが呼んでいた)である。
一緒に遊ぶついでに昔の話が知りたいといっては古代神聖語を学ばせ、騎士なら礼儀作法を身につけていないとかっこ悪いと言いくるめ、やはり男は頭もよくなくっちゃ駄目だと通常の学問にも励ませた。すべて聖騎士に必要とされるものである。ひそかに領主様の協力も仰いだ。
そんなわたしに、ついたあだ名は調教師。
幼なじみをせっせと仕込む一方で、その邪魔をする我が兄弟その他近所の悪ガキどもを腕力でもってねじ伏せ、従えたせいだろう――わたしは、獣人だったという曾祖母の血が濃く出たらしく、同じく曾祖母の血を引くおかげで身体能力は人並以上という兄弟のなかでも一番腕力があるのだ。この世界に獣人がいるという設定を前世では知らなかったが。
あとは五年経ったときに叙任祝いを兼ねて王都を訪ねるだけだと満足して遠ざかる竜車を見送っていると、領主様に「あの子が騎士見習いになれたのも君のおかげだ」とねぎらわれた。
いやいや、下心あってのことですと思いながらも、そつなくあしらい、少し離れた場所で取っ組み合いを始めた弟達を黙らせた――むろん、拳で。獣人の血のせいか、我が家は兄五人、弟四人と大家族である。
それから、兄弟をどつき、生まれてきた甥っ子たちや近所の子どもをどつきながら、そして、十五歳で父・兄と同じく護衛兵に採用されてからは同じ新米護衛兵たち(ときに先輩護衛兵含む)をどつきながら、五年は瞬く間に過ぎた。
時折、会いに来てほしいとめそめそした手紙が幼なじみから届いたが、無視してこれでも食って元気を出せと食用竜の干し肉や怪魚の干物など領地の特産品を送りつけておいた。
そして先日、無事に聖騎士に叙任されたと報告が届いた。喜んだ領主様は護衛としてわたしに王都へ同行することを言い渡し、共に祝いに行くことになった。
「会ったらきっと驚くよ。随分大きくなったから。きっと立派な騎士ぶりを見せてくれるよ」
にこにこしながら領主様は道中、そう繰り返していた。親馬鹿ならぬ叔父馬鹿め、などと悪態ついたりせず、わたしはそうでしょう、そうでしょうと頷いておいた。
そうなるよう根回ししたのである。そうなってもらわねば困る。
だが、結果として、王都に到着したわたしは、領主様の言ったとおり、五年ぶりに見た幼なじみの姿に驚いた。
予想では幼なじみは、ゲームのスチルにあったように、すらりとした優しげな風貌の騎士様になっているはずであった。
だが実際は。
「会いたかった!」
今現在、わたしの前には両腕を広げたクマもどきがいる。
「幼なじみといえ未婚の娘に抱きつこうとは不届き者めがっ!」
ほぼ条件反射的にそう叱りつけて、クマもどきのみぞおちに拳を打ち込み、生意気にも踏みとどまりやがったので、すかさず足払いをかけた。とっさに受け身をとったのは訓練の賜物だろう。
「久しぶりなのにひどいなあ」
地面に転がりながらも嬉しそうに相好を崩すクマもどき、どこからどう見ても「ガタイのいいあんちゃん」には、確かに幼なじみの面影がある。
見事な筋肉に鎧われた肉体派ではあるものの、さわやかな好青年に違いはない。
だが。
……すらっと要素はどこいった?
犬ならばグレーハウンドがアラスカン・マラミュートになったくらいのボリューム感の違いがある。
そして優雅さとは無縁。故郷の兄弟と大差ない。
思わず、少し離れて見守る領主様へ目を向けた。
「どうしたら、ここまででかくなるんでしょうかね?」
「いやあ、君がせっせと送った怪魚の干物のおかげじゃない?」
しつこく抱き着こうとしてきた幼なじみを投げ飛ばしつつ、質問を重ねる。
「魚くらいでこうなりますかね?」
「いやいや、あれは騎士たちの間では幻の逸品といわれる、体づくりには最適の食材だから」
知らなかったのかと逆に呆れられた。
「海に船を出せば高確率で遭遇する、ただのバカ魚と思ってましたが」
あしらうのも面倒になったので、あきらめの悪い幼なじみを地に沈め、その背中を足で踏みつけて動きを止めさせる。
「あのね、うちの領地でも、あれを獲って来れるのは君たち家族くらいだから。出てくるのは人間を襲って食べようとするからだから」
「いやでも、あれ、海面に出てきた所をガツンと目の間殴れば浮きますよ?」
簡単に獲れて、下ごしらえもそれほど面倒くさくなく、おまけに食べられる部分が多いとあって、野郎ばかりで食費のかさむ我が家定番の家計お助け食材である。腹減ったと騒ぐ男どもを黙らせるためのおやつとして、干物もたくさん常備している。
「うん、だから、それができるのは君たちくらいだから」
「ひょっとして、あの魚が出るから、漁師のみなさんは沖に舟を出さないんですか!」
「そうだよ……知らなかったんだね」
うちの領地だけに限らず、この大陸中どこでもそうだという。
定期的にあの怪魚を我家族が獲るおかげで、漁獲量も安定し、専業漁師として生計が成り立っているのはこの国では故郷くらいだという。
驚愕の事実である。
「……だから、あんなに小さな母から生まれてきたはずの兄も弟もことごとくでかくなっていくんですね!」
わたし自身は辛うじて背が高めの部類にとどまっているのだが。
「そうだね。ねえ、そろそろ勘弁してやってくれないかな? 息ができないようなんだけど」
領主様が苦笑しつつ、わたしの足元を指さす。
「領主様の御前で失礼しました」
弱々しく地面をかく幼なじみの背から足をどけ、その襟首をつかんで引き起こす。
このぞんざいな扱いについてこれまで領主様から注意されたことはない。
ばしばしと叩いて衣服から埃をはらい、整えてやりながら改めて幼なじみの姿を確認する。
肩幅も厚みもあるが、兄弟に比べれば均整のとれた体付きである。
なにより、兄弟に比べればはるかに整った顔をしている。
ちょっと頭の悪そうな、しかしフレンドリーな大型犬っぽいものの、一応、美形の部類だろう。
しかしだ。
当初の予定、ゲームの設定とは、著しく方向性が違う。
なんだろう、この漂う残念感は!
幼なじみの緩んだ顔を眺めつつ、まだ見ぬ主人公へ、すまん、と心の中で手を合わせた。
(注)主人公は脳筋