05話 目指すはエトワール
魔女さんはまだ遠いですねぇ~。
宿の一室に朝日が差し込んでいる。
部屋の中には灰被りの髪の少年が一人。
そしてもう一人――
「あなたはだぁれ?」
――紅茶色の瞳の少女が一人
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――と言うわけで僕たちは旅をしているんだ」
今日もまた、ソラは僕のことをすっぱり忘れていた。
ソラの眠気が覚めた後、何回目になるか分からない自己紹介と事情説明をした。
「……ごめんね」
ソラはまた謝ってくる。
いつも忘れるたびに、説明するたびにソラは謝ってくるんだ。
確かに忘れられるのは悲しいし寂しい。
いくら何度も言われたところで、慣れたころで、慣れきれるものじゃないし悲しいものは悲しい。
けれど、君がいるから僕は笑顔を浮かべることができるんだ。
忘れたくない記憶だって忘れてしまう君がいるから。忘れたくない記憶を忘れてしまうのを悲しむ君がいるから。こんな僕のために悲しんで、そして笑ってくれるから。
だから、笑顔を浮かべてほしいよ。
「ぅみゅぅ~~~~~~」
考え事をしていたらソラが何か呻いていた。
顔も真っ赤になっている、ってまさか何か病気になった!?
「ど、どうしたのソラ!?」
「ふみゅぅ~~~~~~」
ソラからの返答はない。これじゃあ埒が明かない。
僕はすぐさまソラの目の前にまで近寄ると、その額に僕の手を当てた。
「へ?」
「熱いじゃないか!? 体調が悪いなら遠慮しなくていいのに……。今日は寝ていて!」
手を当てると、さらにソラの顔が赤くなってくる。
不幸中の幸いなことに今は街の外ではない。
町の中ならゆっくり休めるし薬師や栄養のある果物もある。ちょっとした出費になるかもしれないけど構いはしない。
僕が急いで部屋を出ようとすると、後ろから声がかかった。
「え、あ、あのちょっと待って!」
「大丈夫、すぐ戻るから!」
「だからちょっと待ってってばー!」
どこか様子がおかしい。
僕は素直に戻ってきてソラが座るかたい寝台の隣に座った。
「もー! ルナったら早とちりしないでよっ!」
「え……? 早とちりって、どういうこと?」
「だーかーらー! ルナがー! そのぉ、えーとぉ…………はっ、恥ずかしいこと言うからだよっ!」
へっ?
僕、何か言ったっけ?
特に覚えがないために呆けた顔をしていると、ソラが顔を真っ赤にしたまま言った。
「そのぉ、笑ってほしいとかぁ……」
「ほわッ!?」
ま、まさか!? まさか聞こえていた!? というか声に出していたの!?
恐る恐るソラの顔を見ると思わず目が合ってしまった。
僕たちはそのまま見つめあった後、互いに林檎よりも真っ赤になった顔をそらした。と言うよりそれしかできなかった。
は、恥ずかしいっ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、僕たちはさっきのことは無かったことにした。
互いに落ち着きを取り戻すのに十分以上、赤くなった顔が元に戻るのにその倍はかかった。
この宿では食堂、と言うより酒場がしっくりくるところで朝食も出るそうだ。
幸い、旅暮らしに慣れて起きる時間は日の出とともに。
そのため少々部屋にこもっていても問題はなかった。
食堂は一階にあり宿のおかみさんが詰めている受付カウンターを通らなくてはならない。
僕がソラと一緒に通りかかるとこちらに気づいたのか挨拶をしてきた。
「お二人さんおはよう」
「おはよー」
「おはようございます」
ソラが返事をした後、僕も返す。
そのまま通り過ぎようとした時に声がかけられた。
「あ、ちょっと待ちな」
やっぱり、か。
「そこの坊や。アンタ昨日泊めた覚えはないんだけど、どういうことだい?」
やっぱりこの人は、僕のことを忘れてしまっている。
僕の忘れられる体質において、僕に関する記憶は必ずしも忘れるわけじゃない。 同じ人でも忘れる時や全く忘れない時がある。忘れる内容も全部忘れる時や一部だけ忘れたりと、バラバラだ。
このおかみさんはどうやら、僕に関することを全部忘れたみたいだ。
こういう時ももはや慣れたものだ。僕が泊まったことを証明しようとしたら、後ろから声がした。
「おいおい、おかみさん。そこの坊主はその嬢ちゃんと一緒に昨日泊まったじゃないか。まさかもうボケちまったのかい?」
「う、うっさいね! まだボケるような歳じゃないよあたしは!」
後ろを見ると、食堂から出てきた商人と思しき人が笑っていた。
ここで覚えている人がいたとは運が良い。
「坊や、ちょっと悪いんだけど本当?」
「あ、はい。昨日の帳簿を見ればわかると思います。名前はルナ・アッシュカバードで21号室の部屋です」
「はいはい。えっと、21号室のルナ、ルナっと、あ! あったよ!」
僕に言われた通り帳簿を見ると、おかみさんは心底驚いた。
見つけた後は謝られて、もう歳かと心配して呟いていた。
これは単に僕のせいだから、昔からよくあることだから仕方ないですよって言っておいた。
カウンターから離れると、弁護をしてくれた商人さんにお礼を言おうと探した。
客が泊まる部屋はみんなに二階にある。商人さんは二階につながる階段を上ろうとしていた。
僕は近寄ってお礼を言ったんだけど、この商人さんどこかで見たことがあるような?
