プロローグ あなたは誰?
読んでくれてありがとうだよー
――目を覚ますと視界いっぱいに、瑞々しい葉が生い茂る木の枝が広がっていた。
僕が身を起こして、すぐ後ろにある木の幹に背を預けると、目の前には小さな澄んだ湖が広がっている。
ここは緑豊かな森。誰もいない静かな森。
いつの頃からかは分からない。何故か僕には昔の記憶なんてない。
ただ、いつの頃からか僕は旅をしていた。当てもなく、まるで何かを探すように。迷子になったかのように。
昨日も町に着けなかった。
でも、今日も着けるかわからない。たどり着けなかったらまた野宿だ。
けれど、たどり着かない方が良いとも思ってしまう。
――僕は他者と出会いたくない。出会えば嫌な目に会ってしまう。
……朝から嫌なことを考えてしまった。
嫌な思考を振り払うように僕は頭を左右に振る。
その動きに遅れて、ぴょこぴょこと髪が揺れた。
そろそろ、切ろうかな。
僕は目の前に広がる湖に近づいて、水をすくって顔にかける前に、水面に映った自分の姿を見た。
少し伸びすぎた灰の様な色をした髪は、小動物の耳のように揺れている。そう思ったら、鏡面の彼が少し顔を歪めた。
――自分で自分のことを小動物って……。
どうしたら、もっと男らしくなれるのかなぁ……。
静寂に満ちた森に、バシャバシャと水の音がよく響く。
冷たい水だ。冷たいだけじゃなくて、この湖の水はとてもおいしいね。まるで自然の恵みの結晶の様だ。
――ちょっと詩的だったかな?
少し濡れてしまった髪を触りながら、なんとなくそう思った。
さっきまで背を預けていた木の根元まで戻ると、背嚢を開けた。
いつも寝るときには、すぐ近くに置くか抱きしめるようにして寝ている。
僕は背嚢の中から水の入った革袋を取り出した。そして再び湖の前まで行くと地面に中身を空けた。
空になれば湖の水で中を洗い、新鮮な水を入れる。
水の交換が終われば朝食を食べることにした。
この森は本当に静かだ。もう朝だっていうのに鳥の鳴き声すらしない。人っ子一人すらいない。
――もう、ここに暮らしちゃおうかな?
ちょっと塩気の少ない干し肉をかじりながら、僕はそんなことをつらつら考えていた。けどそんなわけにはいかない。だって旅をしなければならない理由があるのだから。
コレを、この呪いのような体質をどうにかするために、旅をしているのだから。
干し肉を食べ終える頃、僕のすぐ横で身じろぎする音が聞こえた。
僕は慌てて隣の方を見る。
そこにはまだ僕と同じくらいの、もう少しで十四歳ほどになる女の子が横になっていた。綺麗な髪が扇状に広がっている。
きれいな子だった。
きれいと言うか、可愛いの部類に入るけど。
――……んん
まだ眠そうな声を上げながら、彼女はのろのろと体を起こした。
猫のように、まだ開き切っていない目をこすっている。
――ん、んん~?
彼女は思いっきり伸びをして、やっと周囲に目を向けた。
キョロキョロと、まるで知らない場所を見るかのように周囲を見ている。
その紅茶色の目はついに僕を視界に入れた。けれど目はぼんやりと定まらず、僕の方をじーっと見ている。
やがてその目が定まってきた時、僕は恐る恐る話しかけた。
――えっと……おはよう
彼女が無邪気な微笑みを浮かべて、優しい声で返してきた。
――んー、おはよう?
何故か疑問形だった。それでも僕は、返事をしてくれるだけで嬉しかった。それだけで、心が暖かくなったんだ。
けれど、その微笑ましい気持ちはすぐに霧散してしまった。
――ねぇ
その声に、びくっと僕の体が震える。
僕は次にやってくる言葉に怯えた。
だってそれは今まで何度も聞いた、聞きたくない言葉かもしれないんだから。
何度も何度も。毎日毎日。一言一句変わることもなく。同じ言葉を掛けられる。
――どうか今日こそは!
けれど僕の祈りは聞き届けられることはなく。
今日もまた、聞きたくない『あの言葉』を言われてしまった。
「――あなたはだぁれ?」