06話 ご相伴
あっるぇー?
いきなりエトワールまで飛ばそうとしたら、二話ぐらい火竜で止まってしまいましたよ?
肌を刺すような冷たい風が吹き付けてくる。胸いっぱいに吸い込めば、冷たく爽快な空気で肺が痛くなるほどだ。
耳元を風が通り過ぎてごうごうと音がする。
上を見上げれば、いつもよりも近い雄大な蒼空。横を見れば地平の果てまで視界を遮るものなど一つとして無い。
そして下を見下ろせば、そこには緑豊かな大地がどこまでも広がっていた。
僕たちは今、空を飛んでいる。
「あはははっ。すごーい! 広ーい! ルナ、見て見て! とってもとーっても向こうの方に、すっごく大きな湖があるよ! すごいきれい」
遥かな上空からの景色に、ソラはずっと笑顔で目をキラキラさせている。
ソラが身を乗り出して指差す方向には、地平線にうっすらと蒼い海が広がっていた。
「あぁ。ソラ、アレは海って言うんだよ」
「うーみー?」
「そ、海だよ。湖と違ってしょっぱいらしいよ」
かくいう僕も海を見たことは無い。噂話や吟遊詩人の詩で聞いたことはあったけど、実際に見るのは初めてだった。
だから本当にしょっぱいのか気になるところだよね。海にはとっても大きな魚たちがいるらしいし、いつかは行ってみたいな。
ソラは普通は見ることのできない景色にすごい興奮している。そして僕もソラが落ちないようにはらはらとしているけど、内心すごい興奮しているんだ。
何せ空だ。横にいる彼女じゃなくていつも見上げる大空。
翼を持たない僕たちが今、この大空を飛んでいる。まるで夢のような気持ちだった。
『フッフッフ。そこまで喜んでくれると、こちらも嬉しくなるナ』
お腹の底に響くような声はすぐ下から聞こえてきた。
声の主は長い首を少し曲げてこっちを見ている。
瞳孔は縦に細長く、深い知性が宿るその目は楽しそうに細められていた。僕の手が触れているのは、つるつるとすべすべの中間のような紅い鱗。
ソレは人間に火を司ると言われる、火竜という竜種。
そう、僕たちは彼女の背中に乗せてもらっている。正確には首の根元だけど。
『空を飛ぶ喜びは誰よりもわかるが、身を乗り出し過ぎては落ちてしまうゾ? マァ、それはそれで楽しそうダガナ』
「ちょっとお願いしますっ!」
「ダメだよっ!? 危ないから、落ちたらダメだからね!?」
「むぅ~。火竜さんがキャッチしてくれるはずだもんっ」
その自信はどこから来るの!? 例えそうであっても、二つ返事でよくこんな上空から落ちるだなんて言えるね!?
しかもそのキャッチしてくれる手は、剣なんておもちゃのように感じてしまう程の、鋭い竜爪があるっていうのに。
当の火竜さんは何事もなかったように呵々大笑しているし……。
不思議なことに大きな声なのに、乗っているこっちは全然揺れることは無かった。
まったく、ひどい冗談だよ。
『ン? 一応本気ダゾ? 何事もなかったかのように、我が受け止めて見せようじゃナイカ』
ちょっと質の悪い冗談かと思ってため息を吐いたら、すぐに否定されてしまった。ついでにその言葉にはしゃぐソラ。
彼女の言葉のおかげでさらにはしゃいでしまったソラを、後ろから抱きしめてどうにか落ち着かせた。
いやもう、あんまりにもはしゃぐものだから、僕も一緒に落ちてしまうところだったよ。
『火竜シアンイストール』さんはさっきから笑ってばっかりで、止める側は僕だけだ。
何でこんなことになっているのかというと、クルトの町を出発した日の夜のことだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まだ野営には少し早い時間。偶然にもちょうどよさそうな洞窟を見つけた。
奥の方まで行ってみたけど、特に何かが住んでいるような雰囲気もしなかったから、これ幸いと今日はそこで野営をすることに決めた。
その後、一旦外に出て枯れ枝を集めている最中に、運よく見つけた兎を捕まえたのはソラだった。
何か逆じゃないかなぁ、と僕が思ったのは秘密。何故か目がキラーンって光っていたんだよね。
また、食べれそうな山菜も見つけた。
その途中、近くの茂みから、がさっという音が聞こえた。
どう低く見積もっても、ついさっき捕まえた兎以上の大きさの生き物が立てた音だった。
だというのに、気配が全くしなかった。
すぐさま僕とソラは身構えて周囲の気配を探る。
これでも旅暮らしには慣れているんだ。それなりに気配を読むことはできるはずなんだけど……。
そう思っていると、音がしたところよりも遠くから、遠ざかって行く音が聞こえた。
「行っちゃった、のかな?」
「たぶん、そうじゃないかな?」
答える僕も半信半疑だ。
でも、慌てて逃げるような感じじゃなかったし、むしろ落ち着いた感じだったから特に害はないと思う。
その後は少し警戒しながら集めて、早めに切り上げて洞窟に戻った。
洞窟に戻るまでに何も異変はなかったから、そのことはすぐに忘れてしまった。
異変がその後にやってくることに気付かずに。
太陽も沈み、洞窟の中でパチパチと焚き火の音がする。
焚き火の上には、細く削った木の枝を刺した兎の肉がじっくり焼かれている。
「…………」
ソラはそれがこんがりと焼けるのを、今か今かと目を離さずに見つめていた。
僕が反対にひっくり返して塩をかけるとき、本人は気づいていなかったけど、よだれが垂れてる。
仕方ないから教えてあげた。
「ソラ。よだれ、垂れてるよ」
「ふぇっ? あっ、えへへ」
彼女ははっとして、手で拭った後に照れたように笑う。けど彼女の気持ちもわからなくない。
こう、漂ってくる香ばしい匂いと、食べるときの皮のパリパリ感やちょうど良い塩加減を想像すると……じゅるり。
「あはは! ルナもよだれ垂れてるよ~」
「きゅいきゅい!」
「え? あ、本当だ」
いけない、いけない。あんまりにも美味しそうに想像出来ちゃったから、って、え?