「おぉう。おかみさんといい坊主といい、最近は物忘れがはやりなのかい? それとも若いうちからボケが始まっちまうっていう病気なのかい!?」
商人さんはわざとらしそうに言っている。
ちなみに後ろから「あたしはボケてないよ!」という声が聞こえた。
「ルナ、ルナ。大丈夫?」
「ぶはっ!」
「ソラ、それこの人の冗談だから。気にしなくて良いよ」
「えっ。おじさん嘘つきなの?」
「おじっ!? だっははははははは!」
とうとうその商人さん(仮)は、階段の手すりにもたれかかるようにして、笑い転げてしまった。
ルナは基本的に他人の言葉を疑わない傾向にある。
その分、嘘を見抜くことができるけど、こういう冗談とかは何故か見抜けずに真に受けちゃう。
商人さん(仮)の笑いが収まるのを待つことしばし。ようやく起きたけど手でお腹を押さえながらだった。
今にも吹き出しそうな彼を、僕はジトーって見つめている。
「おぅ、坊主そんな目で俺を見ないでくれ! そんな目で見られたら俺は、俺は! 何かに目覚めてしまうぅぅぅぅぅぅ!」
僕はジトーって見るのを止めない。だってこの人、すっごい笑っているんだもん。
相手もそれが分かっているのか、笑顔を隠そうともしないけど……
「ルナルナ! この人怖いよっ!」
あー、うん。ソラをからかって遊んでるんだ、この人。
ソラは僕の後ろからひしって服をつかんでくる。
本当に怖がっているのが分かるほど近くにいるのに、さっきのことを思い出して赤くなったりはしなかった。
いやもうほんと、僕の心はすごい凪いでいるよ。頭の中ではいかに冷静に素早くこの人をどうにかしてしまおうかと考えている。
「何かに目覚める」で恐怖を感じるのに、何で嘘だと見抜けないんだろう。ホントだったら困るけど。
……というか、ルナルナって何さ。
「くくっ。まてまて、そんな睨むな」
「……原因は誰だと思っているんですか」
「すまんすまん、くっ。それにしてもほんとに覚えてないのか?」
「はあ、何となく覚えているような気がするんですけど」
「ほれ、坊主昨日うちの商会に良い毛皮とか売りに来てたろ。そん時に商会まで案内しただろ」
あっ、思い出した。
昨日ジャックさんと別れた後、ちょうどよく通りかかった商人の人に、商会まで案内してもらったんだ。しかも目当ての商会の人だった。
言われてみればその時の人だった。
「昨日はありがとうございます」
「よせやい。単に行き先が一緒だっただけだ。それに坊主と嬢ちゃんが持ち込んだやつはかなり質が良かったからな。支部長も喜んでたよ。あの人最近考え事が多くてな。坊主たちみたいな可愛らしい子供が頑張っている姿を見て、久々に笑ってたんだぜ。あんがとよ」
「は、はあ」
「えへへ」
さっきまでとは打って変わった、真摯な態度に僕は気の抜けた返事しかできなかった。
大してソラは、さっきまでの脅えようは遥か彼方の時空の果てにすっ飛んで、呑気に照れていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
根っこのところでは良い人な商人さんと別れた後、朝食を食べた。
というかそれが目的だったしね。
ちなみに彼の名前はライム。
それと昨日の、自称レドンの盗賊さんたちは町の警備兵に連れて行かれた。
何でも詰所の前に、いつの間にか箱詰めされた状態で置かれていたらしい。
何でもつい最近、かなりの問題を起こして捜索されていたらしい。どうやら逃げ回るうちにご飯代とかで手持ちのお金が減り、スリもしていたらしい。
さっさと町から逃げ出しちゃえばよかったのにね……。
僕はきっとカモネギに見えたんだろうな。ちっちゃいし。……ちっちゃい。ぐすっ。
朝食を食べた後は買い物と情報集めだ。
エトワールの街はここより北東で、少し寒くなるらしい。
少しではあるけど、この街より北東は山や標高が高いところが多いらしい。だから防寒用として何枚も服や上着を買っておいた。
新品はさすがに高いから全部古着だけど。
古着って言っても汚かったりボロボロというわけじゃない。古着にしたのは、旅暮らしである以上暖かい場所も行く可能性があるわけで、荷物を減らすために売ることもあるのにわざわざ高い物を買う意味がないからだ。
けど……
「お嬢ちゃん可愛いね。その可愛さにおじさんからプレゼントということで。この新品のマント、これくらいでどうだい?」
こういう人が多くて、ついついつられそうになっちゃうんだよ! ソラは毎回照れているし。
当然僕が断ったけどね。
まあ……最初のマントは買っちゃったけど。
似合ってるから文句は受け付けないよ。
あーあー。聞こえなーい聞きたくないーい。無駄遣いなんて言葉は聞こえませーん。
他にも保存のきく食糧を少し多めに買った後、長めのナイフを買った。いつ折れたりするかわからないからね。それに手持ちのやつは結構使っているし。
そして何人かの行商の商人たちからエトワールに行くまでの道を聞いた。
地図も買ったけど、やっぱりこの近くやエトワールを知っている人に聞くのが良いからね。
当然ライムさんにも聞いた。むしろ一番聞いた。
ほんとに商人かと思うほど優しいんだもん。
その代わり買い物のとき、彼の商会の物を良く買うことになったけど。
何度か一緒に行こうかと誘われたけど遠慮した。
旅の途中で僕のことを忘れられても困るし、それに彼には彼の商売があるだろうからって言って。
エトワールに行商に行くこともあるから別にかまわないらしかったけど、丁重に遠慮しておいた。
それに彼は今この町で何やら商会の仕事があるらしい。
なおさら断った。
旅には慣れているし魔術も使えるし、そこまで弱くはない。逃げるだけならソラと一緒に簡単に逃げられる。
二人だけでもなんとかエトワールまで行けるだろう。
昼食をライムさんと一緒に食べた後、僕たちは別れた。町の門に向かって。
「この町ともお別れだね、ルナ」
「そうだね」
「カボチャさん、じゃなくてジャックともまた会いたいなぁ」
「え、ソラ覚えているの?」
僕はその言葉に耳を疑った。
別にソラも全部の記憶を忘れるわけじゃないけど、僕と一緒に手をつないで逃げたんだ。僕のことを忘れる影響で一緒に忘れると思ったんだけど。
「うん! よく思い出すとね、ルナが手をつないでくれてたよね?」
「……え?」
一瞬頭が真っ白になった。
だって。だってソラは今まで、僕のことを一度も覚えていなかったんだ。
本当なら嬉しいはずなのに、僕は驚くことしかできない。
「ちがうの?」
「え、あ、いや。ソラの言う通り手をつないでいたよ」
「えへへ。むしろ、わたしが引っ張ってあげようかなって思ったんだけどなぁ~」
ジャックさんと出会った日の僕のことを覚えている。いや、正確には思い出すことができた。
これは……ジャックさんとまた会う必要があるよね。
まさかジャックさんが僕たちの求めていた人ってことはないかな?
「でも、まずはエトワールだよね」
「ルナ、ルナ。手を繋ごうよ!」
「うん、いいよ」
目指すはエトワール。
エトワールを目指して僕とソラは街を出た。
エセ男爵の方も読んでくれると嬉しいです。