「あれ? 今、鳴き声が聞こえなかった? それもすぐ近くで」
「そういえば何となく……。何処からだろう?」
「きゅー!」
「あ、教えてくれてありがとう」
「きゅい!」
何とも親切なことに、何処にいるのか教えてくれたみたいだよ。
二人して声のした方を見ると、
「「ッて、竜!?」」
小さな竜がいた。
「そそそそ、ソラ!? 何処から拾ってきたの!? 勝手に拾ってきたらダメだよ!? それも竜の子供だだだだなんて」
「違うよ言いがかりだよ!? わたしじゃないよ!? むむむしろルナじゃないの!?」
僕たちは驚きのあまり、互い押し付けあっていた。
ちょっと丸っこい体型をした小竜は、可愛らしく小首を傾げてこっちを見ている。
僕たちが何でこんなに驚いているのかと言うと、いつの間にか竜がいること、しかもそれが子供だということ。
前者は単純に驚いたで済む。けど後者はかなりヤバイ。
何せ竜の子供だよ? 子供がいるということは、当然その子の親もいるよね?
もし、もしもだよ? ここにこの子竜の親が探しに来たら……
『グワァーーーーー!!! (貴様我が子に何しとんのじゃー!!!)』
↓
『ここここれはですね!?』
↓
『きゅー! (パパ助けてー!)』
↓
『ギィィィイイイイイアアアアアアーーーーーーーー!!! (消し炭にしてくれるわーーーーーー!!!)』
(あ、死んだ……)
「死んじゃダメーーー!」
「きゅー! きゅきゅー!」
どうやら声に出ていたらしい。そして何故か小竜も声をかけてくれた。
気を持ち直しても、まだ小竜が呼び掛けて来るんだけど、なんだろう?
「きゅっきゅ!」
ウサギ肉の方を気にするように……って焦げる!?
僕は急いでにウサギ肉をひっくり返した。
幸いにも、まだいい感じで焼けている程度だった。
「ふぅ、危なかった。危うく焦がしてしまうところだったよ」
「きゅー」
「……ねえ、ルナ。もしかして、その子も食べたいんじゃないのかな?」
「きゅ!」
えっ? と僕が驚くと、肯定するように頷きながら返事をしてきた。
いくつか質問をしてみるときちんと返事をしてくる。
どうやら僕たちの言葉がわかるみたいだ。
「あ。もしかして外で僕たちのこと見てた?」
「きゅ?」
「どういうこと?」
この子竜の大きさはちょうど、兎よりほんの少し大きいほど。
枯れ枝を集めている時の茂みの音は、この子竜が鳴らしたのではないか、と僕は考えた。
「きゅっ!」
「この子みたいね」
「ということは、兎の匂いによってきたのかな」
その場で血抜きや簡単な処理はしたから、そのせいだとわかった。
けれど、いつの間にか和やかな空気になっているけど、問題は何も解決していなかった。
いつ親竜が来るかわかったものじゃない。
一応言葉は通じるから僕は平和的解決を試みることにした。
「この肉、少しだけあげるから君は帰るんだ」
「きゅっ!? きゅー! きゅっきゅー!」
子竜は何故か嫌がるように鳴いてくる。
「んー、この子も一緒に食べたいんだよ。ねえルナ、せめて一緒に食べるだけでも、ダメ?」
「うっ。や、やめるんだ! 二人してそんなつぶらな瞳で僕を見ないでよ! まるで僕が悪いみたいじゃないか!?」
方や丸々とした子竜のくりくりとした目。
方や美少女の類に入るソラの涙ぐんだ目。
勝敗は明らかだった。
「きゅっきゅっきゅ~♪」
「美味しいね!」
喜んでくれて光栄だよ……。
「……あ、美味しい」
自分で言うのも何だけど、絶妙な塩加減だった。
ウサギ肉は結局三つに分けて食べることになった。
一つだけ少なかったけど、小竜は気にすることもなかった。別にいじわるではなく、単純に体の大きさ的な問題だ。
「スマンが、我にも少し分けてくれないカナ?」
「あ、はい。どうぞ」」
「ありがとう。ウム、絶妙な塩加減ダナ」
「どうも。って今度は誰ですか!?」
この子竜といい、今日はいったいどういう日なんだよ。もうっ。
「きゅー!」
「あっ」
ソラが驚いた声を上げる。僕はその方に顔を向けた。
すると目の前を、小竜が羽をパタパタと動かして少しだけ浮きながら、謎の人物のお腹辺りに突進していくのが見えた。
けれどその人は片手で難なく受け止ている。
小竜はなおも抱き着こうとしているけど、顔を手のひらで受け止められていて進めない。
「こら。食事中に暴れるのは良くないゾ」
「きゅう」
「ン。反省したのならヨロシイ」
「きゅん」
そんな会話の後、手で押さえるのを止めた。
子竜はいそいそと彼女の膝の上に丸まる。
いや、ていうか誰さ?
「あの、どちら様ですか?」
ソラがおずおずと尋ねる。
謎の人物は、頭の後ろの方に向けて二本の角が伸びた、深紅の髪のお姉さんだった。
僕たち二人を、その蒼い瞳で見つめている。
「我は火竜シアンイストール。この子の義理の親ダ」
竜って言うわりには人間や半獣みたいな見た目だった。
…………どうでもいいことだけど、パパじゃなくてママだったね